2006年6月4日日曜日

「その先の目標」

建築家の青木淳さんが、建築文化の特集号でこんな文章を書いている。「ぼくのちょっと上の世代はどういうわけか『やりたいこと』がいっぱい詰まっているように見えて、こどものとき、ぼくはずっと劣等感を持っていた。いま君がいちばんやりたいのは何か。よくそう聞かれたものだ。ぼくはそのたびごとに、え、そうなんだ、皆はそういうことをしっかり持っているんだと、自分が情けなくなったものだった。でもいつ頃からだったか、その劣等感が薄れて、そのかわりに、最初から『やりたいこと』があるという言い方の方が嘘っぽく聞こえるようになってきた。」

青木さんはこう書いた上で、設計も同じだ、と続ける。「設計はそもそも、与条件に先立って『やりたいこと』があってもぜんぜんしようのない作業である。内部空間と外部空間の融合という『コンセプト』をいくらたててみたところで、厳寒の北海道では凍死するのがオチだ。いつも設計者を離れて受け入れざるを得ない事柄がある。それを前提として何をどうすればいいのか。それに臨機応変に答えていくのが設計である。設計をしていると自分が透明になるのを感じる。与条件が、透明になった自分を通り過ぎて、かたちをつくっていく。それが面白い。そこに発見がある。思わぬことが起きる。最初からある『やりたいこと』を目指すのではこうはいかない。」

設計にも人生にも言えることだが、そこには2つの態度があるように思う。ひとつは最初から「やりたいこと」が決まっていて、それに向かって邁進する態度。もうひとつは「やりたいこと」が与条件によって変化し、その時々によって方向性を変える態度。僕はどちらかといえば、設計も人生も後者のほうが好きなタイプだ。そのほうが面白い空間ができあがるような気がするし、面白い人生になるような気がするのである。

ところが、周りの人にとっては僕の態度が前者、つまり「やりたいこと」に向かって突き進んでいるように見えるらしい。「何を目指しているんですか?」と問われることが多い。

その問いには答えようが無い。むしろ僕が知りたいくらいだ。この先がどうなるのかは特に考えないまま、いま「楽しそうだ」「やりがいがありそうだ」と感じる方向へ進んでいるだけなのだから。結果的に「こうなりました」という説明はできるのだが、「こうなりたいから今これに取り組むのです」とはいえない。いま僕がしていることは、何かになるために取り組んでいるわけではないのである。

僕にそういうことを尋ねる人達だって、僕の将来を心配してくれているわけではないだろう。僕の活動が、自分の想定する人生観の内側にあるかどうかを確認してみたいんだと思う。そこで僕が明確に「これを目指しています!」って言い切れればいいのだが、残念ながら僕は特に目指しているものがないので、その期待に応えられない。

1年ほど前から独立した立場で仕事をするようになった。特に自分の城を築きたかったわけではない。いろんな事務所の人と面白いプロジェクトをたくさんやりたかったからだ。「独立した立場になったら一緒に仕事をしよう」と言ってくれた人がいたことが大きな理由だろう。今年の4月から社会人ドクターとして研究にも携わるようになった。僕が取り組んでいたプロジェクトのひとつが、たまたま研究室の研究テーマに合っていたことがきっかけだった。博士課程で研究することを薦めてくれた人がいたからやる気になったのである。

特任講師として京都の芸術系大学へ勤務することになった。それまで非常勤講師として関わっていた僕を、専任講師として関わることができるよう大学側に推薦してくれた人がいたから実現した。芸術系大学の学生と接することは僕にとっても大きな刺激になりそうだ、ということでお引き受けした。

非常勤講師として大阪の専門学校で授業を担当することになった。建築設計事務所に勤める先輩が紹介してくれたのでお引き受けした。建築系の専門学校で環境デザインを教えるという立場が気に入っている。

兵庫県が持っている研究所の非常勤研究員として、安心・安全のまちづくりなどについて研究することになった。以前仕事でご一緒した先生が誘ってくれたことがきっかけである。その先生は経済学が専門で、僕たちとは違った視点から鋭い指摘をしてくれる。そんな先生が所長を務める研究所で研究ができるということなので、喜んで非常勤研究員をお引き受けした。

ここ1年の間に起きた変化を思い出しても、すべて「その先がどうなるのか」を想定していないことがわかる。誘ってくれたり紹介してくれたりする人がいて、それが面白そうだと感じたから引き受けた、というのがほとんどである。その結果どうなるのかというのは何も想定していない。というか、僕には想定しようがない。どうなるのかがわからないのである。僕にできることは、変化のきっかけを与えてくれた人達の期待に応えられるよう努力することだけだ。この人達には本当に感謝しているから。

人生の目標を設定して、それを達成するために計画的な生き方をすることができない僕の場合、せめて「面白そうだと感じたことに躊躇せずに飛び込む」という態度くらいは大切にしたいと考えている。

もちろん、「楽しいと思ったことをやるだけさ」という態度もいずれ変わるかもしれない。数年後には「やっぱり計画的な人生さ」と言っている可能性だってある。計画的な人生について語ることが楽しいと思えば、僕はきっとそうするだろう。適当な人生の目標を仮設定して。


山崎

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