「3DCG」という方法でしか作れないものがあるとすれば、逆にじっくり時間をかけた手作業でなければ作れないものはあるのだろうか。大島哲蔵さんは「コンピュータ社会と建築」の中で、同じスペインにあるゲーリーのビルバオグッゲンハイムとガウディのサグラダファミリアを比較してこんなことを書いている。
フランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館のように「金属の花」といわれるような入り組んだ架構が、ガウディの建物の数十分の一の時間と労力で完成してしまう。これこそ「進歩」であり何の問題も無いと思われるかもしれないが、そうとも言い切れない。つまり長い時間と手間をかけて、多くの関係者の頭脳、技術そして労働力を集約するからこそ、精神的な価値観と文化的な象徴性を地域の人が共有できるのかもしれない。
大島さんの指摘は正しいと思う。郊外住宅地の開発に見られる感情的な問題のうち、大きな比率を占めるのがスピードの問題である。開発の速度が速すぎるため、今まで土地に住んできた人たちにとっては変化が「突然」すぎるのである。
従来、地域は少しずつゆっくり変化してきた。旧市街地でもそれは変わらない。都心部の再開発問題で取り上げられるのは日照権など目に見えるものが多いが、実は異質なものが「突然」地域に入り込んでくることに対する心理的な抵抗感が背景にあるように思う。
環境問題もスピードの問題に関わる。つまり、人間の開発速度が自然の回復速度を上回ってしまうから環境問題が顕在化するわけだ。人間の手で少しずつ自然を開墾している場合、それほど大きな問題は起きないし、結果的に里山などの豊かな2次自然環境が出来上がることも多い。問題は人間の手の力を大幅に上回る機械を導入し始めたときに起きる。機械による開発は、自然の回復能力を凌駕するスピードを持ってしまうからだ。
里山に子どもの遊び場を作る。5年前にそんな計画を担当した。今までのやり方なら、里山の木を切って土地を造成して、自分がデザインした遊具を配置しただろう。でも、当時の僕はそうしたくなかった。速度の問題である。里山の中に遊び場を「突然」作り上げても、それはあまりハッピーなことではない。部分的に「里山ゾーン」を残すことも嘘くさい。「里山ゾーン」と「遊具ゾーン」の持つ速度がバラバラだとすれば、2つのゾーンが隣り合っている理由は見当たらない。
以来5年間、その遊び場はゆっくりと作られている。今年の夏も、50人の子どもと50人の大学生が遊び場を作り続けた。来週も1泊2日で遊び場の続きを作る。5年前に子どもだった参加者が大学生になって戻ってきている。遊び場が成長する速度と子どもが成長する速度が一致し始めていることを感じている。
Unicef Park Project 2004
山崎
2004年10月31日日曜日
2004年10月30日土曜日
「3DCGという方法」
「Ty Nant」のボトルをデザインしたロス・ラヴグローブ氏の作品集「supernatural」を眺めてみる。そこには、ペットボトル、椅子、自転車、テーブル、照明器具、螺旋階段など、うねるような曲線で構成されたプロダクトが並ぶ。いずれも、水や骨、樹木、人体、民族家具などといった有機的な対象をモチーフにしている。
「Ty Nant」の図面も少しだけ載っている。図面と言っても、3次元で表現されたコンピューターグラフィックによるものである。立面図や平面図などで表しにくい「Ty Nant」の形態は、自由に回転できる3次元の図面で表現される。ペットボトル表面の割付は、3次元で各面を同時に考えないと全体がつながらないのだろう。サイバー空間でバーチャルなボトルを作りながら検討しているようだ。
フランク・ゲーリーも同じようにサイバー空間内で一度建築をすべて建ててしまうという。最近では、リチャード・セラも同じような3次元ソフトを使って作品の構造を計算しているそうだ。
建築やアート、そしてプロダクトデザインの世界で、サイバー空間における緻密な作業が展開されている。一方、ランドスケープデザインはもともと地形という不定形な要素を相手にしてきた。しかし、ランドスケープデザインの事務所では、いまだに等高線を読み取って模型を作成し、その模型を見ながら地形の改変について話し合っていることが多い。今、複雑な起伏のデザインが求められた場合、建築家やアーティストやプロダクトデザイナーのほうが面白い解答を提示する可能性が高い。
