2007年6月22日金曜日

雑記

午後から東大にて研究室会議。研究の進捗状況を報告した。もう少し先へ進めるようにとの指示。確かに、今回は報告できるネタが少なかった。

その後、研究室の学生と食事へ。新しく大学院に入ってきた学生とはほとんど話をしたことがなかったのだが、1人は学部時代にランドスケープデザインを学んでいたというので話が盛り上がった。ランドスケープデザインから都市工学へという道を選んだ人がほかにもいたというのが頼もしい。これからも情報交換したいと思う。

夜は新宿にて都市機構の武田氏と情報交換。短い時間だったが、これからの生き方などについて密度の濃い話ができたように思う。

山崎

2007年6月21日木曜日

雑記

昼から京都造形芸術大学の3年生を対象とした設計演習の講義。夕方からは4年生の卒制ゼミ。4年生が取り組んでいた作家研究がほとんど完成する。はじめはどうなることかと思っていたが、かなり面白い冊子ができつつある。研究した結果は、冊子にまとめると同時に発表会を開催してほかの学生たちにも公開するという。発表会が楽しみだ。夜はスタジオへ戻って明日の研究室会議に向けて資料づくり。

山崎

2007年6月20日水曜日

雑記

午前中は近畿大学で授業。ランドスケープデザインの歴史(1970年代)。

午後からE-DESIGNにて、OSOTOや千里リハビリテーションセンターに関する打ち合わせ。

夕方からスタジオにてドク論特別ゼミ。講師は兵庫県立大学の赤澤先生。ドク論の作業が一向に進まないので、忙しい赤澤先生にお願いして特別ゼミを実施してもらった。しかも、わざわざスタジオまで来ていただいて。。。赤澤先生は、ぐちゃぐちゃになった思考を整理するのがうまい人で、まさに今、ドク論のテーマでぐちゃぐちゃになった僕の話を聞いてもらうべき人物。これまでも、いろいろなことが複雑になってくるたびに話を聞いてもらってきた。複雑なことを複雑に考えず、シンプルに考えるように道筋を示してくれる。とても頭のいい人だと思う。

山崎

2007年6月16日土曜日

雑記

午前、午後と京都造形芸術大学で通信教育部のスクーリング。卒業制作のゼミ指導。通信教育部には全国から学生が集まっているため、卒業制作のフィールドも秋田県から鹿児島県まで多種多様である。いろいろな土地の情報を知れば知るほど、その場所へ行ってみたくなるから困る。一度、たっぷり休みを取ってすべてのフィールドを回ってみたいものだ。

夕方から京都大学の森本先生が京都造形芸術大学で講演するというので、スクーリング終了後に少し遅れて聞きに行く。講演会終了後、森本先生と少しお話する。独立したことや造形大で教えていることなど、これまで報告できていなかったことを報告した。森本先生は僕の修士論文の副査を担当してくれた先生。

山崎

2007年6月15日金曜日

雑記

午前中は大阪工業技術専門学校で講義(環境デザイン論)。相対年譜プロジェクト、屋上神社プロジェクトともに順調。

午後から中山寺にある大平建設にてランドスケープデザインに関する打ち合わせ。

夕方から大阪府庁にて打ち合わせ。

夜はスタジオに戻って打ち合わせ。

移動時間が長い。移動中はiPODで「新撰組!」を見ている。もう3回目なので、せりふはほとんど覚えてしまっているのだが。


山崎

2007年6月13日水曜日

モダン+何か

午前中は近畿大学の授業。午後から京都造形芸術大学で研究室会議。午後8時から大阪で元精神科医の永野さんと会う。永野さんは現在お寺に務めている。宗教関係の仕事に携わっているものの、本人は堅苦しいことを言わないし、宗教について細かいことも言わないので気楽に語り合える。

