2005年3月30日水曜日

「自然に戻す理由」

夕方から「自然・環境概念の系譜」に関する研究会に出席する。兵庫県立大学の中瀬勲さんが座長を務める研究会である。今回のゲストスピーカーは、武庫川女子大学の角野幸博さん。


■ 角野さんの話で面白かったのは以下の点。

・都市や集落の形態を見ると、その時代/地域の環境観がどんなものだったのかを読み取ることができる。

・アフリカの集落、城壁都市、バロックの都市、日本の城下町、中国の都市、バリ島の集落、植民都市など、それぞれの都市や集落には独特の環境観があった。

・クラッセンのアーバンサイクル仮説では、都市はどのようなものであっても「都市化」→「郊外化」→「逆都市化」→「再都市化」というサイクル経て成長と衰退を繰り返すとされている。

・アーバンサイクル仮説の各段階において、自然・環境概念がどう変化してきたのかを調べてみると面白いだろう。

・かつては都市の「全体」性について論じる人がいたが、最近では「部分」についての言説しか見あたらない。しかし、都市の全体性を語る必要がなくなったわけではないだろう。

・丹保憲仁さんは、日本の人口は4000万人が限界ではないかと言っている。現在の人口をいかに減らしていくのかを考えるべきである。

・人口が減少するとき、自然に戻さなければならない集落や都市が出てくるかもしれない。そのときに、周辺の人はどんな負担を強いられるのか、それに対して我々は何を補償できるのか。

・受益者負担に関わる仕組みは成立しているが、損失者負担に関わる仕組みはまだ出来上がっていない。

・人口減少の都市計画について言えば、今のところ土地を再配置して「自然に戻す場所」と「人が住む場所」を整理していく考え方が主流である。

・人口が減って空き家や空き地が増えるとすれば、放っておいても緑は増えるのではないか。自然に戻すために労力や税金を使う必要はあるのだろうか。


ここでも人口減少が話題に上った。郊外都市を安楽死させる方法については、まだまだ検討の余地があるように思う。空いた場所を自然へ戻すのに税金を投入すべきかについても議論の予定があるだろう。自然を公共財産として位置付けられれば、それを復元するのに税金を使うのは妥当なことだと言えるかもしれない。しかし、まだ「自然は公共財産である」という世論が高まっていないとすれば、他に税金を使って自然を回復させる理由は見あたらない。

放っておくのか、自然に戻すのか。そのことを考えるとき、次の2点を整理する必要があるだろう。放っておくとどんなまずいことが起きるのか。そして自然に戻すとどんなメリットが得られるのか。

郊外住宅地の現状を把握するのと同時に、空き家や空き地を自然に戻す理由を明確にしておく必要がありそうだ。

山崎

2005年3月28日月曜日

「人口減少時代の安心・安全」

夕方から「安心・安全のまちづくり」に関する研究会に出席する。放送大学の林敏彦さんが座長を務める研究会である。今回のゲストスピーカーは、兵庫県警察本部の水田均さんと大阪大学の小浦久子さん。


■ 水田さんの話で面白かったのは以下の点。

・日本には犯罪学を教える大学がない。

・単に治安を良くするというだけではなく、国民の体感治安を高めるべきだろう。

・警察が関わる「安全」は、防犯と防災と事故防止の3点。防災と事故防止は他の機関と連携できるが、防犯だけは警察単独の仕事である。

・防犯については民間と協力し始めている。ヤクルトや牛乳や新聞を配達している人と協力したり、コンビニやガソリンスタンドと協力して地域の防犯に努めている。

・少年犯罪の数は増えていない。しかし少子化で子どもの人数が減っているので犯罪率は上がっていることになる。

・「振り込め詐欺」ブームは長く続かないだろう。早晩減り始めるはずだ。

・リスクを全て回避しようとするリスクマネジメントから、最悪の事態を回避するクライシスマネジメントへと移行する時代がきている。

・犯罪と商売は同じ原則に従っている。つまり「リスク」と「リターン」である。ハイリスク/ハイリターンを選ぶか(現金輸送車強奪)、ローリスク/ローリターンを選ぶか(ひったくり)は、犯人の追い詰められ度合いによって変わる。

・従って、防犯の原則はリスクを高めてリターンを低めることにある。コンビニに5万円以上の現金を置かないように指導しているのも同じ原理である。


■ 小浦さんの話で面白かったのは以下の点。

・震災後の空き地や低未利用地、ニュータウンに見られる空き家や空き地など、空いた場所をどうマネジメントしていくのかはかなり重要な課題である。

・空いた土地のマネジメント如何によって、都市の安全や安心は大きく左右される。

・人口減少社会では、ダイナミックな人口移動が起きる。

・既成市街地で土地が流動化し、超高層マンションなどが建設される可能性が高い。

・オールドニュータウンでは、居住者の高齢化が進むとともに空き家や空き地が増加する。

・人口は郊外から既成市街地へと移動することになる。

・今後は人口が減少するので、床需要や土地利用需要も減少する。

・オールドニュータウンや埋立地などについては、居住者をどのように集約化してその他の土地を山や海に戻すか、という議論が始まっている。


今回の研究会でも人口減少が話題に上った。人口減少時代の空き地や空き家の問題を、安心・安全のまちづくりへどうつなげるのか。この研究会を通してそのことを考えていきたいと思う。

