◆震災+design 展示発表会
日時: 2009年3月22-23日 11:00-20:00
場所: 東京ミッドタウン・デザインハブ
〒107- 6205 東京都港区赤坂9 -7-1 ミッドタウン・タワー5F
展示内容:優秀15案を含む約50デザイン案のボード、模型
主催: hakuhodo+design (株) studio-L
共催: 東京ミッドタウン・デザインハブ
協力: 九州大学大学院芸術工学研究院
ひょうご震災記念21世紀研究機構
人と防災未来センター
詳しくはこちら
2009年2月28日土曜日
2009年2月27日金曜日
続・手の内側
◆ROUNDABOUT JOURNAL 公開ディスカッション
<続・手の内側>
1月31日に行われたLIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009の総括ディスカッションで浮かび
上がった論点を報告し、新たにSPACE SPACEのおふたりを迎え、「手の内側」をめぐ
る問題を掘り下げつつ、議論の次なる展開を模索する
日時:3月7日(土) 15:30会場16:00開始
会場:INAX the TILE SPACE
ゲスト:SPACE SPACE, dot architects, 柳原照弘、山崎亮
モデレート:藤村龍至, TEAM ROUNDABOUT
主催:TEAM ROUNDABOUT
協力:株式会社INAX
申し込み:不要
定員:80名(当日先着順)
お問い合わせ:INAX the TILE SPACE
TEL:06-6539-3721
会場アクセス:
大阪市西区新町1-7-1 INAX大阪ビル2F
http://dds.inax.co.jp/tile_space/
地下鉄四つ橋線「四ツ橋」駅
長堀鶴見緑地線「心斎橋」駅
1-A出口から徒歩2分
「四つ橋」の交差点から北へ1つ目の信号 南西角
<続・手の内側>
1月31日に行われたLIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009の総括ディスカッションで浮かび
上がった論点を報告し、新たにSPACE SPACEのおふたりを迎え、「手の内側」をめぐ
る問題を掘り下げつつ、議論の次なる展開を模索する
日時:3月7日(土) 15:30会場16:00開始
会場:INAX the TILE SPACE
ゲスト:SPACE SPACE, dot architects, 柳原照弘、山崎亮
モデレート:藤村龍至, TEAM ROUNDABOUT
主催:TEAM ROUNDABOUT
協力:株式会社INAX
申し込み:不要
定員:80名(当日先着順)
お問い合わせ:INAX the TILE SPACE
TEL:06-6539-3721
会場アクセス:
大阪市西区新町1-7-1 INAX大阪ビル2F
http://dds.inax.co.jp/tile_space/
地下鉄四つ橋線「四ツ橋」駅
長堀鶴見緑地線「心斎橋」駅
1-A出口から徒歩2分
「四つ橋」の交差点から北へ1つ目の信号 南西角
2009年2月26日木曜日
第6回東海地区卒業設計展
◆第6回東海地区卒業設計展
日時:
3月21日 展示(10:00−18:00)
3月22日 展示(10:00ー)、講評会(15:00ー19:00)
会場:名古屋市立大学 千種キャンパス
ゲスト:
五十嵐太郎(イガラシタロウ)
1967年、パリ(フランス)生まれ。建築史・建築批評家。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学准教授。第11回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示コミッショナーを務める。著書=『終わりの建築/始まりの建築』(INAX出版)、『近代の神々と建築』(廣済堂出版)、『戦争と建築』(晶文社)、『現代建築のパースペクティブ』(光文社)、『美しい都市・醜い都市』(中公新書ラクレ)、『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)、『新編 新宗教と巨大建築』(筑摩書房)、『「結婚式教会」の誕生』(春秋社)ほか多数。
藤村龍至(フジムラリュウジ)
1976年東京生まれ。2000年東京工業大学工学部社会工学科卒業。2002年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。2002-2003年ベルラーヘ・インスティテュート(オランダ)。2002-2005年ISSHO建築設計事務所共同主宰。2003-2008年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻(塚本研究室)博士課程。2005年藤村龍至建築設計事務所設立。
山崎亮(ヤマザキリョウ)
studio-L代表。ランドスケープデザイナーとして公共空間のデザインに携わる。また、完成した公共空間を使いこなすためのプログラムデザインやプロジェクトマネジメントにも携わる。並行して「オープンスペースのマネジメント」について東京大学大学院で研究中。京都造形芸術大学/京都市立芸術大学/近畿大学/大阪工業技術専門学校講師。(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構主任研究員。共著書に、『マゾヒスティックランドスケープ(学芸出版社)』『都市環境デザインの仕事(学芸出版社)』『地域創造へのアプローチ(IBCコーポレーション)』などがある。
吉村靖孝(ヨシムラヤスタカ)
吉村靖孝建築設計事務所代表。関東学院大学・早稲田大学芸術学校非常勤講師。1972年 愛知県豊田市生まれ。1995年 早稲田大学理工学部卒業。1997年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1999年〜2001年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV在籍。2001年 吉村真代、吉村英孝とともにSUPER-OS設立。2002年 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程満期退学。2005年 吉村靖孝建築設計事務所設立。
主な著作:EX-CONTAINER(グラフィック社)、超合法建築図鑑(彰国社)、 MVRDV式(彰国社)、東京建築MAP2(TOTO出版)監修
日時:
3月21日 展示(10:00−18:00)
3月22日 展示(10:00ー)、講評会(15:00ー19:00)
会場:名古屋市立大学 千種キャンパス
ゲスト:
五十嵐太郎(イガラシタロウ)
1967年、パリ(フランス)生まれ。建築史・建築批評家。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学准教授。第11回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示コミッショナーを務める。著書=『終わりの建築/始まりの建築』(INAX出版)、『近代の神々と建築』(廣済堂出版)、『戦争と建築』(晶文社)、『現代建築のパースペクティブ』(光文社)、『美しい都市・醜い都市』(中公新書ラクレ)、『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)、『新編 新宗教と巨大建築』(筑摩書房)、『「結婚式教会」の誕生』(春秋社)ほか多数。
藤村龍至(フジムラリュウジ)
