「一人あたりの公園面積」という指標がある。
ランドスケープデザインに関する教科書には必ずといっていいほど出てくる指標だ。この話題、ほとんどの場合は「欧米に比べて日本の一人あたりの公園面積は小さいので、まだまだ公園緑地を増やすべきだ」という文脈で紹介される。
紹介されている「一人あたりの都市公園面積」は、東京都区部で平均3.0㎡程度。大阪市内は3.5㎡。名古屋市内だと6.7㎡。全国の政令市の平均は約6.0㎡なので、名古屋市は比較的緑豊かな都市だといえよう(いずれも2001年度のデータ)。
ところが諸外国を見ると、名古屋市でさえも大したことではないと実感させられる。例えばパリ市内の一人あたりの都市公園面積は11.8㎡。政令市平均の2倍近い緑の量である。さらに、ロサンジェルスは17.8㎡(1994年度)、ロンドンは27.0㎡(1997年度)、ベルリンは27.5㎡(1995年度)、ニューヨークは約30㎡もの公園面積を誇る。
東京や大阪は世界の都市に比べて一人あたりの公園面積が小さい。差は歴然としている。これが教科書の論調である。こんな論調に対して、「ちょっと待った」という反論もある。日本は都市公園として参入されている面積が小さいだけで、社寺や田畑および里山など、実質的に公園的利用がなされている面積を足せば欧米にだってそれほど負けていないぜ、という反論である。
そんな反論を信じて、僕はこれまで「一人あたりの公園面積」という指標を信じてこなかった。というか、それが低いからといってあわてる必要はないと考えてきた。しかしふと疑問に思ったのである。公園面積にカウントされていないその他の「緑地」面積を足したとしたら、日本人一人あたりの「緑地面積」はいったいどれくらいなのだろうか。
例えば市民緑地。民有地を一定期間開放して、一般の人たちが使えるようにする緑地であるが、この面積は全国で770000㎡。緑地保全地区というのもある。都市計画区域内にある樹林地や草地や水沼地で、良好な自然環境を形成しているものが緑地保全地区に指定される。いわゆる都市近郊の里地里山である。この地区が全国で14110000㎡。都市に住むものにとって、これらの2種類の緑地も十分に都市公園的な利用に供する場所だといえよう。さらに、京都や鎌倉や飛鳥のように、庭園が多く歴史的な風土を持った地区も丸ごとカウントすると155250000㎡。
以上のような「都市公園的」に利用できる場所をすべて足し合わせて、日本の総人口で割ってみると、一人あたりの都市公園的空間の面積は1.3㎡増えることになる。
それでも1.3㎡である。政令市平均の6.0㎡に足したとしても7.3㎡。パリの面積にも満たない。ニューヨークの30㎡には程遠い。
一人あたりの都市公園面積。この指標をもう少し信じてみてもいいのかもしれない。少なくとも、すでに公園面積は足りていると思う必要はないのかもしれない。税収が減少して、公園整備費が削減され続ける時代にあって、しかしまだまだ公園を増やしたほうがいいと考えるべきなのかもしれない。事実、僕らが海外旅行へ行ったり、しばらく海外に住んでみたりすると、帰国した際にどうしても「日本の都市には緑が少ないなぁ」と感じてしまうのだから。
公園面積を増やすと、その管理費が増大することは必至だ。諸外国はどのように広い公園を管理しているのだろうか。ニューヨークの公園はすべて税金で管理されているのだろうか。公園や緑地の面積を増やすことと、その後の管理をどうするのかということをセットで考えてみる必要がありそうだ。
山崎
2007年5月21日月曜日
2007年5月14日月曜日
「strong concept」
中之島の中央公会堂にオランダの「NL Architects」とルクセンブルクの「Polaris」がやってくるというので、夕方から話を聞きに行く。
NLのアプローチは以前から気になっていた。入り組んだ駐車場の計画では、広告収入による建設費や維持費のマネジメントにも言及しているし、空からみると企業の広告になる空港併設駐車場では駐車すればするほどお金がもらえるシステムを提示しようとしている。つまり、カタチとナカミとシクミを同時に考えようとしているのである。
講演内容で面白いと思ったキーワードは「strong concept」。明確なコンセプトと、それを素直に表現したカタチ。この組み合わせが独特のアイデンティティを生み出し、見るものにインパクトを与えることになる。その結果、楽しそうな建築や空間が出来上がるのだが、実はその細部にはさまざまなストーリーが埋め込まれていて、実に良く考えられた建築になっているのである。「あれもこれもできます」というコンセプトではなく、「これです」という明確なコンセプトを打ち出しておいて、そのあとで「実はあれもこれもできます」というストーリーを説明する。強いコンセプトが持つ意味を改めて再認識したように思う。
もうひとつ共感したキーワードは「境界を越える」ということ。ヨーロッパで活躍する建築家らしく、あまり国境を意識せずにボーダレスな活動を展開していることが多いようだ。また、Polarisの2人は国境だけでなく専門分野の境界も越えて活動している。いわゆる建築だけでなく、都市計画や広告やイベントなど、都市や社会の問題を解決するためのツールを建築だけに限定しない。たまたま建築で解決できるものは建築で解決するというスタンスは、非常に共感できるものだった。
これからしばらくは「強いコンセプト」について考えてみたいと思う。特にランドスケープデザインにおいては、住民参加や生態系への配慮など、コンセプトの輪郭をぼやけさせるようなテーマやコンセプトが付着しやすい。油断するとさまざまな「重要なこと」をコンセプトに付けすぎて、結局何がしたいのか伝わらないことになりかねない。シンプルで強いコンセプトをどのように提示し、それをどうカタチにするか。そのことを考えてみたい。
ちなみに、NL Architectsの「A8ernA」というプロジェクトは、高速の高架下に連続した公園をつくるというプロジェクトで、ランドスケープデザインにも多くのヒントを与えてくれる内容になっている。水面を船で利用して、降り立った教会前広場で結婚式を挙げるというプログラムのつなぎ方など、カタチとナカミの組み合わせ方が面白い。
同じくNLの「Loop House」というプロジェクトは、住宅と庭(中庭と屋上庭園)との関係がよく考えられたプロジェクトである。
