学生時代から付き合いがある精神科のドクターが大阪へ遊びに来た。2年ぶりの再会である。この2年の間に彼は職場を変わっていた。以前と同じく東京で働いているのだが、同時に学生として研究にも勤しんでいるという。
彼によると、医療や研究の現場では1番手よりも2番手のほうが面白い発想を生み出しやすいという。1番手はどうしてもトップを走り続けるという気負いを感じてしまうため、知らず知らずのうちに無難で汎用な手法に落ち込んでしまう。ところが2番手は1番手を追うことに徹するため、自由な発想を駆使して新たな世界を切り開こうとする。往々にして革新的な発想は2番手の思考から生まれることが多いのだ、と彼は言う。
デザインの世界でも同じことが言える。1番手を走るデザイナーは、俗に「守りに入った」と言われるようなデザインを展開し始めることが多い。一方、1番手を追う2番手はさまざまな手法で先頭を走るデザイナーを追撃する。その手法は多様でありユニークである。
仮に2番手が1番手を駆逐することができたとする。すると今度はその2番手が1番手になる。自分が1番手になった瞬間、彼は2番手の追撃がどれだけ激しいものなのかを思い知ることになるだろう。そして、社会が自分に期待している「無難さ」を思い知ることになるだろう。かくして、新たな1番手もかつての1番手と同じような無難さと汎用さを以てデザインの世界から姿を消すことになる。
それを回避する方法はいくつかあるだろう。そのひとつに「枠組みの拡大」という方法がある。ある枠組みで1番手になると同時に、上位の枠組みの最下位としてスタートすること。これによって、評価のフィールドは一気に広がる。隈研吾さんに代表される方法だといえよう。
アンチポストモダンという姿勢によって日本のポストモダンの1番手になるや否や、枠組みを建築全体に広げて「アンチ建築」を主張し始めた隈さん。その後、建築の世界で1番手になりつつあれば、さらに枠組みを広げて「アンチ資本主義社会」を唱えることになる。隈さんは「アンチテーゼ」を用いることによって、常に既存の枠組みを広げてきたのである。
現在自分が戦っているトーナメントは、もうひとつ大きなトーナメントの予選なんだと考えること。そんな考え方がトーナメント優勝をもたらすのかもしれない。
自分を包囲する枠組みをうまく操作することによって、僕は「攻める2番手」であり続けたいと思う。
山崎
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