山崎

2005年3月26日土曜日

「何が可能か」

ユニセフパークプロジェクトの2日目。昨日に比べるとかなり暖かい1日だった。子どもたちは、昨日に引き続き遊び場を作った。

「暖かい場所」を作る子どもたち

子どもにインタビューするユニセフ本部のクリス氏

午後からユニセフパークプロジェクトの現場を抜け出して大阪の四ツ橋へ向かう。アーキフォーラムにコーディネーターとして出席するため。

今日のゲストはみかんぐみの曽我部昌史さん。曽我部さんの話は大きく2つに分類できる。ひとつは「建築家に何が可能か」という話。もうひとつは「使い倒される建築は可能か」という話。僕たちの問題意識に引き寄せて捉えなおすと、前者はランドスケープデザイナーという職能の問題に、後者はマゾヒスティックなデザインアプローチの問題にそれぞれ対応している。

■ 建築家に何が可能か

曽我部さんは、原広司さんの「建築に何が可能か(1974年:学芸書林)」を引用して自身の考えを説明した。原さんは「建築に何が可能か」の中でこう述べている。

『建築とは何か』という問いは、『人間とは何か』という問いが不毛であると同様に、行動の指標とはなりえない。もし私たちが人間について問うなら、『人間に何ができるか』を問うべきである。同様に建築についても、『建築に何ができるか』と問うべきであろう。

曽我部さんは、この問いをさらに推し進める。「建築に何ができるか」という問いは、社会との関係性の中に建築を位置づけるための問いである。その問いも重要だが、一方で社会の状況を読み取って自分のやるべきことを考えるという態度もあるだろう。このときに必要な問いは、建築全般を対象としたものではなく「建築家に何ができるか」という主体的な視点を携えたものになるはずである。

この問いは「目の前の状況にどう取り組むか」という少々場当たり的な建築家像について考えることでもある。そして、必要なら従来の建築家が見向きもしなかったようなプロジェクトに取り組もうという意思の表れでもある。事実そんな若手建築家が台頭しつつある、というのが曽我部さんの意見だ。

アトリエ・ワンは、積極的にアートプロジェクトへ参加したり、リサーチの結果をまとめて本を出版したりしている。阿部仁史さんは、倉庫を改装して設計事務所とイベントスペースを作り、設計活動の傍らイベントをプロデュースしている。クラインダイサムアーキテクツは、イベントスペースを買い取ってオーナーになり、「ぺちゃくちゃナイト」というイベントを主催している。

「建築家は建物を建てるだけの職能ではない」。以上の同時代的な動向を加味した上で、曽我部さんは自身のプロジェクトを説明した。例えば「十日町×十日町プロジェクト」。このプロジェクトで曽我部さんは、割り箸の箸袋をデザインしている。さらにその割り箸を使ってもらうために商店街の各店を回っている。箸袋には、その町に存在する面白いネタが印刷されている。箸袋から町のネタを仕入れた人が改めて町を眺めたとき、その風景が違って見えるとしたらそれも建築家の仕事だろう、と曽我部さんは言う。同感である。

その他、100円ショップで買った大量の「まな板」を使ったインテリアデザインやハンガーで作ったトンネル、チラシやフライヤーを挟み込むための透明な壁、アスファルトに丸い穴を穿って緑を育てる「音符ロード」など、曽我部さんの取り組みは多彩だ。

実は「建築家に何ができるか」という問いは、今に始まったものではない。1998年12月の新建築住宅特集に「建築家にできること」という特集記事が掲載されている。執筆者は安部良さん。安部さんは、バングラディッシュの村で清潔な水を確保するために、現地で簡単に作ることのできる雨水貯留設備を開発している。安部さんは雨水利用の専門家ではない。必要な情報を集めて、それを現場で建築的に展開しているのだ。安部さんは言う。「職能に縄張りは必要ない。われわれが活躍できるフィールドに垣根は無いと確信しながら、少なからずそれを実践していきたいと考えている」と。新しいタイプの「建築家」だといえよう。

新しいタイプの建築家といえば、ニューヨークに本拠地を置く「architecture for humanity」というNPOの代表、キャメロン・シンクレアさんを思い出す。シンクレアさんは毎年コンペを主催している。世界各地で問題となっている地域に対するアイデアコンペだ。コソボの難民、アフリカのエイズ患者、スリランカの津波被害などに対して、キャンプや移動診療所や学校などを提供するためのアイデアを募集しているのである。コソボの難民キャンプに対するコンペでは、日本の坂茂さんが1等を取って実際に現地でキャンプサイトが設営されている。

余談だがシンクレアさんは1972年生まれの33歳。同年代の彼の活躍を耳にするたびに僕は大変な刺激を受けている。僕がユニセフパークプロジェクトに取り組むモティベーションのひとつに、シンクレアさんの活動に対する敬意があることは確かである。

世界を見渡せば、建築家やランドスケープアーキテクトを必要としている地域はたくさんある。日本国内でも同じだ。社会の状況に合わせて建築家やランドスケープアーキテクトが携わるプロジェクトも変化していくべきなのだろう。

「建築に何が可能か」の中で原広司さんは以下のように述べている。

『何ができるか』なる問いにたいする解答の一般形は、ありそうもないことの記述であろう。『建築に何ができるか』を問われれば、いままで建築にできなかったことどもを答えればよい。技術はまさにできそうも無いことを可能にしてきた。建築や芸術も技術と同様に発見的でありたい。

