2007年7月21日土曜日

けんちくの手帖 山納洋さんの話




狩野

イベントの集客数を気にするのはやめよう

夜は大阪に戻って「けんちくの手帖」の司会。ゲストはコモンカフェのオーナーで21世紀協会の山納さん。山納さんは先日「コモンカフェ」という本を出版。その内容や裏話などについてお聞きした。お客さんから質問が出る前に、質問されそうなことについて補足説明を加えながらしゃべる山納さんを見ていて、やっぱり冴えた人だなぁ、と感じる。印象的だったのは、イベントは集まった人の人数じゃない、という話。まったく同感である。300人集まったイベントでも、3人しか集まらなかったイベントでも、その価値はそれほど変わらないという。そのことを僕は「参加者相互の結びつき」が強いか弱いかで表現してきた。参加者が少ないイベントほど参加者相互の結びつきが強くなる。満足度を高めることもできる。だから僕は、できるだけ少人数で深い結びつきを作りながらプロジェクトを進めていきたいと考えている。一方、山納さんの説明は少し違う。300人参加したイベントも3人参加したイベントも、参加しなかった人の数から言えば大差はないということ。大阪市の人口は約260万人。その大阪市で300人を集めるイベントを開催したとしても、参加しなかった人の数は259万9700人。3人しか集まらなかったイベントでも、参加しなかった人の数で言えば259万9997人。

参加しなかった人が259万9700人のイベントと259万9997人のイベント。あまり大差がないともいえよう。それならば、少人数でもいいから強い結びつきができる小さなイベントを何度も実施するほうがよさそうだ。準備も大掛かりじゃなくていいし、告知もことさらがんばりすぎる必要もない。気軽に、気長に、楽しみながらイベントを積み重ねればいい。まったく同感である。

山崎

2007年7月19日木曜日

雑記

午前中は京都造形芸術大学で3年生の演習合評。いずれの提案もおよそ合格レベルに達していない。ランドスケープデザインコース全体のレベルが低い。たぶん、友人たちの完成度をお互いに見ながら作業を進めているのだろう。図面の表現も模型の完成度も学部2年生以下のレベルだった。

この授業は週に2コマしかない。2コマしかない授業で設計演習を学ぶわけだから、当然授業以外の時間に作業を進めなければならない。ところが、どうやら学生たちは授業の直前になるまで作業をしていないようだ。授業で何とか言い訳ができる程度の作業しかしないから、いつまで経っても提案内容が充実しない。本来であれば、授業以外の時間に作業をほとんど進めておいて、授業ではその方向性を確認する程度にすべきなのである。そのあたりを勘違いしている今の3年生が4年生になったとき、いかほどの卒業制作が出てくるのか、今から相当不安になる。

夜は三田の有馬富士公園にて計画・運営協議会。有馬富士公園も来年度からは指定管理者の競争にさらされる。協議会でも、参画住民から指定管理者に関する議論が多く持ちかけられる。新たな指定管理者が参入することを恐れるばかりでなく、指定管理者という新たな局面を利用して更なるマネジメントの充実を図るべきではないだろうか。

山崎

2007年7月13日金曜日

雑記

午前中は大阪工業技術専門学校にて環境デザインに関する講義。前期授業もそろそろ終盤。とりまとめの時期にさしかかっている。

午後は近畿大学理工学部にてセミナー。普段は近畿大学の文芸学部で講義しているため、理工学部で話をするのは初めて。200名近い学生が出席。人数の多さに驚く。今回のセミナーは理工学部の岡田先生からの紹介。いつも感じることだが、岡田ゼミの学生は優秀な人が多い。どういうゼミにすると、ああいう素直な学生に恵まれるのだろうか。

夜はE-DESIGNにてOSOTOの編集会議。今回の特集テーマは「オソトで愛を」。僕自身がいくつかの記事を担当することになった。今のところ、僕が担当するのは以下の4つ。・国際日本文化研究センターの井上章一さんに「外部空間における性愛行為の歴史」についてインタビューおよび取りまとめ。・庭と愛との関係についての論文執筆。・連載記事「SOTO-MONO」にて、キャリーバッグについて執筆。・連載記事「海外のOSOTO事情」について、海外のオソト事情に詳しい人を探して執筆依頼。

「海外のOSOTO事情」については、フィリピンの屋台について大阪市立大学准教授の瀬田さんに執筆をお願いしようと考えている。

山崎

2007年7月6日金曜日

山崎さんの鞄

事務所で、杉本さん、藤本さんといっしょに鞄や手帳の話をしました。山崎さんの鞄はおそろしくデカいのです。

山崎さんが今のランドスケープの仕事に興味を持ったのは以外と遅く、大学4年生のころだそうです。海外の大学に留学中、外国の学生たちはなんと真剣に自分たちの未来に対して貪欲なのだろう、と感じたそうで。その焦りが、今の山崎さんを形成しているようです。

狩野