等高線を読み取って模型を作りながら地形改変をスタディする方法に限界があるのなら、3DCGについてしっかり勉強するべきだろう。「やっぱり等高線を読み取ることが大切だよね」とか「模型を手でじっくり作ることは何物にも変えがたいな」という言葉は、「3DCGという方法」を完全にマスターしてから使いたいものだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0714843679/qid=1099827905/sr=1-2/ref=sr_1_26_2/250-6538407-6682617
山崎
「Ty Nant」の図面も少しだけ載っている。図面と言っても、3次元で表現されたコンピューターグラフィックによるものである。立面図や平面図などで表しにくい「Ty Nant」の形態は、自由に回転できる3次元の図面で表現される。ペットボトル表面の割付は、3次元で各面を同時に考えないと全体がつながらないのだろう。サイバー空間でバーチャルなボトルを作りながら検討しているようだ。
フランク・ゲーリーも同じようにサイバー空間内で一度建築をすべて建ててしまうという。最近では、リチャード・セラも同じような3次元ソフトを使って作品の構造を計算しているそうだ。
建築やアート、そしてプロダクトデザインの世界で、サイバー空間における緻密な作業が展開されている。一方、ランドスケープデザインはもともと地形という不定形な要素を相手にしてきた。しかし、ランドスケープデザインの事務所では、いまだに等高線を読み取って模型を作成し、その模型を見ながら地形の改変について話し合っていることが多い。今、複雑な起伏のデザインが求められた場合、建築家やアーティストやプロダクトデザイナーのほうが面白い解答を提示する可能性が高い。
等高線を読み取って模型を作りながら地形改変をスタディする方法に限界があるのなら、3DCGについてしっかり勉強するべきだろう。「やっぱり等高線を読み取ることが大切だよね」とか「模型を手でじっくり作ることは何物にも変えがたいな」という言葉は、「3DCGという方法」を完全にマスターしてから使いたいものだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0714843679/qid=1099827905/sr=1-2/ref=sr_1_26_2/250-6538407-6682617
山崎
2004年10月29日金曜日
「archiforum」
不思議な経緯で、今期の「archiforum」におけるコーディネーター役の末席を担当することになった。ランドスケープがテーマだということなので、以前から考えてきた「マゾヒスティック・ランドスケープ」について建築家の方々と語り合う場にしたいと思う。
マゾヒスティック・ランドスケープについて議論するのであれば、まずは「負ける建築」を書いた隈研吾さんと話をしてみたい。ということで、第1回は隈さんにお越しいただくこととなった。以降、第2回には「ランドスケープを包囲する建築」について語る塚本さん、第3回には「弱い建築」を目指す藤本さんが来てくれるとのこと。
第4回以降については、ヨーロッパにおけるランドスケープの動向に詳しい槻橋さん、「非作家性の時代」を生きる曽我部さん、「環境ノイズエレメント」を調査する宮本さんなど、魅力的な方々が出演を了承してくれている。感謝、感謝。
以下、来月のアーキフォーラムに関するお知らせ。
■archiforum
マゾヒスティック・ランドスケープ
~獲得される場所を目指して~
『ランドスケープは犠牲者でもないし、都市に対立するものでもないし、人々を癒すものでもない。食われてしまうべきものだ。』
アドリアン・ヒューゼ/WEST8
