「一人あたりの公園面積」という指標がある。
ランドスケープデザインに関する教科書には必ずといっていいほど出てくる指標だ。この話題、ほとんどの場合は「欧米に比べて日本の一人あたりの公園面積は小さいので、まだまだ公園緑地を増やすべきだ」という文脈で紹介される。
紹介されている「一人あたりの都市公園面積」は、東京都区部で平均3.0㎡程度。大阪市内は3.5㎡。名古屋市内だと6.7㎡。全国の政令市の平均は約6.0㎡なので、名古屋市は比較的緑豊かな都市だといえよう(いずれも2001年度のデータ)。
ところが諸外国を見ると、名古屋市でさえも大したことではないと実感させられる。例えばパリ市内の一人あたりの都市公園面積は11.8㎡。政令市平均の2倍近い緑の量である。さらに、ロサンジェルスは17.8㎡(1994年度)、ロンドンは27.0㎡(1997年度)、ベルリンは27.5㎡(1995年度)、ニューヨークは約30㎡もの公園面積を誇る。
東京や大阪は世界の都市に比べて一人あたりの公園面積が小さい。差は歴然としている。これが教科書の論調である。こんな論調に対して、「ちょっと待った」という反論もある。日本は都市公園として参入されている面積が小さいだけで、社寺や田畑および里山など、実質的に公園的利用がなされている面積を足せば欧米にだってそれほど負けていないぜ、という反論である。
そんな反論を信じて、僕はこれまで「一人あたりの公園面積」という指標を信じてこなかった。というか、それが低いからといってあわてる必要はないと考えてきた。しかしふと疑問に思ったのである。公園面積にカウントされていないその他の「緑地」面積を足したとしたら、日本人一人あたりの「緑地面積」はいったいどれくらいなのだろうか。
例えば市民緑地。民有地を一定期間開放して、一般の人たちが使えるようにする緑地であるが、この面積は全国で770000㎡。緑地保全地区というのもある。都市計画区域内にある樹林地や草地や水沼地で、良好な自然環境を形成しているものが緑地保全地区に指定される。いわゆる都市近郊の里地里山である。この地区が全国で14110000㎡。都市に住むものにとって、これらの2種類の緑地も十分に都市公園的な利用に供する場所だといえよう。さらに、京都や鎌倉や飛鳥のように、庭園が多く歴史的な風土を持った地区も丸ごとカウントすると155250000㎡。
以上のような「都市公園的」に利用できる場所をすべて足し合わせて、日本の総人口で割ってみると、一人あたりの都市公園的空間の面積は1.3㎡増えることになる。
それでも1.3㎡である。政令市平均の6.0㎡に足したとしても7.3㎡。パリの面積にも満たない。ニューヨークの30㎡には程遠い。
一人あたりの都市公園面積。この指標をもう少し信じてみてもいいのかもしれない。少なくとも、すでに公園面積は足りていると思う必要はないのかもしれない。税収が減少して、公園整備費が削減され続ける時代にあって、しかしまだまだ公園を増やしたほうがいいと考えるべきなのかもしれない。事実、僕らが海外旅行へ行ったり、しばらく海外に住んでみたりすると、帰国した際にどうしても「日本の都市には緑が少ないなぁ」と感じてしまうのだから。
公園面積を増やすと、その管理費が増大することは必至だ。諸外国はどのように広い公園を管理しているのだろうか。ニューヨークの公園はすべて税金で管理されているのだろうか。公園や緑地の面積を増やすことと、その後の管理をどうするのかということをセットで考えてみる必要がありそうだ。
山崎
2007年5月21日月曜日
2007年5月14日月曜日
「strong concept」
中之島の中央公会堂にオランダの「NL Architects」とルクセンブルクの「Polaris」がやってくるというので、夕方から話を聞きに行く。
NLのアプローチは以前から気になっていた。入り組んだ駐車場の計画では、広告収入による建設費や維持費のマネジメントにも言及しているし、空からみると企業の広告になる空港併設駐車場では駐車すればするほどお金がもらえるシステムを提示しようとしている。つまり、カタチとナカミとシクミを同時に考えようとしているのである。
講演内容で面白いと思ったキーワードは「strong concept」。明確なコンセプトと、それを素直に表現したカタチ。この組み合わせが独特のアイデンティティを生み出し、見るものにインパクトを与えることになる。その結果、楽しそうな建築や空間が出来上がるのだが、実はその細部にはさまざまなストーリーが埋め込まれていて、実に良く考えられた建築になっているのである。「あれもこれもできます」というコンセプトではなく、「これです」という明確なコンセプトを打ち出しておいて、そのあとで「実はあれもこれもできます」というストーリーを説明する。強いコンセプトが持つ意味を改めて再認識したように思う。