1976年東京生まれ。2000年東京工業大学工学部社会工学科卒業。2002年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。2002-2003年ベルラーヘ・インスティテュート(オランダ)。2002-2005年ISSHO建築設計事務所共同主宰。2003-2008年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻(塚本研究室)博士課程。2005年藤村龍至建築設計事務所設立。
山崎亮(ヤマザキリョウ)
studio-L代表。ランドスケープデザイナーとして公共空間のデザインに携わる。また、完成した公共空間を使いこなすためのプログラムデザインやプロジェクトマネジメントにも携わる。並行して「オープンスペースのマネジメント」について東京大学大学院で研究中。京都造形芸術大学/京都市立芸術大学/近畿大学/大阪工業技術専門学校講師。(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構主任研究員。共著書に、『マゾヒスティックランドスケープ(学芸出版社)』『都市環境デザインの仕事(学芸出版社)』『地域創造へのアプローチ(IBCコーポレーション)』などがある。
吉村靖孝(ヨシムラヤスタカ)
吉村靖孝建築設計事務所代表。関東学院大学・早稲田大学芸術学校非常勤講師。1972年 愛知県豊田市生まれ。1995年 早稲田大学理工学部卒業。1997年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1999年〜2001年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてMVRDV在籍。2001年 吉村真代、吉村英孝とともにSUPER-OS設立。2002年 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程満期退学。2005年 吉村靖孝建築設計事務所設立。
主な著作:EX-CONTAINER(グラフィック社)、超合法建築図鑑(彰国社)、 MVRDV式(彰国社)、東京建築MAP2(TOTO出版)監修
2009年2月25日水曜日
雑記
10:00から、九段下のアミタにて新しく株式会社トビムシを立ち上げた竹本吉輝さんとミーティング。森林の適正管理に関する認証制度と、実際の森林施業のノウハウを組み合わせることによって、間伐材や地域産材の価値を高めるとともに、その土地の価値や地域の価値自体を高めようという新しい事業に取り組むという。聞けば新会社にはアミタの精鋭部隊が参画しているとのこと。森林、環境、法律、投資など、さまざまなジャンルの専門家がチームをつくって、中山間地域の資産価値を高めるスキームを構築している。すでに第1号案件が動き出しているとのことで、これが成功すれば間違いなく一つのモデルを提示することになるだろうし、第2号、第3号の案件も動き出すことになるだろう。今後の展開が楽しみである。また、事業を展開するなかで必要となる冊子およびWEBの編集やデザイン、地元住民が参加するワークショップなどの企画や運営などについては、適宜プロジェクトベースで一緒に仕事をしようという話になった。こうした新しい試みに参画できることはとても嬉しい。
13:00から、日比谷パティオにてumariの古田秘馬さんと電通の瀧川裕太さんに雑誌『OSOTO』の記事のため取材させてもらう。古田さんとは昨年の忘年会で同席したものの、あまり話ができなかったため「日を改めていろいろ話しましょう」という話をしていたところだった。日比谷パティオのコンセプトを深く聞けば聞くほど、OSOTOのコンセプトとぴったり一致する。これからの日本の社会について考えれば、行政や大企業に頼りっぱなしの社会は成立しない。だから、自立した市民が増えることに期待するしかない。しかし、かつての学生運動のように「○○でなければならない」という正しさだけを説くのでは賛同してくれる人は少ない。正しいし、楽しいし、好きだと思えることでなければ、主体的に動く市民を増やすことができない。そのためには、あまりに正しすぎるわけにもいかないが、薄っぺらすぎるわけにもいかない。そんな絶妙なプログラムデザインが必要だ、という問題意識を、僕と古田さんは共有していると感じた。この人もぜひ一緒に仕事をしてみたいと思う人のひとりだ。
16:00から、九段下へ戻って春蒔プロジェクトの田中陽明さんに会う。ライターの澤田さんにお世話になった「新世代の建築家・デザイナー100人」に掲載されていた田中さんの仕事に大変興味を持っていたのだが、たまたま午前中に打合せで訪れたアミタの隣が田中さんの事務所が運営している「co-lab」の建物だったのである。さっそく澤田さんに電話して田中さんのアポを取ってもらって会いに行く。田中さんに会ってお話するうちに、実は以前お会いしたことがあったということに気づく。そのころから、何か面白いことをやっているなぁ、という感触があった人だ。その面白いことはさらに広がって、今ではかなりのノウハウを蓄積しているようだった。独立系クリエーター120人が入居するシェアオフィスを運営し、舞い込んで来る仕事の性質ごとに120人のなかから適切な人材を選んでチームをつくる。数人や数十人で同種の働き方を展開する人たちなら見たことがあるが、これほどの規模でシェアオフィスを展開している例は初めて見た。シェアオフィスの卒業生も含めると200人以上のクリエーターとのつながりがあるという。こうした人材とシェアオフィスの運営ノウハウを活かせば、公共施設の指定管理者になることも可能だろう。ビルメンテナンスの会社と一緒にシェアオフィスの運営+維持管理を担っているとのことなので、機会があればstudio-L+春蒔プロジェクト+ビルメンテナンス会社でチームをつくって図書館の指定管理者募集などにトライしてみよう、という話になった。うまくいけば、公共施設としては前代未聞の指定管理者が誕生することになるだろう。公共施設のイメージを刷新するような面白いことができそうだ。
13:00から、日比谷パティオにてumariの古田秘馬さんと電通の瀧川裕太さんに雑誌『OSOTO』の記事のため取材させてもらう。古田さんとは昨年の忘年会で同席したものの、あまり話ができなかったため「日を改めていろいろ話しましょう」という話をしていたところだった。日比谷パティオのコンセプトを深く聞けば聞くほど、OSOTOのコンセプトとぴったり一致する。これからの日本の社会について考えれば、行政や大企業に頼りっぱなしの社会は成立しない。だから、自立した市民が増えることに期待するしかない。しかし、かつての学生運動のように「○○でなければならない」という正しさだけを説くのでは賛同してくれる人は少ない。正しいし、楽しいし、好きだと思えることでなければ、主体的に動く市民を増やすことができない。そのためには、あまりに正しすぎるわけにもいかないが、薄っぺらすぎるわけにもいかない。そんな絶妙なプログラムデザインが必要だ、という問題意識を、僕と古田さんは共有していると感じた。この人もぜひ一緒に仕事をしてみたいと思う人のひとりだ。