そもそも、ランドスケープとは、本質的にマゾヒスティック(被虐的)な素養をもった対象なのかもしれない。ここでいうランドスケープとは、ロマン主義的な庭園風景のことではなく、アーバニズムとしてのランドスケープを指している。現在、日本の都市空間を眺めてみると、新しいパブリック・スタイルとも言える行為や空間が胎動しつつあることに気づく。そこには、巧みなまでに環境を読み取って、自分の居場所を見つけている人々の姿がある。このことは、これまでの「公共空間」をかたちづくってきた一元的なシステムの限界や市民の多様な欲求にもとづく「私的領域」の変化を示しているのかもしれない。すなわち、ランドスケープにおいて、“与えるもの”から“獲得されるもの”へと変化していくアプローチが求められており、その中で建築との関係性の再考も必要となっている。
<負ける>、<弱い>、<意気地なし>、<いたれりつくせりでないこと>という言葉で語られつつある建築。
今回のアーキフォーラムでは、様々な建築家の方々を中心にお招きし、ご自身の作品などのプレゼンテーションとそれを受けたディスカッションを通じて、都市空間にマゾヒスティックな状況を引き起こすデザインアプローチの可能性について考えていきたいと思う。
Vol.01/11月27日(土)
ゲスト:隈研吾氏「負ける建築」
Vol.02/12月04日(土)
ゲスト:塚本由晴氏「建築の経験」
Vol.03/01月29日(土)
ゲスト:藤本壮介氏「Space of No Intention」
今後のゲスト予定(敬称略):
槻橋修、曽我部昌史、宮本佳明、五十嵐太郎、長坂大、遠藤秀平ほか
コーディネーター:
忽那裕樹(株式会社E-DESIGN主宰)
長濱伸貴(株式会社E-DESIGN主宰)
山崎亮(株式会社SEN環境計画室所属)
山崎
マゾヒスティック・ランドスケープについて議論するのであれば、まずは「負ける建築」を書いた隈研吾さんと話をしてみたい。ということで、第1回は隈さんにお越しいただくこととなった。以降、第2回には「ランドスケープを包囲する建築」について語る塚本さん、第3回には「弱い建築」を目指す藤本さんが来てくれるとのこと。
第4回以降については、ヨーロッパにおけるランドスケープの動向に詳しい槻橋さん、「非作家性の時代」を生きる曽我部さん、「環境ノイズエレメント」を調査する宮本さんなど、魅力的な方々が出演を了承してくれている。感謝、感謝。
以下、来月のアーキフォーラムに関するお知らせ。
■archiforum
マゾヒスティック・ランドスケープ
~獲得される場所を目指して~
『ランドスケープは犠牲者でもないし、都市に対立するものでもないし、人々を癒すものでもない。食われてしまうべきものだ。』
アドリアン・ヒューゼ/WEST8
そもそも、ランドスケープとは、本質的にマゾヒスティック(被虐的)な素養をもった対象なのかもしれない。ここでいうランドスケープとは、ロマン主義的な庭園風景のことではなく、アーバニズムとしてのランドスケープを指している。現在、日本の都市空間を眺めてみると、新しいパブリック・スタイルとも言える行為や空間が胎動しつつあることに気づく。そこには、巧みなまでに環境を読み取って、自分の居場所を見つけている人々の姿がある。このことは、これまでの「公共空間」をかたちづくってきた一元的なシステムの限界や市民の多様な欲求にもとづく「私的領域」の変化を示しているのかもしれない。すなわち、ランドスケープにおいて、“与えるもの”から“獲得されるもの”へと変化していくアプローチが求められており、その中で建築との関係性の再考も必要となっている。
<負ける>、<弱い>、<意気地なし>、<いたれりつくせりでないこと>という言葉で語られつつある建築。
今回のアーキフォーラムでは、様々な建築家の方々を中心にお招きし、ご自身の作品などのプレゼンテーションとそれを受けたディスカッションを通じて、都市空間にマゾヒスティックな状況を引き起こすデザインアプローチの可能性について考えていきたいと思う。
Vol.01/11月27日(土)
ゲスト:隈研吾氏「負ける建築」
Vol.02/12月04日(土)
ゲスト:塚本由晴氏「建築の経験」
Vol.03/01月29日(土)
ゲスト:藤本壮介氏「Space of No Intention」
今後のゲスト予定(敬称略):
槻橋修、曽我部昌史、宮本佳明、五十嵐太郎、長坂大、遠藤秀平ほか
コーディネーター:
忽那裕樹(株式会社E-DESIGN主宰)
長濱伸貴(株式会社E-DESIGN主宰)
山崎亮(株式会社SEN環境計画室所属)
山崎
