2007年2月20日火曜日

「人口減少時代の都市計画」

永田町で行われた「市長と語る21世紀の都市計画」というシンポジウムに参加した。

はじめに大西教授(東京大学大学院)から近年の人口動態についての概説があった。出生率は地方が圧倒的に高く都心部はきわめて低いことが明らかだが、人口減少率からみると地方が高く都心部は低い。このことから、地方で生まれた人の多くが依然として都市へ大量に流入していることが分かる。また、DID人口密度に注目すると、1960年から2005年にかけて低下している。これは市域が拡大していることを示している。都心部にゆとりのある生活空間が実現したともいえるが、逆に言えば非常に拡散した都市が出現しつつあるともいえる。 一方、この10年間に大都市の中心部に人が集まりつつあることも分かっている。90年から95年には、中央区や中区や中京区といった「中央」を示すエリアの人口が減少していたにも関わらず、2000年から2005年にかけては逆にこれらのエリアの人口が増加している。中央部分に人が集まり、それ以外の場所からは郊外へと人が流れているという実態が明らかになった。 

こうした状況を活かして、農地を都市に取り込んだり、自然を活かした開発を進めたり、都市近郊の自然を保全したり、住宅地を公園や自然地に戻したりする新しいタイプの開発を考える必要があるだろう、との指摘がなされた。こうした新しい取り組みを地域主体で進めるためにも、ある程度の権限委譲が必要になる。現在では三位一体の改革に基づいて、ある程度の権限と財源が地域に渡されている。以前なら法律でかなり細かいことまで規定していたが、地域の実情に応じて規制の項目を変えることができるよう、委任条例に任せることができる法構成になっている。その結果、条例によるまちづくりが多くの自治体で盛んになりつつある。金沢市や横須賀市の例はまさに地方分権下における地域主体のまちづくり事例といえるだろう。

続いて、伊藤市長(西条市)から市の特性と方向性についての説明があった。西条市は周囲を多くの空港に囲まれている。自身は空港を持たない市だが、周囲の空港とうまくタイアップすることで観光情報を発信したいと考えている。また、新たに多自然居住地域と合併することによって農地面積がかなり増えた。このことを積極的に評価し、食料自給率が70%に達している状況を売り出すことにしている。さらに地元銀行が地元企業にお金を貸すようにするためのさまざまな機会を提供している。地域の産業再生を地域再生へと結びつける具体的な試みを紹介された。

須田市長(新座市)は、「まちづくりは道路整備から」というスローガンを掲げてまちづくりを進めている。また、「道路整備は区画整理から」ということを考え、現在は市内の区画整理事業を積極的に進めているという。また、町内会に登録する人を募集して、市全域に点在している積極的な人材の発掘を行っている。

江島市長(下関市)は、下関ブランドをどのように設定して売り出すのかについて検討している事例を報告した。審査員が厳しく商品を検討したうえで、下関ブランド足りえる商品については「ようできちょる」という認定証を発行。特産品をブランド化して売り出す方策を検討している。また、三方を海で囲まれた下関において、積極的にフィールドミュージアム構想を検討している。

続くパネルディスカッションでは、大西教授と3市長に加えて池邊氏(ニッセイ基礎研究所)と武内教授(東京大学大学院)がこれからの都市計画についての意見を戦わせた。議論は大まかに「権限委譲について」「人口減少について」「農村部の過疎化について」という3点について展開した。

権限委譲については、各パネリストともまだまだ十分とはいえないという共通認識であった。実際に地方のメリットになるような権限移譲ができているとは思えない。地元の市は地元の実情をよく把握している。地元市に権限と財源を移譲し、首長自ら地元市の将来に関する計画を決定できるようにしてもらいたい、という意見が主流を占めた。一方、中心市街地活性化のために、一度郊外へ引越しした市庁舎を再度中心市街地近くへ戻すという動きがあることが紹介された。ただし、従来のように新しい市庁舎を建て直すのではなく、空き店舗をバラバラに借り受けて市庁舎の機能を付与するものである。

