2007年12月24日月曜日

忘年会

ここ最近、忘年会つづきで二日酔いの毎日。
今年の忘年会の締めくくりはstudio-Lの海鮮パーティー!
のはずが、急遽仕事の予定が入ってしまった。
しかも遠方での会議なのでスタジオに戻ってこれそうに無い(泣)。
新年は良い年でありますように。

醍醐

2007年12月7日金曜日

大阪ブランド情報局

当事務所の山崎が、大阪ブランド情報局からインタビューを受けました。掲載記事はこちらです。

http://www.osaka-brand.jp/kaleidoscope/design/index.html

狩野

2007年12月1日土曜日

事務所の所在地

〒530-0012
大阪市北区芝田2丁目8-15 北梅田ビル51
TEL06-4965-4717(代表)
JR大阪駅、阪急梅田駅、地下鉄梅田から徒歩5分

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狩野[2008.08.08 加筆]

2007年10月12日金曜日

けんちくの手帖vol13 OSOTOの話


“おしゃれ”公園協会雑誌「OSOTO」の編集長でありランドスケープデザイナーとしてもご活躍の忽那裕樹さんをゲストにお迎えした今回のarchitects’ BAR 「けんちく本つくりたい人集まれ」。

今回は手品の前座ショーもあり、会場は大いに盛り上がりました。




狩野

2007年10月11日木曜日

スタジオの制服?



偶然ですが、今日の山崎と神庭は同じような格好で打ち合わせに行きました。
茶色のジャケットに白いシャツ、こげ茶のパンツにこげ茶の靴。すべておそろいでした。
打ち合わせの相手が奇妙に思ったかもしれません(笑)。
山崎

2007年9月6日木曜日

さんま20尾









北海道からスタジオにさんまが20尾も送られてきました。
みんなでおいしくいただきました。

山崎

2007年8月20日月曜日

出前授業

午前中は海士中学校の先生方と打ち合わせ。出前授業の内容などを説明するとともに、中学校内部を見せていただいた。

午後から全校生徒を集めて出前授業。講師の西上を中心に「中学校を使いこなそう!」というテーマでワークショップを行った。出前授業のコンセプトは「サステイナブル」。持続可能であることをどのように中学生へ伝えるのか。

エコだったり持続可能だったりすることは、別に学校をエコなものに改修したり、ソーラーパネルや風車を設置したりしなければ達成できないことではない。第 一に、今使っている学校をどれだけ長く使い続けることができるのか。このことがエコでありサステイナブルにつながるのである。それは学校建築というハード な面に起因することではなく、学校を使っている生徒や教職員に求められるスキルに起因することである。つまり、少々不便な点があったとしても、学校を使い こなすスキルさえ身につけていれば、その都度アイデアを振り絞ってうまく使いこなすことができる。乗り切ることができる。その繰り返しが、結果的に建築物 を長持ちさせ、解体にかかる費用やエネルギーを省くことにつながり、新築したり改修したりする費用やエネルギーを省くことにつながる。そう考えた。

そのスキルを少しでも高めてもらおうと、中学生たちをチームに分けて学校内を歩き回って、普段の使い方とは違う使い方を提案してもらった。「こんな風に使えるんじゃないか」というアクションを写真に撮って、それを発表し合うのである。

中学生たちは、普段使っている学校を別の方法で使いこなすということで、最初は戸惑っていたが、どう使っても先生からお咎めがないことを確認するとさまざ まに使いこなし始めた。運動場に倒してあるサッカーゴールのネットをハンモック代わりにして昼寝する生徒や、廊下をボーリングのレーンに見立てて遊ぶ生 徒、階段の踊り場に恋人と2人きりで話合える場所を作る生徒、屋上に椅子を並べてサンデッキを作る生徒。実にさまざまな「使いこなし方」が見られた。

サステイナブルやエコロジカルという言葉を使って新たな公共事業を生み出そうとする動きがある。このこと自体の是非を問うつもりはないが、専門家が「至れ り尽くせり」なデザインで解答を与えることによって、利用者を「いつも誰かがそれを解決してくれるだろう」という他人任せな態度にさせてしまうのは良くな い。ましてや中学校をエコロジカルに改修するにあたって、中学生までを「他人任せ」な人間に仕立て上げてはまずい。まずは自分たちが学校を使いこなすこ と。そして「この学校はこのままでもまだまだ使える」という意思を表明すること。使う側のスキルを上げることなく器だけを新調しても、数年後には同じ問題 が表面化するのだから。

山崎

2007年8月18日土曜日

投入堂

島根県の隠岐に海士町という町がある。島根県の境港から船で3時間の沖合いに浮かぶ島だ。海士町はさまざまな取り組みによって多くの行政体から注目されている町である。その取り組みのひとつに「AMAワゴン」というものがある。海士町からマイクロバスを出して上京し、日本各地の若者を拾いながら海士町まで戻ってくるのである。拾われた学生たちは海士町の中学校で出前授業を行い、都市部の大学生と島の中学生との交流を促進する。東京の一橋大学の学生たちが考え出した仕組みだという。

studio-Lの面々が今回の出前授業を担当することになった。出前授業の講師役はstudio-Lの西上。スタッフ総出でこれをサポートする。また、スタジオに関わる学生も多数海士町に乗り込む。

どうせ島根県まで行くのなら、1日早く出発してどこか寄り道しようという話になった。そういえば、年度末の仕事を終えて以来どこにも出かけていない。社員旅行のつもりで寄り道するのも悪くない。そんな話で寄り道先に選んだのが三徳山の投入堂。急峻な崖に作られたお堂だ。これを世界遺産にしようという動きもあるらしい。以前から見に行きたいと思っていたお堂である。

