2008年12月29日月曜日

雑記

午前10時から建築家の吉永氏とスタジオにて打合せ。団地を環境資産としてうまく活かしたソフトツーリズムについて議論した。団地はすでに「懐かしい」存在になりつつある。また、平成生まれの若者にとっては住んだことのない珍しい住居となりつつある。こうした「懐かしさ」と「希少性」をうまく活用した団地エコツーリズムを実験的に展開してみたいと思う。

午後2時からは東京のランドスケープデザイン事務所に勤務する小竹さんと打合せ。病院のランドスケープデザインについて検討した。入院者やスタッフが一緒になって森をつくりつづけるランドスケープデザインについて提案した。また、こうしたコンセプトを説明するための段階的なダイアグラムの表現方法について、具体的な事例を用いて説明した。

午後4時からはOCTの卒制ゼミ。3人のゼミ生がそれぞれ提案内容を固めたので、それらをパネルでうまく表現するための方法などについて検討した。自殺問題、森林管理の問題、食料自給率の問題と、3人が3人とも社会的な課題を解決するきっかけとなる建築のデザインを提案している。単に目新しい建築の形態を追い求めるだけではない、興味深い卒業制作になることだろう。

午後7時から、NPO法人パブリックスタイル研究所の忘年会へ。理事長である忽那裕樹氏の自宅を忘年会会場にしていただくことができたため、そこで夜中まで「パブリックスタイル」について議論した。いずれ「パブリックスタイル」に関する本を出版しようという話から、パブリックスタイルアワードなるものを設定して、勝手に良好なオープンスペースや活動を表彰してしまおうという話まで、僕たちのNPOができることについて語り合った。

2008年12月28日日曜日

教科書ミーティング

ランドスケープデザインの教科書を作成するというプロジェクトのミーティングを行う。今回は1980年代から2010年まで。バブル時代の建築におけるヴォイドの設計などをランドスケープデザインの歴史にどう位置づけるのか、などが議論になった。また、2000年以降のプロジェクトを誰のどういう系譜に位置づけるのかということについてもいくつかの議論があった。とても面白い教科書になりそうだと実感。メンバー4人がそれぞれ3章ずつ執筆することになる。僕は1850年から1900年と、1900年から1910年と、1960年代を担当することになった。概ねの執筆内容は固まっているので、詳細な内容と適切な図版、正確な年号や人名や地名を拾い集める作業を進める必要がある。

2008年12月27日土曜日

大掃除+忘年会

朝からスタジオの大掃除。普段プロジェクトに関わってくれている学生たちとスタジオメンバーとで掃除した。学生たちは主にスタジオ内部の掃除を、スタジオメンバーはサーバーやウェブ上の情報を整理した。来年からはさらに積極的にスタジオの取組みを発信しよということになった。そのためにも、まずはウェブに僕たちが取り組んでいる仕事をちゃんとアップする必要がある。また、年賀状として僕たちが今年取り組んできた仕事をまとめたファイルを送付することにした。スタジオはどんな仕事をしているのかよくわからない、という声をよく聞く。僕たちにも説明する責任があるように思う。少しでもスタジオの仕事を理解して、一緒に意義のあるプロジェクトを楽しく進めてくれるメンバーが増えるよう、適切な情報を発信することにつとめたい。

午後2時からは、エクスナレッジという出版社の編集者さんから2時間に渡る電話取材を受ける。ここでも、スタジオの仕事は説明が難しいことを実感。編集者の方がどう整理してくれるのか、毎回のことだが楽しみである。

午後6時からは、大掃除を手伝ってくれた学生とスタジオメンバーだけで小さな忘年会を開催。北海道から送られてきたカニを煮たり焼いたり、お腹一杯食べる。毎年の恒例になりつつあるが、やっぱり北の大地は食の宝庫だと感じる。

2008年12月26日金曜日

i+d 神戸

九州大学でのプレゼンテーションを記録し、同じ内容を神戸にて被災体験者に説明した。審査員は阪神淡路大震災の被災経験者6名。学生たちの提案が実際に被災を経験した人たちにとって役立つ提案になっているのかをチェックしていただいた。被災経験者の方々から大変評価される提案と、被災地の状況をうまく理解できていない提案とが明確に分かれ、それぞれについて的確な指摘をいただくことができた。被災時というのは、あとから文献で追いかけるだけでは理解できないくらい多様な課題が同時多発的に生じているということを実感した。その状況に対して役立つものを、デザイナー的想像力を持ってうまく提案できている提案が多かったことは、デザインが社会に対してできることがあるということを端的に示してくれたように思う。

2008年12月23日火曜日

i+d 九州

九州大学にてi+d workshopを開催。11グループ22人によるプレゼンテーションが繰り広げられた。ゲスト審査員として、九州大学の先生方と福岡市役所の部長、九州デザインリーグを実行する地元のデザイナー、雑誌SOTOKOTOを出版する木楽舎の社長、博報堂の永井さんにお越しいただいた。ゲスト審査員のみなさんには、2時間に渡る学生たちのプレゼンテーションを真剣に聞いていただき、審査していただいた。今後、事務局側の審査結果と、26日に行われる被災経験者6名による審査を経て、最終プレゼンテーションへ進む3チームを決定することになる。

2008年12月20日土曜日

京都幕末ツアー

お昼12時に阪急大宮駅に集合して、京都幕末ツアーを実施。かねてより計画していたツアーなのだが、実行が遅れに遅れて年末になってしまった。

遅れていた計画を実行に移してくれたのは、ひょうご震災記念21世紀研究機構(HEM)の同僚である越智さん。かつての同僚である京都大学の入江さんと外務省の村上さんと僕の3人が企画していた京都幕末ツアーだったが、「それぞれ忙しいよね」という話の中で延期を重ねていたものを、越智さんが「実行しなきゃ!」と言って日程調整や宿泊先の予約などを担当してくれたので実現した。同じくHEMの同僚である酒井さんも誘って、5人で冬の京都を歩くことになった。

大宮駅から壬生へ向かう途中で山南敬介の墓を拝み、壬生の前川邸、八木邸を見学。新撰組が活躍した土地を満喫した。移動途中に普通の民家をそのまま使った「新撰組資料館」を発見。かなり面白いオーナーからいろんな話を聞くことができた。第一勧銀に勤めていたとき、創始者である渋沢栄一という人に興味が出てきて調べた結果、徐々に幕末まで興味が出てきて、退職後も幕末研究を続けているという人。家の中には手書きのパネルが何枚も何枚も置いてあり、各種資料が山のように積まれている。先を急いでいたので途中で話をさえぎって出てきたが、時間があればこのオーナーとずっとしゃべっていたかった。

その後、島原地区の輪ちがい屋や角屋を見た後、二条城を通り抜けて油小路へ。伊東甲子太郎が新撰組隊士に襲われた場所などを見学。近くの床屋の主人が出てきて、これまた丁寧に資料などをくれて当時の話を聞かせてくれた。この人、観光都市京都のボランティア解説員として市長から感謝状を送られているほど。さすがに説明が分かりやすいし面白い。京都にはさまざまな歴史と、その歴史について語ることのできる市民がいるということを実感した。奥が深いぜ、京都。

夕食は山縣有朋の第二無隣庵にて。現在は「がんこ」チェーンが借りているそうで、夜の庭園を見ながら食事ができた。その後、佐久間象山や大村益次郎受難の地や、料亭「幾松」などを見学しながら、タクシーで伏見の寺田屋まで移動。寺田屋は資料館なのだが、夜は宿泊することができる。部屋には昼間と同じく各種資料やパネルが掲示してあるのだが、その床に布団を敷いて寝ることができる。すでに資料館としては閉館した時間なので、館内は僕たちだけの貸しきり状態。思う存分資料を見ることができるし、周りの部屋を気にせずにみんなで話をすることもできる。寺田屋が宿泊可能であるということはあまり知られていないようだが、貸切状態になるという意味でとてもいい宿である。坂本竜馬が襲われた部屋、おりょうが駆け上がった階段、薩摩の有馬新七が背中から刺された場所など、幕末の大事件がそこかしこで起きていたことが分かる面白い宿である。

その宿で、現在の志士5人がこれからの生き方について熱弁ふるって議論する予定だったのだが、昼間に歩きすぎて疲れたのかすぐに寝てしまった。ただし、これからも毎年こういう会合を持って、HEMの卒業生がどんな仕事をしていて、今後何をしようとしているのかを語り合う時間をつくろう、ということだけは決まった。ということになると、現在福岡で研究員をしている山本さんや、来年から明石で教員になる石田さんにも参戦してもらう必要があるだろう。京大の入江さんも外務省の村上さんも、HEMの越智さんも酒井さんも、このまま同じ職業を続けるような人ではないように思う。きっとさらに別のことをはじめるだろう。こういう人たちと毎年情報交換し続けることは、僕にとって毎年新しい情報や刺激を受けることができる貴重な機会である。僕もこの人たちに少しでも刺激を与えることができるような生き方をしたいものである。

2008年12月19日金曜日

協働のきっかけとしての忘年会

午前中は山口県から京都府へ移動。午後から京都造形芸術大学のこども芸術学科で講義。年明けに小学校で開催するワークショップの企画を練る。学生たちは数人ずつのチームに分かれ、それぞれの企画案について検討する。検討内容がある程度固まった段階で、教室の前に集まってプレゼンテーション。プログラムの詳細、時間配分、役割分担、予算計画など、詰め切れていない部分を指摘し、さらに企画内容を検討させる。これを繰り返した。

夕方には大阪へ戻り、スキッスジャポンの川崎社長、ピューパの渡邊社長、ミネルヴァ・ホールディングスの及川副社長とで忘年会。川崎社長が展開している「山の家」プロジェクトは、地方自治体がつくった宿泊施設を指定管理者として管理運営するもので、そのための人材として京都造形芸術大学の山崎ゼミの学生だった小椋くんが就職している。山の家の管理運営に携わるなかで、小椋くんもいろいろと学んでいるようだ。忘年会に集まった人たちで、山の家をどう盛り立てていくかを議論した。

また、アウトドアでまちづくりを!を合言葉に活動を展開するピューパの渡邊さんからは、本当のアウトドアプログラムとはどういうものか、まちづくりにアウトドアを持ち込むことの重要性とは何か、についてお話を伺った。渡邊さんが実施しているアウトドアプログラムには、浜野安宏さんも興味を示しているとか。浜野安宏さんと言えば、最初はファッション界で活躍し、その後商品企画や複合型ショッピングセンターの企画などに携わり、アウトドアライフスタイルを実践している人。この人と一緒に会社を切り盛りして、その後独立した人のひとりが北山孝雄さん。北山創造研究所の代表で、建築家安藤忠雄さんの双子の弟である。

ミネルヴァホールディングスの及川さんは、ネットを使ったEコマースについてかなり詳しい人。その分野では先駆け的な事業をいくつも立ち上げている。僕たちが考えるプロジェクトであれば、ほとんどどんなことでもインターネットでできるという自信に満ち溢れている。

こういう人たちと話をしていると、専門分野が違うだけにお互いが競争することなく協働できるような気がしてワクワクする。僕にできることと、川崎さんにできること、渡邊さんにできること、及川さんにできることはまったく違っている。こうしたメンバーで、社会の課題をひとつでも解決できるようなプロジェクトを立ち上げたいものだ。今後は定期的に集まって、各人が興味を持っていることについて語り合い、協働できそうなことが見つかればプロジェクトを立ち上げてみようということになった。当面は川崎さんの「山の家」について、新しいビジネスモデルを創り出せないか検討してみようということになった。僕も及ばずながら、集落問題の解決策、周辺住民との協働方法、大学との協力、行政や財団から支援を受ける方法などについて検討してみようと思う。

