2005年6月29日水曜日

「子どもは勝手に育つ」

兵庫県立人と自然の博物館が変わろうとしている。改革のための委員会が実施されるというので、そのお手伝いをさせてもらうことにした。

委員会には、著述家の三浦朱門さん、総合地球環境学研究所の日高敏隆さんをはじめ、人と自然の博物館の岩槻先生、神戸大学の野上先生、大阪大学の鳴海先生、武庫川女子大学の角野先生、兵庫県立大学の岡田先生など、いずれも興味深い話をされる先生方が出席していた。

なかでも興味深い話をしたのが日高さん。子どもの教育という話になったとき、「子どもは本来自分で育つものである、という認識に立たなければならない。」と言われた。その通りだと思う。「先生方のなかには、教育しなければ子どもは育たないと考えている人が非常に多い。そういう考え方では、あるところで成長が止まってしまう。子どもたちは自分たちで育つものだということを基本にして、それをどう支えるのかが教育の考えるべきことだろう。」という日高さんの発言は、ユニセフパークプロジェクトが目指すところと一致している。

ところが、子どもが勝手に育つのであれば教育や学校が必要なくなってしまう。だから日高さんは「あまりそういう発言をしないで欲しい」と教育委員会に怒られたことがあるそうだ。もちろん、かなり昔の話だろうけど。

山崎

2005年6月25日土曜日

「非過防備都市」

夕方から、コーディネーターとしてarchiforumに出席する。ゲストは五十嵐太郎さん。テーマは「過防備都市」。

いつごろからだろうか、熱中症という病気が声高に語られるようになった。僕が小学生のころ、日射病に注意するという話はあっても、熱中症に注意するという話はなかった。熱中症とは、暑いところで長く活動することによって体力が奪われてしまうことである。クーラーの効いた部屋で生活する子どもが多くなったために、最近では多くの子どもが熱中症にかかるようになっているという。快適な室内と過酷な屋外。このギャップが熱中症を引き起こす原因なのである。

どうすればいいか。公園にも道路にも駐車場にも運動場にも、都市のすべての場所に屋根をかけてクーラーを設置すればいい。いや、最近では中山間地域でも熱中症が問題になりつつあるのだから、里山にも畦道にも田畑にも屋根とクーラーを設置すべきである。都市のセキュリティに関する議論は、そんなことを主張しているように感じる。

学校の内部を安全にすればするほど、学校の外部おける危険に対応できない子どもを育成することになるだろう。住居の内部を安全にすればするほど、都市における危険に対応できない人たちが生み出されるだろう。ゲーテッドコミュニティで育った子どもは、都市の危険に対応できる大人になるのだろうか。都市の隅々まで防犯カメラを設置し、安全で安心なまちづくりを物理的に進めるべきなのだろうか。

都市の自由な活動を制限し、人々の活動を監視する。物理的な安全を追求すると、僕たちの自由はかなり制限されてしまう。安全か自由かという問いの立て方ではなく、安全で自由であるべきなのが都市なのである。都市の活力を十分に高めることによって、安心で安全な生活を確保することはできないだろうか。

安全だから安心なのではなく、活力が高まって相互に安心して暮らすことができるから安全な街が実現するのである。自由で安全なまちづくりとは、都市で生活する人々の活力に支えられたまちづくりなのだろう。

外部空間の隅々にまでクーラーが効いている都市ではなく、暑さを吹き飛ばすくらいの活力を持った人々が闊歩する都市に住みたい、と僕は思う。


五十嵐太郎さん

山崎