午前8時に大阪を出て、途中いくつか寄り道しつつ、三徳山に付いたのは午後3時。さっそく山を登りに行く。この山が思いのほか急峻で、歩けど歩けど投入堂にたどり着かない。かつては修行僧が修行のために使っていたルートだというだけあって、本気で山を登らなければたどり着けないお堂だった。1時間半ほど山登りした後に、崖に絶妙なバランスで収まる投入堂を拝観した。信じられないようなバランスである。よくこれまで崩れ落ちなかったな、というのが最初の感想。少し強めの地震が起きれば、いとも簡単に崩れ落ちて手前の崖を滑り落ちていくようなお堂である。場所の選び方やお堂の構造や材料の選定など、どれほど考え抜けばこうした建築物が建てられるのかと、ただただ感心するばかりである。

しかし、しばらくすると別の考え方が脳裏をよぎった。ひょっとしたら、日本中にこうした「きわどい」お堂はいくつも建てられてきたのかもしれない。いつの時代にも、ぎりぎりの場所にお堂を建てる修行があり、極限に調整する修行僧がいたのだろう。しかし、そのほとんどは風水害や地震などによってもろくも崩れ去った。いま目にすることができるのは、奇跡的にこれまでいかなる災害にもあわず、修復を繰り返してその姿をとどめているわずかな生き残りではないか。建てる場所やお堂の構造について特別なことを考えたのではなく、星の数ほど建てられたお堂のなかでたまたま災害にあいにくい場所に建ったのがこのお堂だったのではないか。そんなことを考えた。

いくら優秀なお坊さんや大工さんが集まったとしても、1000年や2000年先まで残るような崖に建つお堂を「計画的に」つくることは不可能だろう。このお堂は、何百、何千と作られた「きわどい」お堂のうち、たまたまどんな災害にもあわなかった奇跡的なお堂なのかもしれない。

ややダーウィニズムに過ぎるかもしれないが、そんなことを考えながら三徳山を下山した。

山崎

2007年8月12日日曜日

ぬかづけ試食









醍醐くんが、京都でぬかづけを習ってきたそうです。 講習会でつくったぬかづけが食べごろになったということなので、みんなで試食してみました。 おいしいぬかづけに仕上がっていました。

山崎

2007年8月9日木曜日

21cafe

夕方から21cafeでお話する。いつもお世話になっている山納さんの誘いで、大阪21世紀協会が主催する21cafeなる会合で僕の活動を紹介させてもらうことになったのだ。一緒にお話いただいたのはアートアンドクラフトの中谷ノボルさん。

この会合は非公開なものらしく、話を聞きに聞きに来てくれた方々もかなり限られた面々。名刺交換させてもらって驚いたのだが、会社の重役さんや新聞社やテレビ局の偉い人ばかり。僕の話が何の役に立つのかほとんど理解できないまま、これまでの活動を紹介させてもらった。

一緒にお話いただいた中谷ノボルさんは、活動を情報発信するのがうまい方だ。ウェブにしても紙にしても、気の利いたコピーとオシャレなグラフィックで自分たちの活動をうまくPRされている。学ぶべき点が多い。一方、僕らの活動は自分たちが楽しければいいという向きが強すぎて、ともすれば排他的になりがちな状態。情報発信もうまくできていない。反省すべき点が明確になった日だった。

交流会では、メディア関係の方々に情報発信の方法などについて教えていただいた。今後は、自分たちの活動を他人が理解しやすいように整理して、しかるべきタイミングと媒体でしっかり情報発信したいと思う。まずは自社のホームページをしっかり作らねば。。。

山崎

2007年7月21日土曜日

けんちくの手帖 山納洋さんの話




狩野

イベントの集客数を気にするのはやめよう

夜は大阪に戻って「けんちくの手帖」の司会。ゲストはコモンカフェのオーナーで21世紀協会の山納さん。山納さんは先日「コモンカフェ」という本を出版。その内容や裏話などについてお聞きした。お客さんから質問が出る前に、質問されそうなことについて補足説明を加えながらしゃべる山納さんを見ていて、やっぱり冴えた人だなぁ、と感じる。印象的だったのは、イベントは集まった人の人数じゃない、という話。まったく同感である。300人集まったイベントでも、3人しか集まらなかったイベントでも、その価値はそれほど変わらないという。そのことを僕は「参加者相互の結びつき」が強いか弱いかで表現してきた。参加者が少ないイベントほど参加者相互の結びつきが強くなる。満足度を高めることもできる。だから僕は、できるだけ少人数で深い結びつきを作りながらプロジェクトを進めていきたいと考えている。一方、山納さんの説明は少し違う。300人参加したイベントも3人参加したイベントも、参加しなかった人の数から言えば大差はないということ。大阪市の人口は約260万人。その大阪市で300人を集めるイベントを開催したとしても、参加しなかった人の数は259万9700人。3人しか集まらなかったイベントでも、参加しなかった人の数で言えば259万9997人。

参加しなかった人が259万9700人のイベントと259万9997人のイベント。あまり大差がないともいえよう。それならば、少人数でもいいから強い結びつきができる小さなイベントを何度も実施するほうがよさそうだ。準備も大掛かりじゃなくていいし、告知もことさらがんばりすぎる必要もない。気軽に、気長に、楽しみながらイベントを積み重ねればいい。まったく同感である。

山崎

2007年7月19日木曜日

雑記

午前中は京都造形芸術大学で3年生の演習合評。いずれの提案もおよそ合格レベルに達していない。ランドスケープデザインコース全体のレベルが低い。たぶん、友人たちの完成度をお互いに見ながら作業を進めているのだろう。図面の表現も模型の完成度も学部2年生以下のレベルだった。

この授業は週に2コマしかない。2コマしかない授業で設計演習を学ぶわけだから、当然授業以外の時間に作業を進めなければならない。ところが、どうやら学生たちは授業の直前になるまで作業をしていないようだ。授業で何とか言い訳ができる程度の作業しかしないから、いつまで経っても提案内容が充実しない。本来であれば、授業以外の時間に作業をほとんど進めておいて、授業ではその方向性を確認する程度にすべきなのである。そのあたりを勘違いしている今の3年生が4年生になったとき、いかほどの卒業制作が出てくるのか、今から相当不安になる。