2008年12月18日木曜日

僕の出身地は西宮である、としてみると。

午前中は武庫川女子大学にて生活環境学部長の瀬口和義先生と打合せ。E-DESIGNの忽那裕樹さんの紹介(感謝!)で来年度から「造園学演習」という講義を担当させてもらうことになったので、その詳細について打合せさせてもらった。どうやら僕は辻本智子さんの後任だということ。辻本さんは大学の大先輩である。

僕は小学校時代を兵庫県の西宮市で過ごした。武庫川女子大学のすぐ近くに住んでいたこともあって、同大学は小さな頃から親しみのある大学だった。まさか自分がその大学でランドスケープデザインについて教えることになるとは思っていなかったが。。。

25年ぶりに西宮市立小松小学校区を歩いてとても懐かしい気持ちになった。西宮はとても楽しい時間を過ごした場所である。親が転勤を繰り返す仕事だったので、僕には出身と呼べそうな場所がいくつかある。「出身は?」と聞かれるたびにいくつかの地名を出すのはややこしいので、あるとき「どこかひとつに決めてしまおう」と思った。そのとき真っ先に思い浮かんだのが「西宮」である。僕にとって最も愛着のある居住地なのだろう。そんな場所に勤務することができるのがとても嬉しい。

午後から山口県へ移動。集会所建設のためのワークショップで進行を担当する。街の開発者である積水ハウスさんと、山口大学の鵤(いかるが)心治先生と研究室の学生さんたちと一緒にワークショップを実施。地域の魅力と課題を出してもらったところ、課題以上に魅力がたくさん飛び出した。積水ハウスさんのまちづくりの威力を実感。居住者からこれだけ良好な反応を引き出すまちづくりはとても難しい。今後が楽しみである。

ワークショップ終了後、積水ハウスの関係者や山口大学の方々と食事へ。鵤研究室の学生さんたちはとても気さくで素直で付き合いやすい。これだけのコミュニケーション能力があれば、どんな種類の社会へ出ても対応できるだろう。

食事会のなかで、積水ハウスの綿崎さんと出身地の話をした。さっそく出身地の話だということで、かねてから用意していた「西宮」という地名を出した。すると綿崎さんも西宮だという。僕が武庫川女子大学の近くに住んでいたことを話すと、綿崎さんは小松小学校出身だという。同窓生である。25年ぶりに小学校区を歩いた日の夜に、偶然同窓生に会うことになるというのはすごい!!と驚くやら喜ぶやら。同席したほかの人たちにとっては、どうでもいい話だっただろうが。。。

2008年12月17日水曜日

ややこしい人間

午前中はメビックの堂野さん、狩野さん、浪本さんがスタジオへ来て僕たちの活動を取材してくれる。自分がどんなことをしてきたのか、どんなことをしようとおもっているのか、ということを2時間ほど思うままにお話させてもらった。

こういう話をするとき、僕にはうまく説明できないことが3つある。ひとつは自分の出身。2つ目は自分の専門。そして3つ目は自分の所属。

取材を受けると出身地を聞かれることが多い。しかし、僕の場合は親が転勤族だったこともあって大学入学までに住んだことのある場所がかなり多い。生まれたのは愛知県の東海市。幼稚園は大阪府の枚方市。小学校は兵庫県の西宮市と愛知県の名古屋市。中学校は名古屋市と愛知県の長久手町。高校は名古屋市。大学は大阪府の堺市。働き始めてからは大阪市内。今は兵庫県の芦屋市。本籍はいまだに東京都杉並区のまま。

こういう話は分かりにくいので、きっとどこか1箇所を出身だということにしてしまったほうがいいのだろう。ということで、僕は一番愛着のある西宮市を出身地にしようと思う。当面はこれで出身地問題に対処したい。

自分の専門分野も説明しにくい。ランドスケープのデザインなのか、プランニングなのか、コンサルティングなのか、マネジメントなのか。まちづくりなのか、政策づくりなのか。企画や計画もするけど、設計も現場監理もするし、コンサルティングもするし、運営もする。NPO支援もするし、調査も研究もする。「これが必要だ」と思ったことを求められたときにやれるだけやっていたら、「あなたの専門は何ですか?」と問われても答えられないようになってしまった。時代が変わろうとするとき、既存の職業体系では説明できない新たなニーズや仕事がポツポツと生まれてくる。そんな小さな仕事を見つけては喜んで取り組んでしまう、というのが僕の性格なのかもしれない。

自分の所属もややこしい。これは専門分野がややこしいことと関係しているのかもしれない。株式会社studio-Lが本務であることは間違いないのだが、兵庫県の研究所で研究員をしていたり、大学の講師をしていたり、大学院の博士課程に在籍したりする。研究所関係の知り合いは、僕が設計事務所を経営しているということを知らない人も多い。

そんなややこしい話を、さほど整理できずに話し続けたのだから、取材してくれた堂野さんや狩野さんはまとめるのが大変だろうなぁ、と思う。いつもながらにご迷惑をおかけします。。。

午後からは大阪工業技術専門学校の卒業制作ゼミ。卒業制作の提出日が近づいてきた。学校への提出より1週間前にゼミの提出日を設定。これを厳守させることにした。1週間前に最終提出すれば、「あと少し改善したかった」という思い残し部分を最後の1週間でブラッシュアップすることができる。ゼミ生の制作はいずれも社会の課題を的確に捉え、提案性の高いものになりつつある。あとはそれをうまくまとめることができるか、というのが問題、いや大問題である。

2008年12月16日火曜日

多自然居住地域における安全安心の実現方策

夕方から(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構にて「多自然居住地域における安全安心の実現方策」の研究会を開催。最終報告書をまとめるにあたって、最後の政策提言部分をどうするのかについて話し合ってもらった。座長の中瀬先生(兵庫県立大)、委員の角野先生(関西学院大)、澤田先生(長岡造形大)に加えて、兵庫県立人と自然の博物館、兵庫県立丹波の森協会、NPO法人地域再生研究センターの研究員の方々、兵庫県庁のビジョン策定担当者にも出席していただいた。また、総合地球環境学研究所の林直樹さんと齋藤晋さんもオブザーバーとして出席してくれた。

いよいよ最終報告書のとりまとめ。年内に政策提言以外の報告書をとりまとめ、年明けに政策提言案をとりまとめて各委員と打合せし、最終の研究会を開催したい。

2008年12月1日月曜日

島の幸福論

いま、島根県の隠岐にある海士町という町の総合計画策定を手伝っている。住民と行政が一緒になって検討している総合計画で、合宿して2日間ずっと議論し続けたり、毎晩のように集まって計画の内容を検討したりしている。先日、この総合計画の全体テーマが「島の幸福論」ということに決まった。とてもいいテーマになったと感じている。

「東京に追いつけ、追い越せ」というベクトルで地域開発を行っても、東京には到底勝てないし、追いつけないし、エコじゃないし、何よりちょっとダサい。そうじゃなくて、島ならではの幸福を見つけ出して、東京や大阪などの大都市では実現不可能な生活像をしっかりと確立して、大都市とは全然違ったベクトルで、違った方向へ突き進んでいくのが離島ならではの戦略になるんじゃないかと思っている。

一般的に、東京や大阪に住む人は地方に比べて所得と学歴が高いと言われている。所得と学歴。この2つは密接に関係している。高い所得を得るために高い学歴が必要になるのだから。じゃ、高い所得を得て何を手に入れたいと思っているのか。たとえば広い家。あるいは豊かな環境。または新鮮で安全な食材。そして、できれば殺伐とした人間関係ではなく、暖かい人間関係にはぐくまれたコミュニティもほしい(これは都市部でなかなか手に入らないのだが)。

そのために、都市部に生きる人たちはかなりのお金を使っている。東京で広い家がほしい。庭もほしいということになればかなりのお金が必要になる。自分の家や庭だけでなく、周辺にも豊かな自然環境がほしいと思えば、さらに住む場所が限定されるし、そういうところは地価が高い。ますますお金が必要になる。有機野菜など新鮮で安全な食材を手に入れようと思えば、普通の野菜の3倍くらいのお金が必要になる。豊かな人間関係に至っては、お金を出して手に入れられるものではないことが多い。周囲を高い塀で囲まれて安全に暮らせるゲーテッドコミュニティで良好な人間関係がはぐくまれるかどうかは分からないが、そういう場所に住もうと思えばまた、お金が必要になる。

以上のような生活を都市部で実現しようと思えば、当然お金がたくさん必要になる。だから、お金がたくさんもらえるような仕事を選ばなければならない。当然、自分が好きなことをして生きていくというのは難しい。自分が好きなことじゃないけどお金をたくさんもらえる仕事を選ばなければ、広い家、豊かな自然環境、有機野菜、コミュニティなどは手に入らない。

さらに、自分が好きじゃない仕事に就くとしても、高学歴でないと高収入にならないのが都市の論理。自分も高学歴でなければならないし、将来自分の面倒を見てくれる(はずの)子どもたちにも高学歴であってもらわなければ困る。結果的に、子どもにもたっぷり教育費をかけなければならなくなる。私立の学校、学習塾、家庭教師、各種稽古、補助教材。これにも相当なお金がかかる。

広い家と庭、豊かな自然環境、新鮮で安全な食材、良好なコミュニティ、ハイレベルな教育費。こうしたことにお金をたくさん使うから、都市部では月給がいくら高くてもほとんどお金は残らない。

一方、地方はすでに広い家、豊かな自然環境、新鮮で安全な食材、良好なコミュニティを手に入れている。そのためにたくさんのお金を用意する必要がない。だから、とりたてて高学歴になる必要もない。都市部で高学歴・高所得になっても、そのお金をつぎ込んで家や自然や食材やコミュニティや高等教育を手に入れようとすれば手元にお金は残らないし、そもそもすべてを手に入れるのは相当難しい。そうであれば、お金をかけずにそれらが手に入る場所で好きな仕事をしながら生きていくほうがいいぜ、っていう価値を打ち出すこともできるだろう。それこそが、今回の「島の幸福論」のベースにある考え方だといえよう。

それでもやっぱり東京がいいという人は東京で生活すればいい。いやいや、アホらしいと思う人は自分の好きな場所で暮らせばいい。そういう価値が少しずつ多くの人に共有されつつあるのが21世紀の日本であり、北欧やドイツが20世紀に見つけた幸福論なんだと思う。海士町がいま、その幸福論を見つけつつあるのがとてもうれしい。

2008年11月30日日曜日

i+d workshop - blog

studio-Lが博報堂さんと進めている「i+d workshop 2008」のブログが更新されています。
次はいよいよ九州にてプレゼンテーションです!

