数年前から「ランドスケープエクスプローラー」という活動に関わっている。ランドスケープに関わる計画者、設計者、研究者が集まるグループで、関西を中心に活動している。
ランドスケープエクスプローラーの活動から生まれた本が出版されることになった。タイトルは「マゾヒスティック・ランドスケープ」。マゾなランドスケープを目指そう、という本である。
グリッドとストライプで美しい風景を作り出そうというランドスケープのアプローチがあることは否定しない。そうやって作り出された美しい広場があることも知っている。しかし、僕らがそういう広場を使うとき、その美しさがゆえにどうもよそよそしく振舞わなければならないことが多いのも事実だ。「風景が人を美しくする」という言葉はきれいだが、美しく振舞わなければならない空間ばかりだと肩がこる。毎日オシャレなカフェでランチを食べなければならないことになると疲れるのと同じで、都市空間は緊張感を強いるようなオシャレ空間ばかりじゃ落ち着かない。
むしろ、自分達で改変できたり、使いこなすことができたり、別の使い方ができたり、作り出したりできるようなランドスケープがあってもいいんじゃないか。行く度に風景が変わっていて、誰かが使いこなした跡が残っているような空間があってもいいんじゃないか。そんなことを考えた。
グリッドとストライプで美しくつくった風景は、設計者によって「これが美しい風景である」と押し付けられた風景だと考えられないか。そう考えて、それらを「サディスティック・ランドスケープ」と呼んだ。いや、ランドスケープエクスプローラーのメンバー全員がそう呼んだわけではない。僕の心の中だけでそう呼んだのである。そう呼ぶと、僕らが目指したい風景が少し明確になる。デザイナーやプランナーが「美しい風景」をサディスティックに押し付けるのではなく、ユーザーが風景を使いこなして改変してしまうような「マゾヒスティック・ランドスケープ」。そんな被虐的な風景の成立を模索してみたいと思う。
そんなことを考えたのは、当時の僕が澁澤龍彦さんの本を読み漁っていたからだろう。「貢献するエゴイズム」とか「民営化」とか「ほとんど誰もが賛成」などという斜に構えたキーワードを出したのも、澁澤さんの影響だったように思う。
書店で「マゾヒスティック・ランドスケープ」を見かけたら、ぜひ手にとってナカミをご覧いただきたい。で、もし気に入ったらご自身のライブラリーに加えていただきたい。最もお願いしたいことは、同書を読んで感じたことをコメントしていただきたいということ。ぜひとも忌憚のないご意見をお聞かせ願いたい。
山崎
2006年3月20日月曜日
2006年3月15日水曜日
「歩いて暮らす街」
かつて、我々studio-Lが「環濠生活」という冊子を通じて堺市の旧環濠地区に対して行った提案は「歩いて生活する街」だった。旧環濠地区に暮らす人の「生活時間」を調べ、街を歩きまわれる時間がどれだけあるのかを明らかにした。また「生活領域」を調べ、日常生活で歩いている距離がどれだけ狭いのかを明らかにした。
その上で、歩くきっかけとして「環濠動物園」というテーマを設定し、旧環濠地区内で見ることができる動物の置き物をすべてプロットした。家の前庭や出窓、ショップの入口や遊具広場など、旧環濠地区内のあらゆる場所にある動物の置き物をすべて地図上のプロットし、それを生活者に紹介することによって少し寄り道する経路を増やそうというのが狙いだった。
こうしたテーマに基づいて、旧環濠地区内に歩行者用の空間を増やすことを提案した。なかには生活者が沿道の合意を形成してアスファルトを勝手にはがしてしまえばいい、という提案もあった。ヒートアイランド現象の軽減と水源涵養機能の復活を意図したアスファルト剥がしプロジェクトだった。
旧環濠地区内に歩行者空間が広がれば、現存する駐車場は少しずつ必要なくなるだろう。必要なくなった駐車場を広場に変えていくことも提案した。コインパーキングのアスファルトを剥がして市民農園に変える「コインファーム」。コインファームに供給する堆肥を集約的に作り出す「コンポストパーク」。環濠の水質を浄化するための「汐入公園」。各地で剥がされたアスファルトを蓄積して小高い丘を作る「ガラ公園」。駐車場が減ることによって、個性豊かな広場や公園が増えることを夢みた提案だった。