16:00から、九段下へ戻って春蒔プロジェクトの田中陽明さんに会う。ライターの澤田さんにお世話になった「新世代の建築家・デザイナー100人」に掲載されていた田中さんの仕事に大変興味を持っていたのだが、たまたま午前中に打合せで訪れたアミタの隣が田中さんの事務所が運営している「co-lab」の建物だったのである。さっそく澤田さんに電話して田中さんのアポを取ってもらって会いに行く。田中さんに会ってお話するうちに、実は以前お会いしたことがあったということに気づく。そのころから、何か面白いことをやっているなぁ、という感触があった人だ。その面白いことはさらに広がって、今ではかなりのノウハウを蓄積しているようだった。独立系クリエーター120人が入居するシェアオフィスを運営し、舞い込んで来る仕事の性質ごとに120人のなかから適切な人材を選んでチームをつくる。数人や数十人で同種の働き方を展開する人たちなら見たことがあるが、これほどの規模でシェアオフィスを展開している例は初めて見た。シェアオフィスの卒業生も含めると200人以上のクリエーターとのつながりがあるという。こうした人材とシェアオフィスの運営ノウハウを活かせば、公共施設の指定管理者になることも可能だろう。ビルメンテナンスの会社と一緒にシェアオフィスの運営+維持管理を担っているとのことなので、機会があればstudio-L+春蒔プロジェクト+ビルメンテナンス会社でチームをつくって図書館の指定管理者募集などにトライしてみよう、という話になった。うまくいけば、公共施設としては前代未聞の指定管理者が誕生することになるだろう。公共施設のイメージを刷新するような面白いことができそうだ。
2009年2月24日火曜日
雑記
午前中は都市再生機構の武田くんと打合せ。新しく立ち上がったRIPSというNPOの事業内容などについて話し合った。
13:00ごろ、渋谷に事務所を引越した藤村龍至さんの事務所へお邪魔する。JR渋谷駅から徒歩5分くらいのとても便利な立地である。これから藤村さんが渋谷を拠点にどんなことを展開してくれるのか、ますます楽しみである。
14:00から、渋谷のマルモ出版にて社長の丸茂さんと副編集長の尾内さんに会う。ランドスケープデザインという分野が、これまでのハード偏重型からソフトの重要性に気づきつつあるということを実感する。また、「ランドスケープデザイン」という雑誌が立ち上がった際のいきさつについて、関西の若手デザイナーの協力があったという興味深い話を聞いた。「ランドスケープデザイン」誌のコンテンツを盛り上げるために、いま再び関西の若手が協力すべきだということを実感する。
16:00から、鹿島出版会の川尻大介さんとミーティング。いま注目すべき本の話や、翻訳出版への道のりや方法など、具体的な本の作り方についていろいろ打合せをした。当面、進めるべき準備作業については双方で確認しあうことができたので、具体的な話を進めたいと思う。先は長そうだが、日本の若手デザイナーやデザイン系の学生に紹介すべき本をきっちり出版しておくべきだという思いを強くした。
19:00から、マルモ出版の尾内志帆さん、ライターの澤田忍さん、オンサイトの長谷川浩己さんとで食事会。不思議な巡り会わせで、それぞれがそれぞれのうわさを耳にしつつ集まった4人が一緒に食事をすることになった。その場を設定してくれたのは尾内さん。ありがたい話である。ライターの澤田さんは『新世代の建築家・デザイナー100人』というムック本で取材してくれた際にお世話になった人。最近、ランドスケープデザインや環境デザインに興味があるとのこと。『ランドスケープデザイン』誌でも、澤田さんに手伝ってもらって『新世代の環境デザイナー100人』を特集してみたらどうだろうか、という話になった。100人でなくてもいいかもしれないが。。。オンサイトの長谷川さんとは初めてじっくりお話した。が、これまでなんで話をしなかったのか、と思うほど話が面白い。とても正直に話をする人で、自分が何を考えながら設計を進めているのか、どこまでは達成できていてどこからは達成できていないのか、自分がいま葛藤しているのはどのあたりか、などを淡々と話してくれる。僕は、コールハースに興味を持ったところから徐々に思想をさかのぼってシチュアシオニスト(状況主義者)の思想と実践に出会ったが、長谷川さんはデザインについて悩むなかから「状況をつくることが目標だ」という考え方に行き着いたという。つまり、僕も長谷川さんもプロジェクトに対して同じ目標を掲げていて、一方はそれをソフトの展開で達成しようとするし、一方はそれをハードの設計で達成しようとしているんだということがよく分かった。これはE-DESIGNの忽那さんと話をしているときにいつも感じることなのだが、長谷川さんと話をしていてもそのことがすごく実感できたのは新鮮だった。真に都市的な「状況」を生み出すために、ハードとソフトの両方から取り組むというプロジェクトでぜひとも一緒に仕事をしてみたい人だ。
13:00ごろ、渋谷に事務所を引越した藤村龍至さんの事務所へお邪魔する。JR渋谷駅から徒歩5分くらいのとても便利な立地である。これから藤村さんが渋谷を拠点にどんなことを展開してくれるのか、ますます楽しみである。
14:00から、渋谷のマルモ出版にて社長の丸茂さんと副編集長の尾内さんに会う。ランドスケープデザインという分野が、これまでのハード偏重型からソフトの重要性に気づきつつあるということを実感する。また、「ランドスケープデザイン」という雑誌が立ち上がった際のいきさつについて、関西の若手デザイナーの協力があったという興味深い話を聞いた。「ランドスケープデザイン」誌のコンテンツを盛り上げるために、いま再び関西の若手が協力すべきだということを実感する。
16:00から、鹿島出版会の川尻大介さんとミーティング。いま注目すべき本の話や、翻訳出版への道のりや方法など、具体的な本の作り方についていろいろ打合せをした。当面、進めるべき準備作業については双方で確認しあうことができたので、具体的な話を進めたいと思う。先は長そうだが、日本の若手デザイナーやデザイン系の学生に紹介すべき本をきっちり出版しておくべきだという思いを強くした。
19:00から、マルモ出版の尾内志帆さん、ライターの澤田忍さん、オンサイトの長谷川浩己さんとで食事会。不思議な巡り会わせで、それぞれがそれぞれのうわさを耳にしつつ集まった4人が一緒に食事をすることになった。その場を設定してくれたのは尾内さん。ありがたい話である。ライターの澤田さんは『新世代の建築家・デザイナー100人』というムック本で取材してくれた際にお世話になった人。最近、ランドスケープデザインや環境デザインに興味があるとのこと。『ランドスケープデザイン』誌でも、澤田さんに手伝ってもらって『新世代の環境デザイナー100人』を特集してみたらどうだろうか、という話になった。100人でなくてもいいかもしれないが。。。オンサイトの長谷川さんとは初めてじっくりお話した。が、これまでなんで話をしなかったのか、と思うほど話が面白い。とても正直に話をする人で、自分が何を考えながら設計を進めているのか、どこまでは達成できていてどこからは達成できていないのか、自分がいま葛藤しているのはどのあたりか、などを淡々と話してくれる。僕は、コールハースに興味を持ったところから徐々に思想をさかのぼってシチュアシオニスト(状況主義者)の思想と実践に出会ったが、長谷川さんはデザインについて悩むなかから「状況をつくることが目標だ」という考え方に行き着いたという。つまり、僕も長谷川さんもプロジェクトに対して同じ目標を掲げていて、一方はそれをソフトの展開で達成しようとするし、一方はそれをハードの設計で達成しようとしているんだということがよく分かった。これはE-DESIGNの忽那さんと話をしているときにいつも感じることなのだが、長谷川さんと話をしていてもそのことがすごく実感できたのは新鮮だった。真に都市的な「状況」を生み出すために、ハードとソフトの両方から取り組むというプロジェクトでぜひとも一緒に仕事をしてみたい人だ。
2009年2月23日月曜日
雑記
朝から新幹線にて東京へ移動。