「Basket Bar」のプロジェクトも、バスケットボールコートとバーという2種類のプログラムを重ね合わせながら統合するという、ランドスケープと建築との関係を考えさせるものである。
NLの建築は、ランドスケープと建築との新しい関係を示唆するものが多いように感じた。しっかり調べてみたい建築家である。
山崎
NLのアプローチは以前から気になっていた。入り組んだ駐車場の計画では、広告収入による建設費や維持費のマネジメントにも言及しているし、空からみると企業の広告になる空港併設駐車場では駐車すればするほどお金がもらえるシステムを提示しようとしている。つまり、カタチとナカミとシクミを同時に考えようとしているのである。
講演内容で面白いと思ったキーワードは「strong concept」。明確なコンセプトと、それを素直に表現したカタチ。この組み合わせが独特のアイデンティティを生み出し、見るものにインパクトを与えることになる。その結果、楽しそうな建築や空間が出来上がるのだが、実はその細部にはさまざまなストーリーが埋め込まれていて、実に良く考えられた建築になっているのである。「あれもこれもできます」というコンセプトではなく、「これです」という明確なコンセプトを打ち出しておいて、そのあとで「実はあれもこれもできます」というストーリーを説明する。強いコンセプトが持つ意味を改めて再認識したように思う。
もうひとつ共感したキーワードは「境界を越える」ということ。ヨーロッパで活躍する建築家らしく、あまり国境を意識せずにボーダレスな活動を展開していることが多いようだ。また、Polarisの2人は国境だけでなく専門分野の境界も越えて活動している。いわゆる建築だけでなく、都市計画や広告やイベントなど、都市や社会の問題を解決するためのツールを建築だけに限定しない。たまたま建築で解決できるものは建築で解決するというスタンスは、非常に共感できるものだった。
これからしばらくは「強いコンセプト」について考えてみたいと思う。特にランドスケープデザインにおいては、住民参加や生態系への配慮など、コンセプトの輪郭をぼやけさせるようなテーマやコンセプトが付着しやすい。油断するとさまざまな「重要なこと」をコンセプトに付けすぎて、結局何がしたいのか伝わらないことになりかねない。シンプルで強いコンセプトをどのように提示し、それをどうカタチにするか。そのことを考えてみたい。
ちなみに、NL Architectsの「A8ernA」というプロジェクトは、高速の高架下に連続した公園をつくるというプロジェクトで、ランドスケープデザインにも多くのヒントを与えてくれる内容になっている。水面を船で利用して、降り立った教会前広場で結婚式を挙げるというプログラムのつなぎ方など、カタチとナカミの組み合わせ方が面白い。
同じくNLの「Loop House」というプロジェクトは、住宅と庭(中庭と屋上庭園)との関係がよく考えられたプロジェクトである。
「Basket Bar」のプロジェクトも、バスケットボールコートとバーという2種類のプログラムを重ね合わせながら統合するという、ランドスケープと建築との関係を考えさせるものである。
NLの建築は、ランドスケープと建築との新しい関係を示唆するものが多いように感じた。しっかり調べてみたい建築家である。
山崎
2007年2月20日火曜日
「人口減少時代の都市計画」
永田町で行われた「市長と語る21世紀の都市計画」というシンポジウムに参加した。
はじめに大西教授(東京大学大学院)から近年の人口動態についての概説があった。出生率は地方が圧倒的に高く都心部はきわめて低いことが明らかだが、人口減少率からみると地方が高く都心部は低い。このことから、地方で生まれた人の多くが依然として都市へ大量に流入していることが分かる。また、DID人口密度に注目すると、1960年から2005年にかけて低下している。これは市域が拡大していることを示している。都心部にゆとりのある生活空間が実現したともいえるが、逆に言えば非常に拡散した都市が出現しつつあるともいえる。 一方、この10年間に大都市の中心部に人が集まりつつあることも分かっている。90年から95年には、中央区や中区や中京区といった「中央」を示すエリアの人口が減少していたにも関わらず、2000年から2005年にかけては逆にこれらのエリアの人口が増加している。中央部分に人が集まり、それ以外の場所からは郊外へと人が流れているという実態が明らかになった。
こうした状況を活かして、農地を都市に取り込んだり、自然を活かした開発を進めたり、都市近郊の自然を保全したり、住宅地を公園や自然地に戻したりする新しいタイプの開発を考える必要があるだろう、との指摘がなされた。こうした新しい取り組みを地域主体で進めるためにも、ある程度の権限委譲が必要になる。現在では三位一体の改革に基づいて、ある程度の権限と財源が地域に渡されている。以前なら法律でかなり細かいことまで規定していたが、地域の実情に応じて規制の項目を変えることができるよう、委任条例に任せることができる法構成になっている。その結果、条例によるまちづくりが多くの自治体で盛んになりつつある。金沢市や横須賀市の例はまさに地方分権下における地域主体のまちづくり事例といえるだろう。
続いて、伊藤市長(西条市)から市の特性と方向性についての説明があった。西条市は周囲を多くの空港に囲まれている。自身は空港を持たない市だが、周囲の空港とうまくタイアップすることで観光情報を発信したいと考えている。また、新たに多自然居住地域と合併することによって農地面積がかなり増えた。このことを積極的に評価し、食料自給率が70%に達している状況を売り出すことにしている。さらに地元銀行が地元企業にお金を貸すようにするためのさまざまな機会を提供している。地域の産業再生を地域再生へと結びつける具体的な試みを紹介された。
須田市長(新座市)は、「まちづくりは道路整備から」というスローガンを掲げてまちづくりを進めている。また、「道路整備は区画整理から」ということを考え、現在は市内の区画整理事業を積極的に進めているという。また、町内会に登録する人を募集して、市全域に点在している積極的な人材の発掘を行っている。