夜は三田の有馬富士公園にて計画・運営協議会。有馬富士公園も来年度からは指定管理者の競争にさらされる。協議会でも、参画住民から指定管理者に関する議論が多く持ちかけられる。新たな指定管理者が参入することを恐れるばかりでなく、指定管理者という新たな局面を利用して更なるマネジメントの充実を図るべきではないだろうか。

山崎

2007年7月13日金曜日

雑記

午前中は大阪工業技術専門学校にて環境デザインに関する講義。前期授業もそろそろ終盤。とりまとめの時期にさしかかっている。

午後は近畿大学理工学部にてセミナー。普段は近畿大学の文芸学部で講義しているため、理工学部で話をするのは初めて。200名近い学生が出席。人数の多さに驚く。今回のセミナーは理工学部の岡田先生からの紹介。いつも感じることだが、岡田ゼミの学生は優秀な人が多い。どういうゼミにすると、ああいう素直な学生に恵まれるのだろうか。

夜はE-DESIGNにてOSOTOの編集会議。今回の特集テーマは「オソトで愛を」。僕自身がいくつかの記事を担当することになった。今のところ、僕が担当するのは以下の4つ。・国際日本文化研究センターの井上章一さんに「外部空間における性愛行為の歴史」についてインタビューおよび取りまとめ。・庭と愛との関係についての論文執筆。・連載記事「SOTO-MONO」にて、キャリーバッグについて執筆。・連載記事「海外のOSOTO事情」について、海外のオソト事情に詳しい人を探して執筆依頼。

「海外のOSOTO事情」については、フィリピンの屋台について大阪市立大学准教授の瀬田さんに執筆をお願いしようと考えている。

山崎

2007年7月6日金曜日

山崎さんの鞄

事務所で、杉本さん、藤本さんといっしょに鞄や手帳の話をしました。山崎さんの鞄はおそろしくデカいのです。

山崎さんが今のランドスケープの仕事に興味を持ったのは以外と遅く、大学4年生のころだそうです。海外の大学に留学中、外国の学生たちはなんと真剣に自分たちの未来に対して貪欲なのだろう、と感じたそうで。その焦りが、今の山崎さんを形成しているようです。

狩野

2007年6月22日金曜日

雑記

午後から東大にて研究室会議。研究の進捗状況を報告した。もう少し先へ進めるようにとの指示。確かに、今回は報告できるネタが少なかった。

その後、研究室の学生と食事へ。新しく大学院に入ってきた学生とはほとんど話をしたことがなかったのだが、1人は学部時代にランドスケープデザインを学んでいたというので話が盛り上がった。ランドスケープデザインから都市工学へという道を選んだ人がほかにもいたというのが頼もしい。これからも情報交換したいと思う。

夜は新宿にて都市機構の武田氏と情報交換。短い時間だったが、これからの生き方などについて密度の濃い話ができたように思う。

山崎

2007年6月21日木曜日

雑記

昼から京都造形芸術大学の3年生を対象とした設計演習の講義。夕方からは4年生の卒制ゼミ。4年生が取り組んでいた作家研究がほとんど完成する。はじめはどうなることかと思っていたが、かなり面白い冊子ができつつある。研究した結果は、冊子にまとめると同時に発表会を開催してほかの学生たちにも公開するという。発表会が楽しみだ。夜はスタジオへ戻って明日の研究室会議に向けて資料づくり。

山崎

2007年6月20日水曜日

雑記

午前中は近畿大学で授業。ランドスケープデザインの歴史(1970年代)。

午後からE-DESIGNにて、OSOTOや千里リハビリテーションセンターに関する打ち合わせ。

夕方からスタジオにてドク論特別ゼミ。講師は兵庫県立大学の赤澤先生。ドク論の作業が一向に進まないので、忙しい赤澤先生にお願いして特別ゼミを実施してもらった。しかも、わざわざスタジオまで来ていただいて。。。赤澤先生は、ぐちゃぐちゃになった思考を整理するのがうまい人で、まさに今、ドク論のテーマでぐちゃぐちゃになった僕の話を聞いてもらうべき人物。これまでも、いろいろなことが複雑になってくるたびに話を聞いてもらってきた。複雑なことを複雑に考えず、シンプルに考えるように道筋を示してくれる。とても頭のいい人だと思う。

山崎

2007年6月16日土曜日

雑記

午前、午後と京都造形芸術大学で通信教育部のスクーリング。卒業制作のゼミ指導。通信教育部には全国から学生が集まっているため、卒業制作のフィールドも秋田県から鹿児島県まで多種多様である。いろいろな土地の情報を知れば知るほど、その場所へ行ってみたくなるから困る。一度、たっぷり休みを取ってすべてのフィールドを回ってみたいものだ。

夕方から京都大学の森本先生が京都造形芸術大学で講演するというので、スクーリング終了後に少し遅れて聞きに行く。講演会終了後、森本先生と少しお話する。独立したことや造形大で教えていることなど、これまで報告できていなかったことを報告した。森本先生は僕の修士論文の副査を担当してくれた先生。

山崎

2007年6月15日金曜日

雑記

午前中は大阪工業技術専門学校で講義(環境デザイン論)。相対年譜プロジェクト、屋上神社プロジェクトともに順調。

午後から中山寺にある大平建設にてランドスケープデザインに関する打ち合わせ。

夕方から大阪府庁にて打ち合わせ。

夜はスタジオに戻って打ち合わせ。

移動時間が長い。移動中はiPODで「新撰組!」を見ている。もう3回目なので、せりふはほとんど覚えてしまっているのだが。


山崎

2007年6月13日水曜日

モダン+何か

午前中は近畿大学の授業。午後から京都造形芸術大学で研究室会議。午後8時から大阪で元精神科医の永野さんと会う。永野さんは現在お寺に務めている。宗教関係の仕事に携わっているものの、本人は堅苦しいことを言わないし、宗教について細かいことも言わないので気楽に語り合える。

