2005年4月29日金曜日

「友ヶ島」

コラボ研のフィールドワークで和歌山県の友ヶ島へ行く。

友ヶ島は戦争遺産(国防遺産)で有名な島。日清戦争の頃から船や潜水艦を狙って攻撃できるような設備が整備され始め、第2次世界大戦頃にすべてが完成したという。ところが、アメリカ軍は船じゃなくて飛行機でやってきたため、結局友ヶ島の砲台は使われること無く終戦を迎えたそうだ。

そんな少し間抜けな歴史が、戦争遺産を純粋に土木構造物の廃墟としてみることに役立っている。この島の廃墟を見ると、石の廃墟、レンガの廃墟、鉄の廃墟、コンクリートの廃墟、木の廃墟がそれぞれどんなものかを体感することができる。やはり、一番美しいのは「石の廃墟」であり、もっとも醜い(あるいは跡形も無い)のが「木の廃墟」であろう。

ただし、木造の廃墟は天井が落ちて日光や雨が室内に入り込むため、すぐに樹木が廃墟を覆い始める。つまり、木造の廃墟はその醜さを露呈する期間が短くて済むのである。そう考えると、もっとも問題なのはコンクリートの廃墟だといえるかもしれない。消えうせないくせに美しくない廃墟。

鉄筋コンクリート造が多い日本の郊外住宅地は、果たして美しい廃墟になれるのだろうか。友ヶ島を見ながら50年後の郊外住宅地について夢想してみた。


石の廃墟

レンガの廃墟

鉄の廃墟

コンクリートの廃墟

木造の廃墟(屋根が落ちて室内に樹木が生えている)

山崎

2005年4月27日水曜日

「素材に触発されるデザイン」

机の上の1本の棒が置いてある。紡績工場で使われていたという古びた棒だ。なんとなく愛嬌のあるカタチなので、机の上のペン立てに挿してある。



この棒を僕にくれたのは「refs」を主宰する太田順孝さん。偶然、紡績工場に眠っていた使い古しの糸巻軸に出会った太田さんは、そのカタチや手触りに魅せられたそうだ。そしてすぐにその棒を大量に貰い受けて家具をデザインし始めたという。

家具といってもシンプルなものである。太田さんが施したデザインのオペレーションは、合板に無数の穴を空けること。その穴に件の棒をランダムに差し込む。棒の配置によっていろいろ活用できる家具ができあがる。




太田さんがデザインした家具

使わなくなった紡績の糸巻棒を素材として活用すること。合板に穴を空けただけのデザインに留めること。このシンプルな操作によって生まれた家具は実に好感が持てる仕上がりとなっている。もちろん、この家具は使う人が自由に棒の位置を組み替えることができる。

この家具の場合、紡績工場で糸巻棒を見つけ、それを家具に活用しようと思った時点でデザインの70%は完成しているといえよう。いかに魅力的な素材に出会うか。そしてその素材を活かす方法を思いつくか。僕はそんな単純なデザインプロセスに魅力を感じる。

ふと世界を見渡してみると、そんなデザインプロセスを展開しているデザイナーが台頭しつつあることが分かる。例えばオランダのピート・ヘイン・イーク。彼が手がけるスクラップウッド家具は、最近日本でも注目され始めている。彼は、建築の解体現場や粗大ゴミ置き場で拾ってきたスクラップウッドを切り刻んで、それらを再構成することによって家具を作り上げる。



ピート・ヘイン・イークの家具

スペインのリリアナ・アンドラデとマルセラ・マンリケの2人は、バルセロナ市の街頭に設置されるバナー広告を活用してバッグや帽子をデザインしている。バルセロナのバナー広告は一流のデザイナーが手がけることで有名だ。しかし、それらバナーは広告期間を過ぎると廃棄されてしまう。そこで、リリアナとマルセラは廃棄されたバナーをバルセロナ市から貰い受けてバッグを製作し始めたという。




