建築文化2000年11月号のランドスケープ特集に掲載されていた塚本さんと千葉学さんの対談「都市の隙間をどうつくるか」を読む。
塚本さんの都市に対する考え方はランドスケープデザインのそれと親和性が高い。建築を建築単体として取り扱うのではなく「環境ユニット」や「都市の生態」というフレームで捉えること。これはランドスケープのなかに建築を位置づける視点であり、建築を介してランドスケープの広がり(まとまり)を規定する視点である。実際、塚本さんは、建築のことばかり考えなければならない「建築家」という立場から自由になるための枠組みとして、ランドスケープデザインに興味を持っているようだ。塚本さんはこう言っている。「建築が担わなきゃいけないと押し付けられている社会性がうっとうしくて、そこから距離をとるものとしてランドスケープに興味がある」。建築家から見るランドスケープデザインは、建築家であることに対して押し付けられてくるプレッシャーとか社会性みたいなものからちょっとはずれて別の角度から都市に参加していくことができる枠組みなのである。
このことを「環境ユニット」や「都市の生態」という概念に引き寄せて捉えた文章が「小さな家の気づき」のなかに収められている。「建築が何かの一部となるまで引いたところから眺めれば、それが何と隣り合い、利用され、比較され、どんな社会関係に置かれるのかといったことが見えてきて、その建物がとるべきあり方が明確になる」。このとき眺められる空間のまとまりこそが「環境ユニット」であり、「都市の生態」であり、「ランドスケープ」なのだろう。
さらに塚本さんは、こうした「ランドスケープ」的なものの見方の可能性は「実態の現れ方という最終局面の中に、それぞれを形作っている複数の意図の協調、対立や矛盾といった関係を読み取ること」にあると言う。ランドスケープデザインの特性をうまく言い当てた表現である。ランドスケープデザインが「関係性のデザイン」だということを塚本さんはしっかり捉えている。
ランドスケープデザインにはもうひとつの特性がある。時間の経過とともに、空間がポジティブな方向へ変化するという特性だ。具体的には、植物の成長であり、多様な人の関わりであり、空間のマネジメントである。これについても塚本さんは以下のような表現で「成長」という特性を言い当てている。「どうなるかわからないけどとにかく育っていくという感覚がいいと思う。メタボリズムの意識はむしろ未来を現在に届けることであり、現在を育てて未来に届けることではなかった。僕は『いまはショボショボかもしれないけれども、育つからね』という感じを狙っています」。
「関係性のデザイン」と「デザインの経年変化」。ランドスケープデザインが金科玉条のごとく大切にしてきた2つの特性は、すでにどちらも塚本さんに実践されてしまっている。ここにランドスケープデザイナーが塚本さんを学ぶ理由がある。
「建築家はランドスケープデザインの本質を分かっていない」なんて寝言を言っている場合ではない。そんなことを口にする前に僕らは「建築家がどこまでランドスケープデザインの特性を理解しているのか」を学ばなければならない。その努力を怠って蛸壺に入ってしまえば、ランドスケープデザイナーは早晩社会から必要とされない職能になるだろう。内藤廣さんが指摘するように「樹木をグリッドに植えるだけなら僕(建築家)にだってできる」のである。
この1年、僕はアーキフォーラムという場を借りて「建築家がどこまでランドスケープデザインの本質を捉えているのか」を探りたいと思っている。「ランドスケープデザインの本質はこれだ」という答えがあるわけではない。僕も同じようにランドスケープデザインの本質を探しているのである。11人の建築家とそれを探したあと、最後に内藤廣さんと議論したいと思っている。
その他、塚本さんの発言で興味深かったのは以下の点。
・「都市の風景」という言い方と「ランドスケープデザイン」と言うものとの間に、まだ相当ギャップがある。日本語に置き換えて、なおかつデザインという言葉をはずしてもやっぱり風景というところまでいかない。
・ランドスケープって、いろんな人が入ってこれるよさがありますね。技術に関してはプリミティヴな段階でずっといけて、しかもそこに現代性があるから面白い。建築だと構造技術とか環境制御技術、材料の技術、あらゆる側面で体系化が行われていて、技術的なタイトさがあるわけだけれど、ランドスケープの場合はそこが少しゆるいというか、木の種類をよく知ることと雨水処理の技術ですか。それは弥生時代の人もできなかったことではないかもしれない。
・建築家は自分が全部デザインすると思っている。ランドスケープデザイナーは半分くらいデザインすればいいと思っている。残りの半分は既にそこにあるものだから。
山崎
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