2006年4月22日土曜日

「いわゆる京都らしさ」

夕方から「けんちくの手帖」にコーディネーターとして出席する。ゲストは「京都げのむ」編集部のおふたり。

「京都げのむ」は「京都コミュニティデザインリーグ(CDL)」の機関誌としてスタートした雑誌。豊富なデータベースと独特な特集記事で構成されている。編集は学生が中心に行っていて、9ヶ月程度で1冊の編集を終える。これまでに5冊の「京都げのむ」を発刊しており、5月末には6冊目を発刊する予定である。

「京都げのむ」および「京都CDL」のメインテーマは、いわゆる「京都らしさ」の解体。ことあるごとに持ち出される「京都らしさ」に対して、京都の学生たちはかなり懐疑的な気持ちを持っているようだ。特に、新しい空間や都市を作り出そうとする建築系の学生にとって、自分の提案に「京都らしさ」を持ち出されるのはやっかい極まりないことなのだろう。「あなたの設計案は斬新だが、ちっとも京都らしくない」「そんな提案が実現したら、京都らしい風景が台無しになる」などなど。平時からそんな言葉を浴びせかけられ続けたフラストレーションが、「京都らしさ」の解体を目指す京都CDLの活動へと結びついているように思う。

「京都盆地の断面調査」や「名所買い取りの金額調査」などさまざまな活動を通じて、「京都げのむ」はいわゆる「京都らしさ」が現在の京都市域における一部分を象徴したものでしかないことを明らかにする。全国的に有名な「京都らしさ」は、現在の京都市域の一部だけを増殖させた結果でしかなく、その他ほとんどのエリアはもっと多様な様相を帯びている。ところが、京都を訪れる人々はそうした京都の多様性を直視しようとせず、ひたすら「京都らしい」場所やものや人に触れようとする。こんな風に「京都らしさ」を消費し続けると、その「京都らしさ」さえも早晩消費しつくされてしまい、将来の京都はアイデンティティを喪失してしまうのではないか。そんな問題意識が「京都げのむ」の編集部のあいだで共有されているように感じた。

問題設定としては妥当なものだと思う。ただし1点だけ気になることがある。それは、京都の学生が感じている「京都らしさ」の暑苦しさを、果たして外部の人々は共有できるのだろうか、という点である。

少なくとも大阪に住む僕にとって、それが陳腐な「京都らしさ」であったとしても、いわゆる「京都らしさ」が存在することに何の問題も感じないのである。僕らが望む京都というのは、まぎれもなくステレオタイプな京都らしい街。京都の街中に斬新な現代建築が建つことよりは、町屋が建ち並ぶことのほうが望ましい。

「そりゃ、観光客の勝手なイメージだよ。そこに住む人の立場に立てば、いつまでも古臭い町屋に住まわせておくわけにはいかないんだ」という意見があるかもしれない。確かに上記イメージは、大阪に住む僕の勝手なイメージだろう。一方的だといわれても仕方が無い。しかし、斬新な現代建築を建てて、古都の街並みとの対比で自分の作品を売り出そうとする立場も、同じように一方的なものである。現に「京都らしくない」建築物を建てようとする建築家がいると、その一方的な意図に対して京都人はいつも反対しているのである。

「京都タワーだって京都ホテルだって、当初はみんなに反対されていたんだよ。でも今じゃ誰も騒がない」という論理は、「だから京都の街に斬新な建物を建ててもいい」という結論には結びつかない。そもそも京都タワーや京都ホテルなんて、みんなに反対されてまで建てるようなものではないのだから。

それがいわゆる「京都らしさ」であったとしても、その枠内で新しいことにチャレンジすること。僕はそういう態度に憧れるし、そうした漸進的な努力こそがこれまでの京都らしさを作り上げてきたように思う。建築家の「建てたい論理」だけで斬新さを正当化するのではなく、「陳腐な京都らしさ」の内側から徐々に「イカした京都らしさ」へと変えていくような活動を続ける態度が好ましい。

「京都は昔から新しいものを受け入れてきたんだ」。京都の建築家がよく使う論法である。「だから私も京都に新しい文化を吹き込む」なんて言いながら、京都に奇抜な建築物を設計する。いわゆる「京都らしさ」を否定するその建築家が持ち込むものは、いわゆる「レイトモダン」だったり、いわゆる「ポストモダン」だったりするんだろう。

京都CDLの活動が、そんな輩と同調してしまわないことを願う。「京都げのむ」のデータベースが、そんな輩に利用されてしまわないことを願う。

山崎

2006年4月21日金曜日

「もてなしの精神2」

デザインノートの2006年6号に登場する「MASAMI DESIGN」の高橋正実さんに会う。

高橋さんのオフィスは墨田区の向島にある。自宅兼オフィスの広々とした空間で、1歳になるお子さんと旦那さん、そして神戸出身のスタッフと一緒に仕事をしている。とりたてて強調することでもないが、女性が働く環境としては考え得るレパートリーの中で最高のものだと感じた。

お話していて驚いたのは、高橋さんの口から飛び出す言葉の一つ一つが、これまで僕の考えていたことときわめて一致していたことである。「奇抜なデザインを生み出したいのではなく、目の前の課題を解決するためのデザインがたまたま目立つものになるのである」「課題を解決するためであれば、グラフィックデザインとは違った方法を用いる場合もある」「何が何でもデザインしたいという気持ちはない」「古本屋をめぐるのが好き」「日本の農業を変えてみたいと思っている」「何を目指しているのか問われることが多いが、目標や狙いがあらかじめあるわけではない」。いずれも僕が考えていることとほとんど同じだ。「グラフィックデザイン」を「空間のデザイン」という言葉に置き換えてみれば、僕と高橋さんはほとんど同じことを考えているといえる。

もう1つ驚いたのは、東京にも「もてなしの精神」があったということである。かつて僕は、東京や大阪ではもてなしの精神に出会うことがほとんどなくなったと書いた。ところが、東京の下町である墨田区には、まだそのもてなしの精神が残っていることを知った。高橋さん自身が教えてくれたのである。初めてオフィスを訪れた僕を暖かく迎え入れてくれるだけでなく、自分達が気に入っているお寿司屋さんの寿司を用意して待っていてくれた。ベランダに置かれた水鉢の上にはローソクが浮かんでいて、室内には適度な音量の音楽が流れていた。その空間におけるすべての気遣いが、なんだかとても嬉しいものだった。

家に鍵をかけずに出かけるほどの下町である墨田区向島。この街にある高橋さんの家で、僕は「東京には無いだろう」と思っていた「もてなしの精神」を存分に味わうこととなったのである。


山崎