リリアナ+マルセラのバッグ

デザイナーの中には、いかに素晴らしい素材を別注で作ってもらったかを自慢げに語る人がいる。どれだけ素材にこだわったか、どれだけ思い通りのデザインになったか、どんな珍しい素材を開発したか、などを強調する人がいる。そうしたメンタリティも悪くは無いが、僕らが生活する街にはまだまだいろんな素材が溢れかえっている。廃棄されたり放置されたりしている。そんな素材に出会い、触発され、少し手を加えてデザインするという方法もあるのではないだろうか。

素材に触発されるデザイン。特にエコを意識しているわけではない。そんな太田さんやピート・ヘイン・イークやリリアナ+マルセラのデザインに僕は共感を覚える。

山崎

2005年4月24日日曜日

「金棒を使いこなす」

昨日オープンした「あそびの王国」で撮った写真を眺めていて気づいたことがある。子どもが金棒のパンフレットを活用していることだ。思惑どおりである。

オープニングイベントで配布する資料が入った封筒から飛び出す金棒のパンフレット。細長すぎて封筒に収まりきらないカタチである。子どもはすぐにそのパンフレットを抜き取る。





パンフレットを手にした子どもは、まず内容を読もうとする。年長の子どもは内容を把握することができるようだ。年少の子どもは保護者に内容を読んでもらっている。









一通り内容を読んだ子どもたちは、金棒パンフレットで友達や保護者を攻撃し始める。読む前から攻撃を仕掛ける子どももいる。背後からの攻撃。正面からの攻撃。攻撃された子どもは、自分の金棒パンフレットで反撃する。









金棒のパンフレットを持って走り回る子どもたち。面白い風景が出現したと思う。

イベントが終わった後で聞いた話だが、兵庫県知事も金棒のパンフレットをかなり気に入っていたという。嬉しい話だ。



山崎

2005年4月23日土曜日

「多様な利用」

午前10時から「あそびの王国」のオープニングイベントに出席する。

5年前に子ども150人を集めて行ったワークショップに始まり、基本計画、基本設計、実施設計を経て2年の工事期間の後に完成した遊び場である。工事期間中の2年間は、この遊び場で活躍するプレイリーダーグループ「ガキクラ」を育成・組織化した。ガキクラの主要メンバーが確定した去年からは、兵庫県とガキクラが共催で実施するオープニングイベントのプログラムについて検討した。さらに、公園内のサイン計画や「あそびの王国ものがたり」という紙芝居の作成、そしてパンフレットのデザイン等を担当した。いろいろな側面から関わることのできた公園である。

オープニングイベントには、ガキクラのメンバーや5年前のワークショップに参加してくれた子どもたち、ガキクラのイベントに参加してくれた子どもたち、地元三田の中学生(吹奏楽部)、有馬富士公園の協議会委員、兵庫県知事や三田市長や地元の議員などが参加した。

通常の開園式なら、知事や市長の挨拶、地元議員の祝辞などが長々と続く。僕も何度かそんな「形式的な開園式」を運営したことがある。運営している僕自身が面白くないと思ってしまう開園式の形式である。今回は子どもの遊び場がオープンするということで、いろいろな批判があったものの市長や議員の挨拶は省略した。代わりに、子どもたちやガキクラメンバーと兵庫県知事との対話からオープニングイベントを始めた。

イベントの演奏は地元三田市の藍中学校の吹奏楽部が担当してくれた。全日本マーチングフェスティバルで日本一になった吹奏楽部だけあって、その音はかなり良質だった。「あそびの王国」の入口付近に、屋外用の楽器を配した「カミナリの砦」という場所がある。その砦内で藍中学校の吹奏楽部に演奏してもらった。周囲の壁が音を反響することによって、思ったとおりの音響効果が得られた。

午前中のイベントは、ガキクラが子どもたちと遊ぶ姿を関係者に見てもらう(たまに体験してもらう)というものだった。あらかじめ準備した遊びを展開するガキクラは、2年前に比べてかなりアクティビティマネジメントの力を上げていた。開園後は、月1回「あそびの王国」で活動するという。十分にその力を持っているといえるだろう。


