昼から「archireview」に出席する。テーマは丹下健三さんの広島ピースセンター。コーディネーターは遊墨設計の仙入洋さんと林佩樺さん。ゲストは広島大学でコルビュジエを研究している千代章一郎さん。
千代さんは、自分の研究対象であるコルビュジエを参照しながら丹下さんのピースセンターについて語った。ピロティーはそもそも人間や自動車が1階部分を通過するための空間である。建築物が建つことで途切れてしまう動線を確保するために、建物のボリュームを空中に浮かすことが狙い。この操作によって、1階部分のピロティー空間は人々の自由な移動を可能にする。広島ピースセンターの建物が宙に浮いて、その下を人々が通過できるようになっているのは、まさに「ピロティーの正しい使用法」である。ピースセンターは、ピロティーを用いることで広島平和記念公園におけるゲートの役割を果たしている。
これに対して、コーディネーターの仙入さんが疑問を呈した。丹下さんのコンペ案では、ピースセンターというゲートを通り抜けた先に大きな台形の芝生広場が横たわっている。実はこの芝生広場、8月6日の平和記念式典以外の日は立ち入り禁止なのである。現状は芝生広場の中央に園路がつくられているものの、初期案ではピースセンターを潜り抜けた来園者は件の芝生広場を迂回するかたちで公園内へ進まなければならなかった。そう考えると、丹下さんは本当にピースセンターのピロティー空間を人々の通過空間(ゲート)だと認識していたのかどうかが怪しくなる。
確かに指摘どおり、ピースセンターの北側には立ち入り禁止の芝生広場が位置している。エントランスから原爆ドームへのビスタは明確に通っているものの、そのビスタ上を直線で歩くことはできないような空間構成になっている。そのほかにも、原爆死没者慰霊碑や元安川がビスタ上に位置するため、エントランスから原爆ドームへ直線でアプローチすることはできない。
恐らくこのことが平和記念公園の大きなコンセプトだったのではないだろうか、と僕は思う。つまり、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆資料館という「原爆の歴史」をつなぐ南北軸は象徴のビスタであり、視線でしかアクセスできないものとする。一方、東西方向の100m道路、平和大橋、西平和大橋という「復興のシンボル」をつなぐ東西軸は活動の軸であり、実際に歩いてアクセスできるものとする。「視線のアクセス」と「歩行のアクセス」を一致させないこと。これが平和記念公園の平面計画におけるコンセプトだったのではないか。
だとすれば、ピースセンターは2つの軸(歴史の軸/復興の軸、視線の軸/歩行の軸)が交差する部分に建っていることになる。なぜピースセンターは東西に長い形態なのか。どうして1階部分がピロティーになっているのか。ピースセンター南側のプラザがヴォイドなのはどうしてか。こうした問題は、交差する2つの軸とピースセンターとの関係性から読み解くべきなのかもしれない。
千代さんも、建築単体を見るのではなく、都市計画と建築形態を相互に参照しながら建築の問題について考えることの重要性を強調した。都市計画的視点を持ちながら建築計画について語ることができる数少ない研究者らしい意見である。コルビュジエ研究のみならず、都市計画や日本庭園史を研究した経験を持つ千代さん。近視眼的で局所的になりがちな建築の議論を相対化しながら論じる態度は見習うべきものがある。
その他、興味深かった話は以下のとおり。
・原爆ドームは、戦前から有名な建築物だった。広島で高校生活を送った丹下さんは、戦前の原爆ドームが広島市民にとってどれくらい重要なものだったのかを熟知していたのではないか。平和記念公園におけるビスタの計画は、丹下さんの広島生活から生まれたアイデアだったと考えられる。
・丹下さんは、ほかの人のデザインボキャブラリーを引用して組み合わせるのがうまい人だったのではないか。オリジナルの形態を生み出すというよりは、既にあるボキャブラリーを編集する能力に長けていたように思う。
・コルビュジエはビスタを嫌っていた。ビスタというのは「この場所から見なさい」と見る者の視点を縛り付けるものである。しかし、人間は移動しながら見る生き物。だからコルビュジエは動的な視点場の設定に努めていた。
・コルビュジエは、建築を感覚でつくり、都市計画を論理でつくる人だったのではないか。
・アーバニズムというのもひとつの「イズム」である。それは、都市の公共性を考える主義主張であり、都市の公共空間を充実させる必要があると訴える主義主張である。
・神が死んでしまった現代において説得力を持つのは「環境」しかないだろう。かつて「神」と言われると反論できなかった問題群が、現代では「エコ」の問題として扱われている。建築家は「屋根の上に草が生えているなんてかっこ悪い」という世論が「屋根の上に草が生えていることがかっこいい」ということになるような美学を打ち立てなければならない。建築の実践を通じて、エコ時代の新しい美学を確立させてほしい。
広島平和記念公園設計協議における丹下案(一部)
山崎
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