永野さんによれば、精神医学というのは概ね近代的な手法を用いて心の病に対処しようとする専門領域なのだと言う。問題点を分析して、それに対応した処置を講じる。その点で建築やランドスケープデザインも同じ出自である。ところが、心の病はそれだけで完治するとは限らない、と永野さんは言う。もちろん、半分は科学的な見地から治療するべきなのだが、それだけで完全とはいえない、というのだ。事実、科学的には治ってしかるべきの患者がいつまで経っても心の病に悩まされ続けることがある。そんなとき、科学的な手法よりも宗教的な手法が役立つことが多いという。悪い部分だけを治そうとする態度ではなく、その人自身の全体性を受け止める思想が必要になるのだろう。科学だけでは対処しきれない領域がそこにある。

ランドスケープデザインの世界も同じような課題を抱えているといえよう。モダニズムの思想だけでは真に人間のための空間がつくり出せないことは経験的にわかってきた。残された「何か」足りないものをどう満たすのか。庭のデザインにおいては、そこにいわゆる「宗教」を持ち込む人もいる。あるいは「地域性」を持ち込む人がいる。「生態学」を持ち込む人もいる。いや、むしろ「地域性」や「生態学」は、それを信じる人たちにとって見れば宗教的な役割を担っている「何か」なのだろう。そもそもモダニズムという発想自体、それを信じる人たちにとっては宗教的な「何か」を担わされていた「イズム」だったのかもしれない。事実、僕らはコルビュジエの名前やデザインに対して、単なるモダンを超えた「何か」を感じていることが多い。

ただ、こうした「モダニズム」の宗教を信じている人というのは、ごくわずかな人たちだけだ、ということに注意する必要がある。一般的には、コルビュジエがデザインした建築にいまさら感動する人はほとんどいない。単に「ちょっと古いけど変わった形の建築だな」という程度の感想だろう。それを「解ってないなぁ」と蔑んでもしょうがない。むしろ「解っていない」人たちのほうが主流なのである。そんな主流派に対して「モダニズム」だけで勝負しようとしても、人々が宗教的な癒しを得ることはない。僕らのような「モダニズム教」の信者は、コルビュジエがデザインした椅子に座るだけで癒されるのかもしれないが。

「残された半分」をどう満たすか。モダンを乗り越えるための重要なキーワードである。精神医学もデザインも、同じようなところで悩んでいるようだ。

山崎

2007年6月4日月曜日

「レヴィ=ストロースとリーヴァイ・ストラウス」

「見えない庭」を読み返す。ローレンス・ハルプリンの章(第5章)を読んでいて、ふと珍しい文字に出会った。140ページの上段。ハルプリンが設計したという「レヴィ=ストロースプラザ」のことが書いてある。しかし、ハルプリンがレヴィ=ストロースの広場をデザインしたという話は聞いたことがない。そもそも、文化人類学者であるレヴィ=ストロースを記念した広場など存在するのだろうか。

レヴィ=ストロースプラザのデザインは1980年だという。1980年にハルプリンが設計した広場。。。といえば、リーバイス・プラザである。

レヴィ=ストロースとリーバイ・ストラウス。いずれも英語表記では「Levi-Strauss」である。あまりに有名な2人なので、これまでまったくつながらなかったが。。。急いでリーバイ・ストラウスとレヴィ=ストロースとの関係について調べてみる。どうやら2人は遠縁の関係だという。特に年齢が下のレヴィ=ストロースのほうは(リーバイスの創業者は、レヴィ=ストロースが生まれる6年前に亡くなっている)、よくジーンズ屋に間違えられたというではないか。面白い逸話である。

が、面白いでは済まされないのが「見えない庭」の誤訳である。再版の時にでも修正しておくほうがいいだろう。リーバイ・ストラウス・プラザとレヴィ=ストロース・プラザじゃ、イメージがぜんぜん違う。

それにしても、佐々木葉二さんと宮城俊作さんのどちらが訳出を担当したんだろう。。。いずれにしても、あとがきを読む限りは佐々木さんがすべてチェックしたことになっているので、佐々木さんはこれで良しとしたわけか。。。しかし、佐々木さんがリーバイスとレヴィ=ストロースを間違えるわけはないと思うのだが。。。不思議な誤訳である。機会があれば、本人にそっと伝えておきたい。

山崎

2007年5月21日月曜日

「一人あたりの公園面積」

「一人あたりの公園面積」という指標がある。

ランドスケープデザインに関する教科書には必ずといっていいほど出てくる指標だ。この話題、ほとんどの場合は「欧米に比べて日本の一人あたりの公園面積は小さいので、まだまだ公園緑地を増やすべきだ」という文脈で紹介される。

紹介されている「一人あたりの都市公園面積」は、東京都区部で平均3.0㎡程度。大阪市内は3.5㎡。名古屋市内だと6.7㎡。全国の政令市の平均は約6.0㎡なので、名古屋市は比較的緑豊かな都市だといえよう(いずれも2001年度のデータ)。

ところが諸外国を見ると、名古屋市でさえも大したことではないと実感させられる。例えばパリ市内の一人あたりの都市公園面積は11.8㎡。政令市平均の2倍近い緑の量である。さらに、ロサンジェルスは17.8㎡(1994年度)、ロンドンは27.0㎡(1997年度)、ベルリンは27.5㎡(1995年度)、ニューヨークは約30㎡もの公園面積を誇る。

東京や大阪は世界の都市に比べて一人あたりの公園面積が小さい。差は歴然としている。これが教科書の論調である。こんな論調に対して、「ちょっと待った」という反論もある。日本は都市公園として参入されている面積が小さいだけで、社寺や田畑および里山など、実質的に公園的利用がなされている面積を足せば欧米にだってそれほど負けていないぜ、という反論である。

そんな反論を信じて、僕はこれまで「一人あたりの公園面積」という指標を信じてこなかった。というか、それが低いからといってあわてる必要はないと考えてきた。しかしふと疑問に思ったのである。公園面積にカウントされていないその他の「緑地」面積を足したとしたら、日本人一人あたりの「緑地面積」はいったいどれくらいなのだろうか。

