『幸福の政治経済学(ダイヤモンド社)』を読んでいて思ったこと。
・経済学の目的は人々を幸せにすることだという。建築学の目的も、ランドスケープデザインの目的も同様に人々を幸せにすることではないか。にも関わらず、経済学の文脈に「幸福」という言葉がほとんど登場しない。同様に、「建築の形態」と「利用者の幸福」に関する研究はほとんど見られない。オープンスペースにおける活動と、利用者の幸福に関する研究も進んでいない。
・本書の主張は、人々の幸福は政治的な意思決定に参加できているかどうかによって変化する、というものである。いわゆる「住民参加」を幸福の視点から検討した研究というのは類を見ない。公園における参加型管理運営ということを考える際にも、そこに参加する個人の主観的な幸福度合いを合わせて考慮すべきである。まちづくりについても同様に、参加によって個人の満足度や幸福感が上昇しているのかどうかが重要である。総合計画を参加型で策定するという仕事についても同様だろう。
・海士町の総合計画を参加型で策定している。このプロセスで、総合計画を実行に移す究極の目的は、より多くの人が「幸せ」になることだろうという議論があった。確かに総合計画を策定して、その結果としてのアクションが多くの人を幸せにすることは大切なのだが、実はそこに参加している人たち自身が、自分たちの意見を計画に反映させることや、実際にアクションを起こすプロセスを通じて「満足感」や「幸福度」を上昇させているんだ、と考えることもできる。
・こうした「参加」による満足感や幸福度について研究を進める必要がある。人口減少時代の都市を考える場合にも、縮退する市街地に不可避的に生じるオープンスペースをどう処理するかという客観的な話だけでなく、こうしたオープンスペースにおける活動に参加する人たちの満足度をどう高めるのか、といった視点からも今後の都市のあり方を検討すべきだと感じる。
・シビックプライドに代表されるような都市の公共空間における活動は、これに参加する市民の満足度を高める上でとても重要な「仕掛け」であると捉えることができる。市民の幸福は政治的意思決定への参加度合いに左右されるとするのであれば、都市活動への参加も市民の生活を充実したものにし、満足感や幸福感を高めることにつながるものと考えられる。
・集落における生活も同様に捉えることができるかもしれない。集落の自治にどれほどコミットできているのか。集落の将来に関する重大な政治的な決定に自分たちの意見を反映することができているかどうか。このあたりが、農業従事者の所得増減とは別に、生活における幸福感を上下させる要因になっていると考えることもできるだろう。自分たちのあずかり知らぬところで農業施策が勝手に決められていたり、作付けの制限が決められていたりすることが、中山間地域における生活の満足度を下げていると考えることもできよう。
・海士町の総合計画が幸福をテーマとするのであれば、今後10年間は毎年町民の「幸福度」調査を実施するという事業を入れておくべきなのかもしれない。いろいろ政策や施策や事業を展開することになる10年間の間に、人々の幸福度合いは上昇したのか下降したのか。結果としての幸福感こそが重要だと考えるのであれば、こうした事業をアクションプランに組み込んでおく必要があるだろう。
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