◆i+d workshop HP

◆i+d workshop BLOG

2008年11月18日火曜日

くしだ蔵・スタディプロジェクト+再創生スタディーズ

■くしだ蔵・スタディプロジェクト+再創生スタディーズ

テーマ:「まちとの関わり方-外からできること・内からできるとこ-」

まちに対するアプローチの仕方は外からまちに関わる方法と内からまちに関わる方法の2つがあります。
大阪から瀬戸内海の家島諸島へと出向き、ワークショップ「探られる島」プロジェクトなど多くの人を巻き込みながらリサーチ・ブランディング・空間提案・マネジメント提案へと活動を展開している山崎亮氏を講師に向かえ、いえしまでの活動をご紹介頂きます。また、下田でカフェ経営の傍らフリーペーパーや下田ガイドブックの発行などを精力的に実施している渡辺一夫氏からまちの内からの活動としてご紹介頂きます。
まちの外と内、それぞれの側面から活動を行なう両氏の活動から新たなまちへの関わり方の可能性を考えていきたいと思います。

日時:11月23日(日)15時00分~17時40分
場所:くしだ蔵(静岡県下田市二丁目11-12・伊豆急下田駅より徒歩8分)
参加費:無料
参加者:30名程度
講師:山崎亮(studio-L)
地元活動発表:渡邊一夫(K Design Office/茶気茶気)
コーディネーター:山中新太郎(日本大学助教・山中新太郎建築設計事務所)

□プログラム
14:30~    開場
15:00~15:10 挨拶
15:10~15:40 「きっかけとしてのヨソモノ」(山崎亮)
15:40~16:00 「タイトル未定」(渡邊一夫)
16:00~16:10 休憩(10分)
16:10~16:40 フリーディスカッション
16;40~16:50 閉会の挨拶
17:00~17:40 懇親会

▽講師プロフィール
山崎亮(studio-L:http://www.studio-l.org/)
1973年 愛知県生まれ
1997年 大阪府立大学農学部卒業
1999年 同大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了
1999-2005年 エス・イー・エヌ環境計画室
2005年 studio-L設立
2006年- 東京大学大学院工学系研究科博士課程 都市工学専攻
現在 studio-L代表取締役、京都造形芸術大学・京都市立芸術大学・近畿大学・大阪工業技術専門学校非常勤講師
ひょうご震災記念21世紀研究機構主任研究員

渡邊一夫(K Design Office/茶気茶気)
1979年 静岡県下田市生まれ
1998年 下田北高等学校卒業
2002年 工学院大学建築学科卒業
2004年 cafebar & shimoda flavor茶気茶気店主
2004年 フリーペーパー「下田的遊戯」発行
2008年 「下田ガイドブック」発行

2008年11月4日火曜日

けんちくの手帖

けんちくの手帖プロジェクト
~architects’ BAR 「けんちく本つくりたい人集まれ」vol.17
『つくることと使うことを同時に考える』

次回11月のarchitects’ BAR 「けんちく本つくりたい人集まれ」では、中小の都市建築ストックが集積する東京・神田地区をフィールドに活動する東京の建築家・西田司氏をお招きして、氏が実践活動の成果として取りまとめた2冊の本(『ロジホン』/『RE-CITY』)やメディアパンダの活動などの経験を踏まえ、これからの社会にコミットしていく建築家の活動領域と設計の手法についてお話頂きます。

*タイトル:『つくることと使うことを同時に考える』
*ゲスト:西田 司(建築家/オンデザインパートナーズ代表、横浜国立大学助手)
*コーディネーター:山崎亮(studio-L)
*日時:2008年11月7日(金)開場19:00 開演20:00
*会場:Common Cafe
 大阪市北区中崎西1-1‐6吉村ビルB1F
 tel:06-6371‐1800
 大阪地下鉄谷町線中崎町駅4番出口北東へ1分
*入場料:1000円(ワンドリンク付)
*お問い合わせ:吉永建築デザインスタジオ内けんちくの手帖準備室
 tel:072-683-6241
 e-mail:yoshinaga@office.email.ne.jp

2008年10月7日火曜日

幸せの政策

海士町の総合計画について考えている。
「幸せ」あるいは「幸福」というのは総合計画が目指すべき方向性にならないだろうか。

・ブータン国王はついにGNH(国民総幸福)に関する考え方を憲法に入れ込んだらしい。

・東京都荒川区はGAH(荒川区民総幸福)を総合計画に取り込んでいるらしい。
 →海士で考えていた「幸福実感」という言葉は、すでに荒川区で使われていたようだ(幸福実感都市あらかわ)。平成19年からスタートした新しい総合計画であり、「幸福実感」や「GAH」という考え方を入れ込んでいるあたりが先進的な感覚を有している点である。人口や所得の増加ではなく「荒川区民総幸福」を向上することを目標としている。

・イギリス保守党のデヴィッド・キャメロン党首は「幸せの政治」を提唱。①家族との安らかな時間、②地域の自然環境の豊かさ、③各人がコミュニティで果たす役割の3点を明確にして幸せな政治を目指すという。

・ケネディ大統領は選挙時にGNPを批判したらしい。アメリカのGNPのなかには、タバコ、酒、ドラッグ、離婚や交通事故犯罪や環境破壊に関わる仕事の売り上げが含まれている。戦争のための武器、核兵器なども含まれている。一方、GNPに含まれないものとして、子どもたちの健康、教育の質の高さ、遊びの楽しさ、詩の美しさ、市民の智恵、勇気、誠実さ、慈悲深さが挙げられる。つまり、国の豊かさを測るはずのGNPからは、私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている。

こういう演説で大統領になった人がいるということは、幸せについて本気で考えてみることが海士町の総合計画を検討する上でも大切なことだということの証左ではないだろうか。

2008年10月6日月曜日

メモ

『幸福の政治経済学(ダイヤモンド社)』を読んでいて思ったこと。

・経済学の目的は人々を幸せにすることだという。建築学の目的も、ランドスケープデザインの目的も同様に人々を幸せにすることではないか。にも関わらず、経済学の文脈に「幸福」という言葉がほとんど登場しない。同様に、「建築の形態」と「利用者の幸福」に関する研究はほとんど見られない。オープンスペースにおける活動と、利用者の幸福に関する研究も進んでいない。

・本書の主張は、人々の幸福は政治的な意思決定に参加できているかどうかによって変化する、というものである。いわゆる「住民参加」を幸福の視点から検討した研究というのは類を見ない。公園における参加型管理運営ということを考える際にも、そこに参加する個人の主観的な幸福度合いを合わせて考慮すべきである。まちづくりについても同様に、参加によって個人の満足度や幸福感が上昇しているのかどうかが重要である。総合計画を参加型で策定するという仕事についても同様だろう。

・海士町の総合計画を参加型で策定している。このプロセスで、総合計画を実行に移す究極の目的は、より多くの人が「幸せ」になることだろうという議論があった。確かに総合計画を策定して、その結果としてのアクションが多くの人を幸せにすることは大切なのだが、実はそこに参加している人たち自身が、自分たちの意見を計画に反映させることや、実際にアクションを起こすプロセスを通じて「満足感」や「幸福度」を上昇させているんだ、と考えることもできる。

・こうした「参加」による満足感や幸福度について研究を進める必要がある。人口減少時代の都市を考える場合にも、縮退する市街地に不可避的に生じるオープンスペースをどう処理するかという客観的な話だけでなく、こうしたオープンスペースにおける活動に参加する人たちの満足度をどう高めるのか、といった視点からも今後の都市のあり方を検討すべきだと感じる。

・シビックプライドに代表されるような都市の公共空間における活動は、これに参加する市民の満足度を高める上でとても重要な「仕掛け」であると捉えることができる。市民の幸福は政治的意思決定への参加度合いに左右されるとするのであれば、都市活動への参加も市民の生活を充実したものにし、満足感や幸福感を高めることにつながるものと考えられる。

・集落における生活も同様に捉えることができるかもしれない。集落の自治にどれほどコミットできているのか。集落の将来に関する重大な政治的な決定に自分たちの意見を反映することができているかどうか。このあたりが、農業従事者の所得増減とは別に、生活における幸福感を上下させる要因になっていると考えることもできるだろう。自分たちのあずかり知らぬところで農業施策が勝手に決められていたり、作付けの制限が決められていたりすることが、中山間地域における生活の満足度を下げていると考えることもできよう。

・海士町の総合計画が幸福をテーマとするのであれば、今後10年間は毎年町民の「幸福度」調査を実施するという事業を入れておくべきなのかもしれない。いろいろ政策や施策や事業を展開することになる10年間の間に、人々の幸福度合いは上昇したのか下降したのか。結果としての幸福感こそが重要だと考えるのであれば、こうした事業をアクションプランに組み込んでおく必要があるだろう。

2008年10月5日日曜日

政治家とは大変な職業である

移動中に楽しんでいたDVD版『翔ぶが如く』を見終わった。

政治を志すということは、多かれ少なかれ賛同者と批判者を生み出すということであり、その栄光と非難を同時に受け止めるということなのだということを実感する。それは現代でも変わらないのだろう。

町長になって新規職員の採用を見送ると決断すれば、財政負担に嘆く人は賛成するだろうけど役場職員になりたがっていた人たちからは非難される。職員の給与を30%カットすると決断すれば、役場職員の高所得を批判していた民間人たちからは賛同されるだろうけど当事者たちからは非難される。

こうした非難が度重なり、その規模が国家レベルになると、その指導者たちは暗殺されたり戦争で殺されたりしてしまうことになる。現在の政治家も、かなりの批判を浴びせられながら政治活動を行っている。ネットで気軽に政治家の悪口を書けるような環境が整った現在、政治家は油断すればどこでも自分の悪口を目にすることになる。自律神経を自ら麻痺させ、誰の意見にも耳を貸さないという精神力で突っ走らなければ気が変になってしまうことだろう。こうした環境に生きることは、本人の性格を変えてしまうことにもなりかねない。国民の意見を聞くことが大切だと考えていても、耳を傾けていると自分に対する膨大な批判も入ってきてしまう。結果的に、耳をふさいで「己の信念のみを信じる」という態度になってしまうのもわかる。

ところが、国民は政治的意思決定に参加したがっている。そのほうが幸せになれるという研究もある。にも関わらず、政治家は国民の意見に耳を貸さない。貸せば国民に喜ばれることも分かっているのだが、同時に自分に対する悪質なほどの批判が耳に入ってくることも知っているから。

国民が政治的意思決定に参加して幸福になることができる社会を築くためには、何よりも国民自身が懸命になって無意味な政治家批判を避けることが肝要なのかもしれない。国民と政治家との良好な関係こそが、両者を幸せな人生へと導くための基盤なのだろう。

2008年10月4日土曜日

益田市長(福原慎太郎さん)

先日訪れた匹見は、益田市に合併された地域である。この益田市の市長は僕と同じ年の1973年生まれである。

35歳で市長になるというのは若いようにも感じるし、明治維新の頃を考えると妥当な年齢であるような気もする。その所信表明を読むと若い世代の新しい時代感覚をうかがうことができる。これまでのやり方が成立しない時代であること、答えを先進国や先進事例に求めることができない時代であること、高度経済成長期につくってきたシステムを作り直さなければ対応を誤る危険性がある時代であることなど、共感できる部分が多い。国の補助金や交付税を当てにしないという態度も共感できる。市民「一人ひとりが考え、行動し、責任を取る、そうした自主独立の気概を持つこと」が大切だとする考え方も重要であり、これからの市政における基本的な考え方になるだろう。

こうした若い世代の首長がどんな人なのか、一度直接会って話をしてみたいと思う。市政について一緒にできることがあれば取り組んでみたいものだ。

2008年9月29日月曜日

探られる島プロジェクト2008

From


昨年は、山崎義人さん、樋栄ひかるさんらに講師として来て頂いた、「探られる島」プロジェクトを今年も兵庫県姫路市家島で開催いたします。

テーマは「海辺の楽しみ方を探る」となりました!
今年は「海辺の楽しみ方を探る」だけでなく、2~4日目の家島合宿では空き家(豪邸!)を借りて島の生活を体験するプログラムを考えています(予定)。
また、食料は各チームが地元の方々の力を借りて捕獲してくるようにしようかなぁとも考えています。

興味のある方は、以下のHPをご覧くださいませ。
「探られる島」プロジェクト
http://www.npo-eden.jp/studio-s/main.html

では、以下募集内容と日程などです。


■ 募集対象者

大学生(大学院、短大、専門学校等を含む)および若手社会人で環境や建築の再生、地域づくり等に興味を持つ人(専攻・専門は問いません)、まちづくりに悩んでいる人。

■ 日程

・プロジェクト1日目(プロジェクト説明会)
  日時:10月5日(日) 14:00~17:00  場所:難波市民学習センター
 ・プロジェクト2~4日目(フィールドワーク)
  日時:10月17日(金)~19日(日)   場所:家島
 ・プロジェクト5日目(成果まとめ)
  日時:作業参加者のご都合に合わせ、開催日を決定 場所:大阪市内会議室
 ・プロジェクト6日目(成果まとめ)
  日時:作業参加者のご都合に合わせ、開催日を決定 場所:大阪市内会議室
 ・プロジェクト7日目(成果発表・終了式)
  日時:11月1日(土) 14:00~17:00 場所:難波市民学習センター