例えば市民緑地。民有地を一定期間開放して、一般の人たちが使えるようにする緑地であるが、この面積は全国で770000㎡。緑地保全地区というのもある。都市計画区域内にある樹林地や草地や水沼地で、良好な自然環境を形成しているものが緑地保全地区に指定される。いわゆる都市近郊の里地里山である。この地区が全国で14110000㎡。都市に住むものにとって、これらの2種類の緑地も十分に都市公園的な利用に供する場所だといえよう。さらに、京都や鎌倉や飛鳥のように、庭園が多く歴史的な風土を持った地区も丸ごとカウントすると155250000㎡。

以上のような「都市公園的」に利用できる場所をすべて足し合わせて、日本の総人口で割ってみると、一人あたりの都市公園的空間の面積は1.3㎡増えることになる。

それでも1.3㎡である。政令市平均の6.0㎡に足したとしても7.3㎡。パリの面積にも満たない。ニューヨークの30㎡には程遠い。

一人あたりの都市公園面積。この指標をもう少し信じてみてもいいのかもしれない。少なくとも、すでに公園面積は足りていると思う必要はないのかもしれない。税収が減少して、公園整備費が削減され続ける時代にあって、しかしまだまだ公園を増やしたほうがいいと考えるべきなのかもしれない。事実、僕らが海外旅行へ行ったり、しばらく海外に住んでみたりすると、帰国した際にどうしても「日本の都市には緑が少ないなぁ」と感じてしまうのだから。

公園面積を増やすと、その管理費が増大することは必至だ。諸外国はどのように広い公園を管理しているのだろうか。ニューヨークの公園はすべて税金で管理されているのだろうか。公園や緑地の面積を増やすことと、その後の管理をどうするのかということをセットで考えてみる必要がありそうだ。

山崎

2007年5月14日月曜日

「strong concept」

中之島の中央公会堂にオランダの「NL Architects」とルクセンブルクの「Polaris」がやってくるというので、夕方から話を聞きに行く。

NLのアプローチは以前から気になっていた。入り組んだ駐車場の計画では、広告収入による建設費や維持費のマネジメントにも言及しているし、空からみると企業の広告になる空港併設駐車場では駐車すればするほどお金がもらえるシステムを提示しようとしている。つまり、カタチとナカミとシクミを同時に考えようとしているのである。

講演内容で面白いと思ったキーワードは「strong concept」。明確なコンセプトと、それを素直に表現したカタチ。この組み合わせが独特のアイデンティティを生み出し、見るものにインパクトを与えることになる。その結果、楽しそうな建築や空間が出来上がるのだが、実はその細部にはさまざまなストーリーが埋め込まれていて、実に良く考えられた建築になっているのである。「あれもこれもできます」というコンセプトではなく、「これです」という明確なコンセプトを打ち出しておいて、そのあとで「実はあれもこれもできます」というストーリーを説明する。強いコンセプトが持つ意味を改めて再認識したように思う。

もうひとつ共感したキーワードは「境界を越える」ということ。ヨーロッパで活躍する建築家らしく、あまり国境を意識せずにボーダレスな活動を展開していることが多いようだ。また、Polarisの2人は国境だけでなく専門分野の境界も越えて活動している。いわゆる建築だけでなく、都市計画や広告やイベントなど、都市や社会の問題を解決するためのツールを建築だけに限定しない。たまたま建築で解決できるものは建築で解決するというスタンスは、非常に共感できるものだった。

これからしばらくは「強いコンセプト」について考えてみたいと思う。特にランドスケープデザインにおいては、住民参加や生態系への配慮など、コンセプトの輪郭をぼやけさせるようなテーマやコンセプトが付着しやすい。油断するとさまざまな「重要なこと」をコンセプトに付けすぎて、結局何がしたいのか伝わらないことになりかねない。シンプルで強いコンセプトをどのように提示し、それをどうカタチにするか。そのことを考えてみたい。

ちなみに、NL Architectsの「A8ernA」というプロジェクトは、高速の高架下に連続した公園をつくるというプロジェクトで、ランドスケープデザインにも多くのヒントを与えてくれる内容になっている。水面を船で利用して、降り立った教会前広場で結婚式を挙げるというプログラムのつなぎ方など、カタチとナカミの組み合わせ方が面白い。

同じくNLの「Loop House」というプロジェクトは、住宅と庭(中庭と屋上庭園)との関係がよく考えられたプロジェクトである。

「Basket Bar」のプロジェクトも、バスケットボールコートとバーという2種類のプログラムを重ね合わせながら統合するという、ランドスケープと建築との関係を考えさせるものである。

NLの建築は、ランドスケープと建築との新しい関係を示唆するものが多いように感じた。しっかり調べてみたい建築家である。

山崎

2007年2月20日火曜日

「人口減少時代の都市計画」

永田町で行われた「市長と語る21世紀の都市計画」というシンポジウムに参加した。

はじめに大西教授(東京大学大学院)から近年の人口動態についての概説があった。出生率は地方が圧倒的に高く都心部はきわめて低いことが明らかだが、人口減少率からみると地方が高く都心部は低い。このことから、地方で生まれた人の多くが依然として都市へ大量に流入していることが分かる。また、DID人口密度に注目すると、1960年から2005年にかけて低下している。これは市域が拡大していることを示している。都心部にゆとりのある生活空間が実現したともいえるが、逆に言えば非常に拡散した都市が出現しつつあるともいえる。 一方、この10年間に大都市の中心部に人が集まりつつあることも分かっている。90年から95年には、中央区や中区や中京区といった「中央」を示すエリアの人口が減少していたにも関わらず、2000年から2005年にかけては逆にこれらのエリアの人口が増加している。中央部分に人が集まり、それ以外の場所からは郊外へと人が流れているという実態が明らかになった。 

こうした状況を活かして、農地を都市に取り込んだり、自然を活かした開発を進めたり、都市近郊の自然を保全したり、住宅地を公園や自然地に戻したりする新しいタイプの開発を考える必要があるだろう、との指摘がなされた。こうした新しい取り組みを地域主体で進めるためにも、ある程度の権限委譲が必要になる。現在では三位一体の改革に基づいて、ある程度の権限と財源が地域に渡されている。以前なら法律でかなり細かいことまで規定していたが、地域の実情に応じて規制の項目を変えることができるよう、委任条例に任せることができる法構成になっている。その結果、条例によるまちづくりが多くの自治体で盛んになりつつある。金沢市や横須賀市の例はまさに地方分権下における地域主体のまちづくり事例といえるだろう。

