2009年5月31日日曜日
日本へ
午前9時に空港へ。11時発の飛行機のためにチェックインする。が、荷物が重すぎるという。50パウンドが上限だが、本が重くて80パウンドになっている。急遽、近くのみやげ屋で鞄を買い、50パウンドと30パウンドに分ける。預ける荷物は2つまで受け付けてくれるとのことなので、最大で50パウンドの荷物を2つ預けられるということになる。さらに手荷物も2つ持ち込むことができるので、重い本などは手荷物にしてしまえばさらに持ち込める。今後の参考にしたい。運べる本の重さを知っておくことは大変重要である。
2009年5月30日土曜日
シーランチへ
11時にホテル前にスコットという男性が車で迎えにきてくれる。福西氏の知り合いでサンフランシスコの南1時間の場所にあるサンノゼに住んでいる人だという。スコット氏は母親が日本人なので、アメリカに住む人にしては珍しくとても丁寧なしゃべり方で親切な人だった。スコットの車に乗ってサンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを越え、北へ向かう。最初に到着したのはマリン郡の庁舎とコミュニティーセンター。この建物はフランク・ロイド・ライトが生前設計して、その死後に完成したもの。庁舎は中庭が吹き抜けで4層分を貫いており、天井のアーケードからは太陽光が各階に降り注いでいる。カーブを多用した優しい印象のインテリアで好感が持てる。地元の人たちも日本人がカメラを携えて来る理由が何なのかを知っていて、少し自慢げに建物の話をしてくれる。晩年のライトが肩の力を抜いて設計した建築が、地域の人たちに愛されていることを実感する。
その後、さらに車で2時間走り、念願のシーランチコンドミニアムに到着する。ここはランドスケープ・アーキテクトのローレンス・ハルプリンが敷地調査および敷地計画を立案し、建築物の三次元的なコードをつくり、それに基づいて建築家のチャールズ・ムーアがコンドミニアムを設計したというもの。同行したスコット氏が、ランドスケープアーキテクトの仕事はどの部分なのか?と訪ねるほど、ふつうの自然景観が広がっている。ハルプリンは、敷地全体の生態的な生物の生息状態や景観、風雨の影響や日光の季節変化などを調査し、どの場所にどんなサイズの建物を建てるべきかを決定した。森の中に建つものもあれば、断崖のそばに建つものもある。地面を彫り込んで半地下に建てるものもある。こうした「建て方」を決定することで全体のランドスケープを作りだし、ここの建築物の設計は建築家に任せる。これは理想的なランドスケープデザインのプロセスであるといえよう。必要ないのにストライプの床をつくったりグリッドの樹木を植えたりしなければお金がもらえないというタイプのランドスケープアーキテクトの仕事とは一線をかくす仕事であり、うらやましいタイプの仕事である。シーランチは何気ない自然があふれる場所で、ワイルドフラワーが咲くなかをのんびり歩いたり座ったりできるような小道が配されている。歩いていると、鳥やリスやシカに出会うなど、なかなか豊かな経験ができる場所だった。これまで何度と無く大学の講義で学生に説明してきたプロジェクトだったが、その場所がどんな空間なのかを実体験できたのは貴重なことだ。サンフランシスコからの距離を考えると、自分一人でたどり着くことは難しかっただろう。スコット氏と紹介してくれた福西氏に感謝したい。
帰りはサンフランシスコの手前の街で止まって夕食。スコット氏おすすめのタイ料理屋へ行く。またしてもアジア料理でホッとする。
その後、さらに車で2時間走り、念願のシーランチコンドミニアムに到着する。ここはランドスケープ・アーキテクトのローレンス・ハルプリンが敷地調査および敷地計画を立案し、建築物の三次元的なコードをつくり、それに基づいて建築家のチャールズ・ムーアがコンドミニアムを設計したというもの。同行したスコット氏が、ランドスケープアーキテクトの仕事はどの部分なのか?と訪ねるほど、ふつうの自然景観が広がっている。ハルプリンは、敷地全体の生態的な生物の生息状態や景観、風雨の影響や日光の季節変化などを調査し、どの場所にどんなサイズの建物を建てるべきかを決定した。森の中に建つものもあれば、断崖のそばに建つものもある。地面を彫り込んで半地下に建てるものもある。こうした「建て方」を決定することで全体のランドスケープを作りだし、ここの建築物の設計は建築家に任せる。これは理想的なランドスケープデザインのプロセスであるといえよう。必要ないのにストライプの床をつくったりグリッドの樹木を植えたりしなければお金がもらえないというタイプのランドスケープアーキテクトの仕事とは一線をかくす仕事であり、うらやましいタイプの仕事である。シーランチは何気ない自然があふれる場所で、ワイルドフラワーが咲くなかをのんびり歩いたり座ったりできるような小道が配されている。歩いていると、鳥やリスやシカに出会うなど、なかなか豊かな経験ができる場所だった。これまで何度と無く大学の講義で学生に説明してきたプロジェクトだったが、その場所がどんな空間なのかを実体験できたのは貴重なことだ。サンフランシスコからの距離を考えると、自分一人でたどり着くことは難しかっただろう。スコット氏と紹介してくれた福西氏に感謝したい。
帰りはサンフランシスコの手前の街で止まって夕食。スコット氏おすすめのタイ料理屋へ行く。またしてもアジア料理でホッとする。
2009年5月29日金曜日
アーキテクチュア・フォー・ヒューマニティへ
11時からクリッシーフィールドにて、ゴールデンゲート国立公園局のボスだったブライアン・オニールのセレブレーションに参加する。ゴールデンゲート国立公園局の管理責任者であったブライアン氏は、NPOとの協働をはじめ、地域の団体や青少年組織、学校など、いろいろな組織とのパートナーシップを駆使してパークマネジメントを展開した人である。残念ながら、5月14日に亡くなってしまったため、クリッシーフィールドでその偉業を称えるセレブレーションが開催された。
クリッシーフィールドに設置された仮設テントには2000人以上の人が集まった。パークマネジメントに関わった人が次々に壇上へ上がり、ブライアン氏の仕事を評価し、別れを惜しんだ。青少年協会、教育委員会、日本人協会、YMCA、ボーイスカウト、近隣の連合自治会など、さまざまな団体の代表者がブライアンとの思い出を語る。その都度ごとに、会場に集まった人たちのなかの関係者が立ち上がる。新しい代表者が出てくればくるほど立ち上がる関係者が増えていき、最後の代表者が話すころには会場に集まった全員が立ち上がって黙祷する。ブライアン氏がどれほどパートナーシップにこだわったのか、どれほどの人間と結びついていたのか、どれほど魅力的な人だったのかがよくわかるセレブレーションだった。日本にはまだこの種の人はいないように思う。国立公園管理局につとめながら、各種団体と結びついてパートナーシップに基づくパークマネジメントを展開し、多くの人から愛されたコーディネーター。この人の生き方に学ぶことはとても多いと感じた。
16時から福西氏と合流して、アーキテクチュア・フォー・ヒューマニティのキャメロン・シンクレア氏へのインタビュー。世界中で30以上のプロジェクトを動かすキャメロン氏は、忙しいにも関わらず長い時間を使ってプロジェクトの説明や今考えていることなどについて語ってくれた。特にキャメロン氏が考えていることについては、ここ数日、福西氏と議論してきた「デザインの社会性とは何か」ということとほとんど同じで驚いた。同時代的に同じ問題意識を違う国で持っているということの不思議さと力強さを実感した。この種の仕事をする場合、その内容がこれまでの職能からずれたものになるがゆえに多くの横やりが入る。キャメロン氏は、ガンジーの言葉を引用して、正しいことをしようとすると「最初は無視され、次に笑われ、次に戦い、しかし最後には勝つ」わけで、自分はこれまで無視され、笑われ、いまは戦っているところだ、とした。事実、キャメロン氏の取り組みについてフランク・ゲーリーと議論したことがあるそうだが、ゲーリー氏は「君のやっていることにはデザインのオリジナリティが無い」と批判したという。僕が思うに、キャメロン氏はデザインのオリジナリティなど求めていないだろう。そのデザインが誰の何を救うことができるのか。彼の興味はそこにあり、みんなが気づかなかった課題見つけだしてデザインによってそれを解決することができれば、その形にオリジナリティが無くてもプロジェクト自体はとてもオリジナルなものになると思う。キャメロン氏は「ゲーリー氏だって昔は無視され、笑われ、戦ってきた人だろうにね」と笑っていた。
18時からキャメロン氏の事務所を出て、キャメロン氏の事務所につとめる女性スタッフが紹介してくれたレストランに向かう。その前にダニエル・リベスキンドがリノベーションに関わったユダヤ美術館を少しだけ観て、久しぶりにアジア料理ではない夕食を堪能した。
クリッシーフィールドに設置された仮設テントには2000人以上の人が集まった。パークマネジメントに関わった人が次々に壇上へ上がり、ブライアン氏の仕事を評価し、別れを惜しんだ。青少年協会、教育委員会、日本人協会、YMCA、ボーイスカウト、近隣の連合自治会など、さまざまな団体の代表者がブライアンとの思い出を語る。その都度ごとに、会場に集まった人たちのなかの関係者が立ち上がる。新しい代表者が出てくればくるほど立ち上がる関係者が増えていき、最後の代表者が話すころには会場に集まった全員が立ち上がって黙祷する。ブライアン氏がどれほどパートナーシップにこだわったのか、どれほどの人間と結びついていたのか、どれほど魅力的な人だったのかがよくわかるセレブレーションだった。日本にはまだこの種の人はいないように思う。国立公園管理局につとめながら、各種団体と結びついてパートナーシップに基づくパークマネジメントを展開し、多くの人から愛されたコーディネーター。この人の生き方に学ぶことはとても多いと感じた。
