フランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館のように「金属の花」といわれるような入り組んだ架構が、ガウディの建物の数十分の一の時間と労力で完成してしまう。これこそ「進歩」であり何の問題も無いと思われるかもしれないが、そうとも言い切れない。つまり長い時間と手間をかけて、多くの関係者の頭脳、技術そして労働力を集約するからこそ、精神的な価値観と文化的な象徴性を地域の人が共有できるのかもしれない。
大島さんの指摘は正しいと思う。郊外住宅地の開発に見られる感情的な問題のうち、大きな比率を占めるのがスピードの問題である。開発の速度が速すぎるため、今まで土地に住んできた人たちにとっては変化が「突然」すぎるのである。
従来、地域は少しずつゆっくり変化してきた。旧市街地でもそれは変わらない。都心部の再開発問題で取り上げられるのは日照権など目に見えるものが多いが、実は異質なものが「突然」地域に入り込んでくることに対する心理的な抵抗感が背景にあるように思う。
環境問題もスピードの問題に関わる。つまり、人間の開発速度が自然の回復速度を上回ってしまうから環境問題が顕在化するわけだ。人間の手で少しずつ自然を開墾している場合、それほど大きな問題は起きないし、結果的に里山などの豊かな2次自然環境が出来上がることも多い。問題は人間の手の力を大幅に上回る機械を導入し始めたときに起きる。機械による開発は、自然の回復能力を凌駕するスピードを持ってしまうからだ。
里山に子どもの遊び場を作る。5年前にそんな計画を担当した。今までのやり方なら、里山の木を切って土地を造成して、自分がデザインした遊具を配置しただろう。でも、当時の僕はそうしたくなかった。速度の問題である。里山の中に遊び場を「突然」作り上げても、それはあまりハッピーなことではない。部分的に「里山ゾーン」を残すことも嘘くさい。「里山ゾーン」と「遊具ゾーン」の持つ速度がバラバラだとすれば、2つのゾーンが隣り合っている理由は見当たらない。
以来5年間、その遊び場はゆっくりと作られている。今年の夏も、50人の子どもと50人の大学生が遊び場を作り続けた。来週も1泊2日で遊び場の続きを作る。5年前に子どもだった参加者が大学生になって戻ってきている。遊び場が成長する速度と子どもが成長する速度が一致し始めていることを感じている。
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Unicef Park Project 2004
山崎