江島市長(下関市)は、下関ブランドをどのように設定して売り出すのかについて検討している事例を報告した。審査員が厳しく商品を検討したうえで、下関ブランド足りえる商品については「ようできちょる」という認定証を発行。特産品をブランド化して売り出す方策を検討している。また、三方を海で囲まれた下関において、積極的にフィールドミュージアム構想を検討している。
続くパネルディスカッションでは、大西教授と3市長に加えて池邊氏(ニッセイ基礎研究所)と武内教授(東京大学大学院)がこれからの都市計画についての意見を戦わせた。議論は大まかに「権限委譲について」「人口減少について」「農村部の過疎化について」という3点について展開した。
権限委譲については、各パネリストともまだまだ十分とはいえないという共通認識であった。実際に地方のメリットになるような権限移譲ができているとは思えない。地元の市は地元の実情をよく把握している。地元市に権限と財源を移譲し、首長自ら地元市の将来に関する計画を決定できるようにしてもらいたい、という意見が主流を占めた。一方、中心市街地活性化のために、一度郊外へ引越しした市庁舎を再度中心市街地近くへ戻すという動きがあることが紹介された。ただし、従来のように新しい市庁舎を建て直すのではなく、空き店舗をバラバラに借り受けて市庁舎の機能を付与するものである。
人口減少については、大西教授が「基本的に回復すべき問題である」という意見を表明した。伊藤市長は人口を増やすのに必要なこととして職場の創出を挙げている。仕事が無ければ人口は増えないという視点に立ち、人が集まりそうなアトラクションの開発に余念が無い。江島市長はユビキタス技術を用いて高齢者や乳幼児の安全や安心を守っていきたいと述べた。
農村部の過疎化については、これまでのように「農村部は都市になる前の段階」という認識に立つのではなく、農村部自体が持っている価値を見つけ出して都市との交流に利用するという立場が重要になるだろうとの指摘がなされた。特に都市部で育った子どもたちに聞くと、過疎化しているような農村部での仕事に大きな魅力を感じているようだった。農村集落を見て、「ああいう風に仕事がしたい。あんな風に生きたい」という具体的な目標像を描く大学生を増やすために何ができるのか。農村部の過疎化については、都市との関係も考慮しながら計画を立案することが求められる。
僕が非常勤として勤めている神戸の研究所では、特に多自然居住地域における安全と安心について研究を進めている。多自然居住地域における危険や不安はある程度把握しつつあるものの、そもそもどのあたりからが都市でどこからが多自然居住地域なのかという話になると明確な定義はなされていない状態である。また、多自然居住地域と都市域との関係を考える上で、多自然居住地域を都市への発展途上として考えるのではなく、多自然居住地域独自の魅力や新たな位置づけを明確にする必要がある。そのうえで、都市と多自然居住地域の積極的な交流方策について検討し、都市部の若者が多自然居住地域で自立的な生活を営めるような仕組みについて考える必要性を感じた。同時に、多自然居住地域を抱える自治体が独自の施策を実施することができるよう、財源と一体となった実質的な権限移譲が不可欠だと感じた。そのことが、多自然居住地域における現段階の危険や不安を取り除くひとつの要因になるのだろう。
山崎
はじめに大西教授(東京大学大学院)から近年の人口動態についての概説があった。出生率は地方が圧倒的に高く都心部はきわめて低いことが明らかだが、人口減少率からみると地方が高く都心部は低い。このことから、地方で生まれた人の多くが依然として都市へ大量に流入していることが分かる。また、DID人口密度に注目すると、1960年から2005年にかけて低下している。これは市域が拡大していることを示している。都心部にゆとりのある生活空間が実現したともいえるが、逆に言えば非常に拡散した都市が出現しつつあるともいえる。 一方、この10年間に大都市の中心部に人が集まりつつあることも分かっている。90年から95年には、中央区や中区や中京区といった「中央」を示すエリアの人口が減少していたにも関わらず、2000年から2005年にかけては逆にこれらのエリアの人口が増加している。中央部分に人が集まり、それ以外の場所からは郊外へと人が流れているという実態が明らかになった。
こうした状況を活かして、農地を都市に取り込んだり、自然を活かした開発を進めたり、都市近郊の自然を保全したり、住宅地を公園や自然地に戻したりする新しいタイプの開発を考える必要があるだろう、との指摘がなされた。こうした新しい取り組みを地域主体で進めるためにも、ある程度の権限委譲が必要になる。現在では三位一体の改革に基づいて、ある程度の権限と財源が地域に渡されている。以前なら法律でかなり細かいことまで規定していたが、地域の実情に応じて規制の項目を変えることができるよう、委任条例に任せることができる法構成になっている。その結果、条例によるまちづくりが多くの自治体で盛んになりつつある。金沢市や横須賀市の例はまさに地方分権下における地域主体のまちづくり事例といえるだろう。
続いて、伊藤市長(西条市)から市の特性と方向性についての説明があった。西条市は周囲を多くの空港に囲まれている。自身は空港を持たない市だが、周囲の空港とうまくタイアップすることで観光情報を発信したいと考えている。また、新たに多自然居住地域と合併することによって農地面積がかなり増えた。このことを積極的に評価し、食料自給率が70%に達している状況を売り出すことにしている。さらに地元銀行が地元企業にお金を貸すようにするためのさまざまな機会を提供している。地域の産業再生を地域再生へと結びつける具体的な試みを紹介された。
須田市長(新座市)は、「まちづくりは道路整備から」というスローガンを掲げてまちづくりを進めている。また、「道路整備は区画整理から」ということを考え、現在は市内の区画整理事業を積極的に進めているという。また、町内会に登録する人を募集して、市全域に点在している積極的な人材の発掘を行っている。
江島市長(下関市)は、下関ブランドをどのように設定して売り出すのかについて検討している事例を報告した。審査員が厳しく商品を検討したうえで、下関ブランド足りえる商品については「ようできちょる」という認定証を発行。特産品をブランド化して売り出す方策を検討している。また、三方を海で囲まれた下関において、積極的にフィールドミュージアム構想を検討している。