藍中学校の吹奏楽部

オープニングイベントの全体写真

午後からは一般の来園者に向けた開園。想像していた以上の人が押し寄せた。一面に広げられたレジャーシートと錯綜する動線。走り回る子どもたち。少しおかしな光景だった。


遊び場にしては人が多すぎる。

「カミナリの砦」内部も人が多すぎる。

午後1時から「OPUS PRESS」というフリーペーパーのインタビューに応じる。僕の活動を紹介するだけでなく、OPUSの活動についていろいろ聞いてみた。今まで知らなかったのだが、このOPUSという組織はかなり面白いことをやっていることがわかった。特に、僕が関わっているユニセフパークプロジェクト(UPP)に近いコンセプトを持っているということがわかった。組織運営という点で、UPPがOPUSに学ぶところは多いはずだ。さらに詳しくOPUSを研究してみたいと思う。

OPUSのインタビューを終えて大阪へ戻り、午後5時からINAX大阪で行われるアーキフォーラムにコーディネーターとして出席する。ゲストは長坂大さん。

長坂さんのプレゼンテーションは、ネパールのカトマンズで撮った写真から始まった。スラムの広場で活き活きと遊ぶ子どもたちの写真。舗装は部分的に剥がれ、壁が崩れ落ちている個所もある。それでも子どもたちは楽しそうに遊んでいる。完成された遊び場と壊れかけた遊び場。子どもたちにとってどちらがワクワクするのだろうか。完成した「あそびの王国」のオープニングを終えて会場に駆けつけた僕を考え込ませるのに十分な写真だった(写真の精度もかなり高かった)。

壊れかけた遊び場で何ができるかを読み取りながら、子どもたちは活き活きと遊ぶ。実は大人も同じなのかもしれない。「至れり尽くせり」の空間を使わされる生活よりも、空間を読み取って自分で使い方を決める生活のほうが魅力的ではないか。だとすれば、多様な読み取りが可能になる住居はどうあるべきか。長坂さんは、自身の作品でそういうことに取り組んでいるという。

授産施設の腰壁が多様に使われたり、階段の手すりに洗濯物が干されたりする。設計者が意図したことであれ意図しなかったことであれ、使い手が空間を読み取ってその場所を使いこなしている風景はほほえましい。長坂さんがデザインする空間には、そうした風景が多く登場する。しかし、本人は使われ方の多様度をデザインしようとは思っていないようだ。自分自身が持つ美学に基づいて「美しい」と思えるカタチを作り出すことが、それを読み取る人に多様な利用方法を想起させる。長坂さんはそう考えていると言う。

「多様な利用を生み出すためのデザイン」というのは、きっと多様な利用を生み出さないだろう。一方、「利用方法を明示しすぎるデザイン」というのも多様な利用には繋がらない。強いキャラクターを持つ空間ではあるものの、それが利用を規定するような種類ではない場合に限って多様な利用が発生する。どうやって使うのか分からないけれど美しいと思える空間や面白いと思える空間。そんな空間に多様な利用が発生するのだろう。

これは機能主義批判ではない。多様な利用が発生する空間が機能するためには、その周囲には機能的な空間が配されている必要がある。トイレや風呂や寝室が確保されているからこそ、リビングルームの多様度が担保されるのである。住宅や商業や学校が整備されているからこそ、公園や広場に多様な利用が発生するのである。

長坂さんは言う。建築というのは、人間のための空間を作りつくす職能である。柱、梁、屋根、窓、扉、サッシや空調設備。建築家は、人間が快適に暮らすことのできる空間を細かく設計する。これさえできれば、庭や公園や道路や河川といった人間のための空間も設計できるだろう。だから、土木でもランドスケープでもなく、まずは建築の設計をやりたいと思ったのだ、と長坂さんは言う。実際、建築家として公園の設計を提案している。

