よく歩いた1日である。まずホテルを出て南下し、ピエール・ルイジ・ネルヴィが構造設計を担当したセントメリー教会を見学する。天井に十字のスリットが入っていて、そこから光が入り込んでくる教会だ。内装は三角形のプレキャストコンクリートが少しずつ角度を変えながら三次曲線を作り出しており、場所ごとに違った光の反射をつくりだしている。外部はトラバーチンで覆われ、内部はプレキャストコンクリート。高さ50メートル以上ある巨大な4枚の壁面が4つのパイロンによって支えられている構成は構造設計の力強さと美しさを実感させる。
さらに南下して、連邦庁舎やサンフランシスコ市役所界隈を見学し、そこから西へ向かってフィルモアストリートを北上する。フィルモアストリートは最近になってリノベーションなどが進んでいる地域で、大阪で言えば中崎町や中津界隈のような趣である。少しオシャレなお店などが並び、若い人たちが自分の店を持ち始めた雰囲気が初々しい。この道を北上すると、ジャズが盛んなエリアや日系人が多く住んでいるエリアを通り抜け、サンフランシスコ湾に面したベイエリアへと突き当たる。突き当たりにゴールデンゲート国立公園の本部があるというので訪れてみるが、日曜日なので職員は誰もいない。平日に再度訪れて、この付近の国立公園の全体像について確認してみたいと思う。
その東側に、1960年代にローレンス・ハルプリンがリノベーションに関わったギラデリスクエアがある。ここはサンフランシスコで有名なチョコレートメーカーの工場があった場所をショッピングセンターに改修した場所だが、40年以上経った今でもかなり人気のある場所だ。寒い日であるにも関わらず、スクエア内は観光客だらけで、チョコレートを販売する店には行列が出来ていた。5年前に訪れた際には気づかなかったことだが、スクエア内は無料ワイヤレスLANが接続できるというサインが掲載されていた。今日はPCを持ち歩いていないので、明日にでもつながるかどうかを確認してみたいと思う。また、最近サイン計画やVIを刷新したようで、統一した黄緑色のサインが分かりやすく配置されているのも好感が持てる。現在も北側の建物が改修中であり、改修が住み次第、住居として売り出す予定だという。すでに販売も開始していた。40年経った今も、ギラデリスクエアは進化し続けているようだ。
さらに近くにあるザ・キャナリーを訪れる。ギラデリスクエアと同じ時期に、ジョセフ・エシェリックが設計を担当したリノベーションショッピングセンター。かつてはデルモンテの工場だった場所だ。空間自体は悪くないのだが、こちらはギラデリスクエアに比べて閑散としていた。明らかにマネジメントの差である。テナントの種類などもギラデリスクエアに比べて見栄えがしないし、それぞれの店のしつらえもあまり活気が無い。設計が終わった後、その空間がどのようにマネジメントされていくのかによって、40年後の姿がこれほどまでに違ってくるのか、ということを実感する。
さらに東へ向かうとフィッシャーマンズワーフやピア39といった観光地があり、それを抜けるとハルプリン設計のリーバイスプラザがあるのだが、観光客の多さと気温低下の寒さに負けてリーバイスプラザへ行くのは諦める。バスに乗って中華街へ行って夕食を済ませる。アメリカの食事はどうしても飽きてしまうので、朝と昼はアメリカっぽい食べ物でもいいのだが、夜はアジア系の食べ物でないと満足できない。
2009年5月23日土曜日
2009年5月22日金曜日
大阪からサンフランシスコへ
午後から関西国際空港経由でサンフランシスコへ。時間が戻ってサンフランシスコ到着は午前11時。空港からBARTでCivic center駅へ。改札を出て地上へ上ると、駅前に国連広場という広場がある。噴水の周りで人々が思い思いの居方を体現しているのを見て、アメリカへ来たなぁ、と実感する。日本も屋外空間の使いこなし方がうまくなってきたのではないか、と思っていたのだが、やはりサンフランシスコの屋外空間で見る人々の使いこなし方は日本のそれとは違う。老若男女を問わず、それぞれが好きなように公共空間を使っている。
ホテルにチェックインしたあと、5年前に来たときにも行った建築系の書店「Stout William K. Architectural Books」へ。洋書の在庫が半端なく多いので、何時間居ても飽きない。1階には建築系の本があり、地下1階にはアーバンデザインやランドスケープデザイン系の本が並ぶ。ただし、今回気づいたことは少しでも古い本はほとんど置いていないということ。新しい本はかなり充実しているのだが、うまく売り切ってしまう戦略を持っているのだろう、少しでも古い本になると在庫が残っていないと言われる。結局、アマゾンで手に入らなくなった古い本をすべて探してもらったのだが、いずれも在庫がないとのこと。難しいところである。