続くパネルディスカッションでは、大西教授と3市長に加えて池邊氏(ニッセイ基礎研究所)と武内教授(東京大学大学院)がこれからの都市計画についての意見を戦わせた。議論は大まかに「権限委譲について」「人口減少について」「農村部の過疎化について」という3点について展開した。
権限委譲については、各パネリストともまだまだ十分とはいえないという共通認識であった。実際に地方のメリットになるような権限移譲ができているとは思えない。地元の市は地元の実情をよく把握している。地元市に権限と財源を移譲し、首長自ら地元市の将来に関する計画を決定できるようにしてもらいたい、という意見が主流を占めた。一方、中心市街地活性化のために、一度郊外へ引越しした市庁舎を再度中心市街地近くへ戻すという動きがあることが紹介された。ただし、従来のように新しい市庁舎を建て直すのではなく、空き店舗をバラバラに借り受けて市庁舎の機能を付与するものである。
人口減少については、大西教授が「基本的に回復すべき問題である」という意見を表明した。伊藤市長は人口を増やすのに必要なこととして職場の創出を挙げている。仕事が無ければ人口は増えないという視点に立ち、人が集まりそうなアトラクションの開発に余念が無い。江島市長はユビキタス技術を用いて高齢者や乳幼児の安全や安心を守っていきたいと述べた。
農村部の過疎化については、これまでのように「農村部は都市になる前の段階」という認識に立つのではなく、農村部自体が持っている価値を見つけ出して都市との交流に利用するという立場が重要になるだろうとの指摘がなされた。特に都市部で育った子どもたちに聞くと、過疎化しているような農村部での仕事に大きな魅力を感じているようだった。農村集落を見て、「ああいう風に仕事がしたい。あんな風に生きたい」という具体的な目標像を描く大学生を増やすために何ができるのか。農村部の過疎化については、都市との関係も考慮しながら計画を立案することが求められる。
僕が非常勤として勤めている神戸の研究所では、特に多自然居住地域における安全と安心について研究を進めている。多自然居住地域における危険や不安はある程度把握しつつあるものの、そもそもどのあたりからが都市でどこからが多自然居住地域なのかという話になると明確な定義はなされていない状態である。また、多自然居住地域と都市域との関係を考える上で、多自然居住地域を都市への発展途上として考えるのではなく、多自然居住地域独自の魅力や新たな位置づけを明確にする必要がある。そのうえで、都市と多自然居住地域の積極的な交流方策について検討し、都市部の若者が多自然居住地域で自立的な生活を営めるような仕組みについて考える必要性を感じた。同時に、多自然居住地域を抱える自治体が独自の施策を実施することができるよう、財源と一体となった実質的な権限移譲が不可欠だと感じた。そのことが、多自然居住地域における現段階の危険や不安を取り除くひとつの要因になるのだろう。
山崎
2007年2月19日月曜日
「自然享有権」
イギリスには、有名な「フットパスシステム」がある。広い農場や牧場、あるいは庭園などの外周をめぐる柵の一部に扉が付いていて、誰でもいつでも私有地を通り抜けることができる。他人の庭を通り抜けて散歩することができるというシクミを作り出したイギリスという国はすばらしいと思う。
そんなシクミが、実はスウェーデンにもあるということを知った。スウェーデンには、自然享有権という権利があって、これが法律で守られているという。
自然享有権(アッレマンスレット)というスウェーデン語は、スウェーデン人が生まれながらにして自然を楽しむ権利を持っているという意味を含むそうだ。この精神に則って、スウェーデンでも他人の庭園や農園を通り抜けることができるのだという。自分の土地でなくてもオープンスペースを楽しむことができるというのは、現代の日本人にはほとんど無い発想だといえよう。日本でも最近オープンガーデンが一般的になってきたものの、さらに進めて庭園を誰でもいつでも横切ることができるというところまで行き着いてほしい。そうすれば、オープンスペースのマネジメントやデザインもこれまでのものとは違ってくるはずだ。「自然享有権」という言葉は、スウェーデンに留学していた女性が教えてくれた言葉である。彼女には、雑誌「OSOTO」の「海外おそと事情」という記事を書いてもらうことにした。自然享有権に関する具体的な事例は、ぜひOSOTOの第2号をご覧いただきたい。
山崎
そんなシクミが、実はスウェーデンにもあるということを知った。スウェーデンには、自然享有権という権利があって、これが法律で守られているという。
自然享有権(アッレマンスレット)というスウェーデン語は、スウェーデン人が生まれながらにして自然を楽しむ権利を持っているという意味を含むそうだ。この精神に則って、スウェーデンでも他人の庭園や農園を通り抜けることができるのだという。自分の土地でなくてもオープンスペースを楽しむことができるというのは、現代の日本人にはほとんど無い発想だといえよう。日本でも最近オープンガーデンが一般的になってきたものの、さらに進めて庭園を誰でもいつでも横切ることができるというところまで行き着いてほしい。そうすれば、オープンスペースのマネジメントやデザインもこれまでのものとは違ってくるはずだ。「自然享有権」という言葉は、スウェーデンに留学していた女性が教えてくれた言葉である。彼女には、雑誌「OSOTO」の「海外おそと事情」という記事を書いてもらうことにした。自然享有権に関する具体的な事例は、ぜひOSOTOの第2号をご覧いただきたい。
山崎
2007年2月9日金曜日
「情報デザインの重要性」
前回、前々回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。
はじめに渡辺氏(ライター)から、縮小する時代における情報デザインのあり方についての問題提起がなされた。高度経済成長期におけるマスメディアは、より多くの人に同じ情報を伝えることが最大の特徴だった。しかし、都市が縮小する時代には、情報デザイン自体が重点を変えなければならない状況が生じることになるだろう。そのとき、これまでとは違った情報デザインのあり方が求められることになる。特に人口が少なくなる世の中においては、コミュニティのあり方とその情報デザインが大切になる。そのことを意識した上で、コミュニティに根ざした情報デザインというものがどのようなものであるかを議論したい、との趣旨説明がなされた。なお、今回のシンポジウムにおける情報デザインはIT系の技術ばかりではなく、広い意味で何らかの情報を伝達することのできる手法を提案するものとする。