続いて、伊藤市長(西条市)から市の特性と方向性についての説明があった。西条市は周囲を多くの空港に囲まれている。自身は空港を持たない市だが、周囲の空港とうまくタイアップすることで観光情報を発信したいと考えている。また、新たに多自然居住地域と合併することによって農地面積がかなり増えた。このことを積極的に評価し、食料自給率が70%に達している状況を売り出すことにしている。さらに地元銀行が地元企業にお金を貸すようにするためのさまざまな機会を提供している。地域の産業再生を地域再生へと結びつける具体的な試みを紹介された。

須田市長(新座市)は、「まちづくりは道路整備から」というスローガンを掲げてまちづくりを進めている。また、「道路整備は区画整理から」ということを考え、現在は市内の区画整理事業を積極的に進めているという。また、町内会に登録する人を募集して、市全域に点在している積極的な人材の発掘を行っている。

江島市長(下関市)は、下関ブランドをどのように設定して売り出すのかについて検討している事例を報告した。審査員が厳しく商品を検討したうえで、下関ブランド足りえる商品については「ようできちょる」という認定証を発行。特産品をブランド化して売り出す方策を検討している。また、三方を海で囲まれた下関において、積極的にフィールドミュージアム構想を検討している。

続くパネルディスカッションでは、大西教授と3市長に加えて池邊氏(ニッセイ基礎研究所)と武内教授(東京大学大学院)がこれからの都市計画についての意見を戦わせた。議論は大まかに「権限委譲について」「人口減少について」「農村部の過疎化について」という3点について展開した。

権限委譲については、各パネリストともまだまだ十分とはいえないという共通認識であった。実際に地方のメリットになるような権限移譲ができているとは思えない。地元の市は地元の実情をよく把握している。地元市に権限と財源を移譲し、首長自ら地元市の将来に関する計画を決定できるようにしてもらいたい、という意見が主流を占めた。一方、中心市街地活性化のために、一度郊外へ引越しした市庁舎を再度中心市街地近くへ戻すという動きがあることが紹介された。ただし、従来のように新しい市庁舎を建て直すのではなく、空き店舗をバラバラに借り受けて市庁舎の機能を付与するものである。

人口減少については、大西教授が「基本的に回復すべき問題である」という意見を表明した。伊藤市長は人口を増やすのに必要なこととして職場の創出を挙げている。仕事が無ければ人口は増えないという視点に立ち、人が集まりそうなアトラクションの開発に余念が無い。江島市長はユビキタス技術を用いて高齢者や乳幼児の安全や安心を守っていきたいと述べた。

農村部の過疎化については、これまでのように「農村部は都市になる前の段階」という認識に立つのではなく、農村部自体が持っている価値を見つけ出して都市との交流に利用するという立場が重要になるだろうとの指摘がなされた。特に都市部で育った子どもたちに聞くと、過疎化しているような農村部での仕事に大きな魅力を感じているようだった。農村集落を見て、「ああいう風に仕事がしたい。あんな風に生きたい」という具体的な目標像を描く大学生を増やすために何ができるのか。農村部の過疎化については、都市との関係も考慮しながら計画を立案することが求められる。

僕が非常勤として勤めている神戸の研究所では、特に多自然居住地域における安全と安心について研究を進めている。多自然居住地域における危険や不安はある程度把握しつつあるものの、そもそもどのあたりからが都市でどこからが多自然居住地域なのかという話になると明確な定義はなされていない状態である。また、多自然居住地域と都市域との関係を考える上で、多自然居住地域を都市への発展途上として考えるのではなく、多自然居住地域独自の魅力や新たな位置づけを明確にする必要がある。そのうえで、都市と多自然居住地域の積極的な交流方策について検討し、都市部の若者が多自然居住地域で自立的な生活を営めるような仕組みについて考える必要性を感じた。同時に、多自然居住地域を抱える自治体が独自の施策を実施することができるよう、財源と一体となった実質的な権限移譲が不可欠だと感じた。そのことが、多自然居住地域における現段階の危険や不安を取り除くひとつの要因になるのだろう。

山崎

2007年2月19日月曜日

「自然享有権」

イギリスには、有名な「フットパスシステム」がある。広い農場や牧場、あるいは庭園などの外周をめぐる柵の一部に扉が付いていて、誰でもいつでも私有地を通り抜けることができる。他人の庭を通り抜けて散歩することができるというシクミを作り出したイギリスという国はすばらしいと思う。

そんなシクミが、実はスウェーデンにもあるということを知った。スウェーデンには、自然享有権という権利があって、これが法律で守られているという。

自然享有権(アッレマンスレット)というスウェーデン語は、スウェーデン人が生まれながらにして自然を楽しむ権利を持っているという意味を含むそうだ。この精神に則って、スウェーデンでも他人の庭園や農園を通り抜けることができるのだという。自分の土地でなくてもオープンスペースを楽しむことができるというのは、現代の日本人にはほとんど無い発想だといえよう。日本でも最近オープンガーデンが一般的になってきたものの、さらに進めて庭園を誰でもいつでも横切ることができるというところまで行き着いてほしい。そうすれば、オープンスペースのマネジメントやデザインもこれまでのものとは違ってくるはずだ。「自然享有権」という言葉は、スウェーデンに留学していた女性が教えてくれた言葉である。彼女には、雑誌「OSOTO」の「海外おそと事情」という記事を書いてもらうことにした。自然享有権に関する具体的な事例は、ぜひOSOTOの第2号をご覧いただきたい。