16時から福西氏と合流して、アーキテクチュア・フォー・ヒューマニティのキャメロン・シンクレア氏へのインタビュー。世界中で30以上のプロジェクトを動かすキャメロン氏は、忙しいにも関わらず長い時間を使ってプロジェクトの説明や今考えていることなどについて語ってくれた。特にキャメロン氏が考えていることについては、ここ数日、福西氏と議論してきた「デザインの社会性とは何か」ということとほとんど同じで驚いた。同時代的に同じ問題意識を違う国で持っているということの不思議さと力強さを実感した。この種の仕事をする場合、その内容がこれまでの職能からずれたものになるがゆえに多くの横やりが入る。キャメロン氏は、ガンジーの言葉を引用して、正しいことをしようとすると「最初は無視され、次に笑われ、次に戦い、しかし最後には勝つ」わけで、自分はこれまで無視され、笑われ、いまは戦っているところだ、とした。事実、キャメロン氏の取り組みについてフランク・ゲーリーと議論したことがあるそうだが、ゲーリー氏は「君のやっていることにはデザインのオリジナリティが無い」と批判したという。僕が思うに、キャメロン氏はデザインのオリジナリティなど求めていないだろう。そのデザインが誰の何を救うことができるのか。彼の興味はそこにあり、みんなが気づかなかった課題見つけだしてデザインによってそれを解決することができれば、その形にオリジナリティが無くてもプロジェクト自体はとてもオリジナルなものになると思う。キャメロン氏は「ゲーリー氏だって昔は無視され、笑われ、戦ってきた人だろうにね」と笑っていた。
18時からキャメロン氏の事務所を出て、キャメロン氏の事務所につとめる女性スタッフが紹介してくれたレストランに向かう。その前にダニエル・リベスキンドがリノベーションに関わったユダヤ美術館を少しだけ観て、久しぶりにアジア料理ではない夕食を堪能した。
2009年5月28日木曜日
クリッシーフィールドへ
昼からクリッシーフィールドへ。13時から、ゴールデンゲート国立公園局のジェイ氏のインタビュー。福西氏に同席してもらう。ジェイ氏はとてもいい人で、ゆっくりと丁寧な英語でプロジェクトを説明してくれた。また、こちらが必要とする資料などを後日送付してくれると約束してくれた。話を聞いていると、確かにクリッシーフィールド単体を扱うよりも、ゴールデンゲート国立公園全体のマネジメントについて調べるほうが興味深いということがわかってきた。特定のテーマがある場合、たとえば高校生と一緒に自然再生を進めるプログラムのあり方などについて調べるのであればクリッシーフィールドのプログラムは参考になるが、パークマネジメント全体ということになればゴールデンゲート国立公園全体のマネジメントを調べるほうがいい。その点については、クリッシーフィールドは全体の運営計画に基づいて動いているだけだということがわかった。
ジェイ氏のインタビューが終わった後、ふたたびクリッシーフィールドとフォートポイントを散策する。平日だが、多くの人が利用する公園となっているのがわかる。フォートポイントからトレイルに入ってゴールデンゲートブリッジのたもとまで登る。そこからプレシディオのパークセンターへ移動し、プレシディオ内に設置されたアンディー・ゴールドワージーのスピアという作品についての展示を観る。その後、プレシディオ内を歩いてスピアがある現地まで行く。大きく育ちすぎた杉の木を更新させるために切り、その代わりに新たな苗木を植える。光が入るようになった杉の森のなかに、切った杉の木の丸太を組み合わせてつくった巨大な槍を立てる、というのがアンディー・ゴールドワージーの作品だ。丸太をつくる際に発生した木屑はチップ化して苗木の周辺に蒔いてある。森林の更新を象徴化する作品だいえよう。アースワークの作家であるアンディー・ゴールドワージーの作品は、これまで作品集でしか観たことがなかった。今回はたまたま現地で観ることができたのだが、作品自体は写真集で観るのと大した差はないと感じたものの、その周囲の状況や細かい設えなどについてはたくさんの発見があり、それらの発見が作品のコンセプトを理解しやすくさせてくれていたのが印象的だった。作品集ではフォーカスすべきところに画像が集中してしまうのだが、そこから少し目を離したところにおもしろい発見がたくさんあるということを実感した。
夕食はジャパンタウンにてすき焼きうどん。相変わらずのアジア人である。
ジェイ氏のインタビューが終わった後、ふたたびクリッシーフィールドとフォートポイントを散策する。平日だが、多くの人が利用する公園となっているのがわかる。フォートポイントからトレイルに入ってゴールデンゲートブリッジのたもとまで登る。そこからプレシディオのパークセンターへ移動し、プレシディオ内に設置されたアンディー・ゴールドワージーのスピアという作品についての展示を観る。その後、プレシディオ内を歩いてスピアがある現地まで行く。大きく育ちすぎた杉の木を更新させるために切り、その代わりに新たな苗木を植える。光が入るようになった杉の森のなかに、切った杉の木の丸太を組み合わせてつくった巨大な槍を立てる、というのがアンディー・ゴールドワージーの作品だ。丸太をつくる際に発生した木屑はチップ化して苗木の周辺に蒔いてある。森林の更新を象徴化する作品だいえよう。アースワークの作家であるアンディー・ゴールドワージーの作品は、これまで作品集でしか観たことがなかった。今回はたまたま現地で観ることができたのだが、作品自体は写真集で観るのと大した差はないと感じたものの、その周囲の状況や細かい設えなどについてはたくさんの発見があり、それらの発見が作品のコンセプトを理解しやすくさせてくれていたのが印象的だった。作品集ではフォーカスすべきところに画像が集中してしまうのだが、そこから少し目を離したところにおもしろい発見がたくさんあるということを実感した。
夕食はジャパンタウンにてすき焼きうどん。相変わらずのアジア人である。
2009年5月27日水曜日
再びMIGへ
昼からバークレーのMIGへ。昨日古本屋で購入した大量の本もMIGに運び込む。
14時からはMIGのジョアン氏にアメリカにおけるパークマネジメントの動向を聞く。パークマネジメントは、単に公園を維持管理するための手法ではなく、公園を使う人たちの生活自体をサポートするためのものであるということを実感する。メタボリズム対策として運動するために公園を使う人がいるのであれば、その人にどんな運動がどんなダイエットに向いているのか、どの運動はどれくらいのカロリーを消費するのかを提示すること。さらにファーマーズマーケットを開催してダイエットに利く食べ物を紹介すること。また、運動方法や料理方法に関する講座を開催すること。これだけのことで、レクリエーションだけでなく健康福祉関係の施策にも寄与することができる。パークマネジメントは、レクリエーションだけでなく、健康福祉、教育、産業、環境など、プログラムの組み合わせ次第でいろいろな部局とつながって事業を展開することができる可能性を持っている。
さらに興味深かったのは、ジョアン女史はMIGで働く前までゴールデンゲート国立公園局で働いていたということ。ちょうど調べてみたかったクリッシーフィールドが位置しているのがゴールデンゲート国立公園である。この国立公園は、行政機関である国立公園局とNPO組織である国立公園保全協会が対等なパートナーシップのもとにマネジメントを展開している。クリッシーフィールドおよびゴールデンゲート国立公園のパークマネジメントについて詳しく話を聞いた。クリッシーフィールドだけでなく、ゴールデンゲート国立公園全体のマネジメントについて調べてみたくなった。
15時からは、MIGのローレル女史からデンバー市でMIGが進めるプロジェクトについての説明を受ける。こどもの遊び場を設計するプロセスについて教えてもらった。
16時からは、ペンシルバニア大学大学院を卒業したばかりの福西健太氏が合流し、MIGのラリー氏にエディブルガーデンへ連れていってもらう。エディブルガーデンは、バークレーで一番人気のあるレストラン「シェ・パニース」のオーナーであるアリス・ウォーター女史が始めたプロジェクトで、小学校の庭に菜園をつくるとともに、キッチンを完備した小屋を建てることによって、小学生が食べ物を育てて、それを収穫し、調理して食べるところまでを一貫して体験できるというプログラムである。菜園のガーデナー5名とキッチンのシェフ2名はそれぞれプロで、小学生たちは各学年ごとにさまざまな野菜を育てて料理している。次回のOSOTOの特集が「食べる」になりそうなので、事前に取り組みを取材するとともに写真を撮影しておく。
さらにラリー氏が関わっているコミュニティガーデンと散歩道づくりプロジェクトを見せてもらう。サンフランシスコにも良質なコミュニティガーデンがいくつかあるようだが、バークレーにも3つの良質なコミュニティガーデンがある。アメリカでも大きな庭が持てない人もいるそうで、そういう人たちが数年先まで予約待ちしているというコミュニティガーデンをいくつか案内してもらった。また、近隣住民と一緒に整備している散歩道も案内してもらったが、地元種の植物を地元の人たちと一緒に少しずつ植えていくプロジェクトには多くの人が参画しており、平日の日中でもかなり多くの人が散歩道を利用していることを実感した。
バークレーはかなり環境意識の高い人が多く住んでいる街である。4th st.の本屋には、ロハスやエコ関係の本ばかりが並ぶ棚がずらりと並んでいた。一面、緑の表紙や背表紙である。エコロジカルな食材や商品を扱った店だけを紹介するサンフランシスコのガイドブック「グリーノピア」など、市民のエコ感覚を醸成する方法に関するヒントをたくさん見つけることができた。ぜひ、日本でも同様の取り組みをしてみたいものである。