10:00から、本郷にて東大の橋本憲一郎さんとお話する。先日、橋本さんと山中新太郎さんが出版された『まちづくりのアイデアボックス』についていろいろお聞きする。この本は、これまでまちづくりの文脈では使われなかった用語や引用が多く盛り込まれていて、まちづくりに関する議論で使える「新しい言葉」をたくさん教えてくれる。特に、1970年代に建築をつくるために黒川紀章さんや磯崎新さんが引用していたニューサイエンスや哲学や社会学や民俗学や数学の言葉を、まちづくりへと援用している点が興味深い。かつて、単体の建築をつくる際の論理として援用していたさまざまな知見のうち、いくつかの概念はまちづくりの論理としても応用可能だということを教えてくれる。これが僕にとってもっとも新鮮だった点だ。この本によって、建築とまちづくりにおける論理構成の類似性を明確に理解することができた。
12:00から、同じく本郷にて東大の南後由和さんとランチミーティング。以前お会いした際にはなかなか話ができなかったシチュアシオニストやルフェーブルの話を楽しんだ。南後さんは、アンリ・ルフェーブルの理論から入って、シチュアシオニストに興味を持ち、さらにコンスタント・ニーベンホイスを調べるうちに、アルド・ファン・アイクやヨナ・フリードマンやセドリック・プライスに興味を持つようになったという。僕はまったくその逆で、当時流行っていたレム・コールハースに興味を持って、その思想を追いかけているうちにロシア構成主義、セドリック・プライス、ヨナ・フリードマン、チーム10などに興味を持ち、チーム10のなかでも理論派だったアルド・ファン・アイクに興味を持ち、その友人だったコンスタント・ニーベンホイスが気になって調べるうちにシチュアシオニストを知り、その理論的背景を担っていたアンリ・ルフェーブルに行き着いた。社会学と建築学を結ぶ線のうちの一つを、お互いに両端から辿ってきたんだな、という気がした。
14:00から、東大にて国土政策研究会のミーティング。最終報告書の構成とその内容について議論した。また、最終報告会へ向けてのプレゼンテーション内容についても確認した。報告会は3月3日。とても楽しいメンバーと一緒に研究会を進めることができた。それぞれの専門分野が少しずつ違うので、議論するうちにいろんなことを学ぶことができた。誘ってくれた大阪市立大学の瀬田史彦さんには大変感謝している。研究会の帰り道、東北大学の姥浦道生さんと「ぜひともこのメンバーで、引き続き研究会を続けたいね」という話になった。来年度もぜひ、みんなと研究会を開催したいものである。
18:00から、赤坂の博報堂にて筧裕介さんと「i+d workshop」の打合せ。東京ミッドタウンでの展覧会の準備、出版原稿のチェック、次年度の計画などについて話し合った。筧さんは社内でプロジェクトを位置づけるのがとてもうまい。社内のキーマンを味方につけて、プロジェクトを有利な方向へ導くだけでなく、一緒に仕事をするチームのメンバーもうまく集めてくる。こういう人がいるから、プロジェクトがぐんぐん前へ進むんだということを実感する。来年度も引き続き面白いことを一緒に進めていきたいと思う。
10:00から、本郷にて東大の橋本憲一郎さんとお話する。先日、橋本さんと山中新太郎さんが出版された『まちづくりのアイデアボックス』についていろいろお聞きする。この本は、これまでまちづくりの文脈では使われなかった用語や引用が多く盛り込まれていて、まちづくりに関する議論で使える「新しい言葉」をたくさん教えてくれる。特に、1970年代に建築をつくるために黒川紀章さんや磯崎新さんが引用していたニューサイエンスや哲学や社会学や民俗学や数学の言葉を、まちづくりへと援用している点が興味深い。かつて、単体の建築をつくる際の論理として援用していたさまざまな知見のうち、いくつかの概念はまちづくりの論理としても応用可能だということを教えてくれる。これが僕にとってもっとも新鮮だった点だ。この本によって、建築とまちづくりにおける論理構成の類似性を明確に理解することができた。
12:00から、同じく本郷にて東大の南後由和さんとランチミーティング。以前お会いした際にはなかなか話ができなかったシチュアシオニストやルフェーブルの話を楽しんだ。南後さんは、アンリ・ルフェーブルの理論から入って、シチュアシオニストに興味を持ち、さらにコンスタント・ニーベンホイスを調べるうちに、アルド・ファン・アイクやヨナ・フリードマンやセドリック・プライスに興味を持つようになったという。僕はまったくその逆で、当時流行っていたレム・コールハースに興味を持って、その思想を追いかけているうちにロシア構成主義、セドリック・プライス、ヨナ・フリードマン、チーム10などに興味を持ち、チーム10のなかでも理論派だったアルド・ファン・アイクに興味を持ち、その友人だったコンスタント・ニーベンホイスが気になって調べるうちにシチュアシオニストを知り、その理論的背景を担っていたアンリ・ルフェーブルに行き着いた。社会学と建築学を結ぶ線のうちの一つを、お互いに両端から辿ってきたんだな、という気がした。
14:00から、東大にて国土政策研究会のミーティング。最終報告書の構成とその内容について議論した。また、最終報告会へ向けてのプレゼンテーション内容についても確認した。報告会は3月3日。とても楽しいメンバーと一緒に研究会を進めることができた。それぞれの専門分野が少しずつ違うので、議論するうちにいろんなことを学ぶことができた。誘ってくれた大阪市立大学の瀬田史彦さんには大変感謝している。研究会の帰り道、東北大学の姥浦道生さんと「ぜひともこのメンバーで、引き続き研究会を続けたいね」という話になった。来年度もぜひ、みんなと研究会を開催したいものである。
18:00から、赤坂の博報堂にて筧裕介さんと「i+d workshop」の打合せ。東京ミッドタウンでの展覧会の準備、出版原稿のチェック、次年度の計画などについて話し合った。筧さんは社内でプロジェクトを位置づけるのがとてもうまい。社内のキーマンを味方につけて、プロジェクトを有利な方向へ導くだけでなく、一緒に仕事をするチームのメンバーもうまく集めてくる。こういう人がいるから、プロジェクトがぐんぐん前へ進むんだということを実感する。来年度も引き続き面白いことを一緒に進めていきたいと思う。
2009年2月12日木曜日
新世代建築家・デザイナー100人
エクスナレッジから出たムック「新世代建築家・デザイナー100人」にstudio-Lの仕事を紹介してもらいました。
新世代建築家・デザイナー100人
柳原さん、スペーススペース、ドットアーキテクツなど、わりと関西勢も紹介されていて面白い人選です。
新世代建築家・デザイナー100人
柳原さん、スペーススペース、ドットアーキテクツなど、わりと関西勢も紹介されていて面白い人選です。
2009年2月11日水曜日
雑記
2月8日(日)
午前中は大阪から山口県へ移動。
13:00にヴェルコリーヌ山口の販売センターに集合した山口大学の学生たちとワークショップの事前ミーティングを行う。集会所設計のためのワークショップを行うにあたって注意すべき点などを共有した。
15:00からワークショップだったが、参加者が思いのほかに少ない。自治会が成熟していないという問題や告知の問題、開催場所の問題、その他の問題など、いろいろな課題が考えられたが、集会所を建設する以前にコミュニティ形成をしっかりしなければならないことを実感。いろいろなことを学ぶことができたワークショップだった。
19:30の新幹線にて大阪へ向かう。22:00頃に梅田到着後、島根県海士町から視察に来ているメンバーと合流。なぜか梅田の焼肉屋で大盛り上がりだった。そのなかに入って焼肉を食べつつ、海士町の総合振興計画について話し合う。その後、場所をバーに移して午前3時ごろまで話し合う。特に総合計画策定のプロセスについて、僕たちが何を考えていて海士町役場職員や住民が何を考えていたのかについて議論した。それにしても楽しい人たちである。そして素直な人たちである。よそ者である僕たちを信じたいが、どう信じればいいのかわからない、という当初の葛藤をありのままに話してくれた。都市ではあやふやにされてしまうような「人と人との結びつき」を、自分が納得するまで確認したいという率直な会話のなかに、とても大切なものを見たような気がした。