そんな夢のような提案を、しかしゆっくりと実現している都市があることを知った。デンマークのコペンハーゲン。40年かけて中心市街地から自動車を排除し、歩行者空間を増やし、駐車場を広場に変えている。300円程度で借りられるレンタル自転車の駐輪場を増やし、歩行者や自転車利用者を中心とした市街地形成を目指している。
コペンハーゲンも堺も、かつては世界レベルの貿易港を抱える港町だった。いま、コペンハーゲンはアーバンデザイナーであるヤン・ゲールの助言のもと、新しい街に生まれ変わりつつある。政令指定都市になる堺はどうか。世界的な自転車メーカーであるシマノを有する堺市が中心市街地でできることは、まだまだあるように思う。
山崎
その上で、歩くきっかけとして「環濠動物園」というテーマを設定し、旧環濠地区内で見ることができる動物の置き物をすべてプロットした。家の前庭や出窓、ショップの入口や遊具広場など、旧環濠地区内のあらゆる場所にある動物の置き物をすべて地図上のプロットし、それを生活者に紹介することによって少し寄り道する経路を増やそうというのが狙いだった。
こうしたテーマに基づいて、旧環濠地区内に歩行者用の空間を増やすことを提案した。なかには生活者が沿道の合意を形成してアスファルトを勝手にはがしてしまえばいい、という提案もあった。ヒートアイランド現象の軽減と水源涵養機能の復活を意図したアスファルト剥がしプロジェクトだった。
旧環濠地区内に歩行者空間が広がれば、現存する駐車場は少しずつ必要なくなるだろう。必要なくなった駐車場を広場に変えていくことも提案した。コインパーキングのアスファルトを剥がして市民農園に変える「コインファーム」。コインファームに供給する堆肥を集約的に作り出す「コンポストパーク」。環濠の水質を浄化するための「汐入公園」。各地で剥がされたアスファルトを蓄積して小高い丘を作る「ガラ公園」。駐車場が減ることによって、個性豊かな広場や公園が増えることを夢みた提案だった。
そんな夢のような提案を、しかしゆっくりと実現している都市があることを知った。デンマークのコペンハーゲン。40年かけて中心市街地から自動車を排除し、歩行者空間を増やし、駐車場を広場に変えている。300円程度で借りられるレンタル自転車の駐輪場を増やし、歩行者や自転車利用者を中心とした市街地形成を目指している。
コペンハーゲンも堺も、かつては世界レベルの貿易港を抱える港町だった。いま、コペンハーゲンはアーバンデザイナーであるヤン・ゲールの助言のもと、新しい街に生まれ変わりつつある。政令指定都市になる堺はどうか。世界的な自転車メーカーであるシマノを有する堺市が中心市街地でできることは、まだまだあるように思う。
山崎
2006年2月8日水曜日
「騒がない街」
大阪府堺市。大阪市の南側に隣接する人口80万人の都市である。最近、この堺がにわかに騒ぎ始めている。政令指定都市になるというのである。相当嬉しいのだろう。千利休や与謝野晶子まで持ち出して「いよいよですね」などというポスターをあちこちに掲げている。
しかし、よく考えてみれば不思議な騒ぎ方だ。明治時代には、現在の奈良県にまで渡る広大な土地を取りまとめる「堺県」だった堺。そんな堺が、政令指定都市になるということぐらいで騒いでいるのだ。けなげである。過去の威光を顧みず、県だった時代のことなど持ち出さず、単純に政令指定都市への昇格を喜んでいるのである。
思えば堺は昔から「過去にすがらない街」だった。茶の湯の大家、千利休が庵を結んだ場所は、いまやどこにでもあるメッシュフェンスで囲われた単なる空き地として野ざらしになっている。かの与謝野晶子が生まれた生家跡は、道路脇の植栽帯に埋もれるような碑によって示されるのみである。千利休にすがらない。与謝野晶子を担ぎ出さない。過去の偉人を褒め称え、博物館や記念館を作ってしまう自治体がある。油断すれば堺だって「千利休博物館」や「与謝野晶子資料館」を作ってしまう危険性があったはずだ。しかし、堺には確固たる意思が存在した。過去の偉人は過去のもの。我々はこれからも過去を凌ぐ偉人を輩出する自信がある。千利休の庵跡や与謝野晶子の生家跡を過度に祀り上げる必要なんて無い。むしろ、今まさに育ちつつある現代の利休や与謝野に投資すべきである。そんな気概を感じるほど、千利休庵跡や与謝野晶子生家跡はみすぼらしい。