長坂さんが提案した水戸市の公園は、細長い堀跡を「緑のダム」と呼ばれるマウンドでいくつかの空間に区切って、各空間に屋外彫刻を置くという「屋外彫刻美術館」である。なぜ公園を「公園」としてそのまま提案できなかったのか、と尋ねてみた。長坂さんの回答は「コンペの審査員に美術関係者が多かったから」というものだった。それももちろん理由のひとつだろう。しかしそれだけではないだろう。建築家として、プログラムの見えない空間をデザインすることができなかったというのも理由のひとつなのではないだろうか。

堀跡の細長い空間を「緑のダム」で区切っただけの空間。各空間の植生や地形を少しずつ変化させるだけで、建築家はその場所を「デザインした」と言い切れるだろうか。ランドスケープデザイナーはそれをやる。そこがどう使われるのかは規定しない。屋外彫刻も置かない。細長い空間の周辺には機能が確定した都市が広がっている。その「機能空間」が細長い「無機能空間」を機能させてくれるポテンシャルを持っている。そう考えれば、細長い堀跡に最低限の操作を加えるだけで十分だと考えられるだろう。

建築家は人間のための空間を作りこむ職能である。このことに異論は無い。しかし、だからこそ「至れり尽くせり」の空間を作ってしまう危険性を孕んでいる職能なのである。住宅の細部では「至れり尽くせり」を解消することができたとしても、都市的スケールで敷地を俯瞰しながら「敷地全体を無機能にする」という決断ができるかどうか。住宅のリビングルームに多様な利用を生み出すことのできる長坂さんが、公園の利用に屋外彫刻の鑑賞しか想起できなかったことは、その典型だと言えよう。ここに、「建築がデザインできれば公園もデザインできる」という考え方に潜む落とし穴が見え隠れしているのである。


長坂大さん

山崎

2005年4月22日金曜日

「風景の価値」

夕方から「けんちくの手帖」にコーディネーターとして出席する。ゲストはテクノスケープを研究する岡田昌彰さん。

岡田さんは、なぜ自分がテクノスケープに興味を持つようになったのか、テクノスケープとはどういうものなのか、工業風景や東京タワーに対する市民の評価がどう変遷したのか、などについて分かりやすく説明してくれた。

続くディスカッションでは、工場の風景に価値を見出したとして、それをどう保存・活用するのかについて話し合った。アメリカのシアトル市にある「ガスワークス・パーク」は、当初工場敷地を市に寄贈したエドワード氏の名前を取って「エドワードパーク」という名前にしようとしていた。しかし、工場をそのまま残した公園にするという計画案を嫌ったエドワード氏の家族が「エドワードパーク」という名前を使わないで欲しいと申し出たことから「ガスワークス・パーク」という名前になったという。

工場風景は必ずしもポジティブに評価されるばかりではないため、その価値をどのように人々へ伝え、理解してもらい、ファンになってもらうかが重要である。「ガスワークス・パーク」を計画・設計するにあたって、ワシントン大学のリチャード・ハーグ氏は工場の価値を説くシンポジウムを何度も開催したという。僕らが工場を公園として活用するときも、同じような価値の啓発が必要になるだろう。

その他、「工場を公園として利用する際の安全面について」「郊外の住宅地の風景が今後価値を持ちうるか」「工場や住宅を壊していくプロセス自体を公園のプログラムとして活用できないか」などといった議論がなされた。

来場者は60人。狭いカフェには多すぎるほどの人数である。岡田さんの人柄が多数の来場者を惹きつけたのは間違いないが、テクノスケープという言葉が「気になる言葉」になりつつあるのもまた確かなようだ。

工場はすでに懐かしい対象になりつつある。今後、郊外の何気ない集合住宅が多くの郊外居住経験者の原風景としてノスタルジーを呼び起こす対象となるのかどうか。人口減少社会の郊外住宅地に興味を持つ僕としては、公団スタイルの住宅の景観的価値をどう取り扱うか(そもそもそこに価値を見出せるか)が気になっている。