続いて、加藤助教授(慶應義塾大学)によるフィールドワークの手法とその情報デザインについての説明があった。加藤氏は、まちづくりに不可欠な3つの主体(わかもの、よそもの、ばかもの)について言及し、大学が地域のまちづくりに関わることの可能性を示した。大学生は、地域において「わかもの」「よそもの」「ばかもの」になることができる。そのためには、学生が地域に興味を持ち、まちづくり活動に加わるきっかけになるツールが必要となる。加藤氏が用いるツールは「フィールドワーク」「プチインターンシップ」「ポストカード」「ポッドキャスト」などである。フィールドワークを通じて地域をしっかり観察し、プチインターンシップを通じて地域の活動に参加し、ポストカードで地域の特性を整理し、ポッドキャストで情報を発信する。加藤氏は意図的に「小さなメディア」を使って情報発信することにしているという。まちに住む人がまちを説明する。その声を録音してポッドキャスティング配信する。小さなメディアを活用することによって、顔の見える関係性を新たに構築する可能性を示唆した。実際に加藤氏は柴又、金沢、坂出のまちづくりに学生とともに参加している。
杉浦氏(NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ)は、まちづくりには必ず何人かのキーマンが存在することを指摘した。こうしたキーマン同士が出会うことによってまちづくりの段階は大きく飛躍することが多い。この点に着目し、キーマンが主宰する地域のイベント情報を共有財とするための「地域新聞」を紹介した。地域のイベントを「いつ誰がどこで開催するのか」を集めたポータルサイト的な地域新聞の存在は、まちのキーマンが出会う機会を提供し、さらなるまちづくり活動への展開を期待させるものである。また、コミュニティデザインは、各個人の「自分事」と「他人事」との間にある「自分達事」であるとの発想から、重要な「自分達事」を編集して情報発信するメディアのあり方についても言及した。特にグリーンマップや「関心空間」など、web2.0のツール(SNSやSSRなど)を活用した「自分達事」の編集方法は、これからのまちづくりを新しい段階へと進化させる可能性を持っていると指摘した。
鳥巣氏(千葉大学大学院)は、個人に着目したまちづくりの事例を紹介した。任意の市民の顔写真を使ったポスターをつくり、まちの将来についての希望を沿えてまちの主要駅に掲示する。100人近い人のポスターが掲示されると、駅を利用する人たちのなかに知り合いがいる確率は相当高くなる。駅に掲示されているポスターを見たことがきっかけで久しぶりに連絡を取り合う人が現れたり、まちの将来像について語りあうきっかけになったりする。こうした個人に着目したまちづくりの方向性は、web上で展開されている人と人との結びつきとは違ったアナログな、しかし力強い結びつきをまちに作り出すこととなる。こうした取り組みと同時に、まちづくりに関するイベントやコンペティションを実施することにより、更なる個人を浮き立たせて結びつけるまちづくりのあり方が提示された。
最後に、コミュニティデザインにおける各段階に応じたコミュニティウェアを開発することの重要性について議論された。コミュニティデザインには「発見と評価」「共有と編集」「参加と創造」「持続と発展」の各段階が存在する。これらの段階に応じて、グリーンマップや関心空間、シナリオ法、ソーシャルネットワーキングサービス、メソッドカード、ブログなどを使い分ける必要がある。我々が手に入れた新たなツールを適切な段階に適用することによって、まちづくりを新たな段階へとステップアップさせることができるのではないか、という可能性が提示された。
僕たちが堺市で行った「環濠生活」や家島町で実施している「探られる島」なども、活動を情報のデザインをつなげて新たな局面を生み出そうとするプロジェクトである。実際に、どのプロジェクトからも新しいプロジェクトが生まれ、新しい人と知り合うことができている。情報をデザインすることの重要性を再認識する機会を得た。特に加藤氏のアプローチには激しく共感した。偶然の一致かもしれないが、用いているツールも目指しているところも共有できているように感じた。上京する際には、もう一度加藤氏に会っていろいろ話をしてみたいものである。
追記:その後、加藤氏から自身の研究室でまとめたポストカード集や小冊子などが送られてきました。そのいずれもが大変興味深い取り組みであり、studio-Lのスタッフ一同で何度も読み直しました。大変貴重な資料をお送りいただきありがとうございました。一度、食事にでも行きたいですね>加藤さん。
山崎
はじめに渡辺氏(ライター)から、縮小する時代における情報デザインのあり方についての問題提起がなされた。高度経済成長期におけるマスメディアは、より多くの人に同じ情報を伝えることが最大の特徴だった。しかし、都市が縮小する時代には、情報デザイン自体が重点を変えなければならない状況が生じることになるだろう。そのとき、これまでとは違った情報デザインのあり方が求められることになる。特に人口が少なくなる世の中においては、コミュニティのあり方とその情報デザインが大切になる。そのことを意識した上で、コミュニティに根ざした情報デザインというものがどのようなものであるかを議論したい、との趣旨説明がなされた。なお、今回のシンポジウムにおける情報デザインはIT系の技術ばかりではなく、広い意味で何らかの情報を伝達することのできる手法を提案するものとする。
