移動中に楽しんでいたDVD版『翔ぶが如く』を見終わった。
政治を志すということは、多かれ少なかれ賛同者と批判者を生み出すということであり、その栄光と非難を同時に受け止めるということなのだということを実感する。それは現代でも変わらないのだろう。
町長になって新規職員の採用を見送ると決断すれば、財政負担に嘆く人は賛成するだろうけど役場職員になりたがっていた人たちからは非難される。職員の給与を30%カットすると決断すれば、役場職員の高所得を批判していた民間人たちからは賛同されるだろうけど当事者たちからは非難される。
こうした非難が度重なり、その規模が国家レベルになると、その指導者たちは暗殺されたり戦争で殺されたりしてしまうことになる。現在の政治家も、かなりの批判を浴びせられながら政治活動を行っている。ネットで気軽に政治家の悪口を書けるような環境が整った現在、政治家は油断すればどこでも自分の悪口を目にすることになる。自律神経を自ら麻痺させ、誰の意見にも耳を貸さないという精神力で突っ走らなければ気が変になってしまうことだろう。こうした環境に生きることは、本人の性格を変えてしまうことにもなりかねない。国民の意見を聞くことが大切だと考えていても、耳を傾けていると自分に対する膨大な批判も入ってきてしまう。結果的に、耳をふさいで「己の信念のみを信じる」という態度になってしまうのもわかる。
ところが、国民は政治的意思決定に参加したがっている。そのほうが幸せになれるという研究もある。にも関わらず、政治家は国民の意見に耳を貸さない。貸せば国民に喜ばれることも分かっているのだが、同時に自分に対する悪質なほどの批判が耳に入ってくることも知っているから。
国民が政治的意思決定に参加して幸福になることができる社会を築くためには、何よりも国民自身が懸命になって無意味な政治家批判を避けることが肝要なのかもしれない。国民と政治家との良好な関係こそが、両者を幸せな人生へと導くための基盤なのだろう。
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