郊外住宅地の風景




僕は懐かしい風景だと思うのだが、これは果たして僕ら世代に一般的な感覚なのだろうか。

山崎

2005年4月21日木曜日

「須磨がアツイ」

午前中は国営明石海峡公園事務所との打合せ。ユニセフパークの基本計画図面を提出した。子どもたちが里山に入って遊び場づくりを展開するための計画図はどうあるべきか。そんなことを議論した。基本的には「引き算」に徹するべきだろう。今あるものを撤去する際に、その密度を調整することによって子どもたちが介入できる空間を作り出す。子どもたちは、密度の違う森の中で自分たちが関われそうな場所を発見する。そんな空間を活動の下地として創出したいと思う。

午後から須磨区役所で打合せ。熱意のある行政マン2人と議論することができ、非常に有意義な時間を過ごすことができた。1人はまちづくりの専門家で、もう1人は土木の専門家である。まちづくりと土木とランドスケープがコラボして、郊外住宅地の将来について考える。とてもワクワクするプロジェクトが始まった。このプロジェクトにサバケンとユニセフパークプロジェクトがリンクすれば、ちょっとしたムーブメントを作り出すことができるのではないか、と考えている。

須磨区役所からの帰り、坂茂さんが設計した紙の教会「鷹取コミュニティセンター」を見に行く。近く解体されることが決まっている坂さんの名作だ。解体後は、当初のコンセプトどおり別の場所へ運ばれて、再度組み立てられる予定だという。実は1年ほど前、この教会をユニセフパークプロジェクトの事務局として使わないかという打診があった。紙の教会をユニセフパーク内へ移築して、UPPの事務局として活用する。これはなかなかワクワクすることだった。実際にはいろいろな制約があって実現しなかったのだが、紙の教会というのはその意味で少し思い入れのある建物なのである。移築先でも大切に使って欲しいと思う。








紙の建築「鷹取コミュニティーセンター」

山崎

2005年4月19日火曜日

「パンフレット」

夕方から兵庫県庁の公園緑地課へ打合せに行く。打合せが終わった後、雑談の中でパンフレットの話になった。来週オープンする兵庫県立有馬富士公園の「あそびの王国」を紹介したパンフレット。「あそびの王国」の設計を担当した関係で、パンフレットも僕がデザインした。先日、50000部の印刷が完了したので関係各所に送付したばかりである。

少し特殊な形のパンフレットである。通常のパンフレットの比べて少し細長い。地域の民話にちなんで「オニの金棒」を模したデザインとなっている。このパンフレットをデザインするにあたって、多くのパンフレットを集めて分析した。ついつい手に取りたくなるパンフレットの形とはどんなものか。子どもの目を引くパンフレットとはどんなものか。子どもが手に取ったパンフレットを親が預かった際に読みたくなるようなコンテンツとはどんなものか。行政関連の施設だけでなく、スーパーやカフェに置いてもらえるパンフレットとはどんなものか。そんなことを考えながらデザインしたパンフレットである。

スーパーやカフェに置いてもらうためには、設置面積が狭くて済むパンフレットであることが求められる。細長いパンフレットを立てて置くのであれば、お店から借りる場所の面積は少なくて済む。その割に、立ち上がった金棒のパンフレットは目を引く。子どもならつい手に取りたくなるだろう。手に取れば、子どもはこのパンフレットで近くに居る人を攻撃したくなるはずだ。紙でできた金棒のパンフレットは、ついつい近くに居る人を叩きたくなる形なのである。スーパーで子どもの近くに居るのは保護者だろう。叩かれた保護者は、子どもが手にしている金棒のパンフレットを取り上げるか預かることになる。そこで「あそびの王国」の存在を知ることになる。三田市に子どもの遊び場がオープンすることを知る。「じゃ、来週の日曜日にでも行ってみようか」ということになる。

そんな筋書き通りにことが運ぶかどうかはわからない。わからないが、子どもも大人も手にとってみたくなるパンフレットを目指したつもりだ。「おしゃれでかっこいいパンフレット」ではないが、子どもや大人にとって「なんとなく気になるパンフレット」になればいいなぁと思っている。


「あそびの王国」のパンフレット

山崎

2005年4月13日水曜日

「権利と義務」

確かにそのとき、僕は猛スピードで自転車を運転していた。事務所から地下鉄の駅までは走り慣れた道。終電の5分前。いつものペースで走れば、ぎりぎり終電に間に合うはずなのだ。