近くの中華街で夕食。ラーメンと肉野菜炒めがご飯に乗ったものを食べる。サンフランシスコは、中華街のほかにベトナム人街や日本人街があって、食べるもののレパートリーが(アメリカにしては)多いので助かる。
夜になって急に冷えてきたのであわててGAPに飛び込んでセール中のカットソーを購入。近くにあるノースフェイスも気になって覗くと、防水仕様の巨大なキャリーカートが2万円で売っていた。かなり惹かれたが、巨大なキャリーカートを購入してしまうと日本から持ってきたスーツケースが持ち運べなくなる。日本では売っていないサイズの見かけない素材と仕様と値段なので相当買いたいのだが、少し検討してみたい。
ホテルにチェックインしたあと、5年前に来たときにも行った建築系の書店「Stout William K. Architectural Books」へ。洋書の在庫が半端なく多いので、何時間居ても飽きない。1階には建築系の本があり、地下1階にはアーバンデザインやランドスケープデザイン系の本が並ぶ。ただし、今回気づいたことは少しでも古い本はほとんど置いていないということ。新しい本はかなり充実しているのだが、うまく売り切ってしまう戦略を持っているのだろう、少しでも古い本になると在庫が残っていないと言われる。結局、アマゾンで手に入らなくなった古い本をすべて探してもらったのだが、いずれも在庫がないとのこと。難しいところである。
近くの中華街で夕食。ラーメンと肉野菜炒めがご飯に乗ったものを食べる。サンフランシスコは、中華街のほかにベトナム人街や日本人街があって、食べるもののレパートリーが(アメリカにしては)多いので助かる。
夜になって急に冷えてきたのであわててGAPに飛び込んでセール中のカットソーを購入。近くにあるノースフェイスも気になって覗くと、防水仕様の巨大なキャリーカートが2万円で売っていた。かなり惹かれたが、巨大なキャリーカートを購入してしまうと日本から持ってきたスーツケースが持ち運べなくなる。日本では売っていないサイズの見かけない素材と仕様と値段なので相当買いたいのだが、少し検討してみたい。
2009年5月18日月曜日
大阪へ
8時から益子町内を回って土祭の会場となる場所をチェック。9時に役場へ戻って法師人副町長に挨拶。9時30分から益子町長の大塚朋之さんと打合せ。studio-Lがどんな仕事をしているのか、市民が行政サービスに参画する意義は何か、土祭をどんなものにしたいのか、などについて意見交換する。実感したことは、若い町長はその存在だけで多くの可能性を与えてくれるということ。土祭をきっかけに、役場職員の結束力と益子町に住む人たちの参加力を高めて、「次につながる祭」をサポートしたいと思う。
益子町から東京へ移動して、12時30分ごろに平賀達也さんの事務所「ランドスケープ・プラス」にお邪魔する。平賀さんとは初対面。マルモ出版の尾内さんが紹介してくれた。同じくSGKの熊谷玄さんも紹介していただき、ランドスケープ・プラスのスタッフである小林さんと村瀬さんを交えて6人で「これからのランドスケープデザイン」について語り合った。語り合った場所は、ランドスケープ・プラスの事務所近くにある公園の芝生の上。平賀さんがサンドイッチとピクニックセットを準備してくれたので、とても開放的な気分で開放的な話ができた(感謝)。ここ3年ほど、手探りでstudio-Lが進めてきたことが、実は同世代でランドスケープデザインを志す人たちにも共感してもらえるものだったということが、驚きであり喜びであった。「風景をデザインする人」などという不遜な肩書きを掲げるランドスケープデザイナーは、きっと見せかけの風景を美しく装飾するだけの職能ではないはずだということ。風景というのは、とりもなおさずそこで生活する人たちの活動が結果的につくりだす様相の積み重ねだということ。そうであれば、花や木を植えるだけで風景の見栄えを良くすることだけがランドスケープデザイナーの仕事ではないということ。生活する人たちがつくりだす風景に少しだけ関わるとすれば住民参加という手法は無視できないということ。そんなことをみんなで確認しあえたことは大きな収穫だった。