かつて百万石の城下町だったことをウリにする街がある。利休がお茶会を開いた場所に記念碑を建てる街がある。与謝野晶子が歩いた階段に彼女の詩を刻む街がある。しかし堺は騒がない。表千家、裏千家ともに聖地とあがめる千利休庵跡を放置する。世の歌人が一度は訪れたいと思う与謝野晶子生家跡を道路の植栽帯に埋没させる。そんなものを担ぎ出してもしょうがないのである。「騒がない街」堺。僕らはそんな堂々とした堺に惚れ込んでいるのである。
ところが上述の事態である。政令指定都市になるからといって、堺は千利休や与謝野晶子を担ぎ出してしまっている。過去にすがろうとしている。僕らは声を大にして伝えたい。「堺よ、騒ぐな」と。過去の偉人を担ぎ出せば出すほど、現在の堺に自信が持てないことを吐露していることになる。現在の市民には大した人間がいないということを示すことになる。千利休は偉い。与謝野晶子もすごい。でも、それはそれだ。今の堺にもっと自信を持って、未来の偉人達に想いを馳せるべきではないか。
そんな気持ちを込めて、僕らはここに「騒がない街」プロジェクトを発足する。このプロジェクトでは、これまで堺がいかに「騒がなかった」のかを示すことにしたい。日本最大の古墳「仁徳天皇陵」や日本最古の木製灯台「旧堺港灯台」を有していても、ゆかりのまんじゅうを作ったりしない。沢口靖子や野茂英雄やコブクロといった有名人を輩出しても、彼らはテレビでほとんどお国自慢をしない(むしろ堺出身であることを隠すかのようだ)。東京の銀座がネーミングを真似したほど活況を極めた「堺銀座」も、東京の銀座とは違って「騒がない」路線を突き進む。そんな堂々とした「騒がない街」の片鱗を探し出して記録するとともに、ほかの街が「歴史上の人物」で、「有名人」で、「特産物」で、「歴史的建造物」で、いかに騒いでいるのかを対比的に記録しておきたい。
無駄に騒がないけど一目置かれている街。堺はいつでもそんな街であってほしい。
山崎
しかし、よく考えてみれば不思議な騒ぎ方だ。明治時代には、現在の奈良県にまで渡る広大な土地を取りまとめる「堺県」だった堺。そんな堺が、政令指定都市になるということぐらいで騒いでいるのだ。けなげである。過去の威光を顧みず、県だった時代のことなど持ち出さず、単純に政令指定都市への昇格を喜んでいるのである。
思えば堺は昔から「過去にすがらない街」だった。茶の湯の大家、千利休が庵を結んだ場所は、いまやどこにでもあるメッシュフェンスで囲われた単なる空き地として野ざらしになっている。かの与謝野晶子が生まれた生家跡は、道路脇の植栽帯に埋もれるような碑によって示されるのみである。千利休にすがらない。与謝野晶子を担ぎ出さない。過去の偉人を褒め称え、博物館や記念館を作ってしまう自治体がある。油断すれば堺だって「千利休博物館」や「与謝野晶子資料館」を作ってしまう危険性があったはずだ。しかし、堺には確固たる意思が存在した。過去の偉人は過去のもの。我々はこれからも過去を凌ぐ偉人を輩出する自信がある。千利休の庵跡や与謝野晶子の生家跡を過度に祀り上げる必要なんて無い。むしろ、今まさに育ちつつある現代の利休や与謝野に投資すべきである。そんな気概を感じるほど、千利休庵跡や与謝野晶子生家跡はみすぼらしい。
かつて百万石の城下町だったことをウリにする街がある。利休がお茶会を開いた場所に記念碑を建てる街がある。与謝野晶子が歩いた階段に彼女の詩を刻む街がある。しかし堺は騒がない。表千家、裏千家ともに聖地とあがめる千利休庵跡を放置する。世の歌人が一度は訪れたいと思う与謝野晶子生家跡を道路の植栽帯に埋没させる。そんなものを担ぎ出してもしょうがないのである。「騒がない街」堺。僕らはそんな堂々とした堺に惚れ込んでいるのである。