事務所の自転車は前輪にも後輪にも鍵がついていない。ワイヤー錠を使っているため、外した錠は前かごに入れて運転するのが常だ。だから、見る人が見れば鍵のついていない自転車を猛スピードで運転しているように見えるのだろう。オマケに運転しているのは坊主頭でヒゲ面だ。警察官が僕を停止させたくなる気持ちは分からないでもない。

しかし、こっちは終電ぎりぎりだから猛スピードなのだ。止まる予定の無い場所で止まることは、終電を逃す危険性を孕んでいる。警察官の停止を無視して振り切りたいところだが、それではますます怪しい輩になってしまう。

わき目も振らず運転する僕の横に、パトカーが寄ってきて「ちょっと止まりなさい」と声をかけた。警察官が市民を止めて職務質問する権利を有していることは認めよう。いや、それはむしろ権力だと言ってもいいだろう。しかし、権利や権力には義務が伴うはずだ。急いでいる僕を停止させるからには、それだけの義務感を持って職務を全うしてもらいたいものである。

警察官の指示に従って急停止した僕は、振り向きざまにこう言った。「僕は終電に乗らなければならないので急いでいます。職務質問を受けていると終電に間に合わなくなるのですが、それでも僕を止めますか?」

「ああ、お急ぎでしたか。それではそのまま行ってください」、なんてことになろうはずがない。何しろ僕は怪しい輩なのである。それを承知の上でこう続けた。「僕の家は平野駅の近くです。ここからタクシーに乗ったら5000円はかかる。職務質問に協力したせいでタクシー代を支払わなければならなくなった、なんてことになるのはご免だ。僕をいま足止めするのであれば、あなたたちはそれなりの義務を負うことになる。そのことをしっかり認識しているのであれば、僕は喜んで職務質問に応じましょう。」

偉そうなことを言ったって、僕は怪しいのである。彼らが僕を見逃すわけが無い。警察官は僕を自転車から降ろし、防犯登録を確認し、警察署に問い合わせた。当然、終電の時刻には間に合わない。

10分後、僕が乗っていた自転車が盗難車でないことが確認できると、彼らはそのまま立ち去ろうとした。権利だけ主張して義務を果たさない輩がこんなところにもいる。ユニセフパークプロジェクトのファシリテーターだって、権利と義務が表裏一体だってことくらいしっかり認識できているだろう。今度は僕が職務質問する番だ。

「方法は2つしか思い浮かびません。パトカーで僕のタクシー役をするか、必要なタクシー代を僕に支払うか。終電が無くなる事は事前に伝えたはずです。そのことを知った上であなたたちは僕を止めたわけです。仕事はまだ終わっていない。権利を主張するだけで仕事を終えようとするのは間違いだ。そのとき同時に発生した義務も果たすべきなのです。」

路上で坊主頭が警察官を説教する。これも怪しい風景である。警察官2人は困ってうつむいている。なかなか答えが出ない。「そうやって悩んでいる時間がもったいない。すぐにパトカーで送ってくれたほうがお互い仕事に戻れるんじゃないですか?」

しばらく悩んでいた2人だったが、小さな声でこそこそ相談してからこう言った。「わかりました。ご自宅までお送りしましょう。」

走るパトカーに乗ったのは初めてだ。一般的なメーターのほかに、大きなオレンジ色のデジタルメーターがついている。スピード違反を取り締まるため、運転席と助手席の双方から見やすい位置についている。よく見ると、走っている速度より10km/h低い値が表示されている。スピード違反の取締りを確実にするため、わざと10km/h低い値を表示しているのだろう。そのメーターに表示された速度が法定速度を超えるとすれば、前を走る車は間違いなくスピード違反なのである。

ナビゲーションシステムも少し変わっていた。パトカーの走った軌跡がすべて記録されている。大阪府警の本部がどこにどのパトカーがいるのかが把握できるようになっているのだろう。また、走り出す前に「何の任務でパトカーを運転するのか」をナビゲーションシステムの画面で登録する決まりがあるようだ。「追跡」「警邏」「犯罪」「取締」などという項目が見える。今回の運転は「特命」という任務のようだ。「タクシー」という項目が無いのだから仕方ない。