続いて、加藤助教授(慶應義塾大学)によるフィールドワークの手法とその情報デザインについての説明があった。加藤氏は、まちづくりに不可欠な3つの主体(わかもの、よそもの、ばかもの)について言及し、大学が地域のまちづくりに関わることの可能性を示した。大学生は、地域において「わかもの」「よそもの」「ばかもの」になることができる。そのためには、学生が地域に興味を持ち、まちづくり活動に加わるきっかけになるツールが必要となる。加藤氏が用いるツールは「フィールドワーク」「プチインターンシップ」「ポストカード」「ポッドキャスト」などである。フィールドワークを通じて地域をしっかり観察し、プチインターンシップを通じて地域の活動に参加し、ポストカードで地域の特性を整理し、ポッドキャストで情報を発信する。加藤氏は意図的に「小さなメディア」を使って情報発信することにしているという。まちに住む人がまちを説明する。その声を録音してポッドキャスティング配信する。小さなメディアを活用することによって、顔の見える関係性を新たに構築する可能性を示唆した。実際に加藤氏は柴又、金沢、坂出のまちづくりに学生とともに参加している。
杉浦氏(NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ)は、まちづくりには必ず何人かのキーマンが存在することを指摘した。こうしたキーマン同士が出会うことによってまちづくりの段階は大きく飛躍することが多い。この点に着目し、キーマンが主宰する地域のイベント情報を共有財とするための「地域新聞」を紹介した。地域のイベントを「いつ誰がどこで開催するのか」を集めたポータルサイト的な地域新聞の存在は、まちのキーマンが出会う機会を提供し、さらなるまちづくり活動への展開を期待させるものである。また、コミュニティデザインは、各個人の「自分事」と「他人事」との間にある「自分達事」であるとの発想から、重要な「自分達事」を編集して情報発信するメディアのあり方についても言及した。特にグリーンマップや「関心空間」など、web2.0のツール(SNSやSSRなど)を活用した「自分達事」の編集方法は、これからのまちづくりを新しい段階へと進化させる可能性を持っていると指摘した。
鳥巣氏(千葉大学大学院)は、個人に着目したまちづくりの事例を紹介した。任意の市民の顔写真を使ったポスターをつくり、まちの将来についての希望を沿えてまちの主要駅に掲示する。100人近い人のポスターが掲示されると、駅を利用する人たちのなかに知り合いがいる確率は相当高くなる。駅に掲示されているポスターを見たことがきっかけで久しぶりに連絡を取り合う人が現れたり、まちの将来像について語りあうきっかけになったりする。こうした個人に着目したまちづくりの方向性は、web上で展開されている人と人との結びつきとは違ったアナログな、しかし力強い結びつきをまちに作り出すこととなる。こうした取り組みと同時に、まちづくりに関するイベントやコンペティションを実施することにより、更なる個人を浮き立たせて結びつけるまちづくりのあり方が提示された。
最後に、コミュニティデザインにおける各段階に応じたコミュニティウェアを開発することの重要性について議論された。コミュニティデザインには「発見と評価」「共有と編集」「参加と創造」「持続と発展」の各段階が存在する。これらの段階に応じて、グリーンマップや関心空間、シナリオ法、ソーシャルネットワーキングサービス、メソッドカード、ブログなどを使い分ける必要がある。我々が手に入れた新たなツールを適切な段階に適用することによって、まちづくりを新たな段階へとステップアップさせることができるのではないか、という可能性が提示された。
僕たちが堺市で行った「環濠生活」や家島町で実施している「探られる島」なども、活動を情報のデザインをつなげて新たな局面を生み出そうとするプロジェクトである。実際に、どのプロジェクトからも新しいプロジェクトが生まれ、新しい人と知り合うことができている。情報をデザインすることの重要性を再認識する機会を得た。特に加藤氏のアプローチには激しく共感した。偶然の一致かもしれないが、用いているツールも目指しているところも共有できているように感じた。上京する際には、もう一度加藤氏に会っていろいろ話をしてみたいものである。
追記:その後、加藤氏から自身の研究室でまとめたポストカード集や小冊子などが送られてきました。そのいずれもが大変興味深い取り組みであり、studio-Lのスタッフ一同で何度も読み直しました。大変貴重な資料をお送りいただきありがとうございました。一度、食事にでも行きたいですね>加藤さん。
山崎
2007年2月4日日曜日
「すべてを計画しつくさない」
前回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。
はじめに、木下氏(設計組織ADH)から日本における人口減少期の特徴とその課題についての整理がなされた。木下氏はそのなかで、日本における人口減少期の特徴を少子高齢社会であることとし、特に高齢者が集まって住む際の空間構成について言及した。高齢者のコレクティブハウジングについては、居住者全員の目線が届く中庭を設けることにより、毎日誰かと顔を合わせることができる集住の形態を提案する。また、高齢単身者や高齢家族だけでなく、障害者や一般家族など多様な家族構成が一緒に暮らすコレクティブハウジングが重要だと指摘する。さらに、コレクティブハウジングの設計ポイントとして、歩車分離を徹底し、基本的に歩行者や自転車を優先する平面配置とし、歩行者用通路で各住宅をつなぐことなどを挙げた。さらに、各住戸のキッチンを歩行者専用通路に面して配することによって、通路に常時住まい手の目線がある状況を作り出すことなどを提案した。同時に、24時間水道を使わなかった場合に管理センターへ連絡があるなど、独居老人のケアなどについても新しい提案がなされた。
続いて林氏(ベネッセコーポレーション)は、ベネッセで有料老人ホームの企画に携わってきた経験を通じて、地域に開かれた老人ホームのあり方について提案した。有料老人ホームをつくると、数年の間に半径3kmくらいの生活圏域ができあがる。その後は、時間が経っても圏域は広がらないことから、老人ホームにとって半径3kmという数字がコミュニティのサイズを示しているのではないかとの指摘がなされた。ということは、逆に有料老人ホームの入居者を募集する際でも、半径3km内のターゲットに絞ってマーケティングを考えればいいということになる。そこで、有料老人ホームをオープンさせてからでも、ホームに本屋さんや靴屋さんを一時的にホームへ呼び込んで、入居者のニーズを満たすイベントなどを実施している。このイベント準備として地域の本屋さんや靴屋さんにホームまで来てもらうよう要請するのだが、事後には本屋さんや靴屋さんが他のお客さんにホームのことを伝えてくれるようになるという宣伝効果がある。こうして、半径3km以内に生活圏域をつくり始めれば、有料老人ホームに入居したいという人が次第に地域の中から現れてくる、というのが林氏の経験だと言う。
