INAX大阪で開催されたアーキフォーラムにコーディネーターとして参加する。ゲストは槻橋修さん。
京都大学の体育会アメフト部「ギャングスターズ」に所属していた槻橋さんは、建築家としては珍しいほどの大男である。ただし、外見に反して物腰は非常に柔らかい。そのギャップが魅力的だった。
合計7年に渡る大学院時代は原広司さんの研究室に所属し、集落調査のために中近東やアフリカを20回以上旅したという。プレゼンテーションでは集落の写真をたくさん見せてくれた。
目の前の風景は常に変化している。その風景を見ている自分もまた、常に変化している。集落が作られた経緯がわかると、それまで見ていた風景は一変する。住居のカタチに宿る意味を教えてもらうと、集落の風景がまったく違ったものに見える。槻橋さんは、20回の集落調査を通じてそういう瞬間を何度も体験したと言う。
つまり風景とは、それを見る人が瞬間的に出会った空間の残像であり、同じ風景を2度見ることは無いのである。そんな意味を込めて、レクチャーのテーマを「フラッシュバック・ランドスケープ」にしたそうだ。
風景の「見方」が変わるという意味で、槻橋さんの郊外住宅地論は面白かった。現在、地方都市の郊外住宅地には虫食い状の空き地が目立っている。その数は急速に増えている。空き地はしばらくすると駐車場になり、その駐車場には多くのクルマが停められる。かつては家々が連なる街並みを形成していた街路景観も、ところどころに駐車場が差し込まれたルーズな風景へと変異している。
ルーズな風景を否定して、引き締まった街並みを維持するために住宅を増やす、というのは現実的な解答ではないだろう。むしろ「ルーズな風景をどう見るのか」という見方の問題として解くほうがうまい。さんざん議論されているコンパクトシティという都市像も、土地との結びつきの強い日本では実現されそうにない。土地の所有権をきれいに整理し、小さくて住みやすい都市を作れるなら悩みは少ないだろう。しかし日本人が持つ土地の所有感覚は、必ずや土地の流動化に歯止めをかける。つまり、地方都市のいたるところで今後数年間のあいだに虫食い状の駐車場が発生するのである。そのことを否定しても始まらない。むしろ、そんなルーズな風景の「見方」を変えるようなプロジェクトを立ち上げようじゃないか、というのが槻橋さんの考え方である。
駐車場が増えているのなら、その駐車場をデザインしてしまえばいい。ただし、駐車場本体にデザインを施すのではない。駐車場に停まるクルマの色を揃えることで風景を作ろう、というのが槻橋さんのプロジェクト「パークレット」である。
クルマの種類と外装の色によって麻雀の役にあたるルールを作り、近くに停まっている車と協働することによって駐車料金の割引を受ける。そんなルールを市内全域の駐車場に適用することができれば、駐車場に緩やかなコミュニケーションが発生することになるのではないか。また、クルマの色が揃い始めると、従来の雑多な駐車場というイメージが払拭され、駐車場に対する人々の見方が変わることになるのではないか。駐車場が「自分も関われる場所」へと変化し、そこに停まる車の色も一定のまとまりを作り出す。
槻橋さんの提案は、虫食い状の都市を使いこなすための方法だといえるだろう。程度の差こそあれ、今後10年で僕らはルーズな風景に取り囲まれることになる。虫食い状に点在する駐車場や空き地や空き家や農地。そんな風景の見方を変えるような提案が求められる時代になるはずだ。
控え室で初めて挨拶した時に感じた槻橋さんの第一印象は、会場でのディスカッションや2次会/3次会での世間話を通じて目まぐるしく変化した。アメフト部だったこと、集落調査の用心棒役だったこと、施工会社に叱られながら現場を監理していること、奥さんが事務所の所長だということ、実は仙台からお土産を持ってきていたこと。印象が瞬間的に変化する。槻橋さんは、自身に対する「見方」を変化させるような話題を豊富に持っている人だということを実感した。
槻橋修さん
山崎
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