          
■ 講師

プロジェクト1日目  山﨑 亮さん (ランドスケープアーキテクト)
プロジェクト2日目  松本 ひろこさん (海辺のインタープリター)
プロジェクト3日目  多喜 淳さん (グラフィックデザイナー)


■ 参加費

プロジェクト1日目の「プロジェクト説明会」は参加無料です。
プロジェクト2日目以降参加される方は受講料として5,000円いただきます。
ただし、以下の費用は各自負担となります。
・宿泊費(2泊朝夕食付):16,000円
・船代(姫路港⇔真浦港): 1,800円
・家島3日間での昼食代
・姫路港までの交通費

■ 募集定員

30名程度
応募者が定員数を超えた場合は、事務局側で選考させていただきますことをご了承ください。

■ プロジェクト参加申し込み方法

以下のページから参加申し込みができます。
http://www.npo-eden.jp/studio-s/main.html

2008年9月23日火曜日

メモ

経済学者、松原聡氏(東洋大学教授)の言葉。

「(人口減少や少子高齢化によって)社会構造が転換するなかで、予算も公共事業から福祉サービスなどへシフトしなければならないのに、まったくできないでいる。これも、自らの省の利益(予算、組織、定員など)を維持したい官僚と、その予算にぶら下がる政治家、そして業者、こういった既得権のスクラムが妨害してきたからである。この既得権のスクラムを壊さない限り、真に必要なところに予算を回すことなどできるわけがない。このスクラムを壊す作業が構造改革なのである。だから私から見ると、財政出動派があまりに安易に民営化の必要性などを提起しているのが不思議でならない。」(『人口減少時代の政策科学』より)

「財政出動すれば旧構造に資金が流れ、それが維持されてしまうということだ。公共事業費が建設業を支え、その建設業が選挙で与党を支える。結局、財政の出動が政官業のスクラムを維持することになってしまうのである。財政出動すれば一時的には当面景気は回復するであろう。しかしそれが長続きしないのは、バブル崩壊後の景気対策で130兆円(事業規模)もの資金がつぎ込まれながら、結局本格的な景気回復が実現しなかったことからも明らかである。むしろその財政出動で旧構造が維持されてしまい、構造改革は頓挫する。財政出動と構造改革は決して両立しない。緊縮財政と構造改革こそが同じメダルの表と裏なのである。」(『人口減少時代の政策科学』より)

人口減少時代には、社会構造がダイナミックに変化することになる。それに対応しようと思えば、人口増加時代のシステムを改変する必要がある。しかし、増加時代のシステムには既得権が発生しているため、これを改変しようとすれば当然抵抗が生じる。だからといって改変を留まっていては、人口減少時代の先にある未来が暗いものになってしまうだろう。なんとしても旧来のシステムを改変しなければならない。ではどうするか。旧来のシステムに対してお金を流さないようにすればいいのである。

旧来のシステムの代表格が公共事業への財政出動。特に建設業は末端までに多くの人が関わっているため、ここを刺激すれば景気が回復すると考えられてきた。だからこそ公共事業を通して建設業界にカネが流れ、その見返りに当選する政治家が生まれる。この流れを断ち切るために、建設系公共事業にお金を流さないようにすればいい、というのは正論である。福祉サービスが必要だとわかっているのに道路や橋をつくってしまう体質を何とかしなければならないのである。

さて、建設業界から抜け出すべきか。それとも、建設業界の内部にいて有効なお金の使い方を提案すべきか。公共事業といっても無駄なことばかりではないということを主張すべきか。本当に必要なことはまだまだあるんだ、と叫ぶべきか。しかし、この業界にお金が流れている限りは、旧来のシステムを生きながらえさせてしまうことに加担し続けてしまうことになる。一寸法師のように内部から体制を変えるといったシナリオは、結果的に鬼を肥大化させるだけなのかもしれない。ならば鬼の胃袋から外に飛び出して、ほかのフィールドで出来る限り社会貢献するほうがいい、ということになろう。

時代は変わりつつある。社会構造が変わり始めているのである。だからこそ、社会システムを変化させなければ、時代の変化に対応できない。この変化を促進するための仕事に携わるべきか。あるいは、この変化を鈍らせるような仕事に携わるべきか。答えは自明である。

2008年9月21日日曜日

メモ

経済学者、松谷明彦教授(政策研究大学院大学)の言葉。
「これまで(成長時代)は同じ商品でも売れ筋が決まっていた。スケールメリットの大きい大企業が有利だった。だが、(人口減少時代に)需要や消費が多様化すると、中小企業も売れ筋以外の多様な商品で勝負できる。幅広い業種で特色あるベンチャーが増えるだろう。大企業が栄え、中小企業が疲弊していったのが戦後の歴史だが、中小企業が見直される時代が来る」(『人口減少時代の読み方』より)

2008年9月20日土曜日

studio-B はじめました。



一部の学生のみなさん、お待たせしました。
studio-Lの入り口横の本棚でstudio-Bunko(通称西上文庫)はじめました。
毎日10冊くらいずつ蔵書が増えていきます。
掘り出し物があるかもしれませんので、こまめにチェックしてみてください。

2008年9月1日月曜日

写真の力

バンタンという専門学校から取材があり、「F Japon」というコーナーに紹介記事を掲載してもらった。

「ランドスケープ」と「食」のおいしい関係:インタビュー・ランドスケープデザイナー 山崎亮氏

取材してくれた木村さんは写真家でもある。最近、写真家が取材し、撮影したエッセイなどを読むことが多い。建築ジャーナルの書評で紹介した「チェンジメーカー」もニューヨーク在住の写真家、渡邊奈々さんによる社会企業家に関する本だ。そのほか、佐渡島のお寺の副住職であり写真家でもある梶井照陰さんが書いた「限界集落」という本も写真に力がある。「水になった村」というダムになった村に関する本も、大西暢夫さんという写真家によるもの。芸術作品としての写真というのは僕の取り扱えるものではないとしても、自分が伝えたいことを文章だけではなく、力強い写真とセットで表現することには大変興味がある。

バンタンの木村さんが学生時代に勉強した写真の本を紹介してもらい、そのほかの写真関連書籍と合わせて購入し、写真を基本から勉強したいと思う。

2008年8月19日火曜日

i+d workshop のこと



このたび、studio-Lは博報堂と協働して「issue + design workshop」を立ち上げることになりました。
デザインの力で社会的な課題を解決しようという学生が集まるワークショップであり、同時にコンペ形式の提案をつくりあげるプロジェクトです。

最近は特に、「今日新しいものを明日古くする」ためのデザインが多く、新しいデザインは人々の興味を惹くため、購買意欲を高めるためだけに消費されているような気がします。そもそも「Design」は、「De=sign」であり、新しいカタチを示すだけのサインから抜け出すという性格を持った表現行為だったはずです。ところが、デザイン=新しいカタチ=オシャレ=消費という連鎖があまりに強い経済的結びつきを持ったために、建築雑誌をはじめとするメディアのほとんどが差異化のためのデザインを繰り返し紹介することになっています。さらに、こうしたメディアを通じて「デザイン界」を頭の中に作り上げる学生たちにとっては、社会で働くフィールドは消費社会型デザイン業界しか存在しないという錯覚に陥ってしまうことがあります。

ところが、デザインのフィールドは消費社会の反対側にも大きく広がっています。売れるためのデザインではなく、社会の課題を解決するためのデザイン。そんなフィールドが世界にはたくさん広がっているということを、現役の学生たちに知ってもらいたいと思って立ち上げたのが今回のプロジェクトです。

日本ではあまり紹介されませんが、世界には福祉や教育やホームレスや難民や戦争や病気など、いろいろな社会問題に取り組むデザイナーがたくさんいます。残念ながら、この人たちの仕事を紹介する雑誌を発行しても儲からないという理由だけで、この種の情報が日本国内にほとんど入ってきません。本プロジェクトでは、できるだけこうした世界での動きを紹介するとともに、デザインの社会性や社会の課題を解決するために果たすべきデザイナーの役割について考えたいと思います。また、同時に特定のテーマに対する自分たちの提案をつくりあげることによって、社会的な課題を解決する自分なりのデザイン手法を身につけてもらいたいと考えています。

第1回目となる今年のデザインテーマは「震災後の避難生活をデザインする」。日本を始め世界各地で頻発している自然災害。こうした災害後の避難生活にはさまざまな課題が内在しています。こうした課題を見つけ出し、課題の問題構成を明らかにし、デザインによって解決策を探るというのが今年のテーマです。

僕が学生だったらこんなワークショップに参加してみたかったな、というフレームに基づいて今回のプロジェクトのスキームを組み立ててみました。具体的には以下のような「あったらいいな」に基づいたプロジェクトです。

・提案内容が認められれば全国各地で発表させてもらえる。
・そのたびに各地(神戸や福岡や東京)を旅行させてもらえる。
・同じような想いを持った日本中の大学のいろんな専門分野の学生と知り合える。
・自分たちの活動や作品が書籍として出版される。
・最後まで勝ち進めば、提案を商品化してもらえる可能性がある。
・有名デザイナーのアドバイスを受けながら作品をブラッシュアップする機会が与えられる。

プロジェクトの第1回は9月28日(日)です。交通費支給の関係により定員制のワークショップになりますが、より多くの学生からの参加を期待しています。申し込みは9月5日まで。
2名1組のチームにて応募してください。大学や学部を問わず、コンビを結成して応募することが可能です。

詳しくはこちらをご覧ください。
たくさんの応募をお待ちしています。

山崎

i+d workshop とは



地球温暖化、貧困、人種差別、自然災害、少子高齢化等等、2008年現在、日本、世界、そして地球は、様々な社会的問題を抱えています。デザインには、本来、問題の本質を一挙に捉え、そこに調和と秩序をもたらす力、美と共感で多くの人の心に訴え、アクションを喚起し、社会にムーブメントを起こす力があります。すなわち、デザインには社会問題を解決する力が備わっており、デザイナーは社会問題の改善者となりうるのです。本プロジェクトではそんなデザインの力で社会に貢献することを目的としています。
第一回目のテーマは「震災後の避難空間」。昨年、今年と日本・世界で大地震が頻発しています。地震大国日本のデザイナーは震災デザインという領域で世界をリードする人材になることが求められているのではないでしょうか。デザインの持つ無限の可能性を信じる若手デザイナーの積極的な参加をお待ちしております。

i+d workshop



◆募集要項

第1回issue+design workshop
震災後の避難生活をデザインする

主催 hakuhodo + design project (株)studio-L
後援 財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構 人と防災未来センター

大地震により居住地を失った300人が一箇所で避難生活を送っている状況を想定してください。避難という非日常空間では、食糧、医療、防犯、ストレス、人間関係等の様々な問題が生じます。それは時として、死という最悪の事態にもなりかねません。避難生活の中で起こりうる課題を明らかにし、空間、情報、人間関係などの視点から課題を解決するためのデザインを提案してください。

ワークショップ概要
■ 9月28日(日)神戸で行われるワークショップにて、震災と避難生活について学び、議論していただきます。
■ 10月31日(金)までにメールにてデザインを提案していただき、その中から独自性・実用可能性が高い10チームを選抜いたします。
■ 選抜された10チームは第一線のデザイナー、研究者などからのアドバイスをもとに、12月23日(火・祝)に福岡で開催される発表会に向けて提案内容をブラッシュアップしていただきます。
■ 発表会で最終的に選ばれた優秀3チームは、再度ブラッシュアップの後、2009年2月に東京の赤坂で開催予定にデザインワークショップに参加していただきます。アートディレクター・永井一史をはじめとする第一線のデザイナーおよび研究者との交流や議論を通じてデザインの完成度を高め、ワークショップの最終成果とします。