2月9日(月)
朝からHEMにて多自然研の資料づくり。昼食は研究所長の林敏彦先生と研究員のみんなと一緒に食べる。昼食時に林先生から聞いた「夏目漱石による芸術的真実と科学的真実について」という話はとても興味深かった。特に建築のような芸術的側面と科学的側面を同時に背負って設計を進める職能にとって重要な話である。かつて絵画や文学の世界で模索された「自分にとっての真実とは何か」という問いは、まさに現在でも僕たちが模索し続けていることとほとんど同じだということに驚いた。
16:00から、兵庫県の県民会館にて中瀬勲先生と打合せ。多自然研の最終とりまとめにあたって、政策提言のあり方について相談した。都市部の若者を多自然居住地域へ送り込むための中間支援組織のあり方について考えるようアドバイスをもらう。現在の若者の多くは、田舎暮らしにあこがれて多自然居住地域に住みたがっている。また、研究者も論文を書くための集落へ入りたがっている。ところがこういう人たちのほとんどは3年くらいでまた都市へ戻ってくる。多自然居住地域にとって、その種の人たちは必要ないのである。集落をかき回して、いろいろ手伝ってもらって、3年したら集落を捨てて都市へ戻る。これまでそんなことを繰り返してきたのではないか。そろそろ、本気で多自然居住地域に住んで、新たな事業を興して、都市部ではできないような生活と仕事を展開するような若者を育てるべきだろう。そのための実践的な教育について言えば、現在の大学だけでできることではない。大学や研究所や集落が協力しながら、理論と実践を両方学べるようなプラットフォームをつくる必要がある。兵庫県は、集落の支援という意味も含めて、新しいタイプの仕事を生み出す若者を集落へ送り込むための組織をつくるべきだ、という提言をしようということになった。これまで考えてきた「集落支援機構」というアイデアが少し前進した。同時に、集落の健康状態を把握して、活性化や撤退について助言し、集落構成員とともにその方策を検討する「集落診断士」という職能についても提案した。今回の政策提言では、集落支援機構と集落診断士について具体的なビジョンを提示することにしたい。
2月10日(火)
15:00から、箕面森町にてワークショップ。箕面森町やダム事業地に関係する各主体(大阪府、箕面市、国土交通省、地元集落、小中学校、豊田通商、地元NPO)が集まって、これからのまちづくりについて話し合う。来年度以降、順次検討を進める具体的なプロジェクトを提示し、誰が主体的に取り組むのかについて話し合った。条件によるものの、概ねプロジェクトの主体が見えてきたことは大きな成果だったと思う。いずれの主体も、箕面森町およびその周辺地域に住む人たちが豊かな生活を実現できるように、それぞれのプロジェクトに参画しようとしていることが頼もしかった。今後、具体的な条件等について更なる検討が必要になるものの、共有する想いが確認できていれば大きく道を逸れることはないだろう。
2月11日(水)
10:00から、総合地球環境学研究所にて「撤退の農村計画」の打合せ。NPO法人化に向けて具体的な内容について話し合った。いずれも現在の集落が抱えている問題を解決するために、自分ができることは何かを見つけようとしている人たちが集まっているため、議論が創造的なのがうれしい。法人の名称をどうするか、役職をどうするか、会費などをどうするか、事業内容をどうするか、事務所の所在地をどうするか、事務局長をどうするかなど、かなり具体的な話を進めることができた。
午前中は大阪から山口県へ移動。
13:00にヴェルコリーヌ山口の販売センターに集合した山口大学の学生たちとワークショップの事前ミーティングを行う。集会所設計のためのワークショップを行うにあたって注意すべき点などを共有した。
15:00からワークショップだったが、参加者が思いのほかに少ない。自治会が成熟していないという問題や告知の問題、開催場所の問題、その他の問題など、いろいろな課題が考えられたが、集会所を建設する以前にコミュニティ形成をしっかりしなければならないことを実感。いろいろなことを学ぶことができたワークショップだった。
19:30の新幹線にて大阪へ向かう。22:00頃に梅田到着後、島根県海士町から視察に来ているメンバーと合流。なぜか梅田の焼肉屋で大盛り上がりだった。そのなかに入って焼肉を食べつつ、海士町の総合振興計画について話し合う。その後、場所をバーに移して午前3時ごろまで話し合う。特に総合計画策定のプロセスについて、僕たちが何を考えていて海士町役場職員や住民が何を考えていたのかについて議論した。それにしても楽しい人たちである。そして素直な人たちである。よそ者である僕たちを信じたいが、どう信じればいいのかわからない、という当初の葛藤をありのままに話してくれた。都市ではあやふやにされてしまうような「人と人との結びつき」を、自分が納得するまで確認したいという率直な会話のなかに、とても大切なものを見たような気がした。
2月9日(月)
朝からHEMにて多自然研の資料づくり。昼食は研究所長の林敏彦先生と研究員のみんなと一緒に食べる。昼食時に林先生から聞いた「夏目漱石による芸術的真実と科学的真実について」という話はとても興味深かった。特に建築のような芸術的側面と科学的側面を同時に背負って設計を進める職能にとって重要な話である。かつて絵画や文学の世界で模索された「自分にとっての真実とは何か」という問いは、まさに現在でも僕たちが模索し続けていることとほとんど同じだということに驚いた。
16:00から、兵庫県の県民会館にて中瀬勲先生と打合せ。多自然研の最終とりまとめにあたって、政策提言のあり方について相談した。都市部の若者を多自然居住地域へ送り込むための中間支援組織のあり方について考えるようアドバイスをもらう。現在の若者の多くは、田舎暮らしにあこがれて多自然居住地域に住みたがっている。また、研究者も論文を書くための集落へ入りたがっている。ところがこういう人たちのほとんどは3年くらいでまた都市へ戻ってくる。多自然居住地域にとって、その種の人たちは必要ないのである。集落をかき回して、いろいろ手伝ってもらって、3年したら集落を捨てて都市へ戻る。これまでそんなことを繰り返してきたのではないか。そろそろ、本気で多自然居住地域に住んで、新たな事業を興して、都市部ではできないような生活と仕事を展開するような若者を育てるべきだろう。そのための実践的な教育について言えば、現在の大学だけでできることではない。大学や研究所や集落が協力しながら、理論と実践を両方学べるようなプラットフォームをつくる必要がある。兵庫県は、集落の支援という意味も含めて、新しいタイプの仕事を生み出す若者を集落へ送り込むための組織をつくるべきだ、という提言をしようということになった。これまで考えてきた「集落支援機構」というアイデアが少し前進した。同時に、集落の健康状態を把握して、活性化や撤退について助言し、集落構成員とともにその方策を検討する「集落診断士」という職能についても提案した。今回の政策提言では、集落支援機構と集落診断士について具体的なビジョンを提示することにしたい。
2月10日(火)
15:00から、箕面森町にてワークショップ。箕面森町やダム事業地に関係する各主体(大阪府、箕面市、国土交通省、地元集落、小中学校、豊田通商、地元NPO)が集まって、これからのまちづくりについて話し合う。来年度以降、順次検討を進める具体的なプロジェクトを提示し、誰が主体的に取り組むのかについて話し合った。条件によるものの、概ねプロジェクトの主体が見えてきたことは大きな成果だったと思う。いずれの主体も、箕面森町およびその周辺地域に住む人たちが豊かな生活を実現できるように、それぞれのプロジェクトに参画しようとしていることが頼もしかった。今後、具体的な条件等について更なる検討が必要になるものの、共有する想いが確認できていれば大きく道を逸れることはないだろう。