サンフランシスコ市街へ戻り、中華街へ行って夕食を食べる。福西氏もアジア料理を食べることにすぐ同意する。アメリカ料理はそう長く食べ続けられないという点で意見が一致した。
14時からはMIGのジョアン氏にアメリカにおけるパークマネジメントの動向を聞く。パークマネジメントは、単に公園を維持管理するための手法ではなく、公園を使う人たちの生活自体をサポートするためのものであるということを実感する。メタボリズム対策として運動するために公園を使う人がいるのであれば、その人にどんな運動がどんなダイエットに向いているのか、どの運動はどれくらいのカロリーを消費するのかを提示すること。さらにファーマーズマーケットを開催してダイエットに利く食べ物を紹介すること。また、運動方法や料理方法に関する講座を開催すること。これだけのことで、レクリエーションだけでなく健康福祉関係の施策にも寄与することができる。パークマネジメントは、レクリエーションだけでなく、健康福祉、教育、産業、環境など、プログラムの組み合わせ次第でいろいろな部局とつながって事業を展開することができる可能性を持っている。
さらに興味深かったのは、ジョアン女史はMIGで働く前までゴールデンゲート国立公園局で働いていたということ。ちょうど調べてみたかったクリッシーフィールドが位置しているのがゴールデンゲート国立公園である。この国立公園は、行政機関である国立公園局とNPO組織である国立公園保全協会が対等なパートナーシップのもとにマネジメントを展開している。クリッシーフィールドおよびゴールデンゲート国立公園のパークマネジメントについて詳しく話を聞いた。クリッシーフィールドだけでなく、ゴールデンゲート国立公園全体のマネジメントについて調べてみたくなった。
15時からは、MIGのローレル女史からデンバー市でMIGが進めるプロジェクトについての説明を受ける。こどもの遊び場を設計するプロセスについて教えてもらった。
16時からは、ペンシルバニア大学大学院を卒業したばかりの福西健太氏が合流し、MIGのラリー氏にエディブルガーデンへ連れていってもらう。エディブルガーデンは、バークレーで一番人気のあるレストラン「シェ・パニース」のオーナーであるアリス・ウォーター女史が始めたプロジェクトで、小学校の庭に菜園をつくるとともに、キッチンを完備した小屋を建てることによって、小学生が食べ物を育てて、それを収穫し、調理して食べるところまでを一貫して体験できるというプログラムである。菜園のガーデナー5名とキッチンのシェフ2名はそれぞれプロで、小学生たちは各学年ごとにさまざまな野菜を育てて料理している。次回のOSOTOの特集が「食べる」になりそうなので、事前に取り組みを取材するとともに写真を撮影しておく。
さらにラリー氏が関わっているコミュニティガーデンと散歩道づくりプロジェクトを見せてもらう。サンフランシスコにも良質なコミュニティガーデンがいくつかあるようだが、バークレーにも3つの良質なコミュニティガーデンがある。アメリカでも大きな庭が持てない人もいるそうで、そういう人たちが数年先まで予約待ちしているというコミュニティガーデンをいくつか案内してもらった。また、近隣住民と一緒に整備している散歩道も案内してもらったが、地元種の植物を地元の人たちと一緒に少しずつ植えていくプロジェクトには多くの人が参画しており、平日の日中でもかなり多くの人が散歩道を利用していることを実感した。
バークレーはかなり環境意識の高い人が多く住んでいる街である。4th st.の本屋には、ロハスやエコ関係の本ばかりが並ぶ棚がずらりと並んでいた。一面、緑の表紙や背表紙である。エコロジカルな食材や商品を扱った店だけを紹介するサンフランシスコのガイドブック「グリーノピア」など、市民のエコ感覚を醸成する方法に関するヒントをたくさん見つけることができた。ぜひ、日本でも同様の取り組みをしてみたいものである。
サンフランシスコ市街へ戻り、中華街へ行って夕食を食べる。福西氏もアジア料理を食べることにすぐ同意する。アメリカ料理はそう長く食べ続けられないという点で意見が一致した。
2009年5月26日火曜日
MIGへ
午前中にサンフランシスコ市街を出て、バートにてバークレーへ。4th st.近くにあるランドスケープデザインの事務所MIGを訪れる。建物は5年前に訪れたときとほとんど変わっていない。全米各地に支店を持つ設計事務所で、所員の総数は約120人。バークレーにある本社には約60人が勤める。かつて動物試験所だった建物を買い取って改装したという事務所は、その特殊な用途ゆえに消毒とお祓いと改装をしたという。現在では、天井が高く開口部も多く、とても気持ちのいい空間になっている。ひとりずつが個別のブースで仕事ができるようになっていて、かなりリッチな職場環境だといえよう。
お昼から、MIGの代表であるスーザン・ゴルツマン女史と日系人スタッフのトッド・ハラ氏と3人でランチミーティングへ。4h st.のレストランで昼食を食べながらOSOTOの取材をする。屋外空間の意味、おもしろい活用方法、普段の屋外利用などについて興味深い話を聞くことができた。また、最近のMIGの作品を集めた「インクルーシヴシティ」という作品集やファシリテーショングラフィックに関する本や各種プロジェクトに関する資料をもらった。ゴルツマンさんはとても忙しい日々を送っているはずなのに、5年前も今回もとても丁寧に対応してくれる。ありがたいものである。
ランチミーティングのあと、4th st.周辺を散歩する。このあたりは大地主が一括して開発した通りであり、歩道と店舗との関係などが興味深い。地主自体が建築に興味がある人で、クリストファー・アレグザンダーの「パタンランゲージ」に影響を受けていたという。そこで、街路および建物の設計者に対して、パタンランゲージの法則にしたがって設計を進めるよう指示したようだ。建物は2階建てまで、歩道と敷地との境界はあいまい、街路を見下ろせる広場、点在するベンチやイスなど、とても気持ちのいい空間になっている。パタンランゲージの生みの親であるアレグザンダー自身が設計すると、どうしても彼自身の好みである古典的な建築様式が目立ちすぎることになるのだが、別の人がパタンランゲージを使うとここまで優れた空間ができるというのは驚きである。実際、これまで見たアレグザンダーによるパタンランゲージを用いたどの設計よりも優れた空間になっていると感じた。パタンをつくる人はそれなりのイメージを持っているため、そこに特定の様式がセットになってしまう場合が多い。他の人が作ったパタンであれば、その様式を引き去って新たな空間をつくりだすことができるという好例だろう。日本の都市空間が持つ優れたパタンを整理して、それを外国の設計者が忠実に守りながら設計すれば、いわゆる伝統的な和風の街路ではなく、新しいタイプの心地いい空間を生み出すことができるのかもしれない。
帰りにバークレー市街にある古本屋「モエブックス」へ立ち寄る。少し覗くだけにしようと思っていたのだが、日本で手に入らないような本がとにかく安い。SoleriやBAWAの作品集、ゲーリーのスケッチブック、スミッソン夫妻の論文集、ガレット・エクボに関する評論集、モダンガーデンに関する評論集、建築のダイアグラムに関する本など、興味深い書籍が安く売られていた。パオロ・ソレリについても、すでに絶版になっている珍しい著作がいくつかあったので、それらをまとめて購入した。重くて持ち運べなくなったので、翌日MIGから送ってもらうことにする。
夕食はバークレーの学生街にある韓国料理屋にて。やはり、1日に1食以上はアジア料理が食べたくなる。ビビンバとカルビを頼むと、それぞれがディナープレートになっていて明らかに2人前。またもや多く注文し過ぎたようだ。
お昼から、MIGの代表であるスーザン・ゴルツマン女史と日系人スタッフのトッド・ハラ氏と3人でランチミーティングへ。4h st.のレストランで昼食を食べながらOSOTOの取材をする。屋外空間の意味、おもしろい活用方法、普段の屋外利用などについて興味深い話を聞くことができた。また、最近のMIGの作品を集めた「インクルーシヴシティ」という作品集やファシリテーショングラフィックに関する本や各種プロジェクトに関する資料をもらった。ゴルツマンさんはとても忙しい日々を送っているはずなのに、5年前も今回もとても丁寧に対応してくれる。ありがたいものである。
ランチミーティングのあと、4th st.周辺を散歩する。このあたりは大地主が一括して開発した通りであり、歩道と店舗との関係などが興味深い。地主自体が建築に興味がある人で、クリストファー・アレグザンダーの「パタンランゲージ」に影響を受けていたという。そこで、街路および建物の設計者に対して、パタンランゲージの法則にしたがって設計を進めるよう指示したようだ。建物は2階建てまで、歩道と敷地との境界はあいまい、街路を見下ろせる広場、点在するベンチやイスなど、とても気持ちのいい空間になっている。パタンランゲージの生みの親であるアレグザンダー自身が設計すると、どうしても彼自身の好みである古典的な建築様式が目立ちすぎることになるのだが、別の人がパタンランゲージを使うとここまで優れた空間ができるというのは驚きである。実際、これまで見たアレグザンダーによるパタンランゲージを用いたどの設計よりも優れた空間になっていると感じた。パタンをつくる人はそれなりのイメージを持っているため、そこに特定の様式がセットになってしまう場合が多い。他の人が作ったパタンであれば、その様式を引き去って新たな空間をつくりだすことができるという好例だろう。日本の都市空間が持つ優れたパタンを整理して、それを外国の設計者が忠実に守りながら設計すれば、いわゆる伝統的な和風の街路ではなく、新しいタイプの心地いい空間を生み出すことができるのかもしれない。