山崎

2007年2月9日金曜日

「情報デザインの重要性」

前回前々回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。

はじめに渡辺氏(ライター)から、縮小する時代における情報デザインのあり方についての問題提起がなされた。高度経済成長期におけるマスメディアは、より多くの人に同じ情報を伝えることが最大の特徴だった。しかし、都市が縮小する時代には、情報デザイン自体が重点を変えなければならない状況が生じることになるだろう。そのとき、これまでとは違った情報デザインのあり方が求められることになる。特に人口が少なくなる世の中においては、コミュニティのあり方とその情報デザインが大切になる。そのことを意識した上で、コミュニティに根ざした情報デザインというものがどのようなものであるかを議論したい、との趣旨説明がなされた。なお、今回のシンポジウムにおける情報デザインはIT系の技術ばかりではなく、広い意味で何らかの情報を伝達することのできる手法を提案するものとする。

続いて、加藤助教授(慶應義塾大学)によるフィールドワークの手法とその情報デザインについての説明があった。加藤氏は、まちづくりに不可欠な3つの主体(わかもの、よそもの、ばかもの)について言及し、大学が地域のまちづくりに関わることの可能性を示した。大学生は、地域において「わかもの」「よそもの」「ばかもの」になることができる。そのためには、学生が地域に興味を持ち、まちづくり活動に加わるきっかけになるツールが必要となる。加藤氏が用いるツールは「フィールドワーク」「プチインターンシップ」「ポストカード」「ポッドキャスト」などである。フィールドワークを通じて地域をしっかり観察し、プチインターンシップを通じて地域の活動に参加し、ポストカードで地域の特性を整理し、ポッドキャストで情報を発信する。加藤氏は意図的に「小さなメディア」を使って情報発信することにしているという。まちに住む人がまちを説明する。その声を録音してポッドキャスティング配信する。小さなメディアを活用することによって、顔の見える関係性を新たに構築する可能性を示唆した。実際に加藤氏は柴又、金沢、坂出のまちづくりに学生とともに参加している。

杉浦氏(NPO横浜コミュニティデザイン・ラボ)は、まちづくりには必ず何人かのキーマンが存在することを指摘した。こうしたキーマン同士が出会うことによってまちづくりの段階は大きく飛躍することが多い。この点に着目し、キーマンが主宰する地域のイベント情報を共有財とするための「地域新聞」を紹介した。地域のイベントを「いつ誰がどこで開催するのか」を集めたポータルサイト的な地域新聞の存在は、まちのキーマンが出会う機会を提供し、さらなるまちづくり活動への展開を期待させるものである。また、コミュニティデザインは、各個人の「自分事」と「他人事」との間にある「自分達事」であるとの発想から、重要な「自分達事」を編集して情報発信するメディアのあり方についても言及した。特にグリーンマップや「関心空間」など、web2.0のツール(SNSやSSRなど)を活用した「自分達事」の編集方法は、これからのまちづくりを新しい段階へと進化させる可能性を持っていると指摘した。

鳥巣氏(千葉大学大学院)は、個人に着目したまちづくりの事例を紹介した。任意の市民の顔写真を使ったポスターをつくり、まちの将来についての希望を沿えてまちの主要駅に掲示する。100人近い人のポスターが掲示されると、駅を利用する人たちのなかに知り合いがいる確率は相当高くなる。駅に掲示されているポスターを見たことがきっかけで久しぶりに連絡を取り合う人が現れたり、まちの将来像について語りあうきっかけになったりする。こうした個人に着目したまちづくりの方向性は、web上で展開されている人と人との結びつきとは違ったアナログな、しかし力強い結びつきをまちに作り出すこととなる。こうした取り組みと同時に、まちづくりに関するイベントやコンペティションを実施することにより、更なる個人を浮き立たせて結びつけるまちづくりのあり方が提示された。

最後に、コミュニティデザインにおける各段階に応じたコミュニティウェアを開発することの重要性について議論された。コミュニティデザインには「発見と評価」「共有と編集」「参加と創造」「持続と発展」の各段階が存在する。これらの段階に応じて、グリーンマップや関心空間、シナリオ法、ソーシャルネットワーキングサービス、メソッドカード、ブログなどを使い分ける必要がある。我々が手に入れた新たなツールを適切な段階に適用することによって、まちづくりを新たな段階へとステップアップさせることができるのではないか、という可能性が提示された。

僕たちが堺市で行った「環濠生活」や家島町で実施している「探られる島」なども、活動を情報のデザインをつなげて新たな局面を生み出そうとするプロジェクトである。実際に、どのプロジェクトからも新しいプロジェクトが生まれ、新しい人と知り合うことができている。情報をデザインすることの重要性を再認識する機会を得た。特に加藤氏のアプローチには激しく共感した。偶然の一致かもしれないが、用いているツールも目指しているところも共有できているように感じた。上京する際には、もう一度加藤氏に会っていろいろ話をしてみたいものである。

追記:その後、加藤氏から自身の研究室でまとめたポストカード集や小冊子などが送られてきました。そのいずれもが大変興味深い取り組みであり、studio-Lのスタッフ一同で何度も読み直しました。大変貴重な資料をお送りいただきありがとうございました。一度、食事にでも行きたいですね>加藤さん。

山崎

2007年2月4日日曜日

「すべてを計画しつくさない」

前回に引き続き、「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」のトークインに参加する。

はじめに、木下氏(設計組織ADH)から日本における人口減少期の特徴とその課題についての整理がなされた。木下氏はそのなかで、日本における人口減少期の特徴を少子高齢社会であることとし、特に高齢者が集まって住む際の空間構成について言及した。高齢者のコレクティブハウジングについては、居住者全員の目線が届く中庭を設けることにより、毎日誰かと顔を合わせることができる集住の形態を提案する。また、高齢単身者や高齢家族だけでなく、障害者や一般家族など多様な家族構成が一緒に暮らすコレクティブハウジングが重要だと指摘する。さらに、コレクティブハウジングの設計ポイントとして、歩車分離を徹底し、基本的に歩行者や自転車を優先する平面配置とし、歩行者用通路で各住宅をつなぐことなどを挙げた。さらに、各住戸のキッチンを歩行者専用通路に面して配することによって、通路に常時住まい手の目線がある状況を作り出すことなどを提案した。同時に、24時間水道を使わなかった場合に管理センターへ連絡があるなど、独居老人のケアなどについても新しい提案がなされた。