2月11日(水)
10:00から、総合地球環境学研究所にて「撤退の農村計画」の打合せ。NPO法人化に向けて具体的な内容について話し合った。いずれも現在の集落が抱えている問題を解決するために、自分ができることは何かを見つけようとしている人たちが集まっているため、議論が創造的なのがうれしい。法人の名称をどうするか、役職をどうするか、会費などをどうするか、事業内容をどうするか、事務所の所在地をどうするか、事務局長をどうするかなど、かなり具体的な話を進めることができた。
2009年2月7日土曜日
ラウンドアバウトジャーナルの議論はなぜ「閉じている」と言われるのか。
20:00から、コモンカフェにて「けんちくの手帖」を開催。ゲストはラウンドアバウトジャーナルの藤村龍至氏と山崎泰寛氏。さすがに関西でも2人の人気は高い。けんちくの手帖始まって以来、初めてとなる80名の参加者がコモンカフェに集まった。先日のライブラウンドアバウトジャーナルでは、藤村氏が司会で僕は発表者のひとりだったが、今日は僕が司会で藤村氏が発表者の一人。ちょうど関係が入れ替わったことになる。
入れ替わった状態で、藤村氏はラウンドアバウトジャーナルの「手の内側」を明かしてくれた。「手の内側」というのは、先日のラウンドアバウトジャーナルで参加者の僕たちが明かすよう求められたテーマである。
ラウンドアバウトジャーナルの「手の内側」を明かしてくれた2人に対して、会場からは方法論に関する質問が多く寄せられた。中でも、「議論を次から次へとつなげていく」という方法は、その途中で議論に参加しようとする人にとってむしろ排他的な議論の内容になるのではないか、という意見が興味深かった。連続テレビ小説を途中から見せられるようなものだ。しかも、それまでのあらすじは伝えられない。むしろ「わからないやつは放っておくぞ、分かるやつだけ付いて来い」という態度。それでは、一連の議論に最初から参加している人だけが議論の内側に入ることができて、途中から参加しようとする人は常に蚊帳の外に置かれたような気分になるだろう。せめて「これまでのあらすじ」をPDFなどで読めるようにするとか、一連の議論のなかで恒常的に使われている特殊な用語(文脈に依存するような用語)は毎回説明を加えながら使うといった配慮がないと、結果的に「議論をつなげて終わらせないようにする」という意図は何のための意図かわからなくなる、という指摘だった。
さらに、そういう「議論のつなげ方」自体が、ラウンドアバウトジャーナルの議論が「閉じている」という印象を持たせることになっているのではないか、という指摘もあった。「これまでのあらすじ」も示さず、自分たちだけが文脈を理解している特殊な言葉で議論を続けるという態度(分かる人だけ分かればいいという態度)は、議論を終わらせず次へと繋げるという「手の内側」にとって有効な手法なのか、という問いである。
こうした質問に対して、藤村氏と山崎氏は「分かる人だけが分かればいい」「あらすじを示すつもりはない」「用語を平易にする必要はない」「議論が閉じているということは気にしない」という決意を新たにした。さらに、「議論が閉じているとか開いているという話題自体が面白くない」という話にもなった。
なぜ、ラウンドアバウトジャーナルの議論が「閉じている」と言われるのか。それは上記のような一連の構造が関係しているようだ。まず、彼らは議論をその都度ごとに切り分けたくないと思っている。だから、常に議論が続いているような場をつくろうとする。先日行われたライブラウンドアバウトジャーナルも、それ以前に行われたイベントから議論がつながっているという。そして、その議論は今回の「けんちくの手帖」につながった。今回の議論はさらに次のイベントにつながることだろう。そうやって、ずっと議論をつなげていくことで何度も同じような議論を繰り返すという無駄を排除しようとしている。
しかし、ずっと続く議論の内容は、その場にいなかった人に伝わりにくい。あらすじも伝えられない。となると、初めてラウンドアバウトジャーナルの議論に参加した人は会話について行きにくくなる。にも関わらず、一連の議論の文脈に依存したような用語の使用が多くなると、初めての参加者はますます話の内容が理解できなくなる。これは用語の難しさという話ではない。言葉の意味が独特の文脈に依拠しているため、その文脈を理解していない人はその意味内容を理解できないということである。その結果、初めて議論に参加した人たちは議論に排他的な力を感じてしまう。議論している人たちはそのつもりがなくても。。。「昨日のドラマみた?」「うん、見た見た」「圭吾くん、彼女にあれを言っちゃダメだよねぇ」というような話は、ドラマを見ていない人がいる場合は少し配慮が必要なんじゃないか、という話である。
あらすじも説明も無しで議論をつなげ続けると、排他的に感じる人がどんどん増える。その結果、ラウンドアバウトジャーナルの議論は閉じているんじゃないか、という話になる。それに対して、「用語が難しいと思うのなら勉強してから議論に臨め」とか「閉じているとか開いているとか言ってんじゃねぇ」というのは直接の答えになっていない。だからますます「やっぱり閉じてるなぁ」という感想を持つ人が現れるのだろう。さらに穿った見方をする人に至っては、「最初からドラマのストーリーを把握している人だけが、言葉の意味もこれまでの議論の内容も、すべてを把握していることになるはずで、結局それは藤村氏たち数名の主人公たちが有利に議論を進めるための手法なのではないか」と曲解してしまうだろう。そんないろいろな思惑が「議論が閉じている」という言葉のなかに含まれているのではないだろうか。司会者として、側面から会場とゲストとのやり取りを眺めながら以上のようなことを感じた。
しかし、だ。元を正せばラウンドアバウトジャーナルは藤村氏や山崎氏たちが自分たちで始めた活動である。自分たちが勉強しようと思っていろんな人たちを呼んで議論して、その内容を発信しているだけである。となれば、誰に遠慮する必要があろうか。極論すれば、自分たちが刺激を受けて、理解が深まって、仕事の方法が変化するような有意義な議論が展開できればそれでいいのではないか。そういうメディアにたまたま集まってきた人たちが、「途中参加者にも分かりやすいメディアにすべきだ」と吼えるのは少し違うのではないか、とも思うのである。
なんにしても、けんちくの手帖に出演しただけで80名もの人を集めてしまうほどの2人である。望むと望まざるとに関わらず、ラウンドアバウトジャーナルはすでに個人的な勉強会の枠を超えてしまったのだろう。本人たちは今でもプライベートな勉強の場だと感じているのかもしれないが、すでに規模が持つパブリックネスというものが発生してしまっている。だからこそ、「議論が閉じている」という指摘があるのだろう。関わる人の数が一定規模を超えたとき、不可避的に生じる公共性にどう対応するのか。ラウンドアバウトジャーナルがこれからどんなマネジメントを展開するのか、とても興味深い。
入れ替わった状態で、藤村氏はラウンドアバウトジャーナルの「手の内側」を明かしてくれた。「手の内側」というのは、先日のラウンドアバウトジャーナルで参加者の僕たちが明かすよう求められたテーマである。