人口減少については、大西教授が「基本的に回復すべき問題である」という意見を表明した。伊藤市長は人口を増やすのに必要なこととして職場の創出を挙げている。仕事が無ければ人口は増えないという視点に立ち、人が集まりそうなアトラクションの開発に余念が無い。江島市長はユビキタス技術を用いて高齢者や乳幼児の安全や安心を守っていきたいと述べた。

農村部の過疎化については、これまでのように「農村部は都市になる前の段階」という認識に立つのではなく、農村部自体が持っている価値を見つけ出して都市との交流に利用するという立場が重要になるだろうとの指摘がなされた。特に都市部で育った子どもたちに聞くと、過疎化しているような農村部での仕事に大きな魅力を感じているようだった。農村集落を見て、「ああいう風に仕事がしたい。あんな風に生きたい」という具体的な目標像を描く大学生を増やすために何ができるのか。農村部の過疎化については、都市との関係も考慮しながら計画を立案することが求められる。

僕が非常勤として勤めている神戸の研究所では、特に多自然居住地域における安全と安心について研究を進めている。多自然居住地域における危険や不安はある程度把握しつつあるものの、そもそもどのあたりからが都市でどこからが多自然居住地域なのかという話になると明確な定義はなされていない状態である。また、多自然居住地域と都市域との関係を考える上で、多自然居住地域を都市への発展途上として考えるのではなく、多自然居住地域独自の魅力や新たな位置づけを明確にする必要がある。そのうえで、都市と多自然居住地域の積極的な交流方策について検討し、都市部の若者が多自然居住地域で自立的な生活を営めるような仕組みについて考える必要性を感じた。同時に、多自然居住地域を抱える自治体が独自の施策を実施することができるよう、財源と一体となった実質的な権限移譲が不可欠だと感じた。そのことが、多自然居住地域における現段階の危険や不安を取り除くひとつの要因になるのだろう。

山崎

2007年2月19日月曜日

「自然享有権」

イギリスには、有名な「フットパスシステム」がある。広い農場や牧場、あるいは庭園などの外周をめぐる柵の一部に扉が付いていて、誰でもいつでも私有地を通り抜けることができる。他人の庭を通り抜けて散歩することができるというシクミを作り出したイギリスという国はすばらしいと思う。

そんなシクミが、実はスウェーデンにもあるということを知った。スウェーデンには、自然享有権という権利があって、これが法律で守られているという。

自然享有権(アッレマンスレット)というスウェーデン語は、スウェーデン人が生まれながらにして自然を楽しむ権利を持っているという意味を含むそうだ。この精神に則って、スウェーデンでも他人の庭園や農園を通り抜けることができるのだという。自分の土地でなくてもオープンスペースを楽しむことができるというのは、現代の日本人にはほとんど無い発想だといえよう。日本でも最近オープンガーデンが一般的になってきたものの、さらに進めて庭園を誰でもいつでも横切ることができるというところまで行き着いてほしい。そうすれば、オープンスペースのマネジメントやデザインもこれまでのものとは違ってくるはずだ。「自然享有権」という言葉は、スウェーデンに留学していた女性が教えてくれた言葉である。彼女には、雑誌「OSOTO」の「海外おそと事情」という記事を書いてもらうことにした。自然享有権に関する具体的な事例は、ぜひOSOTOの第2号をご覧いただきたい。

山崎

2007年2月9日金曜日

「情報デザインの重要性」

前回前々回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。

はじめに渡辺氏(ライター)から、縮小する時代における情報デザインのあり方についての問題提起がなされた。高度経済成長期におけるマスメディアは、より多くの人に同じ情報を伝えることが最大の特徴だった。しかし、都市が縮小する時代には、情報デザイン自体が重点を変えなければならない状況が生じることになるだろう。そのとき、これまでとは違った情報デザインのあり方が求められることになる。特に人口が少なくなる世の中においては、コミュニティのあり方とその情報デザインが大切になる。そのことを意識した上で、コミュニティに根ざした情報デザインというものがどのようなものであるかを議論したい、との趣旨説明がなされた。なお、今回のシンポジウムにおける情報デザインはIT系の技術ばかりではなく、広い意味で何らかの情報を伝達することのできる手法を提案するものとする。