もうひとつ共感したキーワードは「境界を越える」ということ。ヨーロッパで活躍する建築家らしく、あまり国境を意識せずにボーダレスな活動を展開していることが多いようだ。また、Polarisの2人は国境だけでなく専門分野の境界も越えて活動している。いわゆる建築だけでなく、都市計画や広告やイベントなど、都市や社会の問題を解決するためのツールを建築だけに限定しない。たまたま建築で解決できるものは建築で解決するというスタンスは、非常に共感できるものだった。
これからしばらくは「強いコンセプト」について考えてみたいと思う。特にランドスケープデザインにおいては、住民参加や生態系への配慮など、コンセプトの輪郭をぼやけさせるようなテーマやコンセプトが付着しやすい。油断するとさまざまな「重要なこと」をコンセプトに付けすぎて、結局何がしたいのか伝わらないことになりかねない。シンプルで強いコンセプトをどのように提示し、それをどうカタチにするか。そのことを考えてみたい。
ちなみに、NL Architectsの「A8ernA」というプロジェクトは、高速の高架下に連続した公園をつくるというプロジェクトで、ランドスケープデザインにも多くのヒントを与えてくれる内容になっている。水面を船で利用して、降り立った教会前広場で結婚式を挙げるというプログラムのつなぎ方など、カタチとナカミの組み合わせ方が面白い。
同じくNLの「Loop House」というプロジェクトは、住宅と庭(中庭と屋上庭園)との関係がよく考えられたプロジェクトである。
「Basket Bar」のプロジェクトも、バスケットボールコートとバーという2種類のプログラムを重ね合わせながら統合するという、ランドスケープと建築との関係を考えさせるものである。
NLの建築は、ランドスケープと建築との新しい関係を示唆するものが多いように感じた。しっかり調べてみたい建築家である。
山崎
NLのアプローチは以前から気になっていた。入り組んだ駐車場の計画では、広告収入による建設費や維持費のマネジメントにも言及しているし、空からみると企業の広告になる空港併設駐車場では駐車すればするほどお金がもらえるシステムを提示しようとしている。つまり、カタチとナカミとシクミを同時に考えようとしているのである。
講演内容で面白いと思ったキーワードは「strong concept」。明確なコンセプトと、それを素直に表現したカタチ。この組み合わせが独特のアイデンティティを生み出し、見るものにインパクトを与えることになる。その結果、楽しそうな建築や空間が出来上がるのだが、実はその細部にはさまざまなストーリーが埋め込まれていて、実に良く考えられた建築になっているのである。「あれもこれもできます」というコンセプトではなく、「これです」という明確なコンセプトを打ち出しておいて、そのあとで「実はあれもこれもできます」というストーリーを説明する。強いコンセプトが持つ意味を改めて再認識したように思う。
もうひとつ共感したキーワードは「境界を越える」ということ。ヨーロッパで活躍する建築家らしく、あまり国境を意識せずにボーダレスな活動を展開していることが多いようだ。また、Polarisの2人は国境だけでなく専門分野の境界も越えて活動している。いわゆる建築だけでなく、都市計画や広告やイベントなど、都市や社会の問題を解決するためのツールを建築だけに限定しない。たまたま建築で解決できるものは建築で解決するというスタンスは、非常に共感できるものだった。
これからしばらくは「強いコンセプト」について考えてみたいと思う。特にランドスケープデザインにおいては、住民参加や生態系への配慮など、コンセプトの輪郭をぼやけさせるようなテーマやコンセプトが付着しやすい。油断するとさまざまな「重要なこと」をコンセプトに付けすぎて、結局何がしたいのか伝わらないことになりかねない。シンプルで強いコンセプトをどのように提示し、それをどうカタチにするか。そのことを考えてみたい。
ちなみに、NL Architectsの「A8ernA」というプロジェクトは、高速の高架下に連続した公園をつくるというプロジェクトで、ランドスケープデザインにも多くのヒントを与えてくれる内容になっている。水面を船で利用して、降り立った教会前広場で結婚式を挙げるというプログラムのつなぎ方など、カタチとナカミの組み合わせ方が面白い。
同じくNLの「Loop House」というプロジェクトは、住宅と庭(中庭と屋上庭園)との関係がよく考えられたプロジェクトである。
「Basket Bar」のプロジェクトも、バスケットボールコートとバーという2種類のプログラムを重ね合わせながら統合するという、ランドスケープと建築との関係を考えさせるものである。
NLの建築は、ランドスケープと建築との新しい関係を示唆するものが多いように感じた。しっかり調べてみたい建築家である。
山崎