「隈研吾読本」を読む。
1999年に出版されたこの本は、2004年に発行されることになる「負ける建築」に繋がる議論が多い。インタビュアーである二川さんのファシリテーションがうまいからだろうか、発展的な議論が展開されている。
この本のなかで隈さんは負けることの魅力について語っている。プロレスの話題にヒントを得て、建築にも「負ける」というワザがあることに気づいたという。「カッコ良く負けるのは勝つよりもよっぽどいいことかもしれない」。
さらにその後の議論で、負けをどう見せるのかが重要だという結論にたどり着く。ただ負けるだけではなく効果的な「負け方」を模索する必要がある。たとえば「何も作らない」という負け方がある。これはランドスケープにも大きく関係することだ。何も作らなかったということをどう表現するのか。このことをわかってもらわなければ、うまく「負けた」ことにはならない。
公園なんか作らなくても、ただ原っぱがあればいいんだ、という意見がある。言葉どおり原っぱのまま放っておけば、いずれ開発業者の手によって何かが建設されてしまうだろう。なぜ原っぱのままがいいのか。その理由を明確にして、その土地を確保する必要がある。何かを作ろうとするメンタリティを取り除くためには、それを上回るほどの「作らない理由」が必要なのである。
明日のアーキフォーラムでは、「負け方」のバリエーションについて隈さんとディスカッションしてみたい。
山崎
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