2004年12月4日土曜日

「やり方とあり方」

INAX大阪で開催されたアーキフォーラムにコーディネーターとして参加する。ゲストは塚本由晴さん。

あらかじめ1つのお願いを伝えておいた。塚本さんは過去のアーキフォーラムに何度も出演している。自作であるアニハウスやミニハウスやガエハウスについては、既に何度もプレゼンテーションしているのだ。一方、今回のテーマはランドスケープである。今回もいままでと同じように自分が設計した住宅を中心に話すのであれば、テーマがランドスケープである意味はないだろう。だから今回は、塚本さんが普段撮っている風景や建築の写真を通じて、ランドスケープをどう見ているのか、建築をどう体感しているのかを語って欲しいとお願いした。

簡単に言えば、自分の建築作品を使わずにプレゼンテーションして欲しい、というわけだ。塚本さんはこの条件を快諾してくれた。新しいプレゼンテーションに挑戦するつもりだという。アニもミニもガエも使わずに建築やランドスケープを語ってくれるというのだ。

講演のタイトルは「建築の経験」。建築の「あり方」とそこでの「やり方」とが一致しているとき、そこに豊かな建築の経験が育まれるというのが塚本さんの論旨だ。建築の形態と、その建築におけるマネジメントの整合性と言えば整理しすぎだろうか。塚本さんは以下のような例を挙げて「やり方」と「あり方」が一致した建築の体験について語った。

コスタリカのポルトビエホにあるホテルでの経験。このホテルは、熱帯雨林に生える樹木のうち、幹の直径が20cm以下のモノだけを伐採して確保したランダムな敷地に建てられている。ホテルといっても小さなコテージが熱帯雨林の中に分散しているだけの設え。コテージは屋根とデッキと蚊帳で構成される簡単なものである。

熱帯雨林では、室内と屋外を仕切る壁が要らない。虫の侵入を防ぐために蚊帳を吊るだけでいい。スコールに備えて簡素な屋根があり、地面を踏み固めないようにデッキがあれば、そこに蚊帳を設置して寝泊りできる。屋根は猿がいたずらして椰子の実を落とすため、弾力性のあるテント地で作られている。

熱帯雨林でのアクティビティはインストラクターが教えてくれる。高い木々の間を空中移動するアクティビティは専門のインストラクターの指導が不可欠だ。ところがこのインストラクター、夜になると厨房で料理を作っているという。1人が何役もこなすことで簡素なホテルの経営が成り立っているようだ。そのせいだろうか、無駄な設備はほとんど見当たらなかったという。

ホテルの「やり方」と「あり方」とが一致している。だからこそ豊かな建築の経験を味わうことができたのだ、と塚本さんは言う。その他、印象に残った建築の経験は以下のとおり。

・福岡県の「元祖長浜屋」。店に入ることがラーメンを1杯注文することを意味する。残された言葉は「麺の固さ」と「スープの濃さ」の指定だけ。作る人と食べる人の協働が見られる。

・ボストンのボールパーク。野球場の中にいろいろなお店や広場があって、凝縮された都市のように感じる。「野球好き」という共同性があるため、ボールパークのランドスケープは楽しげに見える。

・ストックホルムの湖水浴施設。北欧の短い夏を楽しむための施設。水に飛び込んだり日光浴をしたりするための建築で、自己責任による利用が前提となっている。管理は受付のおじさん2人が掃除をする程度。

・ストックホルムの水上カフェ。河川沿いを歩く人も水上に船を浮かべる人も立ち寄るカフェで、陸上と水上の人の間にちょっとしたコミュニケーションが発生する。

・シアトルの図書館。コールハースが設計した巨大な図書館には、随所にパブリックスペースが設けられている。そこでは職種や人種に関係なくいろいろな人が時間を過ごすしている。また、司書のサポートもレベルが高い。

一方、日本のパブリックスペースはほとんどが商業化してしまっている、と塚本さんは指摘する。お金を払わずに「ただ居られる場所」というのがますます減っているのではないか。渋谷の街や六本木ヒルズや難波パークスは、自分が責任を持たなくても誰かが掃除をしてくれる都合のいい「擬似公共空間」である。この種の公共空間に飼いならされると、人々は自分からアクションを起こそうという気持ちを忘れてしまう。そんな問題意識から、塚本さんは都市空間の実践を取り戻すべくさまざまなインスタレーションを行う。ホワイトリムジン屋台やファーニサイクル、コタツパビリオンなどは、参加者に空間の実践を楽しんでもらうための「きっかけ」なのである。

僕たちが考えている「自己責任の風景」や「獲得される場所」も同じ考え方だ。利用者が自分で獲得したと思える場所が都市に増えれば、無責任で無関心な風景が少しは改善されるのではないか。そのためには、デザイナーがサディスティックに空間を規定し続けるのではなく、ユーザーが空間を使いこなすためのきっかけを設定するようなアプローチが求められる。ユーザーに改変されてしまう空間を提供すること。改変されることを喜ぶ風景。僕たちは、そんな風景のことを「マゾヒスティックランドスケープ」と呼んでいる。

ところが塚本さんは「マゾヒスティックランドスケープ」という言葉から違う印象を受けたという。郊外や中山間に見られるようなケバケバしい看板や無機質な団地が並ぶ風景。痛めつけられて壊れてしまった風景。マゾヒスティックランドスケープという言葉からは、そんなイメージが立ち現れるような気がする、という。

代わりに塚本さんが提案したのは「セレブレーションランドスケープ」という言葉。祝福するランドスケープである。利用者を祝福し、迎え入れ、仲間になるようなランドスケープが、利用者の主体性を引き出すきっかけになるのではないか。塚本さんがストックホルムを訪れたとき、自分が街全体から祝福されているように感じたことが印象深かったという。

「マゾヒスティック」か「セレブレーション」か。正反対とも思える2つの言葉が共有しておかなければならないのは、そこでの「やり方」と「あり方」の一致だろう。往々にしてこれまでの建築は「あり方」だけで問題を解決しようと苦心してきた。そんな「力技の建築」を超えて、建築の「あり方」をそこでの「やり方」に一致させるべきだと思う。

アニハウスやミニハウスなどの自作を使わないプレゼンテーションは、塚本さんにとって初めての経験だったそうだ。だから過去に使ったプレゼンテーションのデータを転用することができない。画像と言葉を1つずつ選びながら、ゆっくりとプレゼンテーションが進められた。新しい画像のサイズを変更させたり回転させたりしながら、建築の経験について語る塚本さん。段取りが悪いという指摘もあった。でも僕は、そういう塚本さんの「やり方」を通して、塚本さんの「あり方」が以前よりも理解できたような気がした。その意味でなかなか興味深いプレゼンテーションだったと思う。

塚本さんがますます身近な存在に感じられた1日だった。そのせいだろうか。この後、夜中の3時まで塚本さんと飲みに歩くことになる。


塚本由晴さん

山崎

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