ところが上述の事態である。政令指定都市になるからといって、堺は千利休や与謝野晶子を担ぎ出してしまっている。過去にすがろうとしている。僕らは声を大にして伝えたい。「堺よ、騒ぐな」と。過去の偉人を担ぎ出せば出すほど、現在の堺に自信が持てないことを吐露していることになる。現在の市民には大した人間がいないということを示すことになる。千利休は偉い。与謝野晶子もすごい。でも、それはそれだ。今の堺にもっと自信を持って、未来の偉人達に想いを馳せるべきではないか。
そんな気持ちを込めて、僕らはここに「騒がない街」プロジェクトを発足する。このプロジェクトでは、これまで堺がいかに「騒がなかった」のかを示すことにしたい。日本最大の古墳「仁徳天皇陵」や日本最古の木製灯台「旧堺港灯台」を有していても、ゆかりのまんじゅうを作ったりしない。沢口靖子や野茂英雄やコブクロといった有名人を輩出しても、彼らはテレビでほとんどお国自慢をしない(むしろ堺出身であることを隠すかのようだ)。東京の銀座がネーミングを真似したほど活況を極めた「堺銀座」も、東京の銀座とは違って「騒がない」路線を突き進む。そんな堂々とした「騒がない街」の片鱗を探し出して記録するとともに、ほかの街が「歴史上の人物」で、「有名人」で、「特産物」で、「歴史的建造物」で、いかに騒いでいるのかを対比的に記録しておきたい。
無駄に騒がないけど一目置かれている街。堺はいつでもそんな街であってほしい。
山崎
2006年1月25日水曜日
「アーバンデザインとランドスケープデザイン」
書評を書いた関係で、訳者である日本都市総合研究所の加藤源さんに会う。加藤さんから、アーバンデザインの仕事についていろいろ教えていただいた。
ランドスケープデザインが描ける風景は、アーバンデザインによって規定されている。話を聞いていて、ふとそんなことを考えた。いろいろな事業メニューを組み合わせて、都市空間のなかで扱える公共空間を増やしたり連続させたりするのがアーバンデザインだとすれば、ランドスケープデザインはそうやって増やしたり連続したりしてもらった公共空間に風景を作り出す仕事だといえよう。つまり、アーバンデザインが風景を作り出す枠組みを作り出し、ランドスケープデザインはその枠組みの中に風景らしきものを作り出しているだけだといえよう。
もちろん、ランドスケープデザインが敷地外へ繋がる風景を描ききってしまうからこそ、アーバンデザインがそれを実行するために事業メニューを組み合わせるという手順もあるだろう。いずれにしても優れたアーバンデザインが無ければランドスケープデザインは絵に描いた餅だということがよく分かった。
問題は、これから都市が小さくなっていくときにアーバンデザインは何をすべきか、ということである。加藤さんにも明確な答えはないらしい。人口減少時代の都市におけるシュリンクポリシーをどう設定するのか。これはランドスケープデザインにも関係する問題である。またもやアーバンデザインが都市の縮小事業メニューを構築し、そのメニューの規定に沿ってランドスケープデザインは緑を増やすことだけに専念するのか。あるいは、その事業メニューを確立する場にランドスケープデザインが介入するのか。それによって、縮小される都市の風景はまったく違ったものになるだろう。
山崎
ランドスケープデザインが描ける風景は、アーバンデザインによって規定されている。話を聞いていて、ふとそんなことを考えた。いろいろな事業メニューを組み合わせて、都市空間のなかで扱える公共空間を増やしたり連続させたりするのがアーバンデザインだとすれば、ランドスケープデザインはそうやって増やしたり連続したりしてもらった公共空間に風景を作り出す仕事だといえよう。つまり、アーバンデザインが風景を作り出す枠組みを作り出し、ランドスケープデザインはその枠組みの中に風景らしきものを作り出しているだけだといえよう。
もちろん、ランドスケープデザインが敷地外へ繋がる風景を描ききってしまうからこそ、アーバンデザインがそれを実行するために事業メニューを組み合わせるという手順もあるだろう。いずれにしても優れたアーバンデザインが無ければランドスケープデザインは絵に描いた餅だということがよく分かった。