続いて林氏(ベネッセコーポレーション)は、ベネッセで有料老人ホームの企画に携わってきた経験を通じて、地域に開かれた老人ホームのあり方について提案した。有料老人ホームをつくると、数年の間に半径3kmくらいの生活圏域ができあがる。その後は、時間が経っても圏域は広がらないことから、老人ホームにとって半径3kmという数字がコミュニティのサイズを示しているのではないかとの指摘がなされた。ということは、逆に有料老人ホームの入居者を募集する際でも、半径3km内のターゲットに絞ってマーケティングを考えればいいということになる。そこで、有料老人ホームをオープンさせてからでも、ホームに本屋さんや靴屋さんを一時的にホームへ呼び込んで、入居者のニーズを満たすイベントなどを実施している。このイベント準備として地域の本屋さんや靴屋さんにホームまで来てもらうよう要請するのだが、事後には本屋さんや靴屋さんが他のお客さんにホームのことを伝えてくれるようになるという宣伝効果がある。こうして、半径3km以内に生活圏域をつくり始めれば、有料老人ホームに入居したいという人が次第に地域の中から現れてくる、というのが林氏の経験だと言う。

都築氏(編集者)は、都市は思いのままにならないということの面白さを指摘した。人口減少時代には特に都市は思うとおりにならないのだから、建築家や都市計画家が思う方向とはまったく違った方向に都市は向かい始めるだろう。そのとき、建築家や都市計画家はいったい何ができるのか。都築氏は、どこまで計画者が介入するべきで、どこから先は介入すべきではないのかを見極められる人の存在が重要だと述べた。都市は、つくり手が考えている方向とはまったく違う方向に動き始めている。建築家や都市計画家はこれにどう対応すべきか/対応せざるべきか。人口減少期には、もう一度そのことを問い直したほうがいいのではないか、と語った。

日本における人口減少時代の特徴を少子高齢社会であると認識するのであれば、高齢者の生活に関する問題点、高齢者と社会との関係性に関する問題点などを解決する必要があるだろう。その際のキーワードは、「すべて計画しつくさない」ということ。多自然居住地域の高齢者であっても都市部の若者であっても、計画者が意図した計画の枠内に収まって「生活させられる」のでは、いつまで経っても主体的な活動には近づかない。いかに生活者中心の生活空間を構築するのか、ということが今後の計画論における大きな課題になることを実感した。

山崎

2007年1月28日日曜日

「人口減少時代の都市」

秋葉原で「ファイバーシティ×シュリンキングシティ」という展覧会が開催されている。この展覧会にあわせて、「トーク・イン」という連続レクチャーも開催される。夕方から、その第1回に参加した。

はじめに大野教授(東京大学大学院)から「都市が縮小する時代の特徴」の整理がなされた。都市が拡大した時代と違って、都市が縮小する時代にはいかに豊かな時間を過ごすための空間を準備すべきかが課題になる。これまでの効率的な空間管理や空間整備から、人々が「いい時間を過ごすことができた」と思えるような価値をどのように生み出すのか。都市が縮小する時代のデザインは、このことを体現させるものでなかければならないとの指摘があった。

続いて、日高特任助手と山代助手(ともに東京大学大学院)による「空間占有のマネジメントから時間価値の創造へと移るアーバンデザインの手法」についての発表がなされた。大野先生の指摘する「いい時間を過ごしたと思える価値」を創造するために彼らが用いる手法は大きく3つに分かれており、それぞれ「インスタレーション」「コラボレーション」「パフォーマンス」と呼ぶ。「インスタレーション」は場所の文脈を尊重し、既存の空間との呼応のなかでその状況に少しだけ介入することによって最大の効果を生み出そうとする手法。「コラボレーション」は主にコミュニケーションのデザインであり、新しい合意形成のための手法。多様な主体がコラボレーションする場合には、共通言語としてのメディアが必要になることが多い。またトライ&エラーを繰り返す都市実験(社会実験)の可能性を探る必要がある。特にこれまで失敗が許されなかったアーバンデザインにおいては、いかにエラーを許容して次の成功へと結びつけるか、という思想が求められる。「パフォーマンス」はまさに時間のデザインであり、それを経験する人にとって最高の価値を与えるイベントを実施する手法。単なるイベントではなく、持続可能なイベントの連続体としてのシステムをつくりあげることが求められる。同時に、イベントの内容についても新たなアクティビティを誘発するようなものであることが望ましい。以上3つの手法を用いながら、これまでの硬直的で合理的なアーバンデザインを時間価値創造のアーバンデザインへと変貌させることが、都市が縮小する時代に求められることだと結論付けられた。

一方、梶原氏(都市デザインシステム代表取締役)からは、高度経済成長期とは違った都市開発の事例が多数紹介された。既存の古いホテルをリノベーションして再生させた「ホテルクラスカ」や沖縄やベトナムにおける「森を増やすリゾート開発」など、これまでの自然破壊型開発とは違ったデザイン手法が示された。

田中氏(春蒔プロジェクト主宰)からは、アーティストやデザイナーが共有して使うワークスペースの提案や、既存の公園や緑地に乗り付けて必要な機能を提供するトレーラーの提案など、縮小する都市に必要な「共有(シェア)」の概念に基づいたアーバンデザイン手法が提示された。

岩本氏と墨屋氏(ともにボートピープルアソシエーション主宰)からは、使われなくなったバージ船を利活用したカフェや庭や会議スペースのプロジェクトが紹介された。多様な機能を付加されたバージ船が複数集まれば、海上にひとつの街をつくることができる。この移動可能な街こそが、陸上交通が寸断されてしまう震災時などに役立つのではないか、という提案がなされた。

今回のシンポジウムで発表されたように、柔軟なアイデアを活用しながら、膨大な行政負担をかけずに、民間の力をうまく組み合わて人口減少時代の都市経営に関する具体的な施策を展開することが重要である。人口減少時代の都市を考える際の前提条件が、成長時代とはまったく変わってしまっていることを改めて実感したシンポジウムだった。

山崎