帰りにバークレー市街にある古本屋「モエブックス」へ立ち寄る。少し覗くだけにしようと思っていたのだが、日本で手に入らないような本がとにかく安い。SoleriやBAWAの作品集、ゲーリーのスケッチブック、スミッソン夫妻の論文集、ガレット・エクボに関する評論集、モダンガーデンに関する評論集、建築のダイアグラムに関する本など、興味深い書籍が安く売られていた。パオロ・ソレリについても、すでに絶版になっている珍しい著作がいくつかあったので、それらをまとめて購入した。重くて持ち運べなくなったので、翌日MIGから送ってもらうことにする。
夕食はバークレーの学生街にある韓国料理屋にて。やはり、1日に1食以上はアジア料理が食べたくなる。ビビンバとカルビを頼むと、それぞれがディナープレートになっていて明らかに2人前。またもや多く注文し過ぎたようだ。
2009年5月25日月曜日
ゴールデンゲートブリッジからクリシーフィールドへ
アメリカでは三連休の最終日。パークセンターなどは休日でスタッフが誰もいないだろうから、休日の公園利用実態を観察するべくゴールデンゲートブリッジ周辺とクリシーフィールドへ。ゴールデンゲートブリッジはさすがに観光地で、多くの人が訪れていた。人間が造ったものにこれだけの人間が惹きつけられるというのはすごいことだと感じる。これは設計者の功績であるとともに、それをサンフランシスコの顔としてプロモーションした人たちの功績であるといえよう。立地、デザイン、物語、政治など、複数の要因が重なり合ってこういう場所が生まれるんだということを実感する。
ゴールデンゲートブリッジへ向かうバスのなかで、スイス人の年配の女性と知り合った。彼女はアートに興味があるということなので、スイスの建築家が設計した美術館がゴールデンゲートパークのなかにあることを伝える。すかさず彼女から「ヘルツォーク・アンド・ド・ムーロンの設計でしょ」という返答があったので、スイスでの彼らの知名度の高さに驚いた。が、実はこの女性、単なるアート好きではなく映像作家で、ヘルツォークたちがニューヨークで設計している超高層建築の建築現場を映像で取材してサンフランシスコへ来たばかりだという。スイスではアルプスに近い村に住んで活動しているのだが、バーゼルのヘルツォーク事務所を尋ね、ニューヨークでのプロジェクトを映像に収めるという作品づくりに協力してもらうことになったそうだ。ほかにも、ピーターズントーが設計した温浴施設の映像化など、スイス人建築家とのコラボが多いという。さらに、今は日本か中国で書道を学びたいという。素朴なおばさんといった感じの人だが、興味の幅はかなり広い。「スイスへ来ればいろんな場所を案内する」と行って連絡先をくれた。旅をすると、さらに行きたい場所が増えてしまう。スイスはまだ行ったことが無い国なので、ぜひ次の機会にはかの地へ行ってみたいものだ。
ゴールデンゲートブリッジから歩いてサンフランシスコ湾へ降りていくと、フォートポイントとクリシーフィールドへとつながる。フォートポイントはゴールデンゲートブリッジを間近に見ることができる公園として人気が高い。多くの人たちがバーベキューやランニングや犬の散歩などをしていた。やはり、アメリカ人は屋外で使うツールをたくさん持っている。また、その種のツールがたくさん開発されて市場に出回っている。ナイキとアップルが協働して、マラソンシューズに装着した歩数計からワイヤレスで腕にはめたiPODまで歩数データを飛ばして蓄積するというシステムを作り出した理由がよくわかる。そういうセットがたくさん売れるほど、アメリカ人は音楽を聴きながらマラソンする。どうせなら走った距離やペースや消費カロリーを記録できたほうがいいだろう、という発想になるわけだ。
フォートポイントにあるウォーミングハットという建物には、カフェやショップが入っている。このショップの売り物はかなり充実していて、都心部のオシャレなエコショップよりも充実した品揃えだった。ゴールデンゲートブリッジに関するお土産物だけではなく、石鹸やオイル、食料品、ハチミツのほかに、本やステーショナリーやトートバッグなど、デザイン的にも優れた商品がたくさん集められている。さらに、「みなさんのお買い上げは公園のマネジメントに役立ちます」というサインが掲げられており、売り上げの一部が公園運営費に回されていることが明示されている。買い物をすれば公園が良くなる。買い物をすれば小学生たちが参加するプログラムが増える。こういうイメージを前面に打ち出したインテリアは、ショッピングという行為を消費者自身が正当化するきっかけを与えるという意味でうまい戦略だと感じる。
ウォーミングハットから歩いてクリシーフィールドへ。クリシーフィールドは5年前より自然再生が進んでいた。クリシーフィールドセンターは休日とあってディレクターが誰もいなかったが、ブックショップでクリシーフィールド関連の書籍を何冊か見つけたので購入した。また、いくつか面白そうなツールがあったので合わせて購入した。ここでオルムステッドに関する絵本を発見。「公園をつくった人」というタイトルで、オルムステッドの業績を子どもに分かりやすい絵本としてまとめたもの。日本でいえば本多静六さんの絵本が発売されるようなものだ。この種の本が発売されるというのは、ランドスケープアーキテクトの社会的な認知度を上げるとともに、次世代の担い手を広く醸成するという意味でうらやましいことだと感じる。
さらに歩いてプレシディオのパークセンターへ。ここはかつて軍の司令官が滞在した場所だったということで、大広間や会議室などを併設したかなり立派な建物である。ここにプレシディオが軍の基地としてどう発展してきたかが展示してあり、軍服を着たおじいさんたちがボランティアとして戦争の頃の話をしてくれる。ここにもストアがあって、軍関係の資料などが売られている。ここでゴールデンゲート国立公園全体の環境デザインがどう進められてきたのかをまとめた本を見つけたので購入。値段が分からなかったのでレジへ持っていくと3500円くらいだと教えてくれる。レジのおばさんは笑いながら「写真も載ってなくてモノクロで難しい文章ばかり書いてあるのに3500円というのは高すぎるね。私ならこんな本は買わないわ。アーバンデザインか都市計画の専門家しかこの種の本は買わないだろうね」という。あまり商品を売る気がないのか、あるいはこの本を手にした瞬間から僕の職業を見抜いていたのか。いずれにしても面白い売り方である。
帰りはローレンス・ハルプリンが設計したギラデリスクエアへ立ち寄る。先日発見した「無料ワイヤレス接続できます」という広場へ行って、持参したノートPCで接続を確認する。あまり電波は良くないが、確かに無料でインターネットに接続できる。接続したらブラウザを立ち上げ、ギラデリスクエアが提示する利用規約を読み、それを受け入れるというボタンを押すとインターネットにつながる。その際、トップページとして出てくるのがギラデリスクエアのページであり、今日のイベントやお買い得情報などがオシャレに提示される。無料でLANが使えるというのは、無料でトイレが使えるとか、無料で水飲み場が使えるというのと同じように、現代のオープンスペースに必要なインフラ的機能であると感じる。特に旅行者が多いベイエリアのオープンスペースであればなおさらである。
夜になってさらに冷え込んできたので、ダウンタウンへ戻ってGAPのセカンドラインであるOLD NAVYに駆け込む。ここはGAPより安い値段で服を売ってくれるアメリカのユニクロ的存在で、急に欲しくなった服を買うにはちょうどいい。防寒用にカットソーとニット帽を購入する。
夕食は久しぶりにバーガーキングへ。オーストラリアに住んでいるときもお世話になったハンバーガー屋さんで、かなり懐かしい味だった。ここのハンバーガーはなぜか炭火焼きの味がする。が、キッチンのなかで炭を使っている気配はない。昔から不思議だったが、今回改めて不思議な気分になった。なぜこれほど炭火焼きの味がするのか。すでに工場で炭火焼きとしてつくったハンバーグを各店舗に輸送して、店舗ではそれを過熱しているだけなのか。それとも、「炭フレーバー」なるものがあって、それをハンバーグに振りかけてパンに挟み込んでいるのか。前者であって欲しいと思いながら夕食を済ませた。
ゴールデンゲートブリッジへ向かうバスのなかで、スイス人の年配の女性と知り合った。彼女はアートに興味があるということなので、スイスの建築家が設計した美術館がゴールデンゲートパークのなかにあることを伝える。すかさず彼女から「ヘルツォーク・アンド・ド・ムーロンの設計でしょ」という返答があったので、スイスでの彼らの知名度の高さに驚いた。が、実はこの女性、単なるアート好きではなく映像作家で、ヘルツォークたちがニューヨークで設計している超高層建築の建築現場を映像で取材してサンフランシスコへ来たばかりだという。スイスではアルプスに近い村に住んで活動しているのだが、バーゼルのヘルツォーク事務所を尋ね、ニューヨークでのプロジェクトを映像に収めるという作品づくりに協力してもらうことになったそうだ。ほかにも、ピーターズントーが設計した温浴施設の映像化など、スイス人建築家とのコラボが多いという。さらに、今は日本か中国で書道を学びたいという。素朴なおばさんといった感じの人だが、興味の幅はかなり広い。「スイスへ来ればいろんな場所を案内する」と行って連絡先をくれた。旅をすると、さらに行きたい場所が増えてしまう。スイスはまだ行ったことが無い国なので、ぜひ次の機会にはかの地へ行ってみたいものだ。
