仕事で上京したので、新宿で瀬田史彦さんと食事する。
都市計画について研究する瀬田さんから、都市計画の限界性について教えてもらった。最近の再開発では、地区の容積率を決めるための数的根拠が不在なのだという。インフラの交通容量などが正確に把握できていないため、根拠不在のまま高さ規制が緩和されてしまうことも多いらしい。ますます複雑化する都市で、計画の根拠を数字だけに求めるのは限界があるということなのだろうか。都市の数字を調べ尽くすだけの調査方法なんて、これからも確立されないのではないかと考え込んでしまう。
この文脈からすれば、景観法というのは少し変わった都市計画関連法だといえるだろう。数字ではなく住民の発意や総意を根拠にする景観法は、これまでの制度とは違った可能性を秘めているのかもしれない。
人口減少下の都市計画においては、数字で決定できることが少なくなるのかもしれない。数字が増えることを前提にした計画論が成り立たなくなると、実際の生活に即した計画が重要度を増す可能性もある。都市の緑地計画も、誘致圏や昼間人口とは違った指標で進められるかもしれない。虫食い状の空地が増えるのである。暫定利用や定期借地を活用した流動的な緑地計画が、実際の生活に即したカタチで展開されてもいいはずだ。
これまで、緑地計画は「都市化」という巨大な敵を前にして、少しでも緑地を確保しようとがんばってきた。都市に対する戦いの歴史を重ねてきた。ところが、これからはその巨大な敵の内部に空地が出現しはじめる。戦うべき相手の性質が変化してしまうのである。これまでの戦い方を改める必要があるだろう。
巨人が強かった時代の阪神とは違った戦略を生み出さなければ、阪神は球界に必要とされない球団と化してしまうかもしれない。アンチ都市化という原動力で戦う緑地計画ではなく、逆都市化を支えるための緑地計画を模索するべきなのかもしれない。
山崎
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