ラウンドアバウトジャーナルの「手の内側」を明かしてくれた2人に対して、会場からは方法論に関する質問が多く寄せられた。中でも、「議論を次から次へとつなげていく」という方法は、その途中で議論に参加しようとする人にとってむしろ排他的な議論の内容になるのではないか、という意見が興味深かった。連続テレビ小説を途中から見せられるようなものだ。しかも、それまでのあらすじは伝えられない。むしろ「わからないやつは放っておくぞ、分かるやつだけ付いて来い」という態度。それでは、一連の議論に最初から参加している人だけが議論の内側に入ることができて、途中から参加しようとする人は常に蚊帳の外に置かれたような気分になるだろう。せめて「これまでのあらすじ」をPDFなどで読めるようにするとか、一連の議論のなかで恒常的に使われている特殊な用語(文脈に依存するような用語)は毎回説明を加えながら使うといった配慮がないと、結果的に「議論をつなげて終わらせないようにする」という意図は何のための意図かわからなくなる、という指摘だった。
さらに、そういう「議論のつなげ方」自体が、ラウンドアバウトジャーナルの議論が「閉じている」という印象を持たせることになっているのではないか、という指摘もあった。「これまでのあらすじ」も示さず、自分たちだけが文脈を理解している特殊な言葉で議論を続けるという態度(分かる人だけ分かればいいという態度)は、議論を終わらせず次へと繋げるという「手の内側」にとって有効な手法なのか、という問いである。
こうした質問に対して、藤村氏と山崎氏は「分かる人だけが分かればいい」「あらすじを示すつもりはない」「用語を平易にする必要はない」「議論が閉じているということは気にしない」という決意を新たにした。さらに、「議論が閉じているとか開いているという話題自体が面白くない」という話にもなった。
なぜ、ラウンドアバウトジャーナルの議論が「閉じている」と言われるのか。それは上記のような一連の構造が関係しているようだ。まず、彼らは議論をその都度ごとに切り分けたくないと思っている。だから、常に議論が続いているような場をつくろうとする。先日行われたライブラウンドアバウトジャーナルも、それ以前に行われたイベントから議論がつながっているという。そして、その議論は今回の「けんちくの手帖」につながった。今回の議論はさらに次のイベントにつながることだろう。そうやって、ずっと議論をつなげていくことで何度も同じような議論を繰り返すという無駄を排除しようとしている。
しかし、ずっと続く議論の内容は、その場にいなかった人に伝わりにくい。あらすじも伝えられない。となると、初めてラウンドアバウトジャーナルの議論に参加した人は会話について行きにくくなる。にも関わらず、一連の議論の文脈に依存したような用語の使用が多くなると、初めての参加者はますます話の内容が理解できなくなる。これは用語の難しさという話ではない。言葉の意味が独特の文脈に依拠しているため、その文脈を理解していない人はその意味内容を理解できないということである。その結果、初めて議論に参加した人たちは議論に排他的な力を感じてしまう。議論している人たちはそのつもりがなくても。。。「昨日のドラマみた?」「うん、見た見た」「圭吾くん、彼女にあれを言っちゃダメだよねぇ」というような話は、ドラマを見ていない人がいる場合は少し配慮が必要なんじゃないか、という話である。
あらすじも説明も無しで議論をつなげ続けると、排他的に感じる人がどんどん増える。その結果、ラウンドアバウトジャーナルの議論は閉じているんじゃないか、という話になる。それに対して、「用語が難しいと思うのなら勉強してから議論に臨め」とか「閉じているとか開いているとか言ってんじゃねぇ」というのは直接の答えになっていない。だからますます「やっぱり閉じてるなぁ」という感想を持つ人が現れるのだろう。さらに穿った見方をする人に至っては、「最初からドラマのストーリーを把握している人だけが、言葉の意味もこれまでの議論の内容も、すべてを把握していることになるはずで、結局それは藤村氏たち数名の主人公たちが有利に議論を進めるための手法なのではないか」と曲解してしまうだろう。そんないろいろな思惑が「議論が閉じている」という言葉のなかに含まれているのではないだろうか。司会者として、側面から会場とゲストとのやり取りを眺めながら以上のようなことを感じた。
しかし、だ。元を正せばラウンドアバウトジャーナルは藤村氏や山崎氏たちが自分たちで始めた活動である。自分たちが勉強しようと思っていろんな人たちを呼んで議論して、その内容を発信しているだけである。となれば、誰に遠慮する必要があろうか。極論すれば、自分たちが刺激を受けて、理解が深まって、仕事の方法が変化するような有意義な議論が展開できればそれでいいのではないか。そういうメディアにたまたま集まってきた人たちが、「途中参加者にも分かりやすいメディアにすべきだ」と吼えるのは少し違うのではないか、とも思うのである。
なんにしても、けんちくの手帖に出演しただけで80名もの人を集めてしまうほどの2人である。望むと望まざるとに関わらず、ラウンドアバウトジャーナルはすでに個人的な勉強会の枠を超えてしまったのだろう。本人たちは今でもプライベートな勉強の場だと感じているのかもしれないが、すでに規模が持つパブリックネスというものが発生してしまっている。だからこそ、「議論が閉じている」という指摘があるのだろう。関わる人の数が一定規模を超えたとき、不可避的に生じる公共性にどう対応するのか。ラウンドアバウトジャーナルがこれからどんなマネジメントを展開するのか、とても興味深い。
2009年2月6日金曜日
雑記
2月1日(日)
朝方までラウンドアバウトジャーナルの打ち上げ。翌日は9:00に品川のホテルを出発。羽田空港へ向かう。
11:30に伊丹空港で国土政策研究会のメンバーと待ち合わせ。亀岡市のバードタウンとローズタウンを視察。人口減少時代のニュータウンの有様を先取りしたような風景に興奮する。
午後からは、数年前にローズタウンで知り合った市原さんの自宅を訪れるために希望が丘住宅へ。ご自宅でローズタウンの成り立ちなどについてヒアリングする。
その後、箕面森町を視察。大阪府の地域共生事業と国土交通省のダム事業地社会実験事業との両方に関わっている場所だったが、今日は純粋にニュータウンとしての箕面森町を見て回る。
夕方から、大阪市立大学の梅田サテライトキャンパスに戻って研究会の打合せ。自治体の対応力をどう総合指標化するのか、報告書の構成をどうするのか、などについて議論した。
2月2日(月)
国土政策研究会のメンバーと視察のため、朝から大阪を出発して兵庫県佐用町へ。世帯数が少なく高齢化率が高い目高集落を視察する。その後、スギ・ヒノキ人工林が土砂崩れを起こした現場などを視察。昼食は佐用町名物のホルモン焼きうどんを食べる。これがなかなかおいしい。
16:00から佐用町役場にてヒアリング。まちづくり、財政、集落運営などについて実情をお聞きした。
19:00ごろに宿泊先へ。ロッジのような建物で、1階と2階にそれぞれ部屋がある。宿泊場所としては、なかなか雰囲気のいい場所だったが、この時期の客はほとんど居ない。夕食は鴨鍋。鍋自体もかなりうまいが、最後の雑炊がまたとてもおいしかった。
夜はロッジに戻って買い込んだ酒やつまみで語り合う。中心市街地活性化に寄与しようと、駅前の酒屋でビールやお茶を買ったのだが、なんといずれも賞味期限が2年前に過ぎている。少々のオーバーならなんとも思わないが、2年前に賞味期限が過ぎているというのは飲む気になれない。お客さんが来ないから賞味期限が切れた商品をそのままにしておくのか、それともこういうことをしているからお客さんが離れていくのか。中心市街地活性化とは、一筋縄に行かないものである。
2月3日(火)