問題は、これから都市が小さくなっていくときにアーバンデザインは何をすべきか、ということである。加藤さんにも明確な答えはないらしい。人口減少時代の都市におけるシュリンクポリシーをどう設定するのか。これはランドスケープデザインにも関係する問題である。またもやアーバンデザインが都市の縮小事業メニューを構築し、そのメニューの規定に沿ってランドスケープデザインは緑を増やすことだけに専念するのか。あるいは、その事業メニューを確立する場にランドスケープデザインが介入するのか。それによって、縮小される都市の風景はまったく違ったものになるだろう。
山崎
2005年11月29日火曜日
「もてなしの精神」
日本地図を見ると、北海道の東側にサロマ湖という湖があるのに気づく。オホーツク海と繋がるか繋がらないかという薄い陸地を隔てた湖。特異なカタチをしている。小学生の頃から気になっていた地形だ。サロマ湖は、果たして海に繋がっているのか、いないのか。ちょっと大きな波が来れば、細長い陸地を越えて湖に海水が入り込んでしまうのではないか。そんな疑問を持っていた湖である。
そんなサロマ湖を有する佐呂間町で、まちづくりのワークショップが行われている。そのワークショップに参加してコメントして欲しいという依頼があったので、冬の佐呂間町へ行くことになった。北海道の東側の冬である。想像を絶する寒さであったことは言うまでもない。
サロマ湖は、想像していたよりも大きな湖だった。関西の琵琶湖、関東の霞ヶ浦に続いて日本で3番目に大きな湖だということも初めて知った。さらに驚いたのは、細長く続く陸地が人の手によって切られていて、そこから湖に海水が入り込んでいるということ。昭和20年代に、サロマ湖でホタテの養殖ができるように海水を入れたのだという。ホタテを養殖するためとはいえ、細長い陸地を人の手で掘削し、海水を湖に流し込んだのは思い切った決断だ。今なら環境アセスメントのプロセスで必ず問題になる行為だろう。
佐呂間町のワークショップは商工会の青年部によって行われている。まちづくりと言っても、まずは何をするのか考えようという段階だった。僕が伝えたかったのは、「誰かのためのまちづくり」ではなく「自分達が楽しいと思えるまちづくり」にしないと長続きしないということ。まずは「楽しいと思うこと」を「楽しそうに実施してみること」が大切で、その姿を見たまちの人達が参加したくなるような活動を展開することがまちづくりのきっかけになる。そんなことをお話した。
印象的だったのは、ワークショップが終わった後にメンバー全員と一緒にした食事のこと。オホーツク海に面した街ならではの豪快な海の幸は、これまでに目にしたことに無いような豪華さだった。ウニやイクラやホタテやカニというのは、きっとこんなふうに食べるべきものではないんだろうと思いながら、僕はどんぶりいっぱいの海産物を食べ続けた。いずれも佐呂間町で採れたものばかりなので値段はそれほど高くない、という話だったが、逆にそれほど贅沢な話は無いと僕は唸った。
佐呂間町には「おもてなし」の精神が息づいている。来客が食べきれないほどの料理を出してもてなすこと。その行為が自分達の尊厳に結びついていること。しばらく体験したことのない「もてなしの精神」を存分に感じることができた。東京や大阪では感じることのない種類の気持ちを味わうことができた。僕は佐呂間町が大好きになった。商工会青年部の人達もいい人ばかりだった。今度は夏に訪れてみたい。きっと風景も好きになることだろう。
山崎
そんなサロマ湖を有する佐呂間町で、まちづくりのワークショップが行われている。そのワークショップに参加してコメントして欲しいという依頼があったので、冬の佐呂間町へ行くことになった。北海道の東側の冬である。想像を絶する寒さであったことは言うまでもない。