2004年10月28日木曜日
「My Water」
ペットボトルのデザインを依頼された。コンビニエンスストアなどに並ぶペットボトルをデザインすることによって、店内のランドスケープが変わるのであればそれも僕の仕事だろうと思って引き受けた。実際にスタディを始めてわかったことは、ペットボトルのデザインが持つ奥深さ。なかなか面白い仕事だ。
デザインの参考にするため、世界中のペットボトルについて研究し始めた。もっとも有名で美しいとされているのがロス・ラヴグローブ氏のデザインした「Ty Nant」というミネラルウォーターのボトル。確かに驚くべき美しさとグリップと弾力構造を兼ね備えてたボトルだ。
さらにいろいろ探してみると、台湾にこれとそっくりなミネラルウォーターがあることを発見。早速入手してみる。品名は「My Water」。ラベルが楕円形なところも丁寧に真似してある。並べてみるとリブの入り方が微妙に違うことがわかる。そのため弾力性が違っている。台湾の「My Water」のほうがやわらかくて頼りない。グリップも悪く、油断すると手から滑り落ちてしまいそうだ。一方、本家「Ty Nant」はさすがに計算しつくされた構造で、しっかりした強度を保ちながらボトルの握りやすさも実現している。
ところでこの複雑な形は、不定形な水のかたまりをイメージしたものだと言われている。ミネラルウォーターのかたまりを持ち歩いているような気分にさせるペットボトルなのである。水は不定形でやわらかく、手のひらから零れ落ちていく存在だ。その意味では、きっちりデザインされた「Ty Nant」よりも「My Water」の頼りなさのほうが「水」っぽいのかもしれない。
実際、僕は「My Water」のボトルを2回落としたことがある。
「My Water」と「Ty Nant」
山崎
デザインの参考にするため、世界中のペットボトルについて研究し始めた。もっとも有名で美しいとされているのがロス・ラヴグローブ氏のデザインした「Ty Nant」というミネラルウォーターのボトル。確かに驚くべき美しさとグリップと弾力構造を兼ね備えてたボトルだ。
さらにいろいろ探してみると、台湾にこれとそっくりなミネラルウォーターがあることを発見。早速入手してみる。品名は「My Water」。ラベルが楕円形なところも丁寧に真似してある。並べてみるとリブの入り方が微妙に違うことがわかる。そのため弾力性が違っている。台湾の「My Water」のほうがやわらかくて頼りない。グリップも悪く、油断すると手から滑り落ちてしまいそうだ。一方、本家「Ty Nant」はさすがに計算しつくされた構造で、しっかりした強度を保ちながらボトルの握りやすさも実現している。
ところでこの複雑な形は、不定形な水のかたまりをイメージしたものだと言われている。ミネラルウォーターのかたまりを持ち歩いているような気分にさせるペットボトルなのである。水は不定形でやわらかく、手のひらから零れ落ちていく存在だ。その意味では、きっちりデザインされた「Ty Nant」よりも「My Water」の頼りなさのほうが「水」っぽいのかもしれない。
実際、僕は「My Water」のボトルを2回落としたことがある。
「My Water」と「Ty Nant」
山崎
2004年10月27日水曜日
「佐原鞠塢」
川添登さんの「東京の原風景」と飯島二郎さんの「日本文化としての公園」を読む。大正期の井下清さんに続いて、江戸期にも気になる人がいた。佐原鞠塢(さはらきくう)さんという人。東京の向島にある「百花園」という公園を作った人だ。
佐原さんは1766年に仙台で生まれた。成人してから江戸へ出てきて、芝居茶屋で10年ほど働いた。その間にお金を貯めて、日本橋に骨董屋を開いたところ大ヒットしたという。お金持ちになったので、新しく3000坪の土地を買って花を育て始めたのが「百花園」の始まり。友達に有名な作家や詩人がたくさんいたので、その人たちに庭に対する意見を聞いたり、梅の木を寄付してもらったりしながら百花園を作る。関わった文化人は、加藤千蔭、村田春海、亀田鵬斎、太田南畝、大久保詩仏、抱一上人、川上不白、大柳菊旦、市川白猿など。佐原さんはなかなか顔の広い人だったようだ。
