2005年1月12日水曜日

「集のデザイン」

これは読書ではないのかもしれない。本ではなくホームページを読んだのだから。ただし、ホームページにアップロードされた「書き物」を読んだのである。これは読書だろうか。

乃村工藝社のホームページに「集のデザイン①:住居空間」という対談が載っている。青木淳さんと塚本由晴さんと山家京子さんが住居空間について語ったもので、これがなかなか興味深い。1998年のものなので7年前の記事である。当時の青木さんや塚本さんの発言には、最近の発言に通じるものと、ニュアンスが変わってきているものとがある。この7年間で変化した思考と変わらなかった思考。青木さんや塚本さんの言説における賞味期限を読み取ることができる。

試しに、その後の塚本さんの発言を追ってみることにした。まずは前提となる対談から整理しよう。

件の対談で塚本さんは「マスターデザイン」という概念について触れている。住宅をデザインする前からその場所には何らかのデザインがある。例えば、区画造成デザイン、独特の周辺環境デザイン、施主による敷地選定デザインなど。住宅のデザインに先行するこれらのデザインのことを、塚本さんはマスターデザインと呼ぶ。そしてマスターデザインに住宅のデザインをつなげることを目指していると言う。同じことは、2000年に出版された「住宅論」の中でも述べられている。「自分が最初のデザイナーだと思いたいところだけれども、いつも敷地へ行って感じるのは、自分達は後から来たということです。結局は周辺環境に増築しているということになる」。

1998年の塚本さんは、もうひとつ言葉を提示している。「環境ユニット」という言葉。住宅の敷地をはみ出した生活のあり方を考えるとき、環境ユニットという概念が必要になるという。環境ユニットとは、建物、緑、前面道路、庭、電柱、隣の家の壁、土木構築物など、その辺にあるものを組み合わせて成立する有意義な環境のまとまりのことである。僕らの生活は住宅の敷地内だけで簡潔しているのではなく、敷地を飛び出したさまざまな空間や要素と結びついて成立している。住宅を設計するときは、単体で考えるのではなく周辺環境との結びつきを考慮しながら利用できるものは利用しながらデザインするという。住宅が周辺環境にプラスに働けば都市が良くなるし、都市がよくなると住宅も良くなるという論理だ。ただし、2000年5月の「美術手帖」に収められている「スーパーフラットはダメなものへ接近する方法論」という対談では、「環境ユニットは建ち方に関するフィジカルなことに問題が限定されている」として、別の概念に置き換える可能性を示唆している。

塚本さんが提示している3つ目の言葉は「ものの取り扱い」である。「たとえば、僕は机の上に食事やお酒があったほうが親とうまく会えるような気がする(笑)。要するに別のものを入れておけば集まれるんだけれども、それをはずしちゃうと集まれなくなるということはあると思うんです」。ものの取り扱いを通じて人とのコミュニケーションを楽しむ。この考え方は塚本さんの最近の言説にもよく登場する。

以上、1998年の塚本さんが発した言葉をスタート地点にして、明日以降2000年から2004年までの塚本さんを研究してみたいと思う。

山崎

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