続いて、加藤助教授(慶應義塾大学)によるフィールドワークの手法とその情報デザインについての説明があった。加藤氏は、まちづくりに不可欠な3つの主体(わかもの、よそもの、ばかもの)について言及し、大学が地域のまちづくりに関わることの可能性を示した。大学生は、地域において「わかもの」「よそもの」「ばかもの」になることができる。そのためには、学生が地域に興味を持ち、まちづくり活動に加わるきっかけになるツールが必要となる。加藤氏が用いるツールは「フィールドワーク」「プチインターンシップ」「ポストカード」「ポッドキャスト」などである。フィールドワークを通じて地域をしっかり観察し、プチインターンシップを通じて地域の活動に参加し、ポストカードで地域の特性を整理し、ポッドキャストで情報を発信する。加藤氏は意図的に「小さなメディア」を使って情報発信することにしているという。まちに住む人がまちを説明する。その声を録音してポッドキャスティング配信する。小さなメディアを活用することによって、顔の見える関係性を新たに構築する可能性を示唆した。実際に加藤氏は柴又、金沢、坂出のまちづくりに学生とともに参加している。

杉浦氏(NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ)は、まちづくりには必ず何人かのキーマンが存在することを指摘した。こうしたキーマン同士が出会うことによってまちづくりの段階は大きく飛躍することが多い。この点に着目し、キーマンが主宰する地域のイベント情報を共有財とするための「地域新聞」を紹介した。地域のイベントを「いつ誰がどこで開催するのか」を集めたポータルサイト的な地域新聞の存在は、まちのキーマンが出会う機会を提供し、さらなるまちづくり活動への展開を期待させるものである。また、コミュニティデザインは、各個人の「自分事」と「他人事」との間にある「自分達事」であるとの発想から、重要な「自分達事」を編集して情報発信するメディアのあり方についても言及した。特にグリーンマップや「関心空間」など、web2.0のツール(SNSやSSRなど)を活用した「自分達事」の編集方法は、これからのまちづくりを新しい段階へと進化させる可能性を持っていると指摘した。

鳥巣氏(千葉大学大学院)は、個人に着目したまちづくりの事例を紹介した。任意の市民の顔写真を使ったポスターをつくり、まちの将来についての希望を沿えてまちの主要駅に掲示する。100人近い人のポスターが掲示されると、駅を利用する人たちのなかに知り合いがいる確率は相当高くなる。駅に掲示されているポスターを見たことがきっかけで久しぶりに連絡を取り合う人が現れたり、まちの将来像について語りあうきっかけになったりする。こうした個人に着目したまちづくりの方向性は、web上で展開されている人と人との結びつきとは違ったアナログな、しかし力強い結びつきをまちに作り出すこととなる。こうした取り組みと同時に、まちづくりに関するイベントやコンペティションを実施することにより、更なる個人を浮き立たせて結びつけるまちづくりのあり方が提示された。

最後に、コミュニティデザインにおける各段階に応じたコミュニティウェアを開発することの重要性について議論された。コミュニティデザインには「発見と評価」「共有と編集」「参加と創造」「持続と発展」の各段階が存在する。これらの段階に応じて、グリーンマップや関心空間、シナリオ法、ソーシャルネットワーキングサービス、メソッドカード、ブログなどを使い分ける必要がある。我々が手に入れた新たなツールを適切な段階に適用することによって、まちづくりを新たな段階へとステップアップさせることができるのではないか、という可能性が提示された。

僕たちが堺市で行った「環濠生活」や家島町で実施している「探られる島」なども、活動を情報のデザインをつなげて新たな局面を生み出そうとするプロジェクトである。実際に、どのプロジェクトからも新しいプロジェクトが生まれ、新しい人と知り合うことができている。情報をデザインすることの重要性を再認識する機会を得た。特に加藤氏のアプローチには激しく共感した。偶然の一致かもしれないが、用いているツールも目指しているところも共有できているように感じた。上京する際には、もう一度加藤氏に会っていろいろ話をしてみたいものである。