15時からは赤坂の博報堂にて筧さんと打合せ。生活総研の古澤直木さんと斉藤竜太さんを紹介してもらう。これまで進めてきた震災+デザインの展覧会も終わり、ひと段落したところで次の企画などについて話し合った。6月頃には震災+デザインの経緯をまとめた本がNTT出版から発売される。それを契機に震災+デザインはさらに発展させていく予定だが、今年は少し違ったフレームで新しいプロジェクトを立ち上げようということで合意。また、大学と共同して人口減少社会の要請に応えるデザインプロジェクトも立ち上げようということになる。結果的に、①震災+デザインの発展版プロジェクト、②新たな課題に取り組むプロジェクト、③大学と共同するプロジェクトの3つのプロジェクトを動かすことになりそうだ。ますます楽しくなりそうだ。が、僕も筧さんも片方では博士論文を仕上げなければならない。新型インフルエンザで経済活動が麻痺している今だからこそ、論文作成に勤しまなければならない、との共通の意思を確認し合って打合せを終えた。
19時からは品川にてumariの古田秘馬さんと打合せ。共通の知り合いである建築家の西田司さんから間接的に古田さんの活躍は耳にしていたし、そのほかにもネットで調べ物をしていると「やるなぁ」と感心するプロジェクトに古田さんが関わっていたりして、前から一度ゆっくり話をしたいと思っていた人だ。古田さんとは、医療と食料と教育の問題を結びつけて新しいプロジェクトを生み出すことの重要性や、こうしたイシューがこれからの社会で最も求められるはずだということは誰もが感じ取っているにも関わらず、ここの領域の専門家しかいないので相互に結びつくことがないという問題点などを共有した。健康や福祉や医療については専門家がかなり検討しているものの、それを食べ物の点から解決しようとして農業に切り込む人がいない。環境学習に取り組む人はいても、それを医療と結びつける人がいない。どんな農作物をどのように育ててどう流通させてどう食べれば、健康によくて環境にいいのか。医療と食料と教育の3つを結びつけるプロジェクトを小さくてもいいので少しずつ進めていきたいと思う。まずは古田さんが6月末にオープンさせる六本木の農村カフェで、海士町や家島町で採れた野菜や魚を販売してみるなど、試験的なコラボから始めてみたいと思う。古田さん曰く、六本木の農村カフェは幕末の寺田屋や池田屋のように志士が集まる場所にしたいとのこと。実際、古田さんの仲間には木戸さんという桂小五郎の直系五代目がいるということで、帰る直前になって幕末の話で大いに盛り上がった。
帰りの新幹線はガラガラ。インフルエンザの感染者が加速度的に増えているこの時期、東京から京阪神へ向かう人は少ないということを実感する。新幹線内でメールをチェックしていると、ランチをご馳走になった平賀さんからも幕末の志士のように共闘しようぜ、というメールが。僕の幕末ブームがますます加速しそうである。
益子町から東京へ移動して、12時30分ごろに平賀達也さんの事務所「ランドスケープ・プラス」にお邪魔する。平賀さんとは初対面。マルモ出版の尾内さんが紹介してくれた。同じくSGKの熊谷玄さんも紹介していただき、ランドスケープ・プラスのスタッフである小林さんと村瀬さんを交えて6人で「これからのランドスケープデザイン」について語り合った。語り合った場所は、ランドスケープ・プラスの事務所近くにある公園の芝生の上。平賀さんがサンドイッチとピクニックセットを準備してくれたので、とても開放的な気分で開放的な話ができた(感謝)。ここ3年ほど、手探りでstudio-Lが進めてきたことが、実は同世代でランドスケープデザインを志す人たちにも共感してもらえるものだったということが、驚きであり喜びであった。「風景をデザインする人」などという不遜な肩書きを掲げるランドスケープデザイナーは、きっと見せかけの風景を美しく装飾するだけの職能ではないはずだということ。風景というのは、とりもなおさずそこで生活する人たちの活動が結果的につくりだす様相の積み重ねだということ。そうであれば、花や木を植えるだけで風景の見栄えを良くすることだけがランドスケープデザイナーの仕事ではないということ。生活する人たちがつくりだす風景に少しだけ関わるとすれば住民参加という手法は無視できないということ。そんなことをみんなで確認しあえたことは大きな収穫だった。
