夕方から「けんちくの手帖」にコーディネーターとして出席する。ゲストはテクノスケープを研究する岡田昌彰さん。
岡田さんは、なぜ自分がテクノスケープに興味を持つようになったのか、テクノスケープとはどういうものなのか、工業風景や東京タワーに対する市民の評価がどう変遷したのか、などについて分かりやすく説明してくれた。
続くディスカッションでは、工場の風景に価値を見出したとして、それをどう保存・活用するのかについて話し合った。アメリカのシアトル市にある「ガスワークス・パーク」は、当初工場敷地を市に寄贈したエドワード氏の名前を取って「エドワードパーク」という名前にしようとしていた。しかし、工場をそのまま残した公園にするという計画案を嫌ったエドワード氏の家族が「エドワードパーク」という名前を使わないで欲しいと申し出たことから「ガスワークス・パーク」という名前になったという。
工場風景は必ずしもポジティブに評価されるばかりではないため、その価値をどのように人々へ伝え、理解してもらい、ファンになってもらうかが重要である。「ガスワークス・パーク」を計画・設計するにあたって、ワシントン大学のリチャード・ハーグ氏は工場の価値を説くシンポジウムを何度も開催したという。僕らが工場を公園として活用するときも、同じような価値の啓発が必要になるだろう。
その他、「工場を公園として利用する際の安全面について」「郊外の住宅地の風景が今後価値を持ちうるか」「工場や住宅を壊していくプロセス自体を公園のプログラムとして活用できないか」などといった議論がなされた。
来場者は60人。狭いカフェには多すぎるほどの人数である。岡田さんの人柄が多数の来場者を惹きつけたのは間違いないが、テクノスケープという言葉が「気になる言葉」になりつつあるのもまた確かなようだ。
工場はすでに懐かしい対象になりつつある。今後、郊外の何気ない集合住宅が多くの郊外居住経験者の原風景としてノスタルジーを呼び起こす対象となるのかどうか。人口減少社会の郊外住宅地に興味を持つ僕としては、公団スタイルの住宅の景観的価値をどう取り扱うか(そもそもそこに価値を見出せるか)が気になっている。
郊外住宅地の風景
僕は懐かしい風景だと思うのだが、これは果たして僕ら世代に一般的な感覚なのだろうか。
山崎
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