午前中にいくつかの集落を回る。空き家になって放置された結果、自然倒壊に至った家屋などを見て回る。空き家は放置すると「山」になる、というのは本当だ。柱や梁が崩れ落ちて、それが腐って養分となり、草が生えてそのうち樹木も生えてくる。いつの間にか小さな小高い山がそこにできているように見えるのである。一方、空き家になってもほかの人に借りてもらって、家を管理してもらっていれば雨風が室内に入り込むこともないし、柱や床が腐ることもないし、倒壊することも草や樹木が生えることもない。空き家をどう取り扱うかによって、山をつくるか美しい町並みを保持するかが変わってくることを実感する。
午後からは佐用町のはずれにある播磨科学公園都市を見学する。特にスプリングエイトという施設を視察。特定の物質を高速で移動させるときに出てくる光をつかって分析を行う施設だという。大きな輪の形をした施設で、輪の内側には既存の山が保全されている。その形態がなかなか面白い。
15:00から、兵庫県の統計課にてヒアリング。統計課というところには、これまで知らなかったような統計資料がたっぷり保管されているようだ。ここから論文を量産できるのではないか、と思うような統計資料もたくさんある。改めて、統計課が持っている資料リストを眺めてみると、論文に使えそうなネタがいくつか見つかった。来年こそは、博士論文を書き上げなければ。。。
2月5日(木)
14:00から、スタジオにて「i+d workshop」の学生と個別ミーティング。博報堂の筧氏も参戦。各提案を最終発表会、展覧会、書籍に掲載するためにブラッシュアップする。特に書籍の入稿期限を考えると、そろそろ提案内容を固めなければならない。夕方までかけて4組の提案について検討した。
2月6日(金)
15:00から、大阪府庁会議室にて、泉佐野丘陵緑地の運営会議を開催。すでに募集が始まっているパーククラブの養成講座のあり方や、公園に関わる人たちが読むためのコンセプトブックのあり方などについて検討した。運営会議終了後、座長の増田先生を連れてE-DESIGNへ移動。新しく立ち上げたNPO法人パブリックスタイル研究所(RIPS)の活動方針などについて増田先生に報告する。
18:00から、E-DESIGNの近くのお店で増田先生の快気祝いを行う。出席者は、RIPSメンバーとランドスケープエクスプローラーのメンバー。特にランドスケープエクスプローラーのメンバーとは、かなり久しぶりの再会だった。増田先生が造園学会関西支部のなかに立ち上げた若手研究会がランドスケープエクスプローラーへと発展し、さらにそのメンバーがNPO法人パブリックスタイル研究所を設立するに至った経緯をみんなで共有し、各人の近況報告と今後の抱負について情報交換した。面白い人たちと知り合えたものだと、そのプラットフォームをつくってくれた増田先生に改めて感謝した。
朝方までラウンドアバウトジャーナルの打ち上げ。翌日は9:00に品川のホテルを出発。羽田空港へ向かう。
11:30に伊丹空港で国土政策研究会のメンバーと待ち合わせ。亀岡市のバードタウンとローズタウンを視察。人口減少時代のニュータウンの有様を先取りしたような風景に興奮する。
午後からは、数年前にローズタウンで知り合った市原さんの自宅を訪れるために希望が丘住宅へ。ご自宅でローズタウンの成り立ちなどについてヒアリングする。
その後、箕面森町を視察。大阪府の地域共生事業と国土交通省のダム事業地社会実験事業との両方に関わっている場所だったが、今日は純粋にニュータウンとしての箕面森町を見て回る。
夕方から、大阪市立大学の梅田サテライトキャンパスに戻って研究会の打合せ。自治体の対応力をどう総合指標化するのか、報告書の構成をどうするのか、などについて議論した。
2月2日(月)
国土政策研究会のメンバーと視察のため、朝から大阪を出発して兵庫県佐用町へ。世帯数が少なく高齢化率が高い目高集落を視察する。その後、スギ・ヒノキ人工林が土砂崩れを起こした現場などを視察。昼食は佐用町名物のホルモン焼きうどんを食べる。これがなかなかおいしい。
16:00から佐用町役場にてヒアリング。まちづくり、財政、集落運営などについて実情をお聞きした。
19:00ごろに宿泊先へ。ロッジのような建物で、1階と2階にそれぞれ部屋がある。宿泊場所としては、なかなか雰囲気のいい場所だったが、この時期の客はほとんど居ない。夕食は鴨鍋。鍋自体もかなりうまいが、最後の雑炊がまたとてもおいしかった。
夜はロッジに戻って買い込んだ酒やつまみで語り合う。中心市街地活性化に寄与しようと、駅前の酒屋でビールやお茶を買ったのだが、なんといずれも賞味期限が2年前に過ぎている。少々のオーバーならなんとも思わないが、2年前に賞味期限が過ぎているというのは飲む気になれない。お客さんが来ないから賞味期限が切れた商品をそのままにしておくのか、それともこういうことをしているからお客さんが離れていくのか。中心市街地活性化とは、一筋縄に行かないものである。
2月3日(火)
午前中にいくつかの集落を回る。空き家になって放置された結果、自然倒壊に至った家屋などを見て回る。空き家は放置すると「山」になる、というのは本当だ。柱や梁が崩れ落ちて、それが腐って養分となり、草が生えてそのうち樹木も生えてくる。いつの間にか小さな小高い山がそこにできているように見えるのである。一方、空き家になってもほかの人に借りてもらって、家を管理してもらっていれば雨風が室内に入り込むこともないし、柱や床が腐ることもないし、倒壊することも草や樹木が生えることもない。空き家をどう取り扱うかによって、山をつくるか美しい町並みを保持するかが変わってくることを実感する。
午後からは佐用町のはずれにある播磨科学公園都市を見学する。特にスプリングエイトという施設を視察。特定の物質を高速で移動させるときに出てくる光をつかって分析を行う施設だという。大きな輪の形をした施設で、輪の内側には既存の山が保全されている。その形態がなかなか面白い。
15:00から、兵庫県の統計課にてヒアリング。統計課というところには、これまで知らなかったような統計資料がたっぷり保管されているようだ。ここから論文を量産できるのではないか、と思うような統計資料もたくさんある。改めて、統計課が持っている資料リストを眺めてみると、論文に使えそうなネタがいくつか見つかった。来年こそは、博士論文を書き上げなければ。。。
2月5日(木)
14:00から、スタジオにて「i+d workshop」の学生と個別ミーティング。博報堂の筧氏も参戦。各提案を最終発表会、展覧会、書籍に掲載するためにブラッシュアップする。特に書籍の入稿期限を考えると、そろそろ提案内容を固めなければならない。夕方までかけて4組の提案について検討した。
2月6日(金)
15:00から、大阪府庁会議室にて、泉佐野丘陵緑地の運営会議を開催。すでに募集が始まっているパーククラブの養成講座のあり方や、公園に関わる人たちが読むためのコンセプトブックのあり方などについて検討した。運営会議終了後、座長の増田先生を連れてE-DESIGNへ移動。新しく立ち上げたNPO法人パブリックスタイル研究所(RIPS)の活動方針などについて増田先生に報告する。
18:00から、E-DESIGNの近くのお店で増田先生の快気祝いを行う。出席者は、RIPSメンバーとランドスケープエクスプローラーのメンバー。特にランドスケープエクスプローラーのメンバーとは、かなり久しぶりの再会だった。増田先生が造園学会関西支部のなかに立ち上げた若手研究会がランドスケープエクスプローラーへと発展し、さらにそのメンバーがNPO法人パブリックスタイル研究所を設立するに至った経緯をみんなで共有し、各人の近況報告と今後の抱負について情報交換した。面白い人たちと知り合えたものだと、そのプラットフォームをつくってくれた増田先生に改めて感謝した。
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