こんな有名人たちを庭園づくりに参加させるというのは驚きだ。現代で言えばどんな感じだろう。大江健三郎、村上春樹、筒井康隆、辻仁成、江國香織、花村萬月、中沢新一、養老孟司、宮崎駿といった顔ぶれを集めて庭園を作るようなものか。
百花園には茶屋があって、そこで梅干や煎茶を味わうことができたという。梅干は寄付してもらった梅の木になる実を使い、お茶の葉は園内の茶畑で採れたものを使い、お茶碗やお皿は隅田川の土を使って園内の窯で焼いた「角田川焼き」だった。
この庭園には一般人もたくさん遊びに来たようだ。これも佐原さんのPRがうまかったから。佐原さんは、百花園の周辺にある寺や名所6ヶ所と百花園を合わせて7ヶ所選び、それらを結んで「七福神参り」というコースを作った。この周遊コースを人々に知らせるとたちまち流行り、百花園への来園者が急増したそうだ。江戸時代の人にしてはなかなか冴えている。
さらに、人気が出てきた角田川焼きの器を土産物として売るだけではなく、来園者みずからが「マイ湯呑み」を焼ける陶芸教室を開いたという。恐ろしいプロデューサーだ。
平成のランドスケープアーキテクトはいったい何をしているんだ!と自省の念が起きた夜だった。僕らはまだまだ面白いことができる。。。はず。
佐原鞠塢
山崎
佐原さんは1766年に仙台で生まれた。成人してから江戸へ出てきて、芝居茶屋で10年ほど働いた。その間にお金を貯めて、日本橋に骨董屋を開いたところ大ヒットしたという。お金持ちになったので、新しく3000坪の土地を買って花を育て始めたのが「百花園」の始まり。友達に有名な作家や詩人がたくさんいたので、その人たちに庭に対する意見を聞いたり、梅の木を寄付してもらったりしながら百花園を作る。関わった文化人は、加藤千蔭、村田春海、亀田鵬斎、太田南畝、大久保詩仏、抱一上人、川上不白、大柳菊旦、市川白猿など。佐原さんはなかなか顔の広い人だったようだ。
こんな有名人たちを庭園づくりに参加させるというのは驚きだ。現代で言えばどんな感じだろう。大江健三郎、村上春樹、筒井康隆、辻仁成、江國香織、花村萬月、中沢新一、養老孟司、宮崎駿といった顔ぶれを集めて庭園を作るようなものか。
百花園には茶屋があって、そこで梅干や煎茶を味わうことができたという。梅干は寄付してもらった梅の木になる実を使い、お茶の葉は園内の茶畑で採れたものを使い、お茶碗やお皿は隅田川の土を使って園内の窯で焼いた「角田川焼き」だった。
この庭園には一般人もたくさん遊びに来たようだ。これも佐原さんのPRがうまかったから。佐原さんは、百花園の周辺にある寺や名所6ヶ所と百花園を合わせて7ヶ所選び、それらを結んで「七福神参り」というコースを作った。この周遊コースを人々に知らせるとたちまち流行り、百花園への来園者が急増したそうだ。江戸時代の人にしてはなかなか冴えている。
さらに、人気が出てきた角田川焼きの器を土産物として売るだけではなく、来園者みずからが「マイ湯呑み」を焼ける陶芸教室を開いたという。恐ろしいプロデューサーだ。
平成のランドスケープアーキテクトはいったい何をしているんだ!と自省の念が起きた夜だった。僕らはまだまだ面白いことができる。。。はず。
佐原鞠塢
山崎
2004年10月26日火曜日
「井下清」
小野良平さんの「公園の誕生」と白幡洋三郎さんの「花見と桜」を読む。江戸期から明治期にかけて、公園や公園的な空間でどんなことが行われていたのかがよくわかる。「公園の誕生」では制度や計画について、「花見と桜」では庶民のレクリエーションについて、それぞれ詳しく書かれている。
この時期の公園関係者で気になる人がいる。明治期の東京市公園課長だった井下清さん。この人、東京の公園をたくさん計画した人なのだが、子どもの遊び場についてこんなことを言っている。
「児童遊園の価値を生ずるものは面積にあらず、施設にあらず、実に指導者如何によるのである。それは単なる体操教師役にあらずして遊園を如何に有機的に運用するかの手腕を要する。」
児童公園の価値は、面積の広さではなく、施設の充実度でもなく、実際はプレイリーダーの質によるところが大きいんだという。しかも、単に遊びを教えたり危険を回避したりするだけのプレイリーダーではなく、公園のマネジメントもできるような人間である必要があるんだという。