ゴールデンゲートブリッジから歩いてサンフランシスコ湾へ降りていくと、フォートポイントとクリシーフィールドへとつながる。フォートポイントはゴールデンゲートブリッジを間近に見ることができる公園として人気が高い。多くの人たちがバーベキューやランニングや犬の散歩などをしていた。やはり、アメリカ人は屋外で使うツールをたくさん持っている。また、その種のツールがたくさん開発されて市場に出回っている。ナイキとアップルが協働して、マラソンシューズに装着した歩数計からワイヤレスで腕にはめたiPODまで歩数データを飛ばして蓄積するというシステムを作り出した理由がよくわかる。そういうセットがたくさん売れるほど、アメリカ人は音楽を聴きながらマラソンする。どうせなら走った距離やペースや消費カロリーを記録できたほうがいいだろう、という発想になるわけだ。
フォートポイントにあるウォーミングハットという建物には、カフェやショップが入っている。このショップの売り物はかなり充実していて、都心部のオシャレなエコショップよりも充実した品揃えだった。ゴールデンゲートブリッジに関するお土産物だけではなく、石鹸やオイル、食料品、ハチミツのほかに、本やステーショナリーやトートバッグなど、デザイン的にも優れた商品がたくさん集められている。さらに、「みなさんのお買い上げは公園のマネジメントに役立ちます」というサインが掲げられており、売り上げの一部が公園運営費に回されていることが明示されている。買い物をすれば公園が良くなる。買い物をすれば小学生たちが参加するプログラムが増える。こういうイメージを前面に打ち出したインテリアは、ショッピングという行為を消費者自身が正当化するきっかけを与えるという意味でうまい戦略だと感じる。
ウォーミングハットから歩いてクリシーフィールドへ。クリシーフィールドは5年前より自然再生が進んでいた。クリシーフィールドセンターは休日とあってディレクターが誰もいなかったが、ブックショップでクリシーフィールド関連の書籍を何冊か見つけたので購入した。また、いくつか面白そうなツールがあったので合わせて購入した。ここでオルムステッドに関する絵本を発見。「公園をつくった人」というタイトルで、オルムステッドの業績を子どもに分かりやすい絵本としてまとめたもの。日本でいえば本多静六さんの絵本が発売されるようなものだ。この種の本が発売されるというのは、ランドスケープアーキテクトの社会的な認知度を上げるとともに、次世代の担い手を広く醸成するという意味でうらやましいことだと感じる。
さらに歩いてプレシディオのパークセンターへ。ここはかつて軍の司令官が滞在した場所だったということで、大広間や会議室などを併設したかなり立派な建物である。ここにプレシディオが軍の基地としてどう発展してきたかが展示してあり、軍服を着たおじいさんたちがボランティアとして戦争の頃の話をしてくれる。ここにもストアがあって、軍関係の資料などが売られている。ここでゴールデンゲート国立公園全体の環境デザインがどう進められてきたのかをまとめた本を見つけたので購入。値段が分からなかったのでレジへ持っていくと3500円くらいだと教えてくれる。レジのおばさんは笑いながら「写真も載ってなくてモノクロで難しい文章ばかり書いてあるのに3500円というのは高すぎるね。私ならこんな本は買わないわ。アーバンデザインか都市計画の専門家しかこの種の本は買わないだろうね」という。あまり商品を売る気がないのか、あるいはこの本を手にした瞬間から僕の職業を見抜いていたのか。いずれにしても面白い売り方である。
帰りはローレンス・ハルプリンが設計したギラデリスクエアへ立ち寄る。先日発見した「無料ワイヤレス接続できます」という広場へ行って、持参したノートPCで接続を確認する。あまり電波は良くないが、確かに無料でインターネットに接続できる。接続したらブラウザを立ち上げ、ギラデリスクエアが提示する利用規約を読み、それを受け入れるというボタンを押すとインターネットにつながる。その際、トップページとして出てくるのがギラデリスクエアのページであり、今日のイベントやお買い得情報などがオシャレに提示される。無料でLANが使えるというのは、無料でトイレが使えるとか、無料で水飲み場が使えるというのと同じように、現代のオープンスペースに必要なインフラ的機能であると感じる。特に旅行者が多いベイエリアのオープンスペースであればなおさらである。
夜になってさらに冷え込んできたので、ダウンタウンへ戻ってGAPのセカンドラインであるOLD NAVYに駆け込む。ここはGAPより安い値段で服を売ってくれるアメリカのユニクロ的存在で、急に欲しくなった服を買うにはちょうどいい。防寒用にカットソーとニット帽を購入する。
夕食は久しぶりにバーガーキングへ。オーストラリアに住んでいるときもお世話になったハンバーガー屋さんで、かなり懐かしい味だった。ここのハンバーガーはなぜか炭火焼きの味がする。が、キッチンのなかで炭を使っている気配はない。昔から不思議だったが、今回改めて不思議な気分になった。なぜこれほど炭火焼きの味がするのか。すでに工場で炭火焼きとしてつくったハンバーグを各店舗に輸送して、店舗ではそれを過熱しているだけなのか。それとも、「炭フレーバー」なるものがあって、それをハンバーグに振りかけてパンに挟み込んでいるのか。前者であって欲しいと思いながら夕食を済ませた。
2009年5月24日日曜日
ダウンタウンからゴールデンゲートパークへ
造成された公園としては世界一の広さと言われているゴールデンゲートパークへ行く。もともと砂地だったこの場所に、根気よく樹木を植え続けた人がつくりだした公園として有名な場所だ。その公園に近年2つの建物が建った。ひとつはヘルツォーク+ド・ムーロン設計のデ・ヤング美術館。もうひとつはレンゾ・ピアノ設計のカリフォルニア科学アカデミー。2つの建物は広場を隔てて向かい合って建っている。デ・ヤング美術館はヘルツォークらしくファサードの素材に凝った建物で、凹凸のある銅板に大小2種類の円形の穴を無数に空けて全面を覆った建物である。バーゼルにある鉄道の通信塔のときと同じく、風化によって徐々に色が変わっていくことだろう。銅板なので、徐々に緑色へと変化していき、周囲を取り巻く公園の緑と同化していくものと考えられる。中庭や展望台が併設されているのだが、それぞれ寄贈者の名前を冠したガーデンやタワーになっていて、公園のベンチなどを個人が寄贈するだけではなく、美術館の中庭やタワーを寄贈するというアメリカ人の発想に驚く。
カリフォルニア科学アカデミーもレンゾ・ピアノらしく、エコシステムと建築の設備と空間の形態とを融合させたような建築である。外観は単に直方体のキューブに見えるが、なかには大きな球体が2つ入ったような構成になっていて、それぞれに個別のバイオスフィアをつくりだしている。この球体の頭が直方体のキューブから飛び出していて、屋上には2つのコブがある。この2つのコブも含めて屋上が緑化されているので、室内環境に配慮してあるのと同時に見晴らしのいい屋外空間を作り出している。
その後、2つの建物の南側にある植物園へ移動する。植物園のセンターには、植物に関する本がかなりたくさん揃えてある。ガーデニングなどの相談に応じるために、スタッフも2名常駐している。緑のことならあそこに相談しよう、と思えるだけのストックがあることが重要であり、実際に多くの人が緑関係の調べモノをしていた。日本の植物園でも、緑関係の研究者の蔵書を寄贈してもらうなどして、植物に関する知のストックを進めるべきである。
この日は日曜日だけあって、園内のいたるところでさまざまなイベントプログラムが展開されていた。美術館と科学アカデミーとの間にある広場では、絵画や写真の展示販売が行われており、そのとなりではクラシックのコンサートが行われている。さらに離れた場所にある橋の上の歩道ではダンスレッスンが行われている。これだけのプログラムがいたるところで展開されていれば、休みの日に「ちょっと公園にでも行ってみるか」という気になるだろう。「公園にでも行ってみるか」という発想には、「何かやっているかもしれないから公園にでも行ってみるか」という期待感が込められている。この種の期待を日本の公園がつくりだせているかどうか。パークマネジメントの必要性を実感した。
カリフォルニア科学アカデミーもレンゾ・ピアノらしく、エコシステムと建築の設備と空間の形態とを融合させたような建築である。外観は単に直方体のキューブに見えるが、なかには大きな球体が2つ入ったような構成になっていて、それぞれに個別のバイオスフィアをつくりだしている。この球体の頭が直方体のキューブから飛び出していて、屋上には2つのコブがある。この2つのコブも含めて屋上が緑化されているので、室内環境に配慮してあるのと同時に見晴らしのいい屋外空間を作り出している。
その後、2つの建物の南側にある植物園へ移動する。植物園のセンターには、植物に関する本がかなりたくさん揃えてある。ガーデニングなどの相談に応じるために、スタッフも2名常駐している。緑のことならあそこに相談しよう、と思えるだけのストックがあることが重要であり、実際に多くの人が緑関係の調べモノをしていた。日本の植物園でも、緑関係の研究者の蔵書を寄贈してもらうなどして、植物に関する知のストックを進めるべきである。
この日は日曜日だけあって、園内のいたるところでさまざまなイベントプログラムが展開されていた。美術館と科学アカデミーとの間にある広場では、絵画や写真の展示販売が行われており、そのとなりではクラシックのコンサートが行われている。さらに離れた場所にある橋の上の歩道ではダンスレッスンが行われている。これだけのプログラムがいたるところで展開されていれば、休みの日に「ちょっと公園にでも行ってみるか」という気になるだろう。「公園にでも行ってみるか」という発想には、「何かやっているかもしれないから公園にでも行ってみるか」という期待感が込められている。この種の期待を日本の公園がつくりだせているかどうか。パークマネジメントの必要性を実感した。
