ゆっくり作り続けるプロジェクトに興味がある。例えばバルセロナのサグラダファミリア。技術的には20年で完成するようだが、資金集めを考えると今後200年ほど続くプロジェクトなのだという。
サグラダファミリアのプロジェクトにおいて、設計図はどういう役割を果たしているのだろうか。財源はどうやって確保しているのだろうか。人材はどのように育てているのだろうか。「ゆっくり作り続ける」ということは、カタチの問題だけではない苦労が付きまとう。そういった諸々のことを僕は知りたいと思っている。
インドの南部に位置するオーロヴィル。ここは環境実験都市と呼ばれている。哲学者スリ・オールビンドの考えに従って、弟子のミラ・アルファッサが作り始めた都市だ。環境都市の建設に対しては、インド政府だけでなく国連のユネスコもたびたび援助している。
アメリカのアリゾナに位置するアーコサンティ。パオロ・ソレリという建築家が先導する自力建設都市。当然、環境にも配慮している。ソレリの造形哲学は「アーコロジー」というもの。建築とエコロジーを組合わせた彼の造語である。
日本では、代官山のヒルサイドテラス(槇文彦氏)や八王子の大学セミナーハウス(吉阪隆正氏)のプロジェクトが「ゆっくりつくり続ける」という側面を持っている。特に吉阪氏の「不連続統一体」というコンセプトは、それ自体に「ゆっくり作る」という考え方が含まれているようで興味深い。
ただし、どのプロジェクトにも「作り続ける」ための方向性を示す人が存在している。それはガウディであり、アルファッサであり、ソレリであり、槇であり、吉阪である。「作り続ける」ためには、作る側の強烈な牽引者が必要なのだろうか。参加者が主体的に作り続けることによって空間が自己組織化されていくようなプロセスは望めないのだろうか。
クリストファー・アレグザンダーは、具体的な図面を示さず「作り続けるプロセス」に方向性を示そうと努力した人だといえる。建設に携わる人たちが相談して空間のあり方を決める。その際に使われる「パタンランゲージ」というルールブックは、空間を生み出すときに留意すべき項目だけを示している。
ただし、パタンランゲージにはアレグザンダーの好みが大いに反映されている。全編を通して歴史回顧主義的な空間を勧める記述が目立つのである。
あと1歩、何かが足りない。「作り続ける」プロセスに参加する人すべてが主体的に関わることのできるプロジェクト。そんなプロジェクトは理想的過ぎるのだろうか。カリスマ設計者が描いた空間の実現を手伝うだけではなく、かといって「様式」を強要するルールブックに従って作るわけでもない方法。
そこにこそ、ユニセフパークプロジェクトが作り続けるプロジェクトになるための答えが隠されているような気がする。
山崎
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