2008年1月23日水曜日

政治家への近道は松下政経塾ではなく吉本興業なのか

大阪府知事選に橋下氏が当選した。38歳だという。いろんな不安はあるものの、知事としてはちょうどいい若さだと思う。若い知事にはできないことがたくさんあるだろうけれど、若い知事にしかできないこともまたたくさんある。にも関わらず、できないことばかりが強調されて、これまで30代の知事がほとんど誕生しなかった(橋下氏が戦後4人目だという)。経験が無ければ分からないことは、人生経験豊富なブレーンたちと相談すればいい。けん引役は、やっぱり若いほうがいいと思う。その意味では、知事というのはそもそもタレント的な要素を持っているものなのかもしれない。

ただし、タレントが軒並み当選するという昨今の選挙には首を傾げたくなるところが多い。有権者の判断に対して首を傾げたくなるのである。橋下氏も政策は強調せず、とにかくイメージ戦略で攻めたと公言する。政策というのは、とかく小難しくなるから、結局知名度と分かりやすさのイメージが重要になるのだろう。しかし、政治家が政策ではなくイメージだけで勝負できてしまうのであれば、当選後の政策にはほとんど期待できないし、そもそも期待してはいけないことになる。何しろ、有権者はイメージだけで投票しているのだから。「それでもいい」と考えての有権者判断なのだろうか。それとも、そんなことはほとんど考えていないのだろうか。

「選挙のデザイン」についても、同じような構図が当てはまりそうだ。僕は現在大阪府民ではないのだが、今回の「大阪府知事選挙選挙公報」を見る機会があった。新聞みたいなモノクロの紙で、すべての候補者が提出した原稿が掲載されたものである。そこには、顔写真やプロフィールや本人の主張や公約が掲げられている。

そのデザインが、いずれも「オシャレ」なものではないということが気になった。当選した橋下氏をはじめ、有力な候補者だった熊谷さんも梅田さんも、いずれもクールな紙面デザインではなく、分かりやすく、どこかで見たことのあるような、普通のデザインなのである。どちらかと言えば、わざと少しダサくしたようなデザインである。

そういえば、選挙のポスターや選挙公報については、カッコよくデザインされたものをあまり目にしない。その必要が無いのだろうか。最先端のデザインの力は、そこに効力を発揮しないのであろうか。

オシャレなデザインというのは、そのオシャレさゆえに人々との間に少し距離を作り出す。オシャレなレストランやセレクトショップなどに入るときの緊張感が典型的である。ちょっと特別なイメージをつくりだし、ユーザーの日常からの距離感を作り出す。この効果は、選挙公報やポスターに求められない種類の効果なのかもしれない。むしろ、親しみのわく、距離感を縮めて感じさせてくれるようなデザインが必要なのだろう。ちなみに、選挙公報の橋下氏の欄には、本人がラグビーボールを持って走るイラストが掲載されている。いわゆる有名デザイナーが絶対にやらないデザインである。

ひょっとしたら、現代の選挙というのは「一流」を隠すことが重要なのかもしれない。一流の政治家が政策を戦わせようとしても選挙に負ける。そんなに小難しいことは有権者に伝わらないからであり、そもそも有権者のほとんどが小難しいことを知りたがらない。それよりもタレントで知名度が高いことが重要なのである。小泉元首相のような劇場型の政治家がウケる。同様に、一流のデザイナーがデザインしたオシャレな広報は有権者にウケない。有権者は、もっと既視感の高いデザイン、どこかで見たことのあるような「親しみやすい」デザインを求めている。そういうことなのかもしれない。

しかし本当にそれでいいのだろうか、と首を傾げたくなるのである。

山崎

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