2009年5月23日土曜日
ゲーリーストリートからベイエリアへ
よく歩いた1日である。まずホテルを出て南下し、ピエール・ルイジ・ネルヴィが構造設計を担当したセントメリー教会を見学する。天井に十字のスリットが入っていて、そこから光が入り込んでくる教会だ。内装は三角形のプレキャストコンクリートが少しずつ角度を変えながら三次曲線を作り出しており、場所ごとに違った光の反射をつくりだしている。外部はトラバーチンで覆われ、内部はプレキャストコンクリート。高さ50メートル以上ある巨大な4枚の壁面が4つのパイロンによって支えられている構成は構造設計の力強さと美しさを実感させる。
さらに南下して、連邦庁舎やサンフランシスコ市役所界隈を見学し、そこから西へ向かってフィルモアストリートを北上する。フィルモアストリートは最近になってリノベーションなどが進んでいる地域で、大阪で言えば中崎町や中津界隈のような趣である。少しオシャレなお店などが並び、若い人たちが自分の店を持ち始めた雰囲気が初々しい。この道を北上すると、ジャズが盛んなエリアや日系人が多く住んでいるエリアを通り抜け、サンフランシスコ湾に面したベイエリアへと突き当たる。突き当たりにゴールデンゲート国立公園の本部があるというので訪れてみるが、日曜日なので職員は誰もいない。平日に再度訪れて、この付近の国立公園の全体像について確認してみたいと思う。
その東側に、1960年代にローレンス・ハルプリンがリノベーションに関わったギラデリスクエアがある。ここはサンフランシスコで有名なチョコレートメーカーの工場があった場所をショッピングセンターに改修した場所だが、40年以上経った今でもかなり人気のある場所だ。寒い日であるにも関わらず、スクエア内は観光客だらけで、チョコレートを販売する店には行列が出来ていた。5年前に訪れた際には気づかなかったことだが、スクエア内は無料ワイヤレスLANが接続できるというサインが掲載されていた。今日はPCを持ち歩いていないので、明日にでもつながるかどうかを確認してみたいと思う。また、最近サイン計画やVIを刷新したようで、統一した黄緑色のサインが分かりやすく配置されているのも好感が持てる。現在も北側の建物が改修中であり、改修が住み次第、住居として売り出す予定だという。すでに販売も開始していた。40年経った今も、ギラデリスクエアは進化し続けているようだ。
さらに近くにあるザ・キャナリーを訪れる。ギラデリスクエアと同じ時期に、ジョセフ・エシェリックが設計を担当したリノベーションショッピングセンター。かつてはデルモンテの工場だった場所だ。空間自体は悪くないのだが、こちらはギラデリスクエアに比べて閑散としていた。明らかにマネジメントの差である。テナントの種類などもギラデリスクエアに比べて見栄えがしないし、それぞれの店のしつらえもあまり活気が無い。設計が終わった後、その空間がどのようにマネジメントされていくのかによって、40年後の姿がこれほどまでに違ってくるのか、ということを実感する。
さらに東へ向かうとフィッシャーマンズワーフやピア39といった観光地があり、それを抜けるとハルプリン設計のリーバイスプラザがあるのだが、観光客の多さと気温低下の寒さに負けてリーバイスプラザへ行くのは諦める。バスに乗って中華街へ行って夕食を済ませる。アメリカの食事はどうしても飽きてしまうので、朝と昼はアメリカっぽい食べ物でもいいのだが、夜はアジア系の食べ物でないと満足できない。
さらに南下して、連邦庁舎やサンフランシスコ市役所界隈を見学し、そこから西へ向かってフィルモアストリートを北上する。フィルモアストリートは最近になってリノベーションなどが進んでいる地域で、大阪で言えば中崎町や中津界隈のような趣である。少しオシャレなお店などが並び、若い人たちが自分の店を持ち始めた雰囲気が初々しい。この道を北上すると、ジャズが盛んなエリアや日系人が多く住んでいるエリアを通り抜け、サンフランシスコ湾に面したベイエリアへと突き当たる。突き当たりにゴールデンゲート国立公園の本部があるというので訪れてみるが、日曜日なので職員は誰もいない。平日に再度訪れて、この付近の国立公園の全体像について確認してみたいと思う。
その東側に、1960年代にローレンス・ハルプリンがリノベーションに関わったギラデリスクエアがある。ここはサンフランシスコで有名なチョコレートメーカーの工場があった場所をショッピングセンターに改修した場所だが、40年以上経った今でもかなり人気のある場所だ。寒い日であるにも関わらず、スクエア内は観光客だらけで、チョコレートを販売する店には行列が出来ていた。5年前に訪れた際には気づかなかったことだが、スクエア内は無料ワイヤレスLANが接続できるというサインが掲載されていた。今日はPCを持ち歩いていないので、明日にでもつながるかどうかを確認してみたいと思う。また、最近サイン計画やVIを刷新したようで、統一した黄緑色のサインが分かりやすく配置されているのも好感が持てる。現在も北側の建物が改修中であり、改修が住み次第、住居として売り出す予定だという。すでに販売も開始していた。40年経った今も、ギラデリスクエアは進化し続けているようだ。
さらに近くにあるザ・キャナリーを訪れる。ギラデリスクエアと同じ時期に、ジョセフ・エシェリックが設計を担当したリノベーションショッピングセンター。かつてはデルモンテの工場だった場所だ。空間自体は悪くないのだが、こちらはギラデリスクエアに比べて閑散としていた。明らかにマネジメントの差である。テナントの種類などもギラデリスクエアに比べて見栄えがしないし、それぞれの店のしつらえもあまり活気が無い。設計が終わった後、その空間がどのようにマネジメントされていくのかによって、40年後の姿がこれほどまでに違ってくるのか、ということを実感する。
さらに東へ向かうとフィッシャーマンズワーフやピア39といった観光地があり、それを抜けるとハルプリン設計のリーバイスプラザがあるのだが、観光客の多さと気温低下の寒さに負けてリーバイスプラザへ行くのは諦める。バスに乗って中華街へ行って夕食を済ませる。アメリカの食事はどうしても飽きてしまうので、朝と昼はアメリカっぽい食べ物でもいいのだが、夜はアジア系の食べ物でないと満足できない。
2009年5月22日金曜日
大阪からサンフランシスコへ
午後から関西国際空港経由でサンフランシスコへ。時間が戻ってサンフランシスコ到着は午前11時。空港からBARTでCivic center駅へ。改札を出て地上へ上ると、駅前に国連広場という広場がある。噴水の周りで人々が思い思いの居方を体現しているのを見て、アメリカへ来たなぁ、と実感する。日本も屋外空間の使いこなし方がうまくなってきたのではないか、と思っていたのだが、やはりサンフランシスコの屋外空間で見る人々の使いこなし方は日本のそれとは違う。老若男女を問わず、それぞれが好きなように公共空間を使っている。
ホテルにチェックインしたあと、5年前に来たときにも行った建築系の書店「Stout William K. Architectural Books」へ。洋書の在庫が半端なく多いので、何時間居ても飽きない。1階には建築系の本があり、地下1階にはアーバンデザインやランドスケープデザイン系の本が並ぶ。ただし、今回気づいたことは少しでも古い本はほとんど置いていないということ。新しい本はかなり充実しているのだが、うまく売り切ってしまう戦略を持っているのだろう、少しでも古い本になると在庫が残っていないと言われる。結局、アマゾンで手に入らなくなった古い本をすべて探してもらったのだが、いずれも在庫がないとのこと。難しいところである。
近くの中華街で夕食。ラーメンと肉野菜炒めがご飯に乗ったものを食べる。サンフランシスコは、中華街のほかにベトナム人街や日本人街があって、食べるもののレパートリーが(アメリカにしては)多いので助かる。
夜になって急に冷えてきたのであわててGAPに飛び込んでセール中のカットソーを購入。近くにあるノースフェイスも気になって覗くと、防水仕様の巨大なキャリーカートが2万円で売っていた。かなり惹かれたが、巨大なキャリーカートを購入してしまうと日本から持ってきたスーツケースが持ち運べなくなる。日本では売っていないサイズの見かけない素材と仕様と値段なので相当買いたいのだが、少し検討してみたい。
ホテルにチェックインしたあと、5年前に来たときにも行った建築系の書店「Stout William K. Architectural Books」へ。洋書の在庫が半端なく多いので、何時間居ても飽きない。1階には建築系の本があり、地下1階にはアーバンデザインやランドスケープデザイン系の本が並ぶ。ただし、今回気づいたことは少しでも古い本はほとんど置いていないということ。新しい本はかなり充実しているのだが、うまく売り切ってしまう戦略を持っているのだろう、少しでも古い本になると在庫が残っていないと言われる。結局、アマゾンで手に入らなくなった古い本をすべて探してもらったのだが、いずれも在庫がないとのこと。難しいところである。
近くの中華街で夕食。ラーメンと肉野菜炒めがご飯に乗ったものを食べる。サンフランシスコは、中華街のほかにベトナム人街や日本人街があって、食べるもののレパートリーが(アメリカにしては)多いので助かる。
夜になって急に冷えてきたのであわててGAPに飛び込んでセール中のカットソーを購入。近くにあるノースフェイスも気になって覗くと、防水仕様の巨大なキャリーカートが2万円で売っていた。かなり惹かれたが、巨大なキャリーカートを購入してしまうと日本から持ってきたスーツケースが持ち運べなくなる。日本では売っていないサイズの見かけない素材と仕様と値段なので相当買いたいのだが、少し検討してみたい。
2009年5月18日月曜日