この考え方は、「自分の仕事を社会の状況に合わせたい」というよりも、「とにかく今までに見たことも無いようなものを作り出したい」というメンタリティに支えられている。でも僕にとって「建築に何ができるか」はどうでもいいことである。むしろ、社会の要望に対して「建築家はどこまで応えることができるのか」という問題のほうが、少なくとも僕にとっては重要なのである。その意味で、僕は1974年当時の原さんの思考よりも、最近の曽我部さんや安部さんやシンクレアさんの活動に親和性を感じる。

■ 使い倒される建築は可能か

もうひとつは、ユーザーに使い倒される建築をどう作るか、というものである。ユーザーが自分の空間だと感じて使い倒す建築の作り方。これは僕らが「獲得される場所を目指して」という言葉で表現していることに通じる悩みである。市民が自分たちの場所だと感じるような場所をどう作るか。そのヒントに「獲得」という言葉があるように思う。

少なくとも、デザイナーが押し付けるサディスティックなアプローチで「使い倒される空間」が実現するとは思えない。この点に関しては、前述の原さんが「建築に何が可能か」の中で以下のように述べている。

デザインあるいはデザイナーという言葉には、どこかうさんくさい感じがある。憧れをもってみれば、デザインは美しいものを作るようであり、秩序を生む行為にうつる。けれども一方、皮肉に見ればデザイン行為は、ひどく独断的でおしつけがましい振舞であると見えるにちがいない。事実デザイン行為にはこうした両面がある。

この視点は僕も共感するところだ。原さんや僕だけではなく、建築空間のユーザーも、きっと同じように感じているだろう。「押し付けがましい空間」から「使い倒したいと思える空間」へ。曽我部さんは、使い倒される空間の作り方として以下の3点を挙げた。

・ゆるいカタチを作ること。不完全だと思われるくらい緩い形態がいい。ユーザーが自分で何か手を施そうと思えるような形態が、空間を使いこなそうというユーザーの意思を喚起する。形態の緩さが関わりの多様度を上げることになる。

・情報を提供すること。いろいろな使い方があるということを知らせるべきである。その情報がきっかけになって、新たな使い方が生まれることも多い。設計者の意図通りに使わなくてもいいということをユーザーに理解してもらうことが大切である。

・作るプロセスに関わってもらうこと。ユーザーが空間づくりに参加すると、その場所を使い倒しやすくなる。自分たちの空間として認識するのだろう。空間が完成した後も、使い方をいろいろ工夫することになる。

ただし、上記3点にも問題点が残っている。時間の経過である。これが曲者だ。例えば、設計者がユーザーに伝える情報はいつまで継承してもらえるのか定かではない。曽我部さんが設計した幼稚園でも、園長や先生や園児が入れ替わっていく過程で、当初の使い方の多様度が失われていったという。当初の設計意図や使い方をどう伝承していくのかが課題である。曽我部さんは、情報をまとめた本を作って保存しておくシステムを考えたいと言っていた。

参加も同じ問題を孕んでいる。参加した当時のユーザーは問題ない。問題はその後に場所を使うユーザーである。ある時代の人が参加して作った空間というのは、ある意味でその人たちの刻印が押されていることになる。遅れてきたユーザーはその刻印を随所に見て、他人の空間であると認識してしまう。空間を獲得して使い倒そうという気持ちにはなれない。ある一時期の参加が可能にすることと、後から来る人にとっての弊害をバランスよくマネジメントする必要がある。

いずれにしても、「使い倒されるデザイン」についての模索がどのあたりまで進んでいるのかを共有することができたのはありがたかった。曽我部さんが取り組んでいること、ランドスケープエクスプローラーが取り組んでいること、ユニセフパークプロジェクトが取り組んでいること。それぞれの取り組みの先端で悩んでいることに共通点があることは確かなようだ。

アーキフォーラムのディスカッションで確かな手ごたえを得た後、僕は終電でユニセフパークプロジェクトの現場へと戻った。


曽我部昌史さん

山崎

2005年3月25日金曜日

「UPPの新展開」

ユニセフパークプロジェクトの1日目。とても寒い1日だった。途中で雪も降った。セネガルの子どもたちは初めて雪を見たという。

そのセネガルの子どもたちがサンダルで里山へ来たことや、当初3人だと伝えられていたイランの子どもが空港で9人に増えていたことなど、いろいろなハプニングがあったものの何とか事故なく1日目を終えることができた。

夜、ユニセフ本部からUPPの視察に来ていたケン・マスカル氏に呼ばれて、これからのユニセフパークプロジェクトについて話し合った。彼は、里山で遊び場を作るというプログラムの中に、もっとユニセフの特徴を出したほうがいいのではないかと主張した。国連本部がバックアップするから、UPPはもっとユニセフを前面に押し出したプログラムを展開すべきだという。彼の意見に僕は少し違和感を覚えた。

ユニセフが提供してくれる情報はかなり精度が高い。写真も深く考えさせられるものが多い。データも衝撃的である。キャッチコピーも効果的だ。ただ、あまりにも広報が上手すぎるため、時として僕らは映画か何かを見ているような気分になる。こことは違う場所で起きている状況を見ているような気分。先進国で生活しながら途上国の現状を知ることの難しさはこのあたりにあると思う。