都築氏(編集者)は、都市は思いのままにならないということの面白さを指摘した。人口減少時代には特に都市は思うとおりにならないのだから、建築家や都市計画家が思う方向とはまったく違った方向に都市は向かい始めるだろう。そのとき、建築家や都市計画家はいったい何ができるのか。都築氏は、どこまで計画者が介入するべきで、どこから先は介入すべきではないのかを見極められる人の存在が重要だと述べた。都市は、つくり手が考えている方向とはまったく違う方向に動き始めている。建築家や都市計画家はこれにどう対応すべきか/対応せざるべきか。人口減少期には、もう一度そのことを問い直したほうがいいのではないか、と語った。
日本における人口減少時代の特徴を少子高齢社会であると認識するのであれば、高齢者の生活に関する問題点、高齢者と社会との関係性に関する問題点などを解決する必要があるだろう。その際のキーワードは、「すべて計画しつくさない」ということ。多自然居住地域の高齢者であっても都市部の若者であっても、計画者が意図した計画の枠内に収まって「生活させられる」のでは、いつまで経っても主体的な活動には近づかない。いかに生活者中心の生活空間を構築するのか、ということが今後の計画論における大きな課題になることを実感した。
山崎
はじめに、木下氏(設計組織ADH)から日本における人口減少期の特徴とその課題についての整理がなされた。木下氏はそのなかで、日本における人口減少期の特徴を少子高齢社会であることとし、特に高齢者が集まって住む際の空間構成について言及した。高齢者のコレクティブハウジングについては、居住者全員の目線が届く中庭を設けることにより、毎日誰かと顔を合わせることができる集住の形態を提案する。また、高齢単身者や高齢家族だけでなく、障害者や一般家族など多様な家族構成が一緒に暮らすコレクティブハウジングが重要だと指摘する。さらに、コレクティブハウジングの設計ポイントとして、歩車分離を徹底し、基本的に歩行者や自転車を優先する平面配置とし、歩行者用通路で各住宅をつなぐことなどを挙げた。さらに、各住戸のキッチンを歩行者専用通路に面して配することによって、通路に常時住まい手の目線がある状況を作り出すことなどを提案した。同時に、24時間水道を使わなかった場合に管理センターへ連絡があるなど、独居老人のケアなどについても新しい提案がなされた。
続いて林氏(ベネッセコーポレーション)は、ベネッセで有料老人ホームの企画に携わってきた経験を通じて、地域に開かれた老人ホームのあり方について提案した。有料老人ホームをつくると、数年の間に半径3kmくらいの生活圏域ができあがる。その後は、時間が経っても圏域は広がらないことから、老人ホームにとって半径3kmという数字がコミュニティのサイズを示しているのではないかとの指摘がなされた。ということは、逆に有料老人ホームの入居者を募集する際でも、半径3km内のターゲットに絞ってマーケティングを考えればいいということになる。そこで、有料老人ホームをオープンさせてからでも、ホームに本屋さんや靴屋さんを一時的にホームへ呼び込んで、入居者のニーズを満たすイベントなどを実施している。このイベント準備として地域の本屋さんや靴屋さんにホームまで来てもらうよう要請するのだが、事後には本屋さんや靴屋さんが他のお客さんにホームのことを伝えてくれるようになるという宣伝効果がある。こうして、半径3km以内に生活圏域をつくり始めれば、有料老人ホームに入居したいという人が次第に地域の中から現れてくる、というのが林氏の経験だと言う。
都築氏(編集者)は、都市は思いのままにならないということの面白さを指摘した。人口減少時代には特に都市は思うとおりにならないのだから、建築家や都市計画家が思う方向とはまったく違った方向に都市は向かい始めるだろう。そのとき、建築家や都市計画家はいったい何ができるのか。都築氏は、どこまで計画者が介入するべきで、どこから先は介入すべきではないのかを見極められる人の存在が重要だと述べた。都市は、つくり手が考えている方向とはまったく違う方向に動き始めている。建築家や都市計画家はこれにどう対応すべきか/対応せざるべきか。人口減少期には、もう一度そのことを問い直したほうがいいのではないか、と語った。
日本における人口減少時代の特徴を少子高齢社会であると認識するのであれば、高齢者の生活に関する問題点、高齢者と社会との関係性に関する問題点などを解決する必要があるだろう。その際のキーワードは、「すべて計画しつくさない」ということ。多自然居住地域の高齢者であっても都市部の若者であっても、計画者が意図した計画の枠内に収まって「生活させられる」のでは、いつまで経っても主体的な活動には近づかない。いかに生活者中心の生活空間を構築するのか、ということが今後の計画論における大きな課題になることを実感した。
山崎
2007年1月28日日曜日
「人口減少時代の都市」
秋葉原で「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」という展覧会が開催されている。この展覧会にあわせて、「トーク・イン」という連続レクチャーも開催される。夕方から、その第1回に参加した。
はじめに大野教授(東京大学大学院)から「都市が縮小する時代の特徴」の整理がなされた。都市が拡大した時代と違って、都市が縮小する時代にはいかに豊かな時間を過ごすための空間を準備すべきかが課題になる。これまでの効率的な空間管理や空間整備から、人々が「いい時間を過ごすことができた」と思えるような価値をどのように生み出すのか。都市が縮小する時代のデザインは、このことを体現させるものでなかければならないとの指摘があった。