大阪へ
8時から益子町内を回って土祭の会場となる場所をチェック。9時に役場へ戻って法師人副町長に挨拶。9時30分から益子町長の大塚朋之さんと打合せ。studio-Lがどんな仕事をしているのか、市民が行政サービスに参画する意義は何か、土祭をどんなものにしたいのか、などについて意見交換する。実感したことは、若い町長はその存在だけで多くの可能性を与えてくれるということ。土祭をきっかけに、役場職員の結束力と益子町に住む人たちの参加力を高めて、「次につながる祭」をサポートしたいと思う。
益子町から東京へ移動して、12時30分ごろに平賀達也さんの事務所「ランドスケープ・プラス」にお邪魔する。平賀さんとは初対面。マルモ出版の尾内さんが紹介してくれた。同じくSGKの熊谷玄さんも紹介していただき、ランドスケープ・プラスのスタッフである小林さんと村瀬さんを交えて6人で「これからのランドスケープデザイン」について語り合った。語り合った場所は、ランドスケープ・プラスの事務所近くにある公園の芝生の上。平賀さんがサンドイッチとピクニックセットを準備してくれたので、とても開放的な気分で開放的な話ができた(感謝)。ここ3年ほど、手探りでstudio-Lが進めてきたことが、実は同世代でランドスケープデザインを志す人たちにも共感してもらえるものだったということが、驚きであり喜びであった。「風景をデザインする人」などという不遜な肩書きを掲げるランドスケープデザイナーは、きっと見せかけの風景を美しく装飾するだけの職能ではないはずだということ。風景というのは、とりもなおさずそこで生活する人たちの活動が結果的につくりだす様相の積み重ねだということ。そうであれば、花や木を植えるだけで風景の見栄えを良くすることだけがランドスケープデザイナーの仕事ではないということ。生活する人たちがつくりだす風景に少しだけ関わるとすれば住民参加という手法は無視できないということ。そんなことをみんなで確認しあえたことは大きな収穫だった。
15時からは赤坂の博報堂にて筧さんと打合せ。生活総研の古澤直木さんと斉藤竜太さんを紹介してもらう。これまで進めてきた震災+デザインの展覧会も終わり、ひと段落したところで次の企画などについて話し合った。6月頃には震災+デザインの経緯をまとめた本がNTT出版から発売される。それを契機に震災+デザインはさらに発展させていく予定だが、今年は少し違ったフレームで新しいプロジェクトを立ち上げようということで合意。また、大学と共同して人口減少社会の要請に応えるデザインプロジェクトも立ち上げようということになる。結果的に、①震災+デザインの発展版プロジェクト、②新たな課題に取り組むプロジェクト、③大学と共同するプロジェクトの3つのプロジェクトを動かすことになりそうだ。ますます楽しくなりそうだ。が、僕も筧さんも片方では博士論文を仕上げなければならない。新型インフルエンザで経済活動が麻痺している今だからこそ、論文作成に勤しまなければならない、との共通の意思を確認し合って打合せを終えた。
19時からは品川にてumariの古田秘馬さんと打合せ。共通の知り合いである建築家の西田司さんから間接的に古田さんの活躍は耳にしていたし、そのほかにもネットで調べ物をしていると「やるなぁ」と感心するプロジェクトに古田さんが関わっていたりして、前から一度ゆっくり話をしたいと思っていた人だ。古田さんとは、医療と食料と教育の問題を結びつけて新しいプロジェクトを生み出すことの重要性や、こうしたイシューがこれからの社会で最も求められるはずだということは誰もが感じ取っているにも関わらず、ここの領域の専門家しかいないので相互に結びつくことがないという問題点などを共有した。健康や福祉や医療については専門家がかなり検討しているものの、それを食べ物の点から解決しようとして農業に切り込む人がいない。環境学習に取り組む人はいても、それを医療と結びつける人がいない。どんな農作物をどのように育ててどう流通させてどう食べれば、健康によくて環境にいいのか。医療と食料と教育の3つを結びつけるプロジェクトを小さくてもいいので少しずつ進めていきたいと思う。まずは古田さんが6月末にオープンさせる六本木の農村カフェで、海士町や家島町で採れた野菜や魚を販売してみるなど、試験的なコラボから始めてみたいと思う。古田さん曰く、六本木の農村カフェは幕末の寺田屋や池田屋のように志士が集まる場所にしたいとのこと。実際、古田さんの仲間には木戸さんという桂小五郎の直系五代目がいるということで、帰る直前になって幕末の話で大いに盛り上がった。
帰りの新幹線はガラガラ。インフルエンザの感染者が加速度的に増えているこの時期、東京から京阪神へ向かう人は少ないということを実感する。新幹線内でメールをチェックしていると、ランチをご馳走になった平賀さんからも幕末の志士のように共闘しようぜ、というメールが。僕の幕末ブームがますます加速しそうである。
益子町から東京へ移動して、12時30分ごろに平賀達也さんの事務所「ランドスケープ・プラス」にお邪魔する。平賀さんとは初対面。マルモ出版の尾内さんが紹介してくれた。同じくSGKの熊谷玄さんも紹介していただき、ランドスケープ・プラスのスタッフである小林さんと村瀬さんを交えて6人で「これからのランドスケープデザイン」について語り合った。語り合った場所は、ランドスケープ・プラスの事務所近くにある公園の芝生の上。平賀さんがサンドイッチとピクニックセットを準備してくれたので、とても開放的な気分で開放的な話ができた(感謝)。ここ3年ほど、手探りでstudio-Lが進めてきたことが、実は同世代でランドスケープデザインを志す人たちにも共感してもらえるものだったということが、驚きであり喜びであった。「風景をデザインする人」などという不遜な肩書きを掲げるランドスケープデザイナーは、きっと見せかけの風景を美しく装飾するだけの職能ではないはずだということ。風景というのは、とりもなおさずそこで生活する人たちの活動が結果的につくりだす様相の積み重ねだということ。そうであれば、花や木を植えるだけで風景の見栄えを良くすることだけがランドスケープデザイナーの仕事ではないということ。生活する人たちがつくりだす風景に少しだけ関わるとすれば住民参加という手法は無視できないということ。そんなことをみんなで確認しあえたことは大きな収穫だった。
15時からは赤坂の博報堂にて筧さんと打合せ。生活総研の古澤直木さんと斉藤竜太さんを紹介してもらう。これまで進めてきた震災+デザインの展覧会も終わり、ひと段落したところで次の企画などについて話し合った。6月頃には震災+デザインの経緯をまとめた本がNTT出版から発売される。それを契機に震災+デザインはさらに発展させていく予定だが、今年は少し違ったフレームで新しいプロジェクトを立ち上げようということで合意。また、大学と共同して人口減少社会の要請に応えるデザインプロジェクトも立ち上げようということになる。結果的に、①震災+デザインの発展版プロジェクト、②新たな課題に取り組むプロジェクト、③大学と共同するプロジェクトの3つのプロジェクトを動かすことになりそうだ。ますます楽しくなりそうだ。が、僕も筧さんも片方では博士論文を仕上げなければならない。新型インフルエンザで経済活動が麻痺している今だからこそ、論文作成に勤しまなければならない、との共通の意思を確認し合って打合せを終えた。
19時からは品川にてumariの古田秘馬さんと打合せ。共通の知り合いである建築家の西田司さんから間接的に古田さんの活躍は耳にしていたし、そのほかにもネットで調べ物をしていると「やるなぁ」と感心するプロジェクトに古田さんが関わっていたりして、前から一度ゆっくり話をしたいと思っていた人だ。古田さんとは、医療と食料と教育の問題を結びつけて新しいプロジェクトを生み出すことの重要性や、こうしたイシューがこれからの社会で最も求められるはずだということは誰もが感じ取っているにも関わらず、ここの領域の専門家しかいないので相互に結びつくことがないという問題点などを共有した。健康や福祉や医療については専門家がかなり検討しているものの、それを食べ物の点から解決しようとして農業に切り込む人がいない。環境学習に取り組む人はいても、それを医療と結びつける人がいない。どんな農作物をどのように育ててどう流通させてどう食べれば、健康によくて環境にいいのか。医療と食料と教育の3つを結びつけるプロジェクトを小さくてもいいので少しずつ進めていきたいと思う。まずは古田さんが6月末にオープンさせる六本木の農村カフェで、海士町や家島町で採れた野菜や魚を販売してみるなど、試験的なコラボから始めてみたいと思う。古田さん曰く、六本木の農村カフェは幕末の寺田屋や池田屋のように志士が集まる場所にしたいとのこと。実際、古田さんの仲間には木戸さんという桂小五郎の直系五代目がいるということで、帰る直前になって幕末の話で大いに盛り上がった。
帰りの新幹線はガラガラ。インフルエンザの感染者が加速度的に増えているこの時期、東京から京阪神へ向かう人は少ないということを実感する。新幹線内でメールをチェックしていると、ランチをご馳走になった平賀さんからも幕末の志士のように共闘しようぜ、というメールが。僕の幕末ブームがますます加速しそうである。
撮影:ランドスケープ・プラス |
2009年5月17日日曜日
益子へ
