島根県の隠岐に海士町という町がある。島根県の境港から船で3時間の沖合いに浮かぶ島だ。海士町はさまざまな取り組みによって多くの行政体から注目されている町である。その取り組みのひとつに「AMAワゴン」というものがある。海士町からマイクロバスを出して上京し、日本各地の若者を拾いながら海士町まで戻ってくるのである。拾われた学生たちは海士町の中学校で出前授業を行い、都市部の大学生と島の中学生との交流を促進する。東京の一橋大学の学生たちが考え出した仕組みだという。
studio-Lの面々が今回の出前授業を担当することになった。出前授業の講師役はstudio-Lの西上。スタッフ総出でこれをサポートする。また、スタジオに関わる学生も多数海士町に乗り込む。
どうせ島根県まで行くのなら、1日早く出発してどこか寄り道しようという話になった。そういえば、年度末の仕事を終えて以来どこにも出かけていない。社員旅行のつもりで寄り道するのも悪くない。そんな話で寄り道先に選んだのが三徳山の投入堂。急峻な崖に作られたお堂だ。これを世界遺産にしようという動きもあるらしい。以前から見に行きたいと思っていたお堂である。
午前8時に大阪を出て、途中いくつか寄り道しつつ、三徳山に付いたのは午後3時。さっそく山を登りに行く。この山が思いのほか急峻で、歩けど歩けど投入堂にたどり着かない。かつては修行僧が修行のために使っていたルートだというだけあって、本気で山を登らなければたどり着けないお堂だった。1時間半ほど山登りした後に、崖に絶妙なバランスで収まる投入堂を拝観した。信じられないようなバランスである。よくこれまで崩れ落ちなかったな、というのが最初の感想。少し強めの地震が起きれば、いとも簡単に崩れ落ちて手前の崖を滑り落ちていくようなお堂である。場所の選び方やお堂の構造や材料の選定など、どれほど考え抜けばこうした建築物が建てられるのかと、ただただ感心するばかりである。
しかし、しばらくすると別の考え方が脳裏をよぎった。ひょっとしたら、日本中にこうした「きわどい」お堂はいくつも建てられてきたのかもしれない。いつの時代にも、ぎりぎりの場所にお堂を建てる修行があり、極限に調整する修行僧がいたのだろう。しかし、そのほとんどは風水害や地震などによってもろくも崩れ去った。いま目にすることができるのは、奇跡的にこれまでいかなる災害にもあわず、修復を繰り返してその姿をとどめているわずかな生き残りではないか。建てる場所やお堂の構造について特別なことを考えたのではなく、星の数ほど建てられたお堂のなかでたまたま災害にあいにくい場所に建ったのがこのお堂だったのではないか。そんなことを考えた。
いくら優秀なお坊さんや大工さんが集まったとしても、1000年や2000年先まで残るような崖に建つお堂を「計画的に」つくることは不可能だろう。このお堂は、何百、何千と作られた「きわどい」お堂のうち、たまたまどんな災害にもあわなかった奇跡的なお堂なのかもしれない。
ややダーウィニズムに過ぎるかもしれないが、そんなことを考えながら三徳山を下山した。
山崎
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