先進国のユニセフができることのひとつに、そのスペクタクル(見世物性)を解体する作業というのがあるんじゃないか。僕はそんな風に考えている。これまでユニセフが行ってきたキャンペーンをもってしても、未だに100円で何人の子どもを失明から救えるか知らない日本人は多い。自分の使っている100円が、世界でどんな価値を持つものなのかを知らない人も多い。なぜか。きっと、途上国の現状を見たり聞いたりしても、無意識のうちに「ここではないどこかで起きている別世界の出来事」だと感じてしまっているからだろう。

ゴミの山で鉄くずを集めながら生活している少年。毎日水瓶を運ばされている少女。銃を持たされて戦争に狩り出される少年。途上国の子どもたちが強いられている悲惨な状況を、ユニセフは繰り返し世界に訴える。でも僕は、そういう子どもたちだって少しの時間を見つけて遊んでいるはずだと思う。遊ばない子どもはいない。どんな状況でも、きっと子どもはちょっとした隙間を見つけて遊んでいるだろう。

だからこそ、ユニセフパークプロジェクトでは「途上国の子どもも僕らと同じように遊ぶんだよ」ということを伝えたい。僕らと何も違わない子どもがそこにいることを伝えておきたい。そのことが実感できたとき、ユニセフが発信する悲惨な写真が急にリアルなものとして立ち上がるのである。僕らと同じように遊びたいと思っている子どもが、銃を持たされていること。重い水瓶を運ばされていること。鉄くずを集めさせられていること。そういうことを、同じ子どもとしてUPPの参加者に感じ取って欲しいのである。途上国の子どもがどんな風に遊んでいるのかを調べて日本に紹介すること。これもユニセフパークプロジェクトとして取り組むべき大切な活動だと僕は思っている。

そんなことをケン・マスカル氏と話し合った。彼は僕の話をじっくり聞いた後で、「UPPの基本的な考え方が整理できた」と言った。そして、世界の遊びやおもちゃを日本へ紹介するプロジェクトに協力することを約束してくれた。UPPが新たな方向に進み始めた夜だった。






世界の子どもたち


ケン・マスカル氏

山崎

2005年3月20日日曜日

「郊外住宅地研究」

昼から(社)都市住宅学会関西支部の「都心郊外関係の新しい動き」というシンポジウムに出席する。

郊外住宅地の将来については以前から興味があった。シンポジウムでは、郊外住宅地の現在についての報告があった。報告された郊外住宅地の傾向は以下のとおり。

・総戸数が少ない郊外住宅地や駅から遠い郊外住宅地は、空き地/空き家の率が高い。

・子ども世代が戻ってこないため、住み継ぎはほとんど期待できない。したがって今後は空き家が増大するだろう。

・郊外居住者の3大不安要因は、①医療サービス、②防災や防犯、③家屋や庭の維持管理。

・かつて郊外居住者の永住意識は7割を超えていた。現在では5割を下回っている。ずっと郊外住宅地に住み続けようと思っている人が減っている。

・関東に比べて、関西の郊外住宅地は人口減少の影響が顕著に見え始めているのではないか。

具体的な数字やアンケート調査の結果を提示してもらえたおかげで、郊外住宅地の現状を多角的に把握することができた。ただし、研究の流れについてはいささか疑問が残った。郊外住宅地研究の常套手段は以下のようなものだった。

①調査対象住宅の概要把握
 人口の変化、周辺の環境、開発の変遷など
②現状の把握
 住宅地図による空き地/空き家調査、現地調査など
③アンケート調査
 現状の不満、将来の不安、将来の居住地指向
④今後の方向性
 アンケート調査に見られた不安を解消する方法を提示

現在住んでいる人の不満や不安を聞いて、それを解消する方法を提示するというスタンス。これでは新たな居住者を呼び込むことにならないだろう。50年後には現在の居住者の半数近くがこの世からいなくなるのである。そう考えれば、現在の居住者が抱える不安や不満を解消することが郊外住宅地の人口減少を止めることに繋がるとは思えない。住み継ぎが期待できない以上、新たな居住者をどう確保するのかという問題に取り組むべきなのだ。あるいは、その場所をどうやって自然へ戻すのかについて検討すべきである。

今日のシンポジウムのおかげで、郊外住宅地の現状はよくわかった。そして郊外住宅地研究そのものが抱えている問題点もよくわかった。次は僕が考える番だ。

山崎

2005年3月13日日曜日

「山梨県」

新宿駅から電車で山梨県へ行く。

山梨駅からタクシーで10分。長谷川逸子さんが設計した「山梨県笛吹川フルーツ公園」を視察する。3つの果物が地面に転がっているような建築群が特徴的である。いずれの建築も一部が地面に埋まっているように見える。地上に出ている部分はそれぞれエントランス施設、温室、パークセンター。果物に関する情報は地下空間に展示されている。


パークセンターと温室

地下のアプローチ空間

温室で妙なサインを見つけた。「花が咲いています」というサイン。そんなことは見ればわかる。どこに花が咲いているかを探しながら歩くからこそ、発見したときの喜びを味わうことができるのだ。「花が咲いています」というサインによって花が咲いていることを気づかされてしまうのは面白くない。きっと苦情があったのだろう。どこに花が咲いているのかわからない。実がなっている木を知らせるサインがほしい。来園者の勝手な要望を運営者が鵜呑みにした結果、植物を見るより先にサインを探してしまう温室が出来上がってしまった。運営サイドは自信を持って「発見の喜び」について語るべきだったのではないだろうか。