10時から千葉県市川市にて雑誌『ランドスケープデザイン』の鼎談企画によりランドスケープデザイナーの廣瀬俊介さんと長谷川浩巳さんと話をする。廣瀬さんのアプローチは、イアン・マクハーグとローレンス・ハルプリンの手法を重ね合わせたようなもの。地域の生態的な関係性や人文的な関係性を丁寧に紐解き、それをGIS上で重ね合わせるとともに(マクハーグ的アプローチ)、アイレベルで見える風景の構造をスケッチとコメントで明確化することによって「風景の成り立ち方」を住民の人たちと共有する(ハルプリン的アプローチ)。もちろん、アイレベルでのスケッチやコメントはGISによる広域的な風土の特性と関係したものになっている。これによって、風景を読み取ること、自然条件や人文条件を考慮したプランニングを進めること、そのプロセスに住んでいる人を巻き込むことなどが可能になり、まさにランドスケープデザインの模範解答が生まれる。こうしたアプローチを地道に進める廣瀬さんは、とてもまじめな人であり、真剣な人であり、正しい人だという印象を受けた。そんな廣瀬さんだからこそ、今の大学教育に対する不満もあるだろうし、今のランドスケープデザイナーの仕事に対する不満もあるだろう。しかし、自分の仕事を外部要因のせいにして言い訳しない廣瀬さんの態度はとてもすがすがしいし、見習うべき生き方だと感じた。
その後、東京から益子町へ移動。17時からスターネットの馬場浩史さんに会って秋に予定している「土祭(ひじさい)」に関する打合せ。馬場さんと会うのは2度目だが、とてもおおらかな笑顔で迎え入れてくれる暖かい人で、こんな大人になりたいなぁ、と思うような人である。焼き物のまち益子町において、焼き物だけでなく農業や林業など、「土」に関わる人たちがつながることのできる祭をプロデュースしている。益子町役場の職員や住民が参加して、アーティストなどと協働しながら祭をつくりあげていくという趣旨から、僕たちも参加の枠組みづくりに参加することになった。すでにstudio-L Tokyoの岡崎エミが先行して益子に入り、土祭のフレームなどをつくりつつある。今後は大阪からも西上ありさが参入し、チームビルディングや運営マニュアルづくりなどを役場職員や住民などと一緒に進める予定だ。
18時からは、宿に入って役場の人たちと懇親会。益子町役場の産業観光課の三宅課長、吉村課長補佐、加藤係長、板野主任、水沼氏とともに、益子のまちづくりや土祭に対する想いなどを共有した。このときの食事はスターネットがつくって配達してくれた。これまでに見たことも味わったこともないような料理ばかりで、かなり楽しむことができた。特に、土地で採れた新鮮な野菜をつかった料理は、「素材の味を活かす」というステレオタイプなコンセプトが、しかし信じられないほどの力を持つということを実感させてくれるすばらしいものだった。また、役場の吉村課長補佐が自宅で手打ちしてくれた蕎麦もまたとても美味しいもので、これなら何度でも益子へ来たいと思わせる味(と人柄)を堪能させてもらった。
その後、東京から益子町へ移動。17時からスターネットの馬場浩史さんに会って秋に予定している「土祭(ひじさい)」に関する打合せ。馬場さんと会うのは2度目だが、とてもおおらかな笑顔で迎え入れてくれる暖かい人で、こんな大人になりたいなぁ、と思うような人である。焼き物のまち益子町において、焼き物だけでなく農業や林業など、「土」に関わる人たちがつながることのできる祭をプロデュースしている。益子町役場の職員や住民が参加して、アーティストなどと協働しながら祭をつくりあげていくという趣旨から、僕たちも参加の枠組みづくりに参加することになった。すでにstudio-L Tokyoの岡崎エミが先行して益子に入り、土祭のフレームなどをつくりつつある。今後は大阪からも西上ありさが参入し、チームビルディングや運営マニュアルづくりなどを役場職員や住民などと一緒に進める予定だ。
18時からは、宿に入って役場の人たちと懇親会。益子町役場の産業観光課の三宅課長、吉村課長補佐、加藤係長、板野主任、水沼氏とともに、益子のまちづくりや土祭に対する想いなどを共有した。このときの食事はスターネットがつくって配達してくれた。これまでに見たことも味わったこともないような料理ばかりで、かなり楽しむことができた。特に、土地で採れた新鮮な野菜をつかった料理は、「素材の味を活かす」というステレオタイプなコンセプトが、しかし信じられないほどの力を持つということを実感させてくれるすばらしいものだった。また、役場の吉村課長補佐が自宅で手打ちしてくれた蕎麦もまたとても美味しいもので、これなら何度でも益子へ来たいと思わせる味(と人柄)を堪能させてもらった。
2009年5月16日土曜日
海士から
朝8時から船に乗って海士町から松江市へ移動。海士町の山内町長が一時的に入院している病院を訪れてお見舞いと総合計画の完成を報告した。町長は思いのほか元気で、2日後に控えた退院後のことについて意欲的に話してくれた。総合計画についても、策定に関わってくれた住民のみんなとともに具体的な事業を進めるためにいろいろな仕掛けや仕組みを考えることの重要性を確認した。総合計画の実効性を高めるべく、僕たちも出来る限り協力するつもりである。
午後から出雲空港へ向かい東京へ移動。夕方早めにホテルへチェックインして海士町や益子町でのプロジェクトの今後について整理する。また、インフルエンザの影響が強まってきた神戸や大阪で開催予定の「探られる島」、「水都大阪2009」、「震災+デザイン」、「ホヅプロ」などのプロジェクトについて、大阪のスタジオと連絡しながらスケジュールを調整した。
午後から出雲空港へ向かい東京へ移動。夕方早めにホテルへチェックインして海士町や益子町でのプロジェクトの今後について整理する。また、インフルエンザの影響が強まってきた神戸や大阪で開催予定の「探られる島」、「水都大阪2009」、「震災+デザイン」、「ホヅプロ」などのプロジェクトについて、大阪のスタジオと連絡しながらスケジュールを調整した。
2009年5月15日金曜日
海士にて
朝9時から海士町役場にて総合計画について松前課長と打合せ。総合振興計画を担当してくれていた松前氏が課長補佐から課長になったことはとても喜ばしいことである。さらに総合計画の実効性を高めるため、まちづくり基金のあり方や総合計画に謳われている事業の進捗をチェックする組織のあり方について提案する。
午後から、新しく海士町議会の議長になった中村氏に挨拶する。その後、「めぐりの環」の阿部氏と秋に開催予定の名水サミットについて簡単な打合せ。「水の取り扱い」や「水の使いこなし方」について議論できるサミットにしたいという話をした。
夕方から、総合計画の策定に住民側の代表として関わってくれた城之内氏に総合計画の完成を報告する。Iターンとして海士町に定住し、手探りで島の仕事や地域活動に取り組んできた城之内氏の生き方には学ぶべき点がたくさんある。僕たちのように地域の外部から落下傘的に関わる人だからこそできることもあると自負しているが、その土地に入り込んで自分の生活を成り立たせつつ、まちづくりに関わっている人にはどこまで行ってもかなわないな、と思うことが多い。特に総合計画を策定するプロセスでは、地域で生活するいろいろな人の想いに配慮した城之内氏の意見調整能力の高さと意思決定にかなり救われた。こういう人と一緒に仕事ができると、その仕事が楽しくなるとともに、そのまちが好きになることが多い。今後も引き続き意見交換させてもらいたい人である。
夜から、宿泊先である但馬屋の宮崎氏と商品開発に関する意見交換。特に商品のパッケージデザインについて、海産物の商品パッケージが赤や金や黒を多用するのに対して、宮崎氏のパッケージはシンプルに白や透明を基調として商品自体を見せる戦略にしてはどうかと伝える。土産物店のディスプレイに並ぶ派手な商品のなかにあっては、むしろシンプルなほうが目に留まりやすい。派手さで勝負するプラスのデザインではなく、色の数を減らすマイナスのデザインで特化する意義を共有した。
午後から、新しく海士町議会の議長になった中村氏に挨拶する。その後、「めぐりの環」の阿部氏と秋に開催予定の名水サミットについて簡単な打合せ。「水の取り扱い」や「水の使いこなし方」について議論できるサミットにしたいという話をした。
夕方から、総合計画の策定に住民側の代表として関わってくれた城之内氏に総合計画の完成を報告する。Iターンとして海士町に定住し、手探りで島の仕事や地域活動に取り組んできた城之内氏の生き方には学ぶべき点がたくさんある。僕たちのように地域の外部から落下傘的に関わる人だからこそできることもあると自負しているが、その土地に入り込んで自分の生活を成り立たせつつ、まちづくりに関わっている人にはどこまで行ってもかなわないな、と思うことが多い。特に総合計画を策定するプロセスでは、地域で生活するいろいろな人の想いに配慮した城之内氏の意見調整能力の高さと意思決定にかなり救われた。こういう人と一緒に仕事ができると、その仕事が楽しくなるとともに、そのまちが好きになることが多い。今後も引き続き意見交換させてもらいたい人である。
夜から、宿泊先である但馬屋の宮崎氏と商品開発に関する意見交換。特に商品のパッケージデザインについて、海産物の商品パッケージが赤や金や黒を多用するのに対して、宮崎氏のパッケージはシンプルに白や透明を基調として商品自体を見せる戦略にしてはどうかと伝える。土産物店のディスプレイに並ぶ派手な商品のなかにあっては、むしろシンプルなほうが目に留まりやすい。派手さで勝負するプラスのデザインではなく、色の数を減らすマイナスのデザインで特化する意義を共有した。
2009年5月14日木曜日
海士へ
朝からバスにて島根県へ移動。松江経由で海士町に着いたのは17時ごろ。まずは新しく教育委員会地域共育課の課長になった松前氏に挨拶する。また、新たに地域共育課のメンバーに加わった古山氏、名越氏、勇木さんに挨拶する。その後、澤田副町長と松前課長と懇親会。総合振興計画の完成を報告する。これまで副町長とゆっくり話をする機会がなかったこともあり、総合振興計画の策定経緯や特徴などについて説明した。
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