お昼12時に阪急大宮駅に集合して、京都幕末ツアーを実施。かねてより計画していたツアーなのだが、実行が遅れに遅れて年末になってしまった。
遅れていた計画を実行に移してくれたのは、ひょうご震災記念21世紀研究機構(HEM)の同僚である越智さん。かつての同僚である京都大学の入江さんと外務省の村上さんと僕の3人が企画していた京都幕末ツアーだったが、「それぞれ忙しいよね」という話の中で延期を重ねていたものを、越智さんが「実行しなきゃ!」と言って日程調整や宿泊先の予約などを担当してくれたので実現した。同じくHEMの同僚である酒井さんも誘って、5人で冬の京都を歩くことになった。
大宮駅から壬生へ向かう途中で山南敬介の墓を拝み、壬生の前川邸、八木邸を見学。新撰組が活躍した土地を満喫した。移動途中に普通の民家をそのまま使った「新撰組資料館」を発見。かなり面白いオーナーからいろんな話を聞くことができた。第一勧銀に勤めていたとき、創始者である渋沢栄一という人に興味が出てきて調べた結果、徐々に幕末まで興味が出てきて、退職後も幕末研究を続けているという人。家の中には手書きのパネルが何枚も何枚も置いてあり、各種資料が山のように積まれている。先を急いでいたので途中で話をさえぎって出てきたが、時間があればこのオーナーとずっとしゃべっていたかった。
その後、島原地区の輪ちがい屋や角屋を見た後、二条城を通り抜けて油小路へ。伊東甲子太郎が新撰組隊士に襲われた場所などを見学。近くの床屋の主人が出てきて、これまた丁寧に資料などをくれて当時の話を聞かせてくれた。この人、観光都市京都のボランティア解説員として市長から感謝状を送られているほど。さすがに説明が分かりやすいし面白い。京都にはさまざまな歴史と、その歴史について語ることのできる市民がいるということを実感した。奥が深いぜ、京都。
夕食は山縣有朋の第二無隣庵にて。現在は「がんこ」チェーンが借りているそうで、夜の庭園を見ながら食事ができた。その後、佐久間象山や大村益次郎受難の地や、料亭「幾松」などを見学しながら、タクシーで伏見の寺田屋まで移動。寺田屋は資料館なのだが、夜は宿泊することができる。部屋には昼間と同じく各種資料やパネルが掲示してあるのだが、その床に布団を敷いて寝ることができる。すでに資料館としては閉館した時間なので、館内は僕たちだけの貸しきり状態。思う存分資料を見ることができるし、周りの部屋を気にせずにみんなで話をすることもできる。寺田屋が宿泊可能であるということはあまり知られていないようだが、貸切状態になるという意味でとてもいい宿である。坂本竜馬が襲われた部屋、おりょうが駆け上がった階段、薩摩の有馬新七が背中から刺された場所など、幕末の大事件がそこかしこで起きていたことが分かる面白い宿である。
その宿で、現在の志士5人がこれからの生き方について熱弁ふるって議論する予定だったのだが、昼間に歩きすぎて疲れたのかすぐに寝てしまった。ただし、これからも毎年こういう会合を持って、HEMの卒業生がどんな仕事をしていて、今後何をしようとしているのかを語り合う時間をつくろう、ということだけは決まった。ということになると、現在福岡で研究員をしている山本さんや、来年から明石で教員になる石田さんにも参戦してもらう必要があるだろう。京大の入江さんも外務省の村上さんも、HEMの越智さんも酒井さんも、このまま同じ職業を続けるような人ではないように思う。きっとさらに別のことをはじめるだろう。こういう人たちと毎年情報交換し続けることは、僕にとって毎年新しい情報や刺激を受けることができる貴重な機会である。僕もこの人たちに少しでも刺激を与えることができるような生き方をしたいものである。
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