続いて、日高特任助手と山代助手(ともに東京大学大学院)による「空間占有のマネジメントから時間価値の創造へと移るアーバンデザインの手法」についての発表がなされた。大野先生の指摘する「いい時間を過ごしたと思える価値」を創造するために彼らが用いる手法は大きく3つに分かれており、それぞれ「インスタレーション」「コラボレーション」「パフォーマンス」と呼ぶ。「インスタレーション」は場所の文脈を尊重し、既存の空間との呼応のなかでその状況に少しだけ介入することによって最大の効果を生み出そうとする手法。「コラボレーション」は主にコミュニケーションのデザインであり、新しい合意形成のための手法。多様な主体がコラボレーションする場合には、共通言語としてのメディアが必要になることが多い。またトライ&エラーを繰り返す都市実験(社会実験)の可能性を探る必要がある。特にこれまで失敗が許されなかったアーバンデザインにおいては、いかにエラーを許容して次の成功へと結びつけるか、という思想が求められる。「パフォーマンス」はまさに時間のデザインであり、それを経験する人にとって最高の価値を与えるイベントを実施する手法。単なるイベントではなく、持続可能なイベントの連続体としてのシステムをつくりあげることが求められる。同時に、イベントの内容についても新たなアクティビティを誘発するようなものであることが望ましい。以上3つの手法を用いながら、これまでの硬直的で合理的なアーバンデザインを時間価値創造のアーバンデザインへと変貌させることが、都市が縮小する時代に求められることだと結論付けられた。
一方、梶原氏(都市デザインシステム代表取締役)からは、高度経済成長期とは違った都市開発の事例が多数紹介された。既存の古いホテルをリノベーションして再生させた「ホテルクラスカ」や沖縄やベトナムにおける「森を増やすリゾート開発」など、これまでの自然破壊型開発とは違ったデザイン手法が示された。
田中氏(春蒔プロジェクト主宰)からは、アーティストやデザイナーが共有して使うワークスペースの提案や、既存の公園や緑地に乗り付けて必要な機能を提供するトレーラーの提案など、縮小する都市に必要な「共有(シェア)」の概念に基づいたアーバンデザイン手法が提示された。
岩本氏と墨屋氏(ともにボートピープルアソシエーション主宰)からは、使われなくなったバージ船を利活用したカフェや庭や会議スペースのプロジェクトが紹介された。多様な機能を付加されたバージ船が複数集まれば、海上にひとつの街をつくることができる。この移動可能な街こそが、陸上交通が寸断されてしまう震災時などに役立つのではないか、という提案がなされた。
今回のシンポジウムで発表されたように、柔軟なアイデアを活用しながら、膨大な行政負担をかけずに、民間の力をうまく組み合わて人口減少時代の都市経営に関する具体的な施策を展開することが重要である。人口減少時代の都市を考える際の前提条件が、成長時代とはまったく変わってしまっていることを改めて実感したシンポジウムだった。
山崎
はじめに大野教授(東京大学大学院)から「都市が縮小する時代の特徴」の整理がなされた。都市が拡大した時代と違って、都市が縮小する時代にはいかに豊かな時間を過ごすための空間を準備すべきかが課題になる。これまでの効率的な空間管理や空間整備から、人々が「いい時間を過ごすことができた」と思えるような価値をどのように生み出すのか。都市が縮小する時代のデザインは、このことを体現させるものでなかければならないとの指摘があった。
続いて、日高特任助手と山代助手(ともに東京大学大学院)による「空間占有のマネジメントから時間価値の創造へと移るアーバンデザインの手法」についての発表がなされた。大野先生の指摘する「いい時間を過ごしたと思える価値」を創造するために彼らが用いる手法は大きく3つに分かれており、それぞれ「インスタレーション」「コラボレーション」「パフォーマンス」と呼ぶ。「インスタレーション」は場所の文脈を尊重し、既存の空間との呼応のなかでその状況に少しだけ介入することによって最大の効果を生み出そうとする手法。「コラボレーション」は主にコミュニケーションのデザインであり、新しい合意形成のための手法。多様な主体がコラボレーションする場合には、共通言語としてのメディアが必要になることが多い。またトライ&エラーを繰り返す都市実験(社会実験)の可能性を探る必要がある。特にこれまで失敗が許されなかったアーバンデザインにおいては、いかにエラーを許容して次の成功へと結びつけるか、という思想が求められる。「パフォーマンス」はまさに時間のデザインであり、それを経験する人にとって最高の価値を与えるイベントを実施する手法。単なるイベントではなく、持続可能なイベントの連続体としてのシステムをつくりあげることが求められる。同時に、イベントの内容についても新たなアクティビティを誘発するようなものであることが望ましい。以上3つの手法を用いながら、これまでの硬直的で合理的なアーバンデザインを時間価値創造のアーバンデザインへと変貌させることが、都市が縮小する時代に求められることだと結論付けられた。
一方、梶原氏(都市デザインシステム代表取締役)からは、高度経済成長期とは違った都市開発の事例が多数紹介された。既存の古いホテルをリノベーションして再生させた「ホテルクラスカ」や沖縄やベトナムにおける「森を増やすリゾート開発」など、これまでの自然破壊型開発とは違ったデザイン手法が示された。
田中氏(春蒔プロジェクト主宰)からは、アーティストやデザイナーが共有して使うワークスペースの提案や、既存の公園や緑地に乗り付けて必要な機能を提供するトレーラーの提案など、縮小する都市に必要な「共有(シェア)」の概念に基づいたアーバンデザイン手法が提示された。
岩本氏と墨屋氏(ともにボートピープルアソシエーション主宰)からは、使われなくなったバージ船を利活用したカフェや庭や会議スペースのプロジェクトが紹介された。多様な機能を付加されたバージ船が複数集まれば、海上にひとつの街をつくることができる。この移動可能な街こそが、陸上交通が寸断されてしまう震災時などに役立つのではないか、という提案がなされた。
今回のシンポジウムで発表されたように、柔軟なアイデアを活用しながら、膨大な行政負担をかけずに、民間の力をうまく組み合わて人口減少時代の都市経営に関する具体的な施策を展開することが重要である。人口減少時代の都市を考える際の前提条件が、成長時代とはまったく変わってしまっていることを改めて実感したシンポジウムだった。
山崎
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