応募資格
■ 社会問題の解決に強い意識を持っている学部生・大学院生
*デザイン系学部以外にも、工学、経済学、法学、農学、社会学など多様な学部・研究科からの参加をお待ちしています。
■ 応募は2名1組であること。
■ 応募者は2名ともに、2008年4月1日時点で35歳以下の大学生・大学院生であること。
■ 応募者は9月28日に神戸で行われるキックオフワークショップに参加可能であること。
■ 応募者は10月31日までに「避難生活」に関するデザインアイデアをメールで事務局へ送付できること。

募集チーム数:25チーム *応募多数の場合、お送りいただいた課題により選抜させていただきます。
応募締め切り:9月5日(金)
応募登録方法:以下のE-mailアドレスに以下の必要事項をご記入ください。
送付先:1st-earthquake@h-plus-design.com

記述事項(2名分を記載ください)
氏名・年齢・所属大学/学部・研究科/研究室/専攻
課題1:あなたが考えるデザインとは、デザインの持つ力とは何でしょうか?(100字程度)
課題2:あなたが考える震災後の避難生活で生じている課題とは何でしょうか?(400字程度)

ワークショップ参加特典
■ 各ワークショップと発表会に開催地以外からご参加いただく場合には、交通費および宿泊費実費を支給いたします。
■ 優秀3チームは東京赤坂で開催予定のワークショップで、永井一史をはじめとした第一線のデザイナーや研究者と交流できます。
■ ワークショップ内容は2009年春に出版予定です。選抜10チームのデザイン案は氏名とともに相当数のページでご紹介します。

問い合わせ先
(株)studio-L tel:06-4965-4717 mail:1st-earthquake@h-plus-design.com

後世への最大遺物

半農半Xの塩見さんがよく引用する内村鑑三という人の「後世への最大遺物」という本を読んでみた。すがすがしい気分になる内容である。最近、ずっと考えている「社会企業家」、あるいは「社会建築家」という生き方についてのヒントがたくさん含まれている。

この本の主題は、「自分が死んだ後に何を遺したいのか」というもの。自分を育ててくれたこの国、この地球に対して何も遺さずに死んでしまいたくない、という内村氏は、何を遺すべきかを真剣に考える。内村氏が引用する天文学者のハーシェルも同様の言葉を遺している。つまり「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」と。

少しでも社会をよくするために何を遺すべきか。遺すべき意義のあるものはひとつではないだろう。ひとつは金だ、と内村氏は言う。意外な答えかもしれない。ただし、単に自分の家族のために遺す遺産というわけではなく、社会のために残す金は尊いものだという意味である。社会が少しでもよくなるために使うことのできる金を遺して死ぬこと。そのために必要な能力は2つある。ひとつは当然、金を生み出して貯める能力。もうひとつは、それを意味のあることに使う能力。この2つの能力が兼ね備わっていないと、結局お金がうまく貯まらなかったり、貯まったのに私利私欲のために使ってしまったり、遺産相続の争いを起こしたりしてしまう。明治期の林学家で億万長者になった本多静六氏などは、この両方の能力を備えた人だったのだろう(誰にも知られず、全財産を社会的な事業へこっそり寄付するあたりがうまい)。

もうひとつ、遺す意義のあるものがある。事業である。金を遺す能力が無いとしても、その金を有効に使うための正しい事業を遺すことができれば、世の中は少し良くなるだろう。社会をよくするための事業を遺すことは、金を遺すことと同じくらい重要なことだといえる。社会企業家の取り組みも、社会的事業という意味で遺すに値するものだ。

金を貯めることも事業を興すことも難しいとすれば、思想を遺すことを目指せばいい。思想とは、後の人に事業を興してもらうための起爆剤だといえる。思想を文字にして遺すこともできるし、後進を教育することで若い世代に思想を伝えることもできる。文学として遺すか、教育として遺すか。いずれにしても、自分の思想を文学か教育として後進に伝えることによって、託された人たちが意義のある事業を興してくれる可能性がある。

以上、金と事業と思想のいずれを遺したいのか。僕たちはそのことを考えながら自分の人生をデザインしたいものである。

が、内村氏に言わせると、これらはいずれも「最大の」遺物ではないという。いずれも重要な遺物で遺すべきものではあるのだが、最大遺物とは呼べない。最大遺物とは、金を遺すことでも、事業を遺すことでも、思想を遺すことでもなく、困難に打ち勝って意義深い人生を歩んだ「生き方」を遺すことだという。今置かれた状況からどれほどジャンプアップして意義深い人生を歩むことができたか。結果的に遺すことのできたお金が少なくても、小さな事業しか興せなくても、数人にしか広がらない思想しか遺せなくても、もともとおかれていた立場からどれほど果敢に抜け出して、克服して、戦って、価値ある人生を手に入れたか。その伸び幅こそが後世に生きる人を奮い立たせ、勇気付け、希望を持たせる最大の遺物だ、と内村氏は結論付ける。

逆に言えば、自分の置かれた現状が困難であればあるほど、そこからの絶対値は大きくなる可能性があるというわけだ。聡明な思想家が遺した思想もすばらしいが、恵まれない状況でありながらもその思想を遺したという生き方自体は僕たちをよっぽど勇気付けてくれる。巨額の金を社会のために寄付するという行為も大したものだが、貧乏な家に生まれて努力して努力して努力して巨額の金を蓄えたその人の人生こそが僕たちを奮い立たせてくれる。こうした「高尚なる人生」こそが、努力次第で誰もが遺すことのできる最大の遺物である、というのだ。

僕の生き方は、後世の人が眺めたときに奮い立つような生き方になっているだろうか。勇気を与えるような生き方になっているだろうか。金も事業も思想も、遺せるものはできるだけ後世に遺したいと思うのだが、遺し方のプロセスを追体験した後世の人たちを沸き立たせるような人生というのもまた、魅力的な遺物である。

2008年8月17日日曜日

人口が減ることと幸せな生活

日本の国内総生産が減少すること、あるいは経済成長がマイナスになることには、負のイメージが付きまとう。確かに、人口増加時代にGDPが減少したり経済成長が鈍化したりすることは不安を煽る。人口が増えているのに全体としての収入が減っているように感じるからだ。しかしこれからは人口減少時代。人口が減少するのだから、全体としての収入が減るのは当たり前だ。GDPが減少したり成長率が鈍化することに憂いを感じる必要はない。むしろ、1人あたりのGDPがどうなっているのかのほうが重要だろう。

さらに言えば、1人あたりのGDPが減っていても、少ない収入で幸せに暮らす方法を体得した人が増えれば問題はない。広告に煽られて、本当に必要なものかどうかを自分で判断せず、流行のモノや新しいモノを買わされ続ける生活は、常に「アレが買えないから不幸だ」「あそこへ旅行にいけないから不幸だ」という気持ちに苛まれる。これでは、一人当たりのGDPが増えようとも、幸せな生活を送れる人はなかなか増えないだろう。国民総生産(GNP)よりも国民総幸福感(GNH)を重視しようとするブータンの政策に学ぶことは多い。

『日本縮小:ダウンサイジング社会への挑戦』には、以下のような記述がある。「環境への負荷や土地の制約を考えれば、量的な縮小はプラスかもしれない。しかし、売り上げ増を追求する企業や、人口増が繁栄と考える自治体が依然、多数派だ。前向きな縮小とは何か、条件を探る必要がある」。

2008年8月16日土曜日

会ってみたい人(太田満保さん)

島根県の旧平田市の市長だった太田満保さんは、人口減少社会に対して冴えた発言が目立つ。

・全国的にも人口減は避けられない。行政の最大の課題は、人口減のデメリットを恐れず、逆にメリットを引き出していく行政や社会のモデルの創造を競い合い、成熟社会への道筋を切り開くことになる。

・衰退の恐怖を背にした、定住人口の確保という呪縛は解くべきだ。

・人口が減る地域で人口を減らすまいと努力するのは砂山を作っては壊すようなもの。(中略)しかし、それを簡単に否定もできない。

平田市は2002年に市の基本構想を作った。宍道湖など水辺の環境保全や昔からの景観維持、地域単位の教育や福祉の支え合いを通じ、田舎の価値を再評価しようという内容である。人口が減るなかでも豊かに暮らすための地域づくりを模索していたのだろう。2005年に出雲市と合併してしまったが、単独行政の道を選んだとしたら、平田市がどんなまちづくりを展開したのか見てみたかった。

その後、太田満保さんは島根県知事選に出馬するが、惜しくも次点。市長在任中の1993年には4人将棋を発明するなど、なかなかユニークな市長だったようだ。今は何を考え、何を実行されているのか。一度お会いして話を聞いてみたい人である。

2008年8月15日金曜日

海士町の総合計画

海士町の総合計画のことを考えながら、朝日新聞社経済部が編集した『日本縮小:ダウンサイジング社会への挑戦』を読んでいると以下のような文章に出合った。

・日本全体が右肩上がりの人口増加を続けた高度成長期にも、農村部は激しい過疎の波に襲われた。その反動もあって、70年代以降は「国土の均衡ある発展」の名の下に、日本中の地域が人口増と地域経済発展の夢を追い続けた。しかし、全体の人口が減る中では、全部の地域の人口が増えることは望めない。

・90年代後半以降、多くの地域が長期計画などでの人口の将来見通しを減少に切り替えてきた。市町村レベルではまだ、「増加」の期待を持ち続けているところも多いが、県単位ではあまりにも現実から離れすぎるため、実態を勅旨する姿勢に移らざるを得なかったようだ。とはいえ、自らの地域の将来像を描ききれているわけではない。高度成長期以後の地方経済は、製造業の工場誘致による繁栄を目指し、バブル崩壊後にそれが立ち行かなくなると公共事業への依存を深めてきた。全国的な人口減少下でその図式が今後も可能かどうかの疑いは深まっている。出生率を上げ、流出も止めることで少しでも減少を食い止めるのか、それとも減少を受け入れたうえで新しい工夫であかるい青写真を描きうるのか。悩みは深い。

・東京郊外の埼玉県志木市。「市町村長の廃止」といった斬新な構造改革特区の提言などで知られるこの市が03年2月にまとめた「地方自立計画」はその基底に厳しい人口見通しを置いている。65歳以上の人口比率が01年の12.3%から11年には20%に、16年には24.7%と急伸し、税収減と社会保障関係支出の増大などで急速に財政が悪化する、というシミュレーションである。同市ではこの難局を乗り切るために、職員の新規採用の20年間凍結と市民が社会貢献として公務を担う「行政パートナー」の仕組みを採り入れるなど、行政サービスを極力低下させずに「小さな自治体」を実現する方途を模索している。

いずれも、海士町をはじめ全国の市町村における長期計画を立てる際に重要な視点だ。都道府県でもいまだに将来の人口推計をマイナスにしたがらない担当者がいると聞く。市町村については、多くの場合がんばればまだ人口が増えると期待している。長期的に人口増加を保つことができる魔法を知っているのであれば話は別だが、そうでなければ仮に一時的な人口増加を達成したところでいずれは人口減少社会を体験することになるだろう。そのときになって慌てることになるとしたら、それは問題の先送りでしかなかったということだろう。それよりはむしろ、人口減少下で幸せに暮らす方法を自分たちで発明するという態度が望ましい。志木市の「行政パートナー」という仕組みはすばらしいものである。この仕組みが実現したのか、実現したとしたら課題はどんなものなのかについて調べてみたい。

