塚本さんは、いろいろな言葉を生み出す。しかし、その言葉も少しずつ変化している。あるいは、スケールによって使い分けている。
例えば、2000年5月の美術手帖に登場する「取材と定着」という言葉は、その年の12月に出版された「住宅という場所で」のなかで「観察と定着」という表現に変化している。別の場所では「注目と定着」と表現したこともある。
塚本さんはこう言う。建築の問題は、何を観察してそれをどうかたちに定着させていくかという問題なのだ、と。そのうえで、観察と定着との間に時間差はなく、それらは同時に起こるものだと言う。決して観察が先で定着が後だというわけではない。観察の仕方は定着の仕方に依存しているのだから、どちらの思考も同時にお互いを必要としているのである。
「観察と定着」という視点に立つとき、デザイナーは対象の善悪を評価しなくてもよくなる。塚本さんは、善悪の評価を外したところから設計を進めたいと言う。諸々の判断を自分で決めていけるということはとても自由になれることであり、ものごとをフラットに見ることができる視点を手に入れることである。そういう立場から設計に取り組みたいということなのだろう。
その後、2001年の11月に出版された「MUTATIONS」のなかで塚本さんは、「観察と定着」について以下のように述べている。
観察は対象に対する愛情であり、定着はその観察に力をあたえることである。
力強い表現だと思う。この言葉、僕は結構気に入っている。
山崎
0 件のコメント:
コメントを投稿