INAX大阪で開催されたアーキフォーラムにコーディネーターとして参加する。ゲストは隈研吾さん。
隈さんからは、亀老山展望台、運河交流館、森舞台、水/ガラス、石の美術館、陽の楽家、広重美術館、バンブーハウス、グレイト(バンブー)ウォール、ONE表参道、東京農業大学「食と農」の博物館、東雲キャナルコート、阿弥陀如来坐像収蔵施設、福崎立体広場に関するプレゼンテーションがあった。
ディスカッションで一番聞きたかったことは単純だ。「負ける建築」を標榜する隈さんの建築も、僕たちランドスケープ側から見ると「ぜんぜん負けてないじゃん」と思えるような強さを持っている。だから「どこが負けているんですか?」という率直な質問がしたかった。
隈さんの回答は以下の通り。建築はそもそも強いものである。この強さを少しでも和らげる必要がある。周囲を威圧するような建築は作りたくない。しかし逆に強さを覆い隠してしまうような偽物の弱さを捏造するのも嫌だ。つまり、建築を弱くしたいけど、建築が持つ強さを隠蔽したくはない。この相反する理想を実現するために「どう負けるべきか」を模索しているところなのだという。
隈さんは、今後さらに大きな建築物の設計を依頼されることになるだろう。「負ける」を標榜する者としては、さらに不利な状況に立たされることになるだろう。単純なことだが「負ける」の難しさは建物の大きさに比例する。小さい建物ほど「負け」やすい。建物のスケールによって「負け方のバリエーション」が必要になるかもしれない。
その他、ディスカッションでは隈さんから以下のような話が出た。
・ルーバーなど壁面の取り扱いに固執しているように見えるかもしれないが、一番こだわっているのは床面の取り扱いである。
・ルーバーのピッチは素材によって変えている。木材とアルミ材では、同じピッチでも印象がまったく違う。
・最初から面白い仕事を依頼されることはほとんど無い。条件の厳しいものばかりである。それをどこまで面白いものにすることができるか。隈さんの作品はほとんどが「面白くした」仕事の結果。
・亀老山のビデオ画面が灰皿として使われたり、広重美術館の庭に石や松を配されそうになったりする。このように市民が勝手に空間を改変するような力については、あまりポジティブに捉えていない。
・原広司研究室での修士論文は「住居集合と植生」。集落の家と周辺の植生との関係性を定量的に捉えたかった。結果は、明確な相関関係が出ずに大失敗。
・建築とランドスケープとでは取り扱っている素材の粒子が違う。両者の「きめ細かさ」や「硬さ」をなじませるよう努力することが多い。
・目指しているのは、建築が周辺環境に「負ける」という状況なのかもしれない。
隈さんが考えていることは驚くほどランドスケープ的だった。しかし、僕たちが考えているようなマゾヒスティックなアプローチではなかった。隈さんの『負け方』はサディスティックである。このことが実感できたのは大きな収穫だった。
隈研吾さん
たくさんのご来場ありがとうございました。
山崎
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