2005年5月3日火曜日

「虚飾の愛知万博」

週末に愛知万博のそばを通ることになったので、前田栄作さんの「虚飾の愛知万博」を読む。

前田さんは、愛知万博を「土建国家の最後の祭典」と位置づけている。今後、こんなに無駄なお金を使うお祭りは行われないだろうというのだ。実際、前田さんが調べた「万博に関わる無駄なお金」を見ると確かにバカらしくなる。社会に祭りが必要だとしても、国民に国家的祭典が必要だとは思えない。特に今回の愛知万博のように、経済と環境の双方に負荷をかけるお祭りなんて必要ないのではないかと思ってしまう。経済と環境という2つの「エコ」に対して、愛知万博はいずれも取り返しのつかないほどの赤字と破壊を与えてしまうようだ。そのことが決まってしまった以上、それらの負債を無駄にするのではなく、それがどれほどのものかをしっかりと体験しておく必要があるだろう。無意味な万博だとしても、そこから意味を見出すのは自分次第なのである。

万博の入場者数は、予想通り芳しくないそうだ。さんざんお金をつぎ込んだ万博だったが、予想の半数にも満たない来場者数なのだという。この万博で生じる借金は、当然ながら僕たちの税金で補填されることになる。

それで済めば傷は浅いのだが、万博協会は入場者数を増やすために更なる借金を作ろうとしているようだ。見かけ上の入場者数を増やすため、愛知県内の小中学生を入場無料にするというのである。無料といっても、学校から児童や生徒の入場料を徴収するという仕組みであり、つまるところこれは文部科学省、教育委員会から学校に流れる税金の一部である。

今後も万博協会は入場者数を増やすためにいろいろな工作を目論むだろう。そのたびに税金が使われることになる。そう考えると、万博に何らかの意味を見出して、少なくとも自分にとっては無駄な万博にならないような努力をすべきだと思う。

ちなみに、1989年に名古屋市で「世界デザイン博覧会」という博覧会が開催された。デザイン業界ではわりと有名な博覧会である。僕はデザイン関係の本でこの博覧会のことを知ったのだが、有名なデザイナーが多く関わって盛大に開催された博覧会だったようだ。当時、僕がデザインに興味を持っていれば確実の足を運んだだろうと思える博覧会だ。ところが前田さんの本によると、この博覧会も8億円の赤字だったという。「デザイン」をテーマにしたところで、市民は会場に足を運ばなかったということなのだろう。結局、有名なデザイナーが自分のデザインを実現させるために多くのお金を使っただけだった。困った事務局は、博覧会で使った備品や舞台やパビリオンを中古物品として名古屋市に売りつけたそうだ。その額10億円。その結果、デザイン博の終始は2億円の黒字に転換。デザイナーの欲望の捌け口が、中古物品となって粉飾決算のネタになってしまった。この件については、当然オンブズマンに指摘されて、現在も裁判が続いているという。

デザイナーというのは、「万博的なるモノ」に加担してしまう危険性を内在している職業だ。そんな僕たちが愛知万博に無批判的であるのはあまりにのんきすぎるといえよう。

山崎

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