永野さんによれば、精神医学というのは概ね近代的な手法を用いて心の病に対処しようとする専門領域なのだと言う。問題点を分析して、それに対応した処置を講じる。その点で建築やランドスケープデザインも同じ出自である。ところが、心の病はそれだけで完治するとは限らない、と永野さんは言う。もちろん、半分は科学的な見地から治療するべきなのだが、それだけで完全とはいえない、というのだ。事実、科学的には治ってしかるべきの患者がいつまで経っても心の病に悩まされ続けることがある。そんなとき、科学的な手法よりも宗教的な手法が役立つことが多いという。悪い部分だけを治そうとする態度ではなく、その人自身の全体性を受け止める思想が必要になるのだろう。科学だけでは対処しきれない領域がそこにある。

ランドスケープデザインの世界も同じような課題を抱えているといえよう。モダニズムの思想だけでは真に人間のための空間がつくり出せないことは経験的にわかってきた。残された「何か」足りないものをどう満たすのか。庭のデザインにおいては、そこにいわゆる「宗教」を持ち込む人もいる。あるいは「地域性」を持ち込む人がいる。「生態学」を持ち込む人もいる。いや、むしろ「地域性」や「生態学」は、それを信じる人たちにとって見れば宗教的な役割を担っている「何か」なのだろう。そもそもモダニズムという発想自体、それを信じる人たちにとっては宗教的な「何か」を担わされていた「イズム」だったのかもしれない。事実、僕らはコルビュジエの名前やデザインに対して、単なるモダンを超えた「何か」を感じていることが多い。

ただ、こうした「モダニズム」の宗教を信じている人というのは、ごくわずかな人たちだけだ、ということに注意する必要がある。一般的には、コルビュジエがデザインした建築にいまさら感動する人はほとんどいない。単に「ちょっと古いけど変わった形の建築だな」という程度の感想だろう。それを「解ってないなぁ」と蔑んでもしょうがない。むしろ「解っていない」人たちのほうが主流なのである。そんな主流派に対して「モダニズム」だけで勝負しようとしても、人々が宗教的な癒しを得ることはない。僕らのような「モダニズム教」の信者は、コルビュジエがデザインした椅子に座るだけで癒されるのかもしれないが。

「残された半分」をどう満たすか。モダンを乗り越えるための重要なキーワードである。精神医学もデザインも、同じようなところで悩んでいるようだ。

山崎

2007年6月4日月曜日

「レヴィ=ストロースとリーヴァイ・ストラウス」

「見えない庭」を読み返す。ローレンス・ハルプリンの章(第5章)を読んでいて、ふと珍しい文字に出会った。140ページの上段。ハルプリンが設計したという「レヴィ=ストロースプラザ」のことが書いてある。しかし、ハルプリンがレヴィ=ストロースの広場をデザインしたという話は聞いたことがない。そもそも、文化人類学者であるレヴィ=ストロースを記念した広場など存在するのだろうか。

レヴィ=ストロースプラザのデザインは1980年だという。1980年にハルプリンが設計した広場。。。といえば、リーバイス・プラザである。

レヴィ=ストロースとリーバイ・ストラウス。いずれも英語表記では「Levi-Strauss」である。あまりに有名な2人なので、これまでまったくつながらなかったが。。。急いでリーバイ・ストラウスとレヴィ=ストロースとの関係について調べてみる。どうやら2人は遠縁の関係だという。特に年齢が下のレヴィ=ストロースのほうは(リーバイスの創業者は、レヴィ=ストロースが生まれる6年前に亡くなっている)、よくジーンズ屋に間違えられたというではないか。面白い逸話である。

が、面白いでは済まされないのが「見えない庭」の誤訳である。再版の時にでも修正しておくほうがいいだろう。リーバイ・ストラウス・プラザとレヴィ=ストロース・プラザじゃ、イメージがぜんぜん違う。

それにしても、佐々木葉二さんと宮城俊作さんのどちらが訳出を担当したんだろう。。。いずれにしても、あとがきを読む限りは佐々木さんがすべてチェックしたことになっているので、佐々木さんはこれで良しとしたわけか。。。しかし、佐々木さんがリーバイスとレヴィ=ストロースを間違えるわけはないと思うのだが。。。不思議な誤訳である。機会があれば、本人にそっと伝えておきたい。

山崎