追記:その後、加藤氏から自身の研究室でまとめたポストカード集や小冊子などが送られてきました。そのいずれもが大変興味深い取り組みであり、studio-Lのスタッフ一同で何度も読み直しました。大変貴重な資料をお送りいただきありがとうございました。一度、食事にでも行きたいですね>加藤さん。

山崎

2007年2月4日日曜日

「すべてを計画しつくさない」

前回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。

はじめに、木下氏(設計組織ADH)から日本における人口減少期の特徴とその課題についての整理がなされた。木下氏はそのなかで、日本における人口減少期の特徴を少子高齢社会であることとし、特に高齢者が集まって住む際の空間構成について言及した。高齢者のコレクティブハウジングについては、居住者全員の目線が届く中庭を設けることにより、毎日誰かと顔を合わせることができる集住の形態を提案する。また、高齢単身者や高齢家族だけでなく、障害者や一般家族など多様な家族構成が一緒に暮らすコレクティブハウジングが重要だと指摘する。さらに、コレクティブハウジングの設計ポイントとして、歩車分離を徹底し、基本的に歩行者や自転車を優先する平面配置とし、歩行者用通路で各住宅をつなぐことなどを挙げた。さらに、各住戸のキッチンを歩行者専用通路に面して配することによって、通路に常時住まい手の目線がある状況を作り出すことなどを提案した。同時に、24時間水道を使わなかった場合に管理センターへ連絡があるなど、独居老人のケアなどについても新しい提案がなされた。

続いて林氏(ベネッセコーポレーション)は、ベネッセで有料老人ホームの企画に携わってきた経験を通じて、地域に開かれた老人ホームのあり方について提案した。有料老人ホームをつくると、数年の間に半径3kmくらいの生活圏域ができあがる。その後は、時間が経っても圏域は広がらないことから、老人ホームにとって半径3kmという数字がコミュニティのサイズを示しているのではないかとの指摘がなされた。ということは、逆に有料老人ホームの入居者を募集する際でも、半径3km内のターゲットに絞ってマーケティングを考えればいいということになる。そこで、有料老人ホームをオープンさせてからでも、ホームに本屋さんや靴屋さんを一時的にホームへ呼び込んで、入居者のニーズを満たすイベントなどを実施している。このイベント準備として地域の本屋さんや靴屋さんにホームまで来てもらうよう要請するのだが、事後には本屋さんや靴屋さんが他のお客さんにホームのことを伝えてくれるようになるという宣伝効果がある。こうして、半径3km以内に生活圏域をつくり始めれば、有料老人ホームに入居したいという人が次第に地域の中から現れてくる、というのが林氏の経験だと言う。

都築氏(編集者)は、都市は思いのままにならないということの面白さを指摘した。人口減少時代には特に都市は思うとおりにならないのだから、建築家や都市計画家が思う方向とはまったく違った方向に都市は向かい始めるだろう。そのとき、建築家や都市計画家はいったい何ができるのか。都築氏は、どこまで計画者が介入するべきで、どこから先は介入すべきではないのかを見極められる人の存在が重要だと述べた。都市は、つくり手が考えている方向とはまったく違う方向に動き始めている。建築家や都市計画家はこれにどう対応すべきか/対応せざるべきか。人口減少期には、もう一度そのことを問い直したほうがいいのではないか、と語った。

日本における人口減少時代の特徴を少子高齢社会であると認識するのであれば、高齢者の生活に関する問題点、高齢者と社会との関係性に関する問題点などを解決する必要があるだろう。その際のキーワードは、「すべて計画しつくさない」ということ。多自然居住地域の高齢者であっても都市部の若者であっても、計画者が意図した計画の枠内に収まって「生活させられる」のでは、いつまで経っても主体的な活動には近づかない。いかに生活者中心の生活空間を構築するのか、ということが今後の計画論における大きな課題になることを実感した。

山崎