2008年8月13日水曜日

雑記

午前中は、スタジオにて博報堂の筧さんと小塚さんとでi+dの打合せ。第1日目のプログラムがほぼ見えてきた。参加する学生の応募も少しずつ増えてきている。

夕方から、京都造形芸術大学の水野先生と打合せ。後期のこども芸術学科の講義をどう進めるかについて話し合う。なるべく屋外で授業を進めることで一致。屋外にあるものをつかって自分の身の回りの環境を体感しながら表現することを目指す。

夜は学芸出版で打合せ。ランドスケープデザインの歴史についてまとめる書籍の目次構成や各章の内容について話し合う。年代をどう分けて、分けた年代のなかで作品をどう説明するのかが難しい。作家はコラム的に扱うことで合意。施設タイプごとの歴史もコラムとして扱うことになる。

今回こそは、締め切りを守って執筆するという覚悟が必要である(汗)。

2008年8月11日月曜日

暑苦しくてすみません。


大阪は、毎日暑いです。studio-Lも熱いです(蒸)
ARCHITECT TAITAN のさわやかな暑中見舞いに比べて、暑いのに暑苦しい写真で申し訳ないと思いつつ。。。
日ごろお世話になっているみなさまへの暑中お見舞い申し上げます。
まだまだ暑さも続きます。
みなさま、お体ご自愛ください。


西上ありさ

2008年8月9日土曜日

雑記

朝から島ヶ原へ。島ヶ原ではホヅプロ合宿中。現場は少数精鋭だった。少ない人数のほうがはかどるのかもしれないと感じた。つまり、プログラムを運営するための準備作業などが多くないし、ひたすら裏方という人もいなくていい。おかみさんの会も少人数のほうが準備しやすいだろう。

タイタンの河原さんと中川さんが現地へ来てくれていた。学生たちとともにタイタン棟の施工に立ち会う。

広場のテーブルと椅子のデザインをスタディする。直射日光を避けるために、穂積亨さんがご自身の麦藁帽子を貸してくれた。それをかぶりながら広場のテーブルと椅子のスタディ。テーブルは、ローテーブルにすることを決めるとともに、大まかな外形を決定した。オムスビ型の机が4つ誕生しそうだ。

ホヅプロの今後について澄子さんと相談。常駐できるスタッフを育てたい。一度、社会に出てプロジェクトマネジメント能力を高めた人で、ホヅプロ出身者が最適か。

夕方から、同じ建物に事務所を構えるゴウサイズの藤田さんと、アクタスの濱吉さんたちと、福島のザ・タワーにて食事会。淀川の花火を眺めるのに適した場所へ案内してもらう。とても贅沢な時間を過ごすことができた。

アクタスの濱吉さんとゴウサイズの藤田さんとで、ホヅプロをフィールドにした社会貢献事業をやろうという話で盛り上がる。さっそく、近いうちに実現させるための作戦を練るために打合せすることになる。楽しみなプロジェクトである。

2008年8月8日金曜日

雑記

午前中は兵庫県庁にて健康診断。生まれて初めて飲むバリウムは、それほどまずくは無いと感じる。脅されすぎたのか。

その後、ビジョン課の木南さんを訪問。この人は、常に面白いことをいろいろ考えている。ぜひ、いろんなことを一緒にやりたい人だ。優秀な行政マンだと思う人の一人である。また、本棚を眺めていて、読んでいる/読もうとしている本が似ていることに驚く。

なお、ビジョン課が進める「集落の元気事業」はすでに担当者が2名ついていた。ビジョン課の畑課長の行動力・実行力はすごいものである。今後とも、情報交換させていただきたい部署である。

夕方からは、スカイビルの積水ハウスで提供公園プロジェクトの打合せ。開発提供公園を意味のある空間にするためのフロー図を書くことで一致。また、秋ごろには具体的に学生たちとプログラムを実施してみる。そのときの実行部隊(学生)を集めて、そろそろ決起集会を開く必要がありそうだ。

2008年8月7日木曜日

雑記

午前中は東京駅近くの丸ビルにてバンタンの木村さんの取材対応。料理とランドスケープの相似点について話をする。
・健康やボリューム(用)と美味しさや美しさ(美)のバランスを考える点は、機能性と審美性という面でランドスケープデザインに通じるところである。さらにコスト面の話が入る点も共通している。
・デザインの上流へ遡るという点も似ているかもしれない。ランドスケープデザインでも、最近は住民参加や企画立案まで踏み込むデザイナーが増えている。同様に、料理の上流へ遡って、実際に野菜を生産したり、フェアトレードを実施したり、独自の農場で循環型/有機農業を展開する料理人が増えている。
・素材を活かすという点も共通している。どこで人の手を止めて、自然の素材を活かすか。すべてをデザインしきらない/すべてを調理しきらないという態度。

午後から東大にて瀬田さんとの打合せ。パークマネジメントか限界集落かについて相談する。やはり、当面はパークマネジメントを軸に論文を組み立てることにする。

夕方からは国土研究会の打合せ。地方財政についての勉強会を開く。講師は、地方財政の関連著書を多数出版している肥沼さん。非常にわかりやすい話で(すべての質問に的確に答えてくれるのがわかりやすい)、地方財政を理解することの重要性を実感。海士町の総合計画も財政計画の裏づけを取ることが重要であることを実感する。

また、財政課で長く働いた肥沼さんが、各課の施策を眺めた中で、特に大切だと感じたのが緑化だという話に心救われる思いがした。教育や福祉など、財政課から見れば重要な施策はいろいろあるように見えるだろうけれど、なかでもみどりの重要性を感じたという言葉を聞いて、パークマネジメントについて研究する必要性を感じた。

2008年8月6日水曜日

雑記

午前中は京都府綾部市へ。限界集落への対策として早かった「水源の郷条例」について、その担当者である朝子さんにヒアリングする。どこも悩みは同じようだ。人口減少、高齢化、放棄田、森林の荒廃、空き家や空き地、鳥獣害。日本中の集落が対応策を求めている。集落の問題をテーマに研究をする必要性を実感。HEMの研究成果は、必ず集落の人々にとっての参考になるものにすべきであると気を引き締める。

水源の郷条例は5年の時限条例。最終的には水源の森を使う事業が生まれることを期待している。が、現在のところは水源涵養の森や田畑に関する仕事を始める集落はなく、別のことを計画する集落が多いという(お菓子作りなど)。お菓子づくりが今後どのような活動につながるのか、動き始めた集落の活動が今度どう発展していくのかが楽しみである。

夕方から半農半Xの塩見さんを取材。落ち着いた静かな人だが、興味深い話が次から次へと飛び出す人。独り占めが嫌いな人なのか、何でも共有したがる。人間同士の共有もあるし、鳥や昆虫や雑草とも共有しようという考え方。稲を育てているのだが、それはすずめに食われても仕方が無いという考え方からネットをしない。自分の田んぼで実った稲穂も、ある程度はすずめに食べられても仕方が無いと考える。自分の蔵書も廃校になった小学校(母校)の保健室において誰でも参照できるようにしてある。独り占めしないという主義が、すがすがしいほど徹底されている。

自分が持っている力をすべてひとつの事業に注ぎこむこと。いろいろやるというのは力の分散になってしまうので、もったいない。テーマを決めたらそれに全精力を注ぎ込むというのが塩見さんのやり方は見習いたいところである。あれもこれもでは大成しない。何に絞り込むのか。そこが重要だと感じる。

2008年8月5日火曜日

雑記

午前中は、i+dの下見としてHEMの展示館へ。実は僕も展示館には初めて入る。思ったより充実した展示内容で、資料も豊富にあることを実感する。ワークショップにおける展示室関連プログラムの時間を長くしたほうがいいのかもしれない。

研究員の紅谷さんに話を聞く。震災後の避難生活に関する情報は豊富に持っている。自身の修士論文がまさにそのテーマ。ワークショップ当日に会場で話をしてもらうようお願いする。快諾をいただいた。

その後、展示の平林さんと打合せ。i+dで出てきた作品やパネルを展示する計画を立てる。いろいろ協力してもらえるという。かなり貴重なアイデアを聞かせてくれた。展示方法や展示場所についてもいろいろ提案してくれるという。頼もしい。

午後からは谷町にてNHKプラネットの赤沢さんと打合せ。その後、大阪府の公園緑地課にて村田工区長と打合せ。この人はとても活動力のある人だ。民間の人より効果的に、そして効率的に立ち回る。21世紀型の公務員だと思う。

夕方からは、大阪府みのお森町の小寺さんと打合せ。この人も行動力と意思決定力のある人で、問題の所在を明確に見抜く人である。大阪府の職員は優秀な人が多い。知事のアイデアをうまく着地させるべく、優秀な人たちが日々走り回っているという印象がある。僕たちと同世代の大阪府職員はどうだろうか。成長しているだろうか。村田さんや小寺さんのような行動力のある職員に育って欲しいものである。

2008年8月4日月曜日

雑記

HEMにて打合せ。来年度の体制がまだ見えない。僕の限界集落研究は今年度で担当が終わる。最終報告書をしっかり書き上げる必要がある。第一義的には兵庫県の職員の人たちにとって参考になる情報を入れ込んだ報告書にしたいが、少しでもいいから現場の集落で生活する人たちの役に立つ情報を入れ込みたいと思う。行政だけで解決できる問題はかなり少なくなってきている(やれることはすでにいろいろやっている)。集落の人たちとどこまで協力して作業を分担しながら行動を共にすることができるか。そこが重要になるだろう。多くの人のアイデアが必要なので、集落の人たちだけでなく、都市部に住む人のアイデアも求められる。当然、すべてが解決できるわけではないので残された課題は多くなるが、来年度以降の研究にその方向性を託したいと思う。

来年度の研究体制がどうなるのかはわからないのだが、個人的には現所長の林敏彦先生の下で引き続き研究したい。林先生の発想は、僕にとっていつも新鮮である。経済学者の発想なのか、林先生の個性なのか。僕が建築分野内部での議論に慣れてしまっているのかもしれないが、林先生の話を聞いていると世の中で大切なことが何なのか、何に税金を使うべきなのかを、建築だけでなく、福祉や教育や産業などすべて同じ土俵の上で話が出来ているように思う。われわれはついつい建築分野の話ばかりを重視してしまうのだが、その偏重を正すためにも林先生の近くで研究できる時間が欲しいと思う。来年以降もHEMにて、林先生の研究所の所員として限界集落の問題に取り組むことができれば幸せなのだが。。。

夕方からオープンデスクの川崎くんが来社。一度働いた経験のある京都大学大学院博士課程。頼もしい人材である。スタジオの仕事がとても奇異に見えたのだろう。どういう仕事をしているのか、どうやって事業をマネジメントしているのか、どうやって仕事をつくりだしているのか、などを学びに来たという。僕らが持っている情報はなるべく共有して、社会的な課題の解決に一緒に取り組みたいと思う。

2008年8月1日金曜日

島根県隠岐郡海士町の名物宿。

地方担当の西上です。
島根県隠岐郡海士町で総合振興計画策定のために9日間ほど滞在していました。


帰り際に海士町の名物宿である「たじま屋」さんから美味しいお土産を頂きました。
蓋を開けると・・・


そこは海士でした(感動)
磯の匂い~。サザエが生きてる~。


サザエ、ワカメ、モズクがどっさり(さらに感動)


サザエは、お刺身とつぼ焼きに(取り出すのに悪戦苦闘・・・)


モズクは、お味噌汁とモズク酢に。

大阪に帰ってきたのに、海士を堪能した素敵な夕食でした。
たじま屋のみなさま、ありがとうございました!