15時からは赤坂の博報堂にて筧さんと打合せ。生活総研の古澤直木さんと斉藤竜太さんを紹介してもらう。これまで進めてきた震災+デザインの展覧会も終わり、ひと段落したところで次の企画などについて話し合った。6月頃には震災+デザインの経緯をまとめた本がNTT出版から発売される。それを契機に震災+デザインはさらに発展させていく予定だが、今年は少し違ったフレームで新しいプロジェクトを立ち上げようということで合意。また、大学と共同して人口減少社会の要請に応えるデザインプロジェクトも立ち上げようということになる。結果的に、①震災+デザインの発展版プロジェクト、②新たな課題に取り組むプロジェクト、③大学と共同するプロジェクトの3つのプロジェクトを動かすことになりそうだ。ますます楽しくなりそうだ。が、僕も筧さんも片方では博士論文を仕上げなければならない。新型インフルエンザで経済活動が麻痺している今だからこそ、論文作成に勤しまなければならない、との共通の意思を確認し合って打合せを終えた。
19時からは品川にてumariの古田秘馬さんと打合せ。共通の知り合いである建築家の西田司さんから間接的に古田さんの活躍は耳にしていたし、そのほかにもネットで調べ物をしていると「やるなぁ」と感心するプロジェクトに古田さんが関わっていたりして、前から一度ゆっくり話をしたいと思っていた人だ。古田さんとは、医療と食料と教育の問題を結びつけて新しいプロジェクトを生み出すことの重要性や、こうしたイシューがこれからの社会で最も求められるはずだということは誰もが感じ取っているにも関わらず、ここの領域の専門家しかいないので相互に結びつくことがないという問題点などを共有した。健康や福祉や医療については専門家がかなり検討しているものの、それを食べ物の点から解決しようとして農業に切り込む人がいない。環境学習に取り組む人はいても、それを医療と結びつける人がいない。どんな農作物をどのように育ててどう流通させてどう食べれば、健康によくて環境にいいのか。医療と食料と教育の3つを結びつけるプロジェクトを小さくてもいいので少しずつ進めていきたいと思う。まずは古田さんが6月末にオープンさせる六本木の農村カフェで、海士町や家島町で採れた野菜や魚を販売してみるなど、試験的なコラボから始めてみたいと思う。古田さん曰く、六本木の農村カフェは幕末の寺田屋や池田屋のように志士が集まる場所にしたいとのこと。実際、古田さんの仲間には木戸さんという桂小五郎の直系五代目がいるということで、帰る直前になって幕末の話で大いに盛り上がった。
帰りの新幹線はガラガラ。インフルエンザの感染者が加速度的に増えているこの時期、東京から京阪神へ向かう人は少ないということを実感する。新幹線内でメールをチェックしていると、ランチをご馳走になった平賀さんからも幕末の志士のように共闘しようぜ、というメールが。僕の幕末ブームがますます加速しそうである。
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| 撮影:ランドスケープ・プラス |
2009年5月17日日曜日
益子へ
10時から千葉県市川市にて雑誌『ランドスケープデザイン』の鼎談企画によりランドスケープデザイナーの廣瀬俊介さんと長谷川浩巳さんと話をする。廣瀬さんのアプローチは、イアン・マクハーグとローレンス・ハルプリンの手法を重ね合わせたようなもの。地域の生態的な関係性や人文的な関係性を丁寧に紐解き、それをGIS上で重ね合わせるとともに(マクハーグ的アプローチ)、アイレベルで見える風景の構造をスケッチとコメントで明確化することによって「風景の成り立ち方」を住民の人たちと共有する(ハルプリン的アプローチ)。もちろん、アイレベルでのスケッチやコメントはGISによる広域的な風土の特性と関係したものになっている。これによって、風景を読み取ること、自然条件や人文条件を考慮したプランニングを進めること、そのプロセスに住んでいる人を巻き込むことなどが可能になり、まさにランドスケープデザインの模範解答が生まれる。こうしたアプローチを地道に進める廣瀬さんは、とてもまじめな人であり、真剣な人であり、正しい人だという印象を受けた。そんな廣瀬さんだからこそ、今の大学教育に対する不満もあるだろうし、今のランドスケープデザイナーの仕事に対する不満もあるだろう。しかし、自分の仕事を外部要因のせいにして言い訳しない廣瀬さんの態度はとてもすがすがしいし、見習うべき生き方だと感じた。