サロマ湖は、想像していたよりも大きな湖だった。関西の琵琶湖、関東の霞ヶ浦に続いて日本で3番目に大きな湖だということも初めて知った。さらに驚いたのは、細長く続く陸地が人の手によって切られていて、そこから湖に海水が入り込んでいるということ。昭和20年代に、サロマ湖でホタテの養殖ができるように海水を入れたのだという。ホタテを養殖するためとはいえ、細長い陸地を人の手で掘削し、海水を湖に流し込んだのは思い切った決断だ。今なら環境アセスメントのプロセスで必ず問題になる行為だろう。
佐呂間町のワークショップは商工会の青年部によって行われている。まちづくりと言っても、まずは何をするのか考えようという段階だった。僕が伝えたかったのは、「誰かのためのまちづくり」ではなく「自分達が楽しいと思えるまちづくり」にしないと長続きしないということ。まずは「楽しいと思うこと」を「楽しそうに実施してみること」が大切で、その姿を見たまちの人達が参加したくなるような活動を展開することがまちづくりのきっかけになる。そんなことをお話した。
印象的だったのは、ワークショップが終わった後にメンバー全員と一緒にした食事のこと。オホーツク海に面した街ならではの豪快な海の幸は、これまでに目にしたことに無いような豪華さだった。ウニやイクラやホタテやカニというのは、きっとこんなふうに食べるべきものではないんだろうと思いながら、僕はどんぶりいっぱいの海産物を食べ続けた。いずれも佐呂間町で採れたものばかりなので値段はそれほど高くない、という話だったが、逆にそれほど贅沢な話は無いと僕は唸った。
佐呂間町には「おもてなし」の精神が息づいている。来客が食べきれないほどの料理を出してもてなすこと。その行為が自分達の尊厳に結びついていること。しばらく体験したことのない「もてなしの精神」を存分に感じることができた。東京や大阪では感じることのない種類の気持ちを味わうことができた。僕は佐呂間町が大好きになった。商工会青年部の人達もいい人ばかりだった。今度は夏に訪れてみたい。きっと風景も好きになることだろう。
山崎
2005年8月16日火曜日
「OSOTO始動」
ランドスケープエクスプローラーの忽那氏から連絡があった。(財)大阪府公園協会に企画書を出していたOSOTOの編集を手伝うことになったという。
大阪府の外郭団体としては画期的な決断をしたんじゃないか。僕はそんな風に感じた。大阪府公園協会が出す雑誌なのに、ほかの公園に比べておもしろくなければ大阪府営公園は紹介しないことにする。そんな企画書を読んで「よし、やろう!」と決断したのである。すごいことだと思う。
OSOTOを使いこなす人を紹介することによって、自分なりにOSOTOを使いこなす人が増えたとする。そんな風景を生み出すことができれば、それもランドスケープデザイナーの仕事だといえるのではないか。そう考えると、ぜひともOSOTOの編集に携わるべきだと思えてきた。
さっそくグラフィックデザイナーやライターを集めて編集会議を実施しなければ。。。編集会議ってどんな風に進めるんだろう。。。
山崎
大阪府の外郭団体としては画期的な決断をしたんじゃないか。僕はそんな風に感じた。大阪府公園協会が出す雑誌なのに、ほかの公園に比べておもしろくなければ大阪府営公園は紹介しないことにする。そんな企画書を読んで「よし、やろう!」と決断したのである。すごいことだと思う。
OSOTOを使いこなす人を紹介することによって、自分なりにOSOTOを使いこなす人が増えたとする。そんな風景を生み出すことができれば、それもランドスケープデザイナーの仕事だといえるのではないか。そう考えると、ぜひともOSOTOの編集に携わるべきだと思えてきた。
さっそくグラフィックデザイナーやライターを集めて編集会議を実施しなければ。。。編集会議ってどんな風に進めるんだろう。。。
山崎
2005年8月3日水曜日
「OSOTO」
大阪府の外郭団体に(財)大阪府公園協会という団体がある。大阪府営公園の管理を任されている団体だ。
その公園協会が「現代の公園」という冊子を年1回発行している。大阪府の役人や外郭団体の職員、大学の先生などが論考を掲載する冊子で、一般の書店などでは手に入らない。「すっげー、おもしろい!」という本でもない。
