2004年10月29日金曜日

「archiforum」

不思議な経緯で、今期の「archiforum」におけるコーディネーター役の末席を担当することになった。ランドスケープがテーマだということなので、以前から考えてきた「マゾヒスティック・ランドスケープ」について建築家の方々と語り合う場にしたいと思う。

マゾヒスティック・ランドスケープについて議論するのであれば、まずは「負ける建築」を書いた隈研吾さんと話をしてみたい。ということで、第1回は隈さんにお越しいただくこととなった。以降、第2回には「ランドスケープを包囲する建築」について語る塚本さん、第3回には「弱い建築」を目指す藤本さんが来てくれるとのこと。

第4回以降については、ヨーロッパにおけるランドスケープの動向に詳しい槻橋さん、「非作家性の時代」を生きる曽我部さん、「環境ノイズエレメント」を調査する宮本さんなど、魅力的な方々が出演を了承してくれている。感謝、感謝。

以下、来月のアーキフォーラムに関するお知らせ。

■archiforum
 マゾヒスティック・ランドスケープ
 ~獲得される場所を目指して~

『ランドスケープは犠牲者でもないし、都市に対立するものでもないし、人々を癒すものでもない。食われてしまうべきものだ。』
アドリアン・ヒューゼ/WEST8
そもそも、ランドスケープとは、本質的にマゾヒスティック(被虐的)な素養をもった対象なのかもしれない。ここでいうランドスケープとは、ロマン主義的な庭園風景のことではなく、アーバニズムとしてのランドスケープを指している。現在、日本の都市空間を眺めてみると、新しいパブリック・スタイルとも言える行為や空間が胎動しつつあることに気づく。そこには、巧みなまでに環境を読み取って、自分の居場所を見つけている人々の姿がある。このことは、これまでの「公共空間」をかたちづくってきた一元的なシステムの限界や市民の多様な欲求にもとづく「私的領域」の変化を示しているのかもしれない。すなわち、ランドスケープにおいて、“与えるもの”から“獲得されるもの”へと変化していくアプローチが求められており、その中で建築との関係性の再考も必要となっている。
<負ける>、<弱い>、<意気地なし>、<いたれりつくせりでないこと>という言葉で語られつつある建築。
今回のアーキフォーラムでは、様々な建築家の方々を中心にお招きし、ご自身の作品などのプレゼンテーションとそれを受けたディスカッションを通じて、都市空間にマゾヒスティックな状況を引き起こすデザインアプローチの可能性について考えていきたいと思う。

Vol.01/11月27日(土)
ゲスト:隈研吾氏「負ける建築」
Vol.02/12月04日(土)
ゲスト:塚本由晴氏「建築の経験」
Vol.03/01月29日(土)
ゲスト:藤本壮介氏「Space of No Intention」

今後のゲスト予定(敬称略):
槻橋修、曽我部昌史、宮本佳明、五十嵐太郎、長坂大、遠藤秀平ほか

コーディネーター:
忽那裕樹(株式会社E-DESIGN主宰)
長濱伸貴(株式会社E-DESIGN主宰)
山崎亮(株式会社SEN環境計画室所属)

山崎

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