2005年3月25日金曜日

「UPPの新展開」

ユニセフパークプロジェクトの1日目。とても寒い1日だった。途中で雪も降った。セネガルの子どもたちは初めて雪を見たという。

そのセネガルの子どもたちがサンダルで里山へ来たことや、当初3人だと伝えられていたイランの子どもが空港で9人に増えていたことなど、いろいろなハプニングがあったものの何とか事故なく1日目を終えることができた。

夜、ユニセフ本部からUPPの視察に来ていたケン・マスカル氏に呼ばれて、これからのユニセフパークプロジェクトについて話し合った。彼は、里山で遊び場を作るというプログラムの中に、もっとユニセフの特徴を出したほうがいいのではないかと主張した。国連本部がバックアップするから、UPPはもっとユニセフを前面に押し出したプログラムを展開すべきだという。彼の意見に僕は少し違和感を覚えた。

ユニセフが提供してくれる情報はかなり精度が高い。写真も深く考えさせられるものが多い。データも衝撃的である。キャッチコピーも効果的だ。ただ、あまりにも広報が上手すぎるため、時として僕らは映画か何かを見ているような気分になる。こことは違う場所で起きている状況を見ているような気分。先進国で生活しながら途上国の現状を知ることの難しさはこのあたりにあると思う。

先進国のユニセフができることのひとつに、そのスペクタクル(見世物性)を解体する作業というのがあるんじゃないか。僕はそんな風に考えている。これまでユニセフが行ってきたキャンペーンをもってしても、未だに100円で何人の子どもを失明から救えるか知らない日本人は多い。自分の使っている100円が、世界でどんな価値を持つものなのかを知らない人も多い。なぜか。きっと、途上国の現状を見たり聞いたりしても、無意識のうちに「ここではないどこかで起きている別世界の出来事」だと感じてしまっているからだろう。

ゴミの山で鉄くずを集めながら生活している少年。毎日水瓶を運ばされている少女。銃を持たされて戦争に狩り出される少年。途上国の子どもたちが強いられている悲惨な状況を、ユニセフは繰り返し世界に訴える。でも僕は、そういう子どもたちだって少しの時間を見つけて遊んでいるはずだと思う。遊ばない子どもはいない。どんな状況でも、きっと子どもはちょっとした隙間を見つけて遊んでいるだろう。

だからこそ、ユニセフパークプロジェクトでは「途上国の子どもも僕らと同じように遊ぶんだよ」ということを伝えたい。僕らと何も違わない子どもがそこにいることを伝えておきたい。そのことが実感できたとき、ユニセフが発信する悲惨な写真が急にリアルなものとして立ち上がるのである。僕らと同じように遊びたいと思っている子どもが、銃を持たされていること。重い水瓶を運ばされていること。鉄くずを集めさせられていること。そういうことを、同じ子どもとしてUPPの参加者に感じ取って欲しいのである。途上国の子どもがどんな風に遊んでいるのかを調べて日本に紹介すること。これもユニセフパークプロジェクトとして取り組むべき大切な活動だと僕は思っている。

そんなことをケン・マスカル氏と話し合った。彼は僕の話をじっくり聞いた後で、「UPPの基本的な考え方が整理できた」と言った。そして、世界の遊びやおもちゃを日本へ紹介するプロジェクトに協力することを約束してくれた。UPPが新たな方向に進み始めた夜だった。






世界の子どもたち


ケン・マスカル氏

山崎

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