2005年1月27日木曜日

「ランドスケープアーキテクトの再定義」

仕事で上京したので、夕方から東京大学の大西研究室を訪問した。大西隆さんは「逆都市化時代」の著者である。「逆都市化時代」は、以前「地域開発」の原稿を書く際に購入し、これまでに何度も読み返した本である。人口減少時代を都市計画の視点から論じた著書はそれほど多くなく、現在のところ大西さんの「逆都市化時代」と蓑原敬さんの「成熟のための都市再生」しか出版されていない。

大西さんが「逆都市化時代」のなかで示している問題構成は、僕が危惧している郊外住宅地の問題を含んでいる。日本の都市が成長の時代を終えて収縮の時代(逆都市化時代)を迎えているという現状認識。小さくなっていく都市を僕たちはどう取り扱うべきなのかという問題意識。そこに郊外住宅地の将来像を考えるきっかけがある。大西さんに郊外住宅地の将来像とはどんなものなのかを尋ねてみた。

大西さんのビジョンは、世帯数が減少することによって郊外住宅地の「ゆとり」が増すだろうというものだ。しかし、最近のニュータウンを調査した僕には、世帯数が減って空き家や空き地が増え始めている郊外住宅地から「ゆとり」を感じることができなかった。どうすれば今後「ゆとり」のある郊外住宅地を誕生させることができるのだろうか。

ゆとりある郊外住宅地の作り方について大西さんに尋ねると、逆都市化の手法をひとつ教えてくれた。空き地や放棄田を敷地統合し、1/3を宅地、1/3を農地、1/3を森林として整備する。整備後の土地の資産価値を公平にするため、宅地の売り上げを農地や森林の売り上げへと補填する。このようにして、敷地全体で一定の資産価値を担保しつつ、徐々に農地や森林の面積を増やしていくというのである。まさしく「逆都市化の計画手法」である。大西さんはこの手法のことを三分法と呼んでいた。

また、都心部のランドスケープにおける人工的要素と自然的要素の調和についても話し合った。例えばお城を見るとき、僕らは天守閣だけを見ているわけではない。無意識的に背後の土塀や樹木や石垣を天守閣とセットで眺めている。つまり、天守閣や土塀という人工物と、樹木や石垣という自然物をセットで観察しているのである。日本人の風景観というのは、このように自然物と人工物が混ざった風景を好むという特徴があるのではないだろうか。

その証拠に、天守閣の無い城址公園なら風景として受け入れることができるものの、天守閣だけが建っていて土塀や樹木や石垣や堀のない状況は風景として受け入れにくいものである。天守閣だけが建っている状態は、安物の土産物屋かラブホテルのようなキッチュさを伴う。特に日本の都市景観を検討する際には、人工物と自然物の調和を真剣に考えるべきだろう。そのためには、都市内の農地を都市計画のなかにしっかりと位置付ける必要がある。

宅地や農地や森林をセットで取り扱うこと。人工物と自然物を組み合わせて都市の風景を創りだすこと。都市内農地を都市計画のなかに位置付けること。風景を創るということは、敷地境界を越えるだけでなく専門分野の境界も越えて取り組む必要がある。一般的なランドスケープデザイナーは敷地の周辺についても考慮していると言うが、考慮しているだけでは都市の風景など変わらないだろう。逆に、考慮していた周辺敷地のほうが突然変化してしまうこともあり得る。本当に美しい風景を創りしたいのなら、単なる「オープンスペースデザイナー」ではなく、領域や職域を横断する「アーバンデザイナー」か「シティプランナー」の仕事をすべきなのかもしれない。そして、美しい風景を作り出すアーバンデザイナーやシティプランナーが現れたとき、改めてその人のことを「ランドスケープアーキテクト」と呼んだほうがいいのかもしれない。

大西さんとの話が終わった後、大西研究室の瀬田さん、片山さん、斉藤さん、そして大学院生4人と一緒にベトナム料理を食べに行った。大学院生たちは相互に仲が良く、瀬田さんや片山さんや斉藤さんを交えて非常に楽しい時間を過ごすことができた。大西研究室のみなさんに感謝する次第である。

山崎

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