2005年2月6日日曜日

「政(まつりごと)」

僕がイメージする「半島」を遥かに凌ぐ巨大な半島が大阪の南に横たわっている。紀伊半島。和歌山県・奈良県・三重県を取り込む巨大な半島の幅は約100km。これが半島なんだとすれば、中国地方全体だって同じく半島のスケールだと言えなくも無い。

大阪からこの半島の先端を目指す。目的地は和歌山県の新宮市。毎年2月6日に実施される「お燈祭り」が有名な街だ。「お燈祭り」は、松明を持った白装束の男たちが山の上から走り降りるダイナミックな祭りである。この祭りを見るため、大阪から和歌山、白浜、串本を経て新宮へと向かった。

特急で3時間半。祭り当日の午後3時、新宮駅に降り立つ。しかし、駅前に祭りを感じさせるものは何一つ無い。観光案内所で今日が祭りの日であることを確かめなければ不安になるほどの静けさである。

地元の人は「お燈祭りは見る祭りではない。参加する祭りだ。」と言う。事実、地元の人でなくても祭りに参加することができる。観光客がバスでやってきて、白装束に着替えて祭りに参加することも多いという。地域性にこだわらない、一風変わった祭りである。

しばらく街を歩くと、白装束に松明を持った人に会う頻度が少しずつ高まる。時刻が遅くなるにつれて、どこからともなく白装束の男性が集まってくる。目指すは阿須賀神社、熊野速玉大社、妙心寺の3ヶ所。祭りの参加者は、独特の白い服で3つの寺社をお参りした後、祭りの舞台である神倉神社へと向かう。

途中、他の参加者とすれ違う際には、手にした松明をお互いにぶつけ合いながら「頼むで!」と声をかける。何を頼んでいるのかは不明だが、祭りのクライマックスに向けて気分が高まることは確かだ。高まりすぎて喧嘩が起きることも多い。手にした松明で殴りあう光景を何度か目にした。仲間が殴られると集団同士の殴り合いが始まる。真っ赤に染まった白装束のまま神倉神社へと登る人もいる。

神倉神社の前には小さな川が流れていて、そこに太鼓橋がかかっている。祭りの参加者以外は、橋の手前で男たちの帰りを待つことになる。気分が高まった男たちは、太鼓橋を渡ってからも喧嘩を続ける。整列した機動隊が持つジュラルミンの盾を松明で殴りながら山を登っていく。


松明をぶつけ合う


機動隊

すべての参加者が山の上にある神倉神社へ登った午後8時。2000人の参加者が持つ松明に火が灯される。神社の門が一端閉じられ、辺り一面が松明の火で覆われる。男たちの興奮が絶頂に達する。

そして開門。大きな歓声とともに、2000人の男が松明を持って山を駆け下りる。火の川が山を流れ落ちるような光景である。


神倉神社から駆け下りる2000人の参加者

というのは、僕の想像である。実際に見たわけではない。写真も僕が撮影したものではない。祭りの参加者ではない僕は、神倉神社の太鼓橋から先へ入ることはできなかったのである。

太鼓橋の手前に立つ僕が目にしたのは、すでに山から駆け下りた後で、手に持った松明も燃え尽きて、興奮も冷めてしまった男たちが、ゾロゾロと列を作って歩いている姿である。神倉神社を登る前の興奮した男たちは、山から下りてくる頃にはまるで別人と化していた。燃え尽きた松明と同様に、男たちもすっかりおとなしくなってしまっていたのである。

「祭り」とは、時の為政者が民衆のフラストレーションを爆発させるための装置であった、という話を聞いたことがある。酒を飲んだり喧嘩したりして日常の不満や怒りを発散することができる祭り。民衆の怒りが為政者へと向かわないようにするガス抜きは、為政者にとって重要な「政(まつりごと)」のひとつだったのだという。

酒を飲んで、喧嘩して、暴れて、駆け下りて、燃え尽きる。僕が見る限り「お燈祭り」の参加者は為政者の思惑通りに行動していた。松明で機動隊に殴りかかっていた人でさえ、為政者が仕組んだ「祭り」という装置にまんまと転がされていたのである。

まちづくりの現場で「真の住民参加を」という言葉を耳にすることがある。まちづくりのワークショップで、住民同士の激しい議論を目にすることもある。しかし、住民参加型ワークショップというフレームも、為政者が作り出した新たな政(まつりごと)なのである。そのフレームの内部で「ガス抜き」させられている限り、生活者が主体的に街をつくることなんてないのかもしれない。

燃え尽きた男たちの後姿を見ながら、僕は「住民参加のまちづくり」という政(まつりごと)の胡散臭さについて考えていた。

山崎

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