その後、東京から益子町へ移動。17時からスターネットの馬場浩史さんに会って秋に予定している「土祭(ひじさい)」に関する打合せ。馬場さんと会うのは2度目だが、とてもおおらかな笑顔で迎え入れてくれる暖かい人で、こんな大人になりたいなぁ、と思うような人である。焼き物のまち益子町において、焼き物だけでなく農業や林業など、「土」に関わる人たちがつながることのできる祭をプロデュースしている。益子町役場の職員や住民が参加して、アーティストなどと協働しながら祭をつくりあげていくという趣旨から、僕たちも参加の枠組みづくりに参加することになった。すでにstudio-L Tokyoの岡崎エミが先行して益子に入り、土祭のフレームなどをつくりつつある。今後は大阪からも西上ありさが参入し、チームビルディングや運営マニュアルづくりなどを役場職員や住民などと一緒に進める予定だ。
18時からは、宿に入って役場の人たちと懇親会。益子町役場の産業観光課の三宅課長、吉村課長補佐、加藤係長、板野主任、水沼氏とともに、益子のまちづくりや土祭に対する想いなどを共有した。このときの食事はスターネットがつくって配達してくれた。これまでに見たことも味わったこともないような料理ばかりで、かなり楽しむことができた。特に、土地で採れた新鮮な野菜をつかった料理は、「素材の味を活かす」というステレオタイプなコンセプトが、しかし信じられないほどの力を持つということを実感させてくれるすばらしいものだった。また、役場の吉村課長補佐が自宅で手打ちしてくれた蕎麦もまたとても美味しいもので、これなら何度でも益子へ来たいと思わせる味(と人柄)を堪能させてもらった。
その後、東京から益子町へ移動。17時からスターネットの馬場浩史さんに会って秋に予定している「土祭(ひじさい)」に関する打合せ。馬場さんと会うのは2度目だが、とてもおおらかな笑顔で迎え入れてくれる暖かい人で、こんな大人になりたいなぁ、と思うような人である。焼き物のまち益子町において、焼き物だけでなく農業や林業など、「土」に関わる人たちがつながることのできる祭をプロデュースしている。益子町役場の職員や住民が参加して、アーティストなどと協働しながら祭をつくりあげていくという趣旨から、僕たちも参加の枠組みづくりに参加することになった。すでにstudio-L Tokyoの岡崎エミが先行して益子に入り、土祭のフレームなどをつくりつつある。今後は大阪からも西上ありさが参入し、チームビルディングや運営マニュアルづくりなどを役場職員や住民などと一緒に進める予定だ。
18時からは、宿に入って役場の人たちと懇親会。益子町役場の産業観光課の三宅課長、吉村課長補佐、加藤係長、板野主任、水沼氏とともに、益子のまちづくりや土祭に対する想いなどを共有した。このときの食事はスターネットがつくって配達してくれた。これまでに見たことも味わったこともないような料理ばかりで、かなり楽しむことができた。特に、土地で採れた新鮮な野菜をつかった料理は、「素材の味を活かす」というステレオタイプなコンセプトが、しかし信じられないほどの力を持つということを実感させてくれるすばらしいものだった。また、役場の吉村課長補佐が自宅で手打ちしてくれた蕎麦もまたとても美味しいもので、これなら何度でも益子へ来たいと思わせる味(と人柄)を堪能させてもらった。
2009年5月16日土曜日
海士から
朝8時から船に乗って海士町から松江市へ移動。海士町の山内町長が一時的に入院している病院を訪れてお見舞いと総合計画の完成を報告した。町長は思いのほか元気で、2日後に控えた退院後のことについて意欲的に話してくれた。総合計画についても、策定に関わってくれた住民のみんなとともに具体的な事業を進めるためにいろいろな仕掛けや仕組みを考えることの重要性を確認した。総合計画の実効性を高めるべく、僕たちも出来る限り協力するつもりである。
午後から出雲空港へ向かい東京へ移動。夕方早めにホテルへチェックインして海士町や益子町でのプロジェクトの今後について整理する。また、インフルエンザの影響が強まってきた神戸や大阪で開催予定の「探られる島」、「水都大阪2009」、「震災+デザイン」、「ホヅプロ」などのプロジェクトについて、大阪のスタジオと連絡しながらスケジュールを調整した。
午後から出雲空港へ向かい東京へ移動。夕方早めにホテルへチェックインして海士町や益子町でのプロジェクトの今後について整理する。また、インフルエンザの影響が強まってきた神戸や大阪で開催予定の「探られる島」、「水都大阪2009」、「震災+デザイン」、「ホヅプロ」などのプロジェクトについて、大阪のスタジオと連絡しながらスケジュールを調整した。
