2008年12月1日月曜日

島の幸福論

いま、島根県の隠岐にある海士町という町の総合計画策定を手伝っている。住民と行政が一緒になって検討している総合計画で、合宿して2日間ずっと議論し続けたり、毎晩のように集まって計画の内容を検討したりしている。先日、この総合計画の全体テーマが「島の幸福論」ということに決まった。とてもいいテーマになったと感じている。

「東京に追いつけ、追い越せ」というベクトルで地域開発を行っても、東京には到底勝てないし、追いつけないし、エコじゃないし、何よりちょっとダサい。そうじゃなくて、島ならではの幸福を見つけ出して、東京や大阪などの大都市では実現不可能な生活像をしっかりと確立して、大都市とは全然違ったベクトルで、違った方向へ突き進んでいくのが離島ならではの戦略になるんじゃないかと思っている。

一般的に、東京や大阪に住む人は地方に比べて所得と学歴が高いと言われている。所得と学歴。この2つは密接に関係している。高い所得を得るために高い学歴が必要になるのだから。じゃ、高い所得を得て何を手に入れたいと思っているのか。たとえば広い家。あるいは豊かな環境。または新鮮で安全な食材。そして、できれば殺伐とした人間関係ではなく、暖かい人間関係にはぐくまれたコミュニティもほしい(これは都市部でなかなか手に入らないのだが)。

そのために、都市部に生きる人たちはかなりのお金を使っている。東京で広い家がほしい。庭もほしいということになればかなりのお金が必要になる。自分の家や庭だけでなく、周辺にも豊かな自然環境がほしいと思えば、さらに住む場所が限定されるし、そういうところは地価が高い。ますますお金が必要になる。有機野菜など新鮮で安全な食材を手に入れようと思えば、普通の野菜の3倍くらいのお金が必要になる。豊かな人間関係に至っては、お金を出して手に入れられるものではないことが多い。周囲を高い塀で囲まれて安全に暮らせるゲーテッドコミュニティで良好な人間関係がはぐくまれるかどうかは分からないが、そういう場所に住もうと思えばまた、お金が必要になる。

以上のような生活を都市部で実現しようと思えば、当然お金がたくさん必要になる。だから、お金がたくさんもらえるような仕事を選ばなければならない。当然、自分が好きなことをして生きていくというのは難しい。自分が好きなことじゃないけどお金をたくさんもらえる仕事を選ばなければ、広い家、豊かな自然環境、有機野菜、コミュニティなどは手に入らない。

さらに、自分が好きじゃない仕事に就くとしても、高学歴でないと高収入にならないのが都市の論理。自分も高学歴でなければならないし、将来自分の面倒を見てくれる(はずの)子どもたちにも高学歴であってもらわなければ困る。結果的に、子どもにもたっぷり教育費をかけなければならなくなる。私立の学校、学習塾、家庭教師、各種稽古、補助教材。これにも相当なお金がかかる。

広い家と庭、豊かな自然環境、新鮮で安全な食材、良好なコミュニティ、ハイレベルな教育費。こうしたことにお金をたくさん使うから、都市部では月給がいくら高くてもほとんどお金は残らない。

一方、地方はすでに広い家、豊かな自然環境、新鮮で安全な食材、良好なコミュニティを手に入れている。そのためにたくさんのお金を用意する必要がない。だから、とりたてて高学歴になる必要もない。都市部で高学歴・高所得になっても、そのお金をつぎ込んで家や自然や食材やコミュニティや高等教育を手に入れようとすれば手元にお金は残らないし、そもそもすべてを手に入れるのは相当難しい。そうであれば、お金をかけずにそれらが手に入る場所で好きな仕事をしながら生きていくほうがいいぜ、っていう価値を打ち出すこともできるだろう。それこそが、今回の「島の幸福論」のベースにある考え方だといえよう。

それでもやっぱり東京がいいという人は東京で生活すればいい。いやいや、アホらしいと思う人は自分の好きな場所で暮らせばいい。そういう価値が少しずつ多くの人に共有されつつあるのが21世紀の日本であり、北欧やドイツが20世紀に見つけた幸福論なんだと思う。海士町がいま、その幸福論を見つけつつあるのがとてもうれしい。

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