阪神高速を走る。早く任務に戻りたいのだろう。明らかに警察官は急いでいる。制限速度が60km/hの阪神高速を100km/hで走る。が、すぐに速度が落ちる。前を走るすべての車が、急に速度を落とすからだ。前の車に追いついてしまうと、その車は急に60km/hまで速度を落とす。その車を追い越そうとして斜線を変えると、追い越し車線を走っていた車も60km/hまで速度を落とす。パトカーとは実に厄介な乗り物である。

自宅前に横付けしてもらったパトカーから降りた僕は、しかしお礼を言う話でもないと思ったので、こう言い添えた。「ややこしいことを言ったので嫌な気分になったかもしれませんね。その点については謝ります。これからも権利と義務について考えながら仕事に励んでくださいね。」

まちづくりはひとづくりである。警察官も「市民」たるべきである。僕はこれからも地域住民の市民意識向上に日々精進したいと思う。

山崎

2005年4月6日水曜日

「静かな空間と騒々しい内装」

午後8時から大阪市立大学の瀬田史彦さんと食事をする。都市計画が専門の瀬田さんと、郊外住宅地の将来について話し合った。

食事をしたのは、阪急梅田駅の茶屋町口近くにある「りゅうぼん」というお店。従来の居酒屋とは違って個室が多く、静かなのでゆっくり話ができる。特に時間制限もないため、食事中に急かされることもない。新しいタイプの居酒屋だと言えるだろう。

この店を出てから気づいたのだが、隣の店も向かいの店も、向かいの店の隣の店も、あたり一体に同じ系列の居酒屋が建ち並んでいる。「あほぼん寺」「恋のしずく」「エレファントカフェ」「りゅうぼん」と変わった名前が多く、内装や外装も驚くほどキッチュなものが多い。その道路の並びに建設中のビルがあったが、そこにも同じ系列の居酒屋が入ることになるだろう。仮囲いの隙間から、すでにそのキッチュな外観が垣間見られた。

この系列のお店には、従来の居酒屋のような騒がしさはない。とはいえ、高級料亭のような敷居の高さもない。カッシーナの家具が並ぶモダンなカフェのような緊張感もない。リノベーション系のお店のような手作り感もない。そこにあるのは、過度にキッチュな空間だけである。そんなお店に多くの客が集まり、ゆっくりと食事や会話を楽しんでいるのだ。

居酒屋が持っている「気取らない雰囲気」を「騒がしさ」ではなく「キッチュさ」で担保している店、と表現すれば的確だろうか。あの静けさに洗練された空間が組み合わさってしまうと、僕らはちょっとした緊張感と格好良さを求められることになる。静かだけど気取らない雰囲気が担保されているのは、内装があまりにも騒々しかったからなのかもしれない。

山崎

2005年4月4日月曜日

「FA宣言」

本来なら4月1日にすべき宣言なのかもしれない。が、ダラダラと残務を続けているうちに4日になってしまった。

4月から、これまで所属していた設計事務所を離れて一人で仕事をすることにした。フリーエージェントになったわけである。とはいえ、人口統計上は失業中の身。ワクワクする反面、いろいろな不安もある。ぜひ、諸先輩方に経験談をお聞かせ願いたい。

いままでの事務所と協働する仕事も続けるものの、他の事務所と一緒に仕事ができるようになったのが何よりも嬉しい。「やりたいと思ったこと」を「やりたいと思ったとき」に「やりたいと思った場所」でできるようになったことも嬉しいことだ。そして、自分の仕事に対する責任を自分で取れるようになったというのも、少し怖いけど嬉しいことだ。仕事と自分が直接繋がっているような気がする。「この仕事、山崎にやらせてみようかな」と思うプロジェクトがあったら、ぜひ声をかけていただきたい。

みなさま、今後ともよろしくお願いします。

山崎