地域開発の11月号に原稿が掲載された。郊外住宅地の現在に関するレポートである。タイトルは「夏草やウワモノどもが夢の跡:死にゆく郊外について」。かつての夢の都市《ユートピア》が、いまや夏草に覆われつつある状況を報告した。
100年かけて増加した人口は、今後100年かけて減少する。100年後、日本の人口は6000万人になるという予測がある。1億3000万人から6000万人。急激な人口減少である。出産奨励策や移民受入れ策などの政策も、常識の範囲内で施行する限りは人口を増加させるに至らない。おのずと都市規模も縮小せざるを得ないだろう。都市の高度利用やインフラの効率的配置を考えると、都市域は明治期の広がりと同じくらいまでコンパクトになる可能性がある。大阪で言えば、ほぼ環状線の内側に建築物が集積する。つまり、天王寺が郊外になるわけだ。
コンパクトシティに関するスタディが盛んなのは、こうした気分を反映してのことなのかもしれない。しかし問題がある。昨今の議論では、コンパクトになった都市のあり方ばかりが強調され、残された郊外住宅地の環境についてはほとんど検討されていないのだ。素敵なコンパクトシティが完成したとして、その外側をドーナツのように廃墟が取り巻く風景をどう考えているのか。
2100年、休日に山登りへ。家を出て山へ向かう。途中50kmは廃墟の町。楽しかった山登りから帰ってくるときも同じ。どの方角から都心へ戻ろうと、必ず50kmの廃墟の帯を通り抜けなければならない。魅力的な未来とは程遠い状態である。
廃墟は、たまにあるから貴重なのであり、それを楽しむことができるのである。自分の住む都市の周囲50kmを廃墟が取り囲むことになると、僕らの廃墟に対する考え方は一気に変わってしまうだろう。もはや廃墟は珍しいモノでもなければ、ワクワクする対象でもない。消し去るべき対象になるのである。
小さくなる都市について考えるのと同時に、小さくなった後の環境について考えておく必要がある。それはまさに、今後50年は生きるであろう僕らの世代が考えておくべき問題なのである。
山崎
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