海士町へ行かれる方は、ぜひ「たじま屋」さんへ。
http://futamatamaru.com/tajimaya/top/hp-top071017

2008年7月31日木曜日

雑記

午前中はスタジオにて、漁村計画研究所の富田さんによる取材の対応(富田さんは兵庫県立大学の山崎義人さんからの紹介)。漁村計画研究所とは面白い屋号である。その名のとおり、日本中の漁村の計画に携わっている。とてもユニークな業態だ。いえしまのまちづくりについてもかなり興味を持ってもらったようで、詳しい内容を取材して帰られた。一度、何か一緒にプロジェクトをやってみたい人たちである。

午後からHEMにて、震災時の孤立集落に関する研究発表会に参加。道路が寸断された場合に孤立してしまう集落が、復旧するまでの時間を予測したり、その間の生活をどうするのかという課題を検討したりする。僕の研究成果にも関係する内容なので、発表者と名刺を交換(同じ研究所にいるのに初めて会う)。今後、いろいろ情報交換させてもらうことになる。ありがたいことだ。

2008年7月29日火曜日

雑記

午後から丸ビルのホールにて博報堂のプレゼンテーションを聞く。テーマは「グリーンクラス」。一緒にプロジェクトを進めている筧さんが発表する。明快なテーマとプレゼンテーションだった。たもかくの事例も登場。僕らとの議論が少し活用されているのが面白い。

夕方から、東大にて石川幹子先生と打合せ。パークマネジメントに関して研究する際の留意点や研究方法などについて相談する。パークマネジメントに先立って調べておくべき公園運営の歴史や、現代の公園を取り巻く諸事情について調べるようアドバイスをいただく。また、HEMで担当している限界集落の問題に話題が広がり、限界集落について研究することを強く勧められる。パークマネジメントについて研究しようと考えていた心が少し揺らぐ。この時期になって揺らいでいる場合じゃないんだが。。。

2008年7月28日月曜日

雑記

午後から東大にてドクター論文の中間発表。まだまだ先が長いことを実感。来年の中間発表にはそれなりの成果を出したいものだ。

夕方から恵比寿にて建築家の松田達さんと会う。時間が限られていたのだが、最近よく考えている社会建築家という概念について話し合う。

その後、同じく恵比寿にて慶応の加藤さんとURの武田氏と会う。加藤さんの最近の活動をいろいろ聞かせてもらう。以前、話を聞いたときよりもさらにプロジェクトが多岐にわたり、パワーアップしている。いつも発想が面白い。いくつか、僕たちのこれからの活動に関わるヒントをいただく。加藤研究室のフィールドワーク先として、来年あたりにいえしまへ来ることになるかもしれない。これは相当楽しみである。早くゲストハウスを使えるようにしなくては。

2008年7月27日日曜日

雑記

午前・午後ともに、止々呂美のダムサイト(余野川ダム予定地)にて炭焼きプログラムを実施。去年、止々呂美のフィールドワークに参加した学生たちと一緒に、ダムサイトを歩き回ってプログラムを実施する可能性のある場所を探る。ダムサイトはとにかく広い。やれることも多いし、やりたい場所も各所に散らばっている。何をどこで誰がどうやってやるのか。整理する必要がある。マップをつくったほうがいいかもしれない。

プログラムのひとつとして、実際に炭を焼いてみる。ドラム缶を使った簡易窯をつくって、火を入れて、実際につくってみることにした。炎天下の炭焼き。干からびそうになる(笑)。

2008年7月26日土曜日

雑記

午前中はスタジオにて日経新聞の取材対応。いえしまのまちづくりについてお話する。

午後から、リフレ岬の販売センターにて住民ヒアリング。公園の使いこなし方、リフレ岬での生活、不満な点などをお聞きする。自治会長やNPO関係者など、比較的自ら活動している人たちとの話し合いだったので、積極的な意見がたくさん聞けた。

夜は中崎町のコモンカフェにて「けんちくの手帖」。ゲストは「天満のスイッち」の真柴さん。天満界隈のタウン誌的な書籍を2冊出版したツワモノ。2冊出版できるかどうか分からないうちから、1冊目に「Vol.1」と明記してしまうあたりがスゴイ。また、どの出版関係者に聞いても「天満界隈だけの情報誌なんて売れない」といわれてしまったので、自分たちで出版してしまったという行動力もスゴイ。あまり先のことを考えずに行動するタイプなのか、実は非常に綿密な計画を立てているのにそういうことを明かさないタイプなのか。興味深いワークスタイルである。

2008年7月15日火曜日

雑記

昼から建築家の藤村龍至さんの事務所へ。本人が設計に携わった建築物のなかに事務所を構える。恵まれたシチュエーションである。居ながらにしてポストコンストラクションアナリシスができる。興味深いつくり方/つかい方だ。

藤村さんといろいろ話をした。話をすればするほど、アプローチは違えど建築に対するまなざしや建築業界に対するまなざしは共通点があるということを感じる。その後、建築物を案内してもらう。随所に新しい試みがあって楽しませてくれる。大高さんの坂出人工土地を思わせるような構成でワクワクする。

その後、本郷で国土形成計画に関する研究会。大阪市立大学の瀬田さんが代表を務める研究会で、東大の松行さん、金さん、東北大の姥浦さんと学生の三浦さんが参加する。まずは人口減少社会に関する課題を列挙することから始めようということになる。

さらに移動して赤坂の博報堂でi+dプロジェクトの打ち合わせ。このプロジェクトはかなり面白いものになりそう。大学院生を中心とした参加者を募集して、社会問題をデザインで解決するワークショップを実施する予定。もうすぐ募集要綱を配布して参加者を公募する予定。

続いて博報堂にて都市+デザインプロジェクトの打ち合わせ。都市をメディアとして捉え、都市住民が楽しく生活するためのヒントを探る。日本中で都市に関するさまざまな取組みが出現していることを知る。ただし、実際に自分たちがどんなアクションを起こすのかということになるとなかなか難しい。が、興味深い取組みでもある。都市生活のフォーマットをずらしてしまうような新機軸を提示することができればやりがいのある仕事になりそうだ。

2008年6月22日日曜日

アーバンスタイルラボ(森本武さん)

午後からスタジオにて、『負のデザイン』の著者である森本武さんをお迎えしてアーバンスタイルラボを開催しました。
大阪府産業デザインセンターの杉本さんが森本さんと知り合いだということが発覚(!)し、ぜひとも一度お話をお伺いしたいということから実現した会合でした。

森本さんからは、デンマークの政府や行政や生活がいかに人間的で豊かかを紹介してもらいました。逆に、日本における節度のない消費社会化の問題点や、ものごとの基本概念についてじっくり考えてみることの必要性についてもお話いただきました。

教育問題、環境問題、食の安全性、福祉問題など、さまざまな問題が世界レベルで議論されていますが、人間が生じさせるこの種の問題は、人間のどういう性質から生じるものなのかをしっかり考えてみる必要があるのではないか、という森本さんの意見に、近頃「忙しいから」という理由で哲学的に物事を考えなくなってきた自分を恥ずかしく思いました。哲学的に物事を考えるということは、特に難しい言葉を使って考えることではなくて、生活の実感から問題を掘り下げて考えていくことなのでしょうね。個別の問題解決に奔走するのではなく、その問題を引き起こしている人間性について考えてみたいと思います。

そのことが、これからの都市のあり方を考える基本的な概念に繋がるんでしょうね。

2008年6月21日土曜日

アウトサイダー・アート

午後から民族藝術学会の例会へ行きました。僕はいえしまプロジェクト、マゾヒスティックランドスケープ、OSOTO、ホヅプロなどについてお話し、兵庫県立美術館の服部正さんはアウトサイダー・アートについて講演されました。

アウトサイダー・アートという考え方はとても興味深いものでした。概念自体は1860年ごろに誕生したとのこと。ランドスケープアーキテクチュアの誕生も1860年ごろですから、アウトサイダー・アートとランドスケープアーキテクチュアは同い年くらいだということになります。

アウトサイダー・アートの発端は、精神病患者などがアートの教育を受けないにも関わらず、誰に発表するわけでもなく、生活の必要に駆られるわけでもなく、ただ黙々と創作し続けたものが精神科医などに注目されるようになったことなのだそうです。精神科医にしてみれば、黙々と創作活動を続ける患者たちが、患者ではなく、ある種の芸術家なのではないかと感じたようです。1920年ごろまでは、精神科医などが患者の芸術家的側面を強調することによって、アートの外側にいる人たちのアートという意味で「アウトサイダー・アート」が注目されることになりました。

一方、1920年ごろから先は、アートの内側にいる人たちにとって外側から大文字の「ART」を批評するものとしてアウトサイダー・アートの概念が拡がることになります。芸術的計略性に満ち溢れた「ART」ではなく、機能も発表も何もしないけど作り続けるアウトサイダー・アートのなかに、アートが本来持っていた純粋性を見出していたんだろうと思います。それが、当時のアート界を外側から刺激することになったのでしょう。

僕たちも「アウトサイダー」としていえしまや島ヶ原といった地域に入り込みます。当初は驚きの目で見られたり、反発があったりしますが、外部から見た視点で地域の良さや問題点を指摘することができます。このことによって、内部にある種の変化を起こして、それをまちづくりの原動力にしているのかもしれません。

まちづくりに重要な人間として、「よそもの、わかもの、ばかもの」の3人を挙げられることが多いですね。考えてみれば、この3種類の人間は地域の自治会などにとってはいずれもアウトサイダーとして目される人たちなのかもしれません。

そう考えると、アウトサイダー・アートがどのように大文字の「ART」を刺激し、変容を生みだし、入り込み、ある意味で飼いならされていったのかを追ってみたいものです。幸い、服部さんが『アウトサイダー・アート』という本を書いていますので、まずはそれを購入して勉強させてもらおうと思っています。

2008年6月17日火曜日

西神小児心身症研究会

西神小児心身症研究会というところで、こどもの遊び場をこどもとデザインすることについて講演することになりました。
あそびの王国の設計プロセスやガキクラというプレイリーダーの組織化、そしてユニセフパークプロジェクトのマネジメントなどについてお話しようと思います。

日時:2008年7月9日(水)19:00-20:30
場所:西神戸医療センター4階会議室(神戸地下鉄西神中央駅から徒歩5分)
タイトル:こどもが遊ぶ空間をデザインする-ユニセフと協力しての子どもの遊び場づくり-
主催:西神小児心身症研究会

山崎

2008年6月12日木曜日

イヴニングレクチャー京都へ行ってきました。

京都造形芸術大学で講義した後、京都のメディアショップで開催されたイヴニングレクチャーへ行きました。あいにくこの日に限って風邪で声がほとんど出なくなってしまい、集まってくれた人たちには申し訳ないことをしました。マイクで声を拾って大きくしてもらって、かすれ声を聞き取ってもらうようなレクチャーになってしまいました(笑)。

にもかかわらず、30名を超える学生さんや社会人の方々に集まってもらうことができました。来場してくれたみなさん、どうもありがとうございました。

京都市立芸術大学のメンバーや京都造形芸術大学のメンバーをはじめ、京都工芸繊維大学、龍谷大学、京都建築大学校、京都女子大学など、いろんな大学の学生が集まってくれました。また、建築未来研究所の北川さん、けんちくの手帖を一緒に主宰している吉永さん、ローバー都市建築事務所の野村さん、RADの川勝さんなど、社会人の方々も会場に来てくれました。さらに、小川治兵衛の店「植治」の小川さんも会場に来られていました。日本庭園も伝統を刷新させていく時代だという小川さんの認識は、まさに僕たちがスタジオで共有しているものと同じ種類のものでした。いつか一緒に仕事がしてみたいものです。

260枚用意したパワーポイントでしたが、声の調子が悪かったのと時間がなくなってしまったので、150枚くらいでお話を区切りました。残りの100枚分は、また別の機会があればお話しようと思います。どうやら、また秋ごろにメディアショップさんで続きをやらせてもらえるようです。
その際には、今回集まってくれたみなさんにもぜひ再会したいものですね。