この本を廃刊にしよう、という話が持ち上がったらしい。公園協会の若手職員に優秀な人がいて、廃刊にするくらいなら一般の書店でも売れるような「すっげー、おもしろい!」という雑誌にリニューアルしようじゃないか、と言い出した。
言い出したのはいいが、具体的にどうすればそんな雑誌ができるのかわからない。ということで、僕たちランドスケープエクスプローラーに相談が来た。
僕らだってよく分からない。でも、僕はこう思う。公園協会が発刊する雑誌だからといって公園のことばかり、特に府営公園のことばかり掲載するのはよくない。読者が固定されてしまうし、そんな雑誌は一般の人が読みたいとは思えない。公園に来てください!という前に、まずは家から外へ出てください!と呼びかけるべきではないか。オソトをこんな風に使いこなすとオシャレですよ。海外ではこんなオソトの使い方が普通なんですよ。既にこんなことをオソトで愉しんでいる人達がいますよ。そんなことを紹介する雑誌はつくれないか。オソトを使いこなすライフスタイルマガジン。そんな雑誌をつくってみたいと思った。
ランドスケープエクスプローラーの代表である忽那氏とそんな話をしていたら、「それなら雑誌のタイトルはOSOTOでどう?」ということになった。
まずはオソトに出ること。オープンカフェでもストリートダンスでもいいからオソトで活動すること。そのなかに何割かが公園を使ってくれるんじゃないか。さらにそのうちの何割かが府営公園を使ってくれるんじゃないか。そんな期待をこめながら、OSOTOの企画書を書くことにした。
大阪府公園協会の雑誌にも関わらず、府営公園が1ページも紹介されないことになるかもしれない。大阪府の職員に記事を書いてもらうページがなくなるかもしれない。大阪府の公園の批判する記事が掲載されるかもしれない。それでも作らせてくれるのであれば、OSOTOの編集をお手伝いさせてもらいたいと思う。
山崎
その公園協会が「現代の公園」という冊子を年1回発行している。大阪府の役人や外郭団体の職員、大学の先生などが論考を掲載する冊子で、一般の書店などでは手に入らない。「すっげー、おもしろい!」という本でもない。
この本を廃刊にしよう、という話が持ち上がったらしい。公園協会の若手職員に優秀な人がいて、廃刊にするくらいなら一般の書店でも売れるような「すっげー、おもしろい!」という雑誌にリニューアルしようじゃないか、と言い出した。
言い出したのはいいが、具体的にどうすればそんな雑誌ができるのかわからない。ということで、僕たちランドスケープエクスプローラーに相談が来た。
僕らだってよく分からない。でも、僕はこう思う。公園協会が発刊する雑誌だからといって公園のことばかり、特に府営公園のことばかり掲載するのはよくない。読者が固定されてしまうし、そんな雑誌は一般の人が読みたいとは思えない。公園に来てください!という前に、まずは家から外へ出てください!と呼びかけるべきではないか。オソトをこんな風に使いこなすとオシャレですよ。海外ではこんなオソトの使い方が普通なんですよ。既にこんなことをオソトで愉しんでいる人達がいますよ。そんなことを紹介する雑誌はつくれないか。オソトを使いこなすライフスタイルマガジン。そんな雑誌をつくってみたいと思った。
ランドスケープエクスプローラーの代表である忽那氏とそんな話をしていたら、「それなら雑誌のタイトルはOSOTOでどう?」ということになった。
まずはオソトに出ること。オープンカフェでもストリートダンスでもいいからオソトで活動すること。そのなかに何割かが公園を使ってくれるんじゃないか。さらにそのうちの何割かが府営公園を使ってくれるんじゃないか。そんな期待をこめながら、OSOTOの企画書を書くことにした。
大阪府公園協会の雑誌にも関わらず、府営公園が1ページも紹介されないことになるかもしれない。大阪府の職員に記事を書いてもらうページがなくなるかもしれない。大阪府の公園の批判する記事が掲載されるかもしれない。それでも作らせてくれるのであれば、OSOTOの編集をお手伝いさせてもらいたいと思う。
山崎
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