的を射た言葉である。こんなことを大正期に考えていたわけだから、井下さんってのはすごい人だと思う。当時は「まだまだ公園が少ない」「遊具広場を増やせ」という時代だったのだから。
井下清
山崎
この時期の公園関係者で気になる人がいる。明治期の東京市公園課長だった井下清さん。この人、東京の公園をたくさん計画した人なのだが、子どもの遊び場についてこんなことを言っている。
「児童遊園の価値を生ずるものは面積にあらず、施設にあらず、実に指導者如何によるのである。それは単なる体操教師役にあらずして遊園を如何に有機的に運用するかの手腕を要する。」
児童公園の価値は、面積の広さではなく、施設の充実度でもなく、実際はプレイリーダーの質によるところが大きいんだという。しかも、単に遊びを教えたり危険を回避したりするだけのプレイリーダーではなく、公園のマネジメントもできるような人間である必要があるんだという。
的を射た言葉である。こんなことを大正期に考えていたわけだから、井下さんってのはすごい人だと思う。当時は「まだまだ公園が少ない」「遊具広場を増やせ」という時代だったのだから。
井下清
山崎
2004年10月25日月曜日
「自転車置場」
3ヶ月ほど前に「Landscape Explorer」というシンポジウムを開催した。シンポジウムでいくつかの提案を発表したが、そのひとつに「駅前駐輪プラザ」というものがあった。駅前の空虚な広場に、現れたり消えたりする園路を作り出そうという提案。舗装面に簡単なスリットを入れることによって駐輪の列を作り出し、時間によって出現したり消え去ったりする「ミラージュ・サーキュレーション」を作り出す、なんてことを考えた。
一緒に模型を作ってくれた大学院生から、さっきメールが届いた。どうやら今月号のA+Uに、同じような駐輪用スリットを持つ広場が載っているらしい。添付されていた画像を見ると、確かに「駅前駐輪プラザ」のスリットと似ている。瞬間的に「真似されたか!」と思ったが、実際そんなわけはない。ヨーロッパの建築家がすでに実現させている写真である。真似できるとすれば、その可能性は100%こちら側にある。
自分とまったく同じアイデアが遠くはなれた地で実現していることを知ったときの気持ちは説明しにくい。悔しい気持ちに少しだけ嬉しい気持ちが混ざった感覚といえば表現できているだろうか。悔しいけれど、少しだけ可能性を感じるのである。
この空間を設計したアレス・ヴィルトグートは、普通の自転車置場にスリットを利用している。でも、それではスリットを使う意味が十分に機能していない。車輪止めが地表面に突出しない「スリットという特性」を十分活かすためには、その平面形態についてのスタディがもう少し必要なんだと思う。僕が可能性を感じているのは、きっとこのスタディに関わる部分なんだろう。
近い将来、スリットを活かした駐輪スペースをしっかりデザインしてやろう、と思う。でもきっと、アレス・ヴィルトグートが僕の設計した空間を知ることはないだろう。その逆はあったとしても。
山崎
一緒に模型を作ってくれた大学院生から、さっきメールが届いた。どうやら今月号のA+Uに、同じような駐輪用スリットを持つ広場が載っているらしい。添付されていた画像を見ると、確かに「駅前駐輪プラザ」のスリットと似ている。瞬間的に「真似されたか!」と思ったが、実際そんなわけはない。ヨーロッパの建築家がすでに実現させている写真である。真似できるとすれば、その可能性は100%こちら側にある。
自分とまったく同じアイデアが遠くはなれた地で実現していることを知ったときの気持ちは説明しにくい。悔しい気持ちに少しだけ嬉しい気持ちが混ざった感覚といえば表現できているだろうか。悔しいけれど、少しだけ可能性を感じるのである。
この空間を設計したアレス・ヴィルトグートは、普通の自転車置場にスリットを利用している。でも、それではスリットを使う意味が十分に機能していない。車輪止めが地表面に突出しない「スリットという特性」を十分活かすためには、その平面形態についてのスタディがもう少し必要なんだと思う。僕が可能性を感じているのは、きっとこのスタディに関わる部分なんだろう。
近い将来、スリットを活かした駐輪スペースをしっかりデザインしてやろう、と思う。でもきっと、アレス・ヴィルトグートが僕の設計した空間を知ることはないだろう。その逆はあったとしても。
山崎