2009年5月15日金曜日
海士にて
朝9時から海士町役場にて総合計画について松前課長と打合せ。総合振興計画を担当してくれていた松前氏が課長補佐から課長になったことはとても喜ばしいことである。さらに総合計画の実効性を高めるため、まちづくり基金のあり方や総合計画に謳われている事業の進捗をチェックする組織のあり方について提案する。
午後から、新しく海士町議会の議長になった中村氏に挨拶する。その後、「めぐりの環」の阿部氏と秋に開催予定の名水サミットについて簡単な打合せ。「水の取り扱い」や「水の使いこなし方」について議論できるサミットにしたいという話をした。
夕方から、総合計画の策定に住民側の代表として関わってくれた城之内氏に総合計画の完成を報告する。Iターンとして海士町に定住し、手探りで島の仕事や地域活動に取り組んできた城之内氏の生き方には学ぶべき点がたくさんある。僕たちのように地域の外部から落下傘的に関わる人だからこそできることもあると自負しているが、その土地に入り込んで自分の生活を成り立たせつつ、まちづくりに関わっている人にはどこまで行ってもかなわないな、と思うことが多い。特に総合計画を策定するプロセスでは、地域で生活するいろいろな人の想いに配慮した城之内氏の意見調整能力の高さと意思決定にかなり救われた。こういう人と一緒に仕事ができると、その仕事が楽しくなるとともに、そのまちが好きになることが多い。今後も引き続き意見交換させてもらいたい人である。
夜から、宿泊先である但馬屋の宮崎氏と商品開発に関する意見交換。特に商品のパッケージデザインについて、海産物の商品パッケージが赤や金や黒を多用するのに対して、宮崎氏のパッケージはシンプルに白や透明を基調として商品自体を見せる戦略にしてはどうかと伝える。土産物店のディスプレイに並ぶ派手な商品のなかにあっては、むしろシンプルなほうが目に留まりやすい。派手さで勝負するプラスのデザインではなく、色の数を減らすマイナスのデザインで特化する意義を共有した。
午後から、新しく海士町議会の議長になった中村氏に挨拶する。その後、「めぐりの環」の阿部氏と秋に開催予定の名水サミットについて簡単な打合せ。「水の取り扱い」や「水の使いこなし方」について議論できるサミットにしたいという話をした。
夕方から、総合計画の策定に住民側の代表として関わってくれた城之内氏に総合計画の完成を報告する。Iターンとして海士町に定住し、手探りで島の仕事や地域活動に取り組んできた城之内氏の生き方には学ぶべき点がたくさんある。僕たちのように地域の外部から落下傘的に関わる人だからこそできることもあると自負しているが、その土地に入り込んで自分の生活を成り立たせつつ、まちづくりに関わっている人にはどこまで行ってもかなわないな、と思うことが多い。特に総合計画を策定するプロセスでは、地域で生活するいろいろな人の想いに配慮した城之内氏の意見調整能力の高さと意思決定にかなり救われた。こういう人と一緒に仕事ができると、その仕事が楽しくなるとともに、そのまちが好きになることが多い。今後も引き続き意見交換させてもらいたい人である。
夜から、宿泊先である但馬屋の宮崎氏と商品開発に関する意見交換。特に商品のパッケージデザインについて、海産物の商品パッケージが赤や金や黒を多用するのに対して、宮崎氏のパッケージはシンプルに白や透明を基調として商品自体を見せる戦略にしてはどうかと伝える。土産物店のディスプレイに並ぶ派手な商品のなかにあっては、むしろシンプルなほうが目に留まりやすい。派手さで勝負するプラスのデザインではなく、色の数を減らすマイナスのデザインで特化する意義を共有した。
2009年5月14日木曜日
海士へ
朝からバスにて島根県へ移動。松江経由で海士町に着いたのは17時ごろ。まずは新しく教育委員会地域共育課の課長になった松前氏に挨拶する。また、新たに地域共育課のメンバーに加わった古山氏、名越氏、勇木さんに挨拶する。その後、澤田副町長と松前課長と懇親会。総合振興計画の完成を報告する。これまで副町長とゆっくり話をする機会がなかったこともあり、総合振興計画の策定経緯や特徴などについて説明した。
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