山崎

2008年5月30日金曜日

OSOTOのイベントです。

OSOTOのイベントを開催します。
OSOTOで紹介したグッズや本などの実物を展示したギャラリーと、屋外空間を使いこなすプログラムを実施する予定です。今週末からはじまります。興味のある方はぜひご参加ください。

2008年5月29日木曜日

民族藝術学会にて発表します。

■ 民族藝術学会 第110回研究例会

日時:2008年6月21日(土) 午後2時-5時

場所:京都造形芸術大学 至誠館S24教室(予定。変更の場合掲示します)
   京都市左京区北白川瓜生山2–116 Tel: 075–791–9122

交通:京阪出町柳駅、JR京都駅、阪急河原町駅より市バス5系統(岩倉行)
   「上終町京都造形芸大前」下車
   (河原町駅からは市バス3系統も同停留所停車)

内容:「with/out」 

「風景に内在する手作業の発掘を通したまちづくり」
 - Landscape without Landscape Architect
 山崎亮(ランドスケープデザイン)

「逸脱するアウトサイダー・アート」
 - Outsider Art / Out of ART
 服部正(アウトサイダー・アート)

 コーディネーター:小野暁彦(京都造形芸術大学)

民族藝術の定義である、1)生活に密着した藝術、2)大文字の「藝術」を疑った藝術実践、という観点から、ランドスケープデザインの山崎亮氏と、アウトサイダー・アート研究の服部正氏をお招きしてお話を伺い、「with/out」という視点からの考察を加える。

京都造形芸術大学通信教育部デザイン科共催

定員:70名(当日先着順)

連絡先:担当理事 西垣安比古 京都大学人間・環境学研究科
    Tel: 075–753–6811

山崎

2008年5月27日火曜日

イヴニングレクチャー京都@メディアショップ

京都のデザイン系書店「メディアショップ」でレクチャーを1つ担当することになりました。

人口増加時代のランドスケープデザインについては、お手本がたくさんあります。
ピーター・ウォーカーやガレット・エクボやダン・カイリー。
人が増え、経済が成長し、新たな居住地を開発し、社会資本整備が拡大する。
そういう時代にどんなランドスケープデザインがなされてきたのかは、すでに多くの書籍や作品集が発売されています。これをじっくり読み解くことで、これまでどうやって仕事をつくりだしてきたのかを伺い知ることができるでしょう。

ところがこれからは人口が減少する時代。土地が余り、空き家が増え、税収が低下してオープンスペースの新設が難しくなるだけでなく、維持管理さえままならぬ世の中。
そんな時代に生きる僕らは、ランドスケープデザインへの取り組み方自体をしっかり考えておかなければなりません。
すでに「つくってきた」実績がたっぷりある大御所の先生方と違って、これから「風景をデザインしよう」としている若手にとって厳しい時代になることは間違いないでしょう。
そんな時代に僕らはどうやってランドスケープデザインに関わるべきなのか。
どうやって仕事をつくりだすべきなのか。
そんな話をしようと思います。

会場の都合で、レクチャーには事前予約が必要なようです。
少ない人数で密なディスカッションができればいいなぁ、と思っています。
これからの時代におけるランドスケープデザインについて、問題意識を持っている人にひとりでも多く参加してもらいたいと思います。


■ Evening Lecture Kyoto Vol.2

人口減少時代のデザイナーはどうやって仕事をつくりだすのか:
ランドスケープデザイナーによる新たな試みを通じて

日時:2008年6月12日(木)20:00-21:30
場所:MEDIA SHOP(京都)
参加費:1000円(学生)/1500円(一般)1ドリンクつき
講師:山崎亮/studio-L代表
申込み・問合せ:event@media-shop.co.jp
定員:20名

人口増加時代のデザインから人口減少時代のデザインへと、僕らが働く時代は大きな発想の転換を求められることになるでしょう。これまでのやり方を続けるだけでは仕事が少なくなるばかりです。一方、新たに表出する社会の課題をうまく捉え、デザインの力でそれを解決することができれば、魅力的な仕事はどんどんつくりだせます。
このレクチャーでは、『マゾヒスティックランドスケープ』という書籍で示した「主体的な市民」とともに風景をデザインするランドスケープデザインの方法についてお話します。



山崎

2008年5月15日木曜日

スタジオのCSR?

もう1年になろうかと思いますが、スタジオ内の窓辺で植物を育てています。

そのきっかけは、醍醐がふとどこからか小さな鉢にサボテンをもらってきたことから始まったと思います。そのことが西上の農家魂に火をつけたのか、大きな鉢がスタジオの窓辺に3つも並ぶこととなってしましました。その鉢には、いただいた1年草や花種を植えて、地域の緑?にごく微量ではありますが貢献しています。(笑)

その鉢が、最近変わろうとしています。これまで花や草がメインだったのが、食べることができる植物に変わってきました。2~3週間前くらいに三ツ矢サイダーの付録でついていたプチトマトの種を植えたところ、これが順調に育ってきています。この分だと夏には熟したプチトマトが食べれるかもと、みんな期待しながらせっせと水遣りをしています。

神庭

2008年5月8日木曜日

第2回 うみのいえプロジェクトの参加者募集中。



離島担当の西上です。
第2回うみのいえプロジェクトの参加者募集中です。

◎第2回うみのいえづくり開催概要
日程  2008年6月6日~8日(2泊3日)
場所  兵庫県姫路市家島町坊勢鳥ヶ内海浜公園
主催  ビーチ&パークプロジェクト実行委員会
協力  戎水産、ささゆりの会、探られる島実行委員会、
     ホヅプロ実行委員会
参加費 3000円(保険代・宿泊費込)

◎参加申し込み方法
下記の問い合わせフォームから「うみのいえプロジェクト参加希望」とお書きの上、お名前(ふりがな)、住所、携帯、Eメールアドレスを記入して申し込んでください。
http://www.studio-l.org/contact.html
(担当ニシガミ・シラエ)

※参加特典 合宿中の食事は、瀬戸内海の海の幸三昧の予定です。

御津室津のあさり。



地方担当の西上です。
今日は、ひょうごツーリズム協会の矢島正枝さんのお招きで、山崎さんと御津室津へ行ってきました。
御津町観光協会の岩村勉会長とお会いして、御津町のまちづくりについていろいろと教えていただきました。
岩村会長は、会長自身が率先して活動するまちづくりを実践されていました。
帰りに、あさりのお土産をいただきました。
ありがとうございました。

写真は、あさりの酒蒸し、あさりのバター焼きです。

御津室津は、家島の対岸(真正面)にあるので、何か一緒にできそうな予感がしました。

2008年5月6日火曜日

新撰組精肉部

姫路市で気になる店を発見した。



看板下部の模様はまさしく新撰組。精肉部とは。。。

2008年5月4日日曜日

JA陸別町

JA陸別町さんの依頼を受けて、ホームページを製作しました。




陸別町は北海道足寄郡に位置する街で、北海道独特の広大な風景が望める場所です。しばれフェスティバルやオフロードレースなんかも有名な場所です。
また、僕も何度か食しましたが、ここで採れたアスパラは格別です。皆さまも機会があれば、一度ご賞味ください。

せっかくホームページ製作を通じて関わりをもった場所なので、一度は訪れてみたいところですね。

第1回 うみのいえプロジェクト(3日目)


3日目に突入したうみのいえづくり。
毎日快晴なので、水分補給は欠かせません。
竹をつかって作業しているので、コップも竹でつくりました。
みんなの名前入り。

今日の作業も、①柱を組む、②ロープワークショップ、③屋根を編む作業を継続しました。

①柱を組む

柱を組み、ロープでくくるミシェル(粟野)さんと亀谷さん。


六角形の躯体が完成。


でもまだゆがみやすいので、補強作業が必要です。


お昼ごはん。

お昼は、坊勢の郷土料理(たぶん)である「ガンドガレイ弁当」。
カレイを干して、甘辛いタレにつけて、ごはんにはさんだもの。
素朴な味でした!


②ロープワークショップ

午後からはみんなでロープワークショップ。
ピーター先生にロープのくくり方を学びました。


③屋根を編む

屋根用に割った竹を敷き詰め、穴を開けるまっきーとまっちとみっこ。
なんでも興味津々のまっきー。
モクモク作業をするまっち。
いつも賑やかなみっこ。


竹屋根葺き職人になったイケガー。
じろうではありません、イケガーです。


みっこはロープワークにはまった様子。
竹のくくり方(もやい結び)をふなっぺにレクチャー。


漁師のソウヘイさんの指導のおかげもあり、無事に屋根が編みあがりました。


だんだん全体像が見えてきました。
あともう少しで完成できそうです。
竹の取り扱いの難しさを痛感しました。
竹の扱い方に詳しい方は、アドバイスをお願いします!

2008年5月3日土曜日

第1回 うみのいえプロジェクト(2日目)


西上です。
この写真はプロジェクトリーダーのピーターです。
坊勢島は今日も快晴!
今日は、①柱の組み方の検討、②竹を編んで屋根をつくる、③柱を組む作業をしました。


まずは、「安全第一」のため、ラジオ体操から開始。
ラジオ体操の音楽探さないといけないなぁ。。。
誰か持ってないかなぁ。


大工の亀谷さんが登場。
亀谷さんとは、旧家島町時代のまちづくり研修会(6~7年前)からのお付き合い。
心強い助っ人です。

①柱の組み方の検討

山崎さんも登場。
うみのいえを設計した粟野さんと柱の組み方について話し合っています。
竹は、工業製品と違い規格が揃わないため、現場での試行錯誤が続きます。

②竹を編んで屋根をつくる

屋根を編むためには、まず屋根用に竹を切る。
竹を切っているのは、漁師のソウヘイさん。
海のおとこは、筋肉ムキムキ!
横で見守っているのは、ふなっぺ。
ふなっぺは、ここからどんどんホヅプロで培った力を発揮していく。


竹を切るげんの勇姿 。


竹を切るカールの勇姿。


屋根のフレームをつくる、ふなっぺ、ちゃき、イケガー。


竹を切るソウヘイさんの勇姿とそれを見守る井上くん。


ロープを使って竹を編む方法を教えてもらう。


インパクトで穴をあけつつ、ひたすら編む。


ひたすら編む。


屋根完成!
木陰の砂浜で昼寝は最高。


フレームにのせるとこんな感じ。


◎お昼ごはん。

お昼ごはんは、ささゆりの会のみなさまから「牛スジたっぷりおでん」をいただきました。
写真に写っているのは、料理を担当してくれたちゃき。
料理の腕前、かなりのものです(驚)


③柱を組む

みんなで柱の強度を確かめる。


屋根をのせても大丈夫か不安なので・・・


神庭さんに乗ってもらう。


その結果、柱はこんなふう↑になりました。



今日の作業はここまで。
かなり暑い一日だったので、次回からは日陰を確保しなければ、と思いました。
坊勢区会さんにテント借りに行ったほうがいいなぁ。

2008年5月2日金曜日

第1回 うみのいえプロジェクト(1日目夜)


これは、うみのいえづくりの際に提供していただいた「みんなのいえ(合宿所)」です。


「みんなのいえ」のお風呂がスケスケだったので、大漁旗を拝借して目隠しをしているところ。


隣のおうちから頂いた差し入れの「メバルの南蛮漬け」
さっぱり味で美味しい。


このプロジェクトの代表小林しま子さんから頂いた「スズキのアラの煮付け」と「イカとタケノコと豆の煮物」
アラなのに身がいっぱい!

みんなでビールで乾杯した写真があったのですが、ピンボケが激しくアップできませんでした^^;
※注 はじけすぎでアップできないわけではありません。そうですよね、神庭さん。