花が咲いています

実がついています


次にタクシーで向かったのは「アリア・ディ・フィレンツェ」というファッション工業団地。貴金属や革製品の会社10社の工場が並ぶ街である。奥の方には結婚式場と教会もある。設計はすべて北河原温さん。

およそ僕がイメージする工場団地からは程遠い、整った街並みである。周囲を囲む山の形をうまく読み取って、その前面に建つ建築物の形態へしっかりと反映させている。単調になりがちな街並みも、バラエティーに富んだ工場の形態によって画一化を免れている。2つの工場が1つの庭を共有しているケースも見られる。少しバブリーな様相は時代のせいだとすれば、1人の設計者が部分から全体までを設計したことが功を奏した事例だといえるだろう。


1つの庭を共有する2つの企業

脱構築的な建築もある

教会の名称は「水と風の教会」。敷地南側に配した水面で太陽光が反射して、教会内部の天井に波紋を映し出す。また、同じく南側に設置された無数のステンレス板が風で揺れるたびに、天井の反射光がダイナミックに揺れ動くことになる。だから「水と風の教会」なのだという。


教会の外観

教会の内観


さらにタクシーで「愛宕山こどもの国」と「愛宕山自然の家」へ。どちらも設計は仙田満さん。ユニセフパークプロジェクトの施設設計を検討する上で参考になりそうなネタを探す。「自然の家」の食堂に長いスロープが付いているのはユニークだ。食事に向かう子どもたちは、すでに食事している人を見下ろしながら食堂へアプローチする。その長い道のりの間に、子どもは「誰がどの席で食事しているのか」を把握し、「自分はどの席で食事するのか」を判断できる。子どもの行動特性をしっかり読み解いた結果のカタチだといえよう。


愛宕山こどもの国「斜面遊具」

愛宕山自然の家「食堂」


その後、最後の目的地である山形文化会館へタクシーを飛ばす。丹下健三さんの設計。写真で何度も見たことのある建築だったが、実物を見るとやはりその力強さに圧倒される。山梨で見た他のどんな建築よりも力強いし面白い。1960-70年頃のメタボリズムグループによる建築があまり増殖していないのに比べて、丹下さんの山梨文化会館は実際に増殖している。写真を並べてみると、増殖の度合いが良く分かる。


1970年ごろの山梨文化会館

現在の山梨文化会館

外観からわかる新陳代謝だけでなく、内部の吹き抜け空間にスラブが設けられて2層の部屋になっていたり、新しい壁ができて空間が分節化されていたりと、内部の増殖も著しかった。メタボリズムを陰で操っていた丹下さんらしい建築である。

山梨文化会館の職員と話をした。彼は「有名な建築家が設計した建築だそうだが、もの凄く使いにくい。」と何度も言った。そういえば、アリア・ディ・フィレンツェの教会でもスタッフが空間の使いにくさを強調していた。どうやら、建築の「収まり/プロポーション/理論」を「使いやすさ」に優先させる建築家というのは時代を超えた存在のようだ。

「用」と「強」と「美」についてもう一度真剣に考えてみたほうがいいのかもしれないと感じた1日だった。

それにしても山梨県はクルマ社会である。当初は、今回の視察をバスで移動しようと考えていた。しかし、現場でバスのダイヤを見ると1日2本しか走っていなかったりしてがっかりすることが多い。結局、すべての視察先をタクシーで回ることになった。悔しいから、帰りは新宿まで高速バスを使って帰ることにした。その結果、日曜日の夜に山梨から東京へ高速道路で移動するのはまずいってことを実感した。八王子の手前で大渋滞。午後5時に甲府駅前を出て、新宿に着いたのが午後8時過ぎ。行きの2倍以上の時間を要した。


午後9時から渋谷で富樫信也さん、濱崎幸友さん、岩岡哲夫さんと食事する。富樫さんは渋谷FMのDJ、濱崎さんはデジタルミュージックの作曲者、岩岡さんは建築学科の大学院生で、「アリア・ディ・フィレンツェ」を設計した北河原温さんの研究室に在籍しているという。3人は、音楽やアートや建築を融合させたイベントを何度か実施している。これまでのイベントもかなり魅力的なものだと思ったが、今後は、より公的な空間でイベントを実施したいのだという。一緒に話をするうちに、大阪か東京で「公共空間プロジェクト」のためのコラボを実現させよう、という話になった。楽しみなプロジェクトである。

帰りに、ヴィト・アコンチが設計した渋谷マークシティエントランスを見る。ランドスケープっぽい仕事だが、ランドスケープデザイナーからは決して出てこないカタチだといえるだろう。




ヴィト・アコンチのマークシティエントランス

山崎

2005年3月12日土曜日

「グラハム・スティーヴンス」

午前11時から、六本木ヒルズで開催されている「アーキラボ展」を見に行く。大阪で行われたシンポジウムに出席したので、実際の展示物もぜひ見てみたいと思っていたのである。

建築マニアとしての僕は、「インスタントシティ」のグラフィックや「錯乱のニューヨーク」の表紙の原画などといった「実物」を目にして、かなり興奮してしまった。

一方、ランドスケープマニアとしての僕は、グラハム・スティーヴンスのインスタレーションビデオやヴィリリオ+パランの作品紹介ビデオに見入ってしまった。

グラハム・スティーヴンスの「砂漠の雲(1974)」プロジェクトはすごい。太陽光を熱に変えて空気を暖め、膨張した空気で風船を膨らませ、膨らんだビニールの筏(いかだ)を空に飛ばすというプロジェクトである。大きなビニール製の筏は、大気中を彷徨いながら砂漠に日陰を作り出す。さらに、大気中に蒸発する水分を集めて水を作り出す。作り出した水を貯めておけば、いざと言うときの飲み水にもなる。飲み水は、空飛ぶ筏によって別の場所へと届けられることもある。

ビデオに出てきたスティーヴンスの言葉のうち、印象的だったものは以下のとおり。

・大気は大地に代わる新しい資源である。
・自然の働きを理解し、利用すること。そこに環境との私的な関係が生まれることだろう。
・建築とは、空気の制御である。
・樹木などの植物は天然の空調装備である。

展覧会の図録によると、スティーヴンスは「砂漠の雲」プロジェクトの後、再利用エネルギープログラムなどを研究し始めたという。さらに、スペイン、ブルネイ、タンザニア、シナイ半島などにエコツーリズムの町を設計したそうだ。こんな人がいたとは驚きだ。スティーヴンスが最近どんなことに取り組んでいるのかが気になる。

パラン+ヴィリリオはジャン・ヌーヴェルの師匠にあたる。ヌーヴェルについて調べた際、パラン+ヴィリリオの「斜めの機能」についての文章を目にしたことがある。ビデオの中で、ヴィリリオは地形について以下のように述べている。

・土地の隆起/すなわち土地の傾斜が、人々の動き/すなわち人間の社会活動を引き起こし、ひいてはすべての人間文明の象徴である都市を形成するのである。
・歩みを自覚させるための傾斜。

「はじめに起伏あり」ということだろうか。ランドスケープデザインに携わるものとして、「斜めの機能」について一度しっかりと考えてみたい。

森美術館を出たのが午後5時。入ったのは午前11時だったので、合計約6時間もアーキラボ展を見ていたことになる。とても充実した1日だった。

午後9時から、整形外科医の永野稔晃さんと新宿の「叙々苑」という店で焼肉を食べる。この店のタン塩は妙に美味しかった。大阪にもこんな店が欲しいものだ。

永野さんは4月から複数の大学で仕事をすることになるという。整形外科の実務と研究を両方こなすことのできる環境は非常に羨ましい。4月からの1年間は、僕もそんな環境を構築するためにいろいろ努力してみたいと思う。

山崎

2005年3月11日金曜日

「マネジメントとデザイン」

夕方から、都市再生機構の武田重昭さんと新宿で食事する。

ある事業における建築設計やランドスケープ設計の重要度は、どれほどのものなのだろう。そんなことを話し合った。答えがあるはずもない。だからこそ、長く議論することができる話題だった。

例えば自分が事業全体をマネジメントする立場になったとする。事業の目的、プログラム、財源、人材、組織、制度など、考えなければならないことはたくさんある。そのなかには、空間に関わる問題もある。事業を実施するための場所。事業主体の事務所となる建築物。その内装。ランドスケープ。それらは確かに大切な要素だし、それを設計する際にはじっくり検討すべきだろう。僕らはそういう仕事をしている。

ところが、翻って事業全体を見渡してみると、他にも重要な側面がたくさんあることに気づく。立派な空間が準備されても、そこで活躍する人材が確保できなければ事業は成り立たない。財源が確保できなければ事業はスタートしない。そもそも、そこで何をするのかというプログラムを確定させなければ、人材教育も建築設計も先へ進まない。

僕らは、ついつい盛り上がって「ランドスケープが社会を変えるんだ!」なんてことを口にする。ランドスケープサークルの中では、気軽に受け入れられる言葉なのかもしれない。しかし現実には、建築やランドスケープの設計が事業や社会全体に及ぼす影響というのはそれほど大きくない。

だからといって、プロジェクトマネージャーが偉くて、デザイナーは大した仕事をしていないなんて言うつもりはない。誰でも知っているとおり、各人が真剣に取り組んでいる仕事に優劣は付けられない。

ただ、デザイナーが事業全体の方向性を操作できるなんて考えないほうがいいと思うのである。事業全体のマネジメントに携わりたいのであれば、設計という作業を相対視しなければならない。

プログラム至上主義で有名なレム・コールハースは、すでに事業全体の方向性を左右する存在になりつつある。そんなコールハースが所員に対して「たかが建築の設計じゃないか。そんなに悩むことは無いだろう。」と言ったことがある。コールハースは、建築の設計がどうでもいい仕事だと思っているわけではない。プロジェクト全体をマネジメントしている時の自分自身が、過度に建築設計へ入り込まないほうがいいということを実感していたのだろう。

プロジェクトをマネジメントすることと、建築やランドスケープを設計すること。この両者を同時にこなすことは難しいし、もしかしたらやるべきではないことなのかもしれない。ライブドアの社長は六本木ヒルズを設計すべきではないし、六本木ヒルズの設計者は放送会社の株を買収すべきではないのである。

僕は、ユニセフパークプロジェクトのマネジメントとユニセフパークの設計を同時に進めようとしている。これは間違いなのかもしれない。だとすれば、僕はどちらを取るのだろうか。これは大きな問題である。

山崎

2005年3月10日木曜日

「阪神と緑地計画」

仕事で上京したので、新宿で瀬田史彦さんと食事する。

都市計画について研究する瀬田さんから、都市計画の限界性について教えてもらった。最近の再開発では、地区の容積率を決めるための数的根拠が不在なのだという。インフラの交通容量などが正確に把握できていないため、根拠不在のまま高さ規制が緩和されてしまうことも多いらしい。ますます複雑化する都市で、計画の根拠を数字だけに求めるのは限界があるということなのだろうか。都市の数字を調べ尽くすだけの調査方法なんて、これからも確立されないのではないかと考え込んでしまう。

この文脈からすれば、景観法というのは少し変わった都市計画関連法だといえるだろう。数字ではなく住民の発意や総意を根拠にする景観法は、これまでの制度とは違った可能性を秘めているのかもしれない。

人口減少下の都市計画においては、数字で決定できることが少なくなるのかもしれない。数字が増えることを前提にした計画論が成り立たなくなると、実際の生活に即した計画が重要度を増す可能性もある。都市の緑地計画も、誘致圏や昼間人口とは違った指標で進められるかもしれない。虫食い状の空地が増えるのである。暫定利用や定期借地を活用した流動的な緑地計画が、実際の生活に即したカタチで展開されてもいいはずだ。

これまで、緑地計画は「都市化」という巨大な敵を前にして、少しでも緑地を確保しようとがんばってきた。都市に対する戦いの歴史を重ねてきた。ところが、これからはその巨大な敵の内部に空地が出現しはじめる。戦うべき相手の性質が変化してしまうのである。これまでの戦い方を改める必要があるだろう。

巨人が強かった時代の阪神とは違った戦略を生み出さなければ、阪神は球界に必要とされない球団と化してしまうかもしれない。アンチ都市化という原動力で戦う緑地計画ではなく、逆都市化を支えるための緑地計画を模索するべきなのかもしれない。

山崎

2005年3月9日水曜日

「塚本研究」

塚本由晴さんの著作をいくつか読んだ。いくつか読んで、ふと思った。塚本さんが生み出すたくさんの言葉を、自分なりに整理しておくべきなのではないか。次々と増える「塚本用語」を単に並べて放置しておくのはもったいないのではないか。

塚本さんは多くの言葉を生み出す。「観察と定着」「環境ユニット」「都市の生態学」「やり方とあり方」「フラックスマネジメント」「空間の実践」「カスタマイズ」「リサイクル」「社会性」などなど。いま起きている状況を説明するために必要な言葉を、次から次へと作り出す。本人と話をしていても、著作を読んでいても、新しい言葉がどんどん生み出される。塚本さん自身の中では、相互に関係付いている言葉たち。ところが、僕にとってはランダムな言葉でしかない場合が多い。こいつはまずい。僕なりに塚本さんの言葉を整理してみる必要がある。

塚本さんが取り扱う言葉のスケールは、「都市スケール」と「建築スケール」と「空間スケール」という3つのスケールがある。本人はスケールで対象を切り取ることに抵抗があるようだが、ここでは言葉を整理するという目的のためにあえてスケールの違いを明確にしておく。

塚本さんの言葉に見られるもう1つの特徴。それは、都市や建築や空間を「形態の系」だけで論じるのではなく、常に「行為の系」とセットで語っていることである。「使い方」と「建ち方」、「やり方」と「あり方」など、形態と行為を同時に論じる言説をよく目にする。

■都市スケール
「社会性」や「マスターデザイン」という言葉は、都市スケールで語るときに塚本さんがよく用いる言葉である。都市を「行為の系」と「形態の系」からなる生態学として捉える視点も独特である。

■建築スケール
都市のスケールから建築のスケールへ接近するとき、建築とその周辺を視野に入れた「環境ユニット」や「ランドスケープ」という言葉が出現する。建築スケールにおいても、塚本さんは「使い方」と「建ち方」の2側面を同時に捉えていることが多い。「カスタマイズ」や「リサイクル」という言葉は、まさに行為と形態を同時に捉える視点の産物であろう。

■空間スケール
建築スケールから空間スケールへと目を移すとき、行為と形態は「やり方」と「あり方」という言葉に置き換えられる。そこで起きていることを観察し、観察した結果を建築に定着させること。流れ行くものの取り扱いをマネジメントすること。自らが主体的に空間へ関わること。「観察と定着」や「フラックスマネジメント」や「空間の実践」という言葉は、「空間の経験」を豊かなものにするための重要な考え方である。

言葉を整理することによって、今後塚本さんが生み出す言葉がどのスケールのどんな側面について説明しようとしているのかを把握しやすくなったような気がする。ランダムに置かれていた塚本さんの言葉が、僕の中で少し関係性を持ち始めている。これからも塚本さんの言説に注目していきたいと思う。



山崎

2005年3月6日日曜日

「世界の情報」

「最近のランドスケープアーキテクトでチェックしておくべき人は誰ですか?」

先日のアーキフォーラムが終わった後、2次会で槻橋さんにこんなことを聞かれた。そのときの話が頭から離れない。

酒の席だから、場に居合わせた人がざっくばらんに自分の好きなデザイナーの名を挙げた。

「ウエスト8ですね。」
「僕はディーター・キーナストが好きです。」
「イヴ・ブリュニエは良かったなぁ。」
「今ならキャサリン・グスタフソンがお勧めです。」
「ペトラ・ブレーゼもいいと思います。」
「ピーター・ウォーカー御大も健在ですよ。」
「それを言うならジョージ・ハーグレイブスも。」
「マーサ・シュワルツもね。」

それを聞いていた槻橋さんは、「やっぱりその人たちが注目株ですか」と言うような顔をして頷いた。しかし勘違いしてはいけない。その人たちが注目株なのではない。僕らはその人たちしか知らないのである。

OMAがいて、ヌーヴェルがいて、リベスキンドがいて、ザハがいて、ペローがいて、MVRDVがいて、UNがいて、H&deMがいて、foaがいて、チュミがいて、シザがいて、ホラインがいて、アイゼンマンがいて、ゲーリーがいて、ピアノがいる。クラウス・エン・カーンもいる。メカノーもディラー+スコフィディオもいる。まだまだいる。そんな多くの選択肢から「自分が好きな建築家」を選ぶことのできる建築の世界とはわけが違う。「僕らが好きなランドスケープアーキテクト」は、「僕らが知っているランドスケープアーキテクト」とほぼ一致してしまう。換言すれば、それは「誰かが選んだランドスケープアーキテクト」と一致しているということなのである。

世界の建築家に関する情報だって、所詮は「誰かが選んだ建築家」の情報にすぎないさ、という意見もあるだろう。しかし、その情報量はランドスケープの比ではない。世界の建築家情報というのは、さらにそこから「自分の好きな建築家」を選び出すことができるほど多い。そこには、主体的な目線を差し込む余地がある。

日本のランドスケープアーキテクトは、与えられるわずかな情報をみんなで使いまわしている。これは市場規模の違いに起因する現象だろう。しかし、時は21世紀である。その気になればインターネットで海外のランドスケープアーキテクトの情報を得ることができるはずだ。ところが、僕の知る限りそんな努力をしているランドスケープアーキテクトはほとんどいない。

世界中で試行錯誤されているランドスケープアーキテクトの仕事を知らないまま、同じような悩みを抱え込むのはあまりに前近代的である。同時代のランドスケープアーキテクトが何を考え、どんなことに取り組んでいるのか。僕はいま、そんなことを知りたいと思っている。微力ながら、今後は少しずつ世界のランドスケープアーキテクトについて調べてみたいと思う。

山崎

2005年3月3日木曜日

「閉じつつ開く」

新建築の2005年2月号に掲載された塚本さんの巻頭論文「マイクロ・パブリック・スペース」を読む。

マイクロ・パブリック・スペースというのは塚本さんの造語で、小さなスペースだけれども個人主義的ではない、開かれた共同性を持つパブリックスペースを意味する。プライベートスペースとパブリックスペースの間に浮遊するコモンスペースのようなものではないかと僕は思う。

ただし、コモンスペース/コモンズという言葉には手垢が付き過ぎている。現代の都市に生きる僕たちの問題として公共空間を捉えなおすとき、塚本さんはマイクロ・パブリック・スペースという新しい言葉の必要性を感じたのだろう。

この論文の伏線にあるのは、ギャラリー間で行われた「この先の建築」というシンポジウムにおける原広司さんと塚本さんとの会話ではないだろうか。シンポジウムの席上で、塚本さんは原さんの建築家像と自分の建築家像のズレを以下のように指摘した。

「原さんは以前どこかで『建築家は空間を考える人』だとおっしゃっていましたが、とにかく人間が暮らしているとどうしても必要になるものの取り扱いをトータルに考える人であっていいのではないでしょうか。食べ物もどうしても必要になるわけですし、ゴミ、時間、週末なんかも、どうしても発生してしまう。そういう湧いてくるもの、流れてゆくものの取り扱い、つまり使い方と維持管理の仕方を考えていくと、風景というのができてくる。僕はそういうことから建築を考えることに感心があります」。

この発言に対して原さんは、もっと明確な言語で説明するよう塚本さんに詰め寄る。なぜ流動的なものの取り扱いが重要なのか。どうして今どきコミュニティなんてことが設計の根拠になるのか。なんで未だに共同体論的な話を引きずっているのか。都市にコミュニティなんて存在しないのではないか。コミュニティに代わる言葉を提示することはできないのか。

塚本さんは、コミュニティに代わる言葉として「トライブ(同類)」を挙げる。場外馬券売り場に集まる人と美術館に集まる人は明らかに違う集団である。こうした緩やかな同種の集まりを「トライブ」と呼ぶ。「10+1」に掲載された「トーキョー・サブディビジョン・ファイルズ」で調査した結果を踏まえた発言だろう。

コミュニティよりは弱い結びつきだが、同類であることをお互いに意識しているような集団(=トライブ)。今回の論文では、こうした集団が「流れ行くもの」や「湧き出るもの」を取り扱うときに作り上げる空間のことをマイクロ・パブリック・スペースと呼んでいるのである。

都市にはさまざまなマイクロ・パブリック・スペースが必要である。自分が気に入ったマイクロ・パブリック・スペースを見つけることができれば、その場所に好きなだけ自分の時間を繋留できる。緩やかに繋がりながら広く一般に開かれたスペース。残念ながら、街を歩いていてそんなパフォーマンスを発生させている場所に出会うことはほとんどない。塚本さんは大阪で開催された「天満埠頭」という社会実験をマイクロ・パブリック・スペースの例として挙げていたが、こうしたイベントはいつも開催されているわけではない。

流れゆくものの取り扱い(フラックス・マネジメント)を通じて、その場所に誰もが関われそうなパフォーマンスを発生させること。そのためには、公共空間